第12話 モブの恋愛講座(1)

 朝、いつもと変わらずにぎやかな社内で、私・名川松子は正座をしている。

 目の前にいるのは、怖い顔をした課長だ。昨日、課長から逃亡したのは良いが、ゲームと違って現実はやってくる。そう、逃げ切ることはできないのだ。

わしわな、松子くんが目覚めるのを待っていたんだよ」

「はぁ……恐縮です」

 どうやら私は、お茶を持って会議室の扉を開けたまま、眠り始めたらしい。そのため、女性社員を呼んで私を自席に運んだらしい。それから定時になっても起きない私を見捨てて課長は帰り支度を始めたそうだが、同期の頏河明日那の旦那である頏河尊が課長を呼び止めたそうだ。そして、私が課長に用事があると言っていたことを伝えたために、帰り辛くなって待っていたそうだ。

 すべては明日那の旦那が悪いと言うのに、なぜ私が怒られねばならないのだ。

「で⁇儂に何の用があったのだ⁇」

「はぁ……今日の夕方にやる懇親会の茶菓子って、何が良いですかねーって」

 その言葉に課長は目を丸くしていた。そりゃあ、そんな話をするために夜遅くまで残っていたのだ。馬鹿馬鹿しくなるだろう。

「……それだけか⁇」

「それだけです」

 その言葉に、課長はプルプルと震え始めた。これはヤバい、ブチ切れる予感しかない。目をカッと開いた課長を見て、雷が落ちるだろうと私はギュッと目を閉じた。


 ……


 いつになっても課長の雷が落ちないことに気付いた私は、恐る恐る目を開けた。先ほどまでの冷たいタイル床とは異なり、ふかふかの赤絨毯じゅうたんになっていたのだ。私はパッと顔を上に向けた。

「ほぉ。目覚めたか、松子よ」

 そこには、王様が玉座に座っていたのだ。辺りを見渡すと、また異世界に来たようだ。赤い絨毯を囲うように、鎧を身に包んだ騎士達がずらりと並んでいた。前回も思ったが、威圧感半端ない。

「喜びのクリスタルは受け取った。次は怒りのクリスタルを手に入れよ。場所は南にある海の祠じゃ。さぁ行け!!」

 またもワザとらしい嘆声たんせいを上げる騎士達を横目に、王の間を出て城を後にした。


 城の門の前に、壁にもたれ掛かっているモブがいた。私に気付くと起き上がり、手を振ってきた。

「よぉー!!やっと帰って来たか」

「……モブ、もしかして喜びのクリスタルを渡したのってあんた⁇」

 じとっとした目でモブを見ると、にこにこと笑いながらうなずいた。

 あの後、モブは一人で長い道を歩いて帰ったようだ。スペアードルートの時は主人公単独で動かなければならなかったので、行きも帰りも長い道のりなのにイベントもない状態で虚無きょむっていたのを覚えている。そのくせ魔物は大量に出るから、逃亡するのがとても大変だったのだ。モブは魔力が無い上に魔力耐性が無いから、戦うこともできずにさぞ大変だったのであろう。

 私が魔の森で困っていた時にモブは見ていたと言っていたので、怒鳴り散らしてやろうかと思った。だが、あんな面倒な道のりを一人で頑張って帰ってきたのだ。私は許してやろうと、温かな目でモブを見つめたのだ。


 私とモブは出発を前に、大衆食堂へ来ていた。どうやらモブは、私がいなくなった後はまっすぐ城へ戻ったようだ。王様に喜びのクリスタルを渡して、私がいずれ来るからと伝えた後は城の外へ出たそうだ。そこから、私が戻るまで城門で待っていたそうだ。

 戻ったのが夜だったそうだが、私が城門を出てきたのは昼だ。私は外の景色が変わっていないから数分しか経っていないと思っていたが、どうやら一日経っていたのだ。

 そんな阿呆みたいに私を待っていなくても良かったと言うのに……まぁ、待っていなかったらそれはそれで文句を言ってたかもしれないが。

「さて、次は怒りのクリスタルか……」

 昼飯をガッツリと食べているモブを前に、私は独り言をつぶやき始めた。

「はぁ……イベントを生で見れるなら、リクルンやラルフでも良かったのになぁ」

 旅のイベント以外にも、クリスタルを手に入れた時や王様にクリスタルを渡した後にもイベントがあるのだ。リーくんのイベントが一番だが、リーくんがいない以上は他の攻略対象で良かった。なのに、なぜ私はモブの飯を食べる姿を見るているのだろうか。

 モブはもぐもぐと美味しそうに食べていた。本当にお腹が空いていたのだろう。

「はぁ……どうして誰も着いて来てくれないのよ……」

 ゲームと違った状況に、私はただただ悲しみに暮れるしかなかったのだ。


「ふぅ……ご馳走ちそう様でした」

 モブはご飯を食べ終えたようだ。店員に声をかけて、お皿を片付けてもらっていた。

「美味しかった⁇」

「おう!!美味しすぎて、ほっぺがとろけ落ちそうだぜ!!」

 ニシシッと笑いながら、水を飲んでいた。そんな姿を私はボケーッと見ていた。

「よし!!飯も食べ終わったから、教えてやるか」

「んっ⁇何を⁇」

 モブはにこりと笑いながら、私に何かを教えてくれるらしい。食べ終えたのなら、とっとと次に行きたいものだ。

「さっき、俺に言ってただろ⁇なぜ誰も来てくれないって」

 モブはご飯を食べるのに夢中だったと思っていたが、私の独り言を聞いていたらしい。私ははぁと言いながら、モブをじっと見つめた。コイツがためになる話なんてできるのだろうか。まぁ、暇つぶしになればいいかとモブをじーっと見つめた。


「まず一に、リクルハート殿下だ。松が異界へ来た時に一番最初に出会った王子様だ」

「へぇ、なんで知ってるの⁇」

「俺、松が異界から来た日にさ、山が光り輝いたのを見たんだ。それで、何事かと思って見に行ったら、そこに松がいたんだよ」

 マジか。モブは私が異世界召喚されたあの日から、私を知っていたと言うことか。……と言うか、最初にグダグダとしていたところも見られていたと言うことか。そう思うと、恥ずかしいものだ。

「殿下は小さい頃から異界の者に憧れているって父ちゃんから聞いてたんだ。だから、あの時、松を見てとても嬉しそうな顔をしているのが見えたんだ。だが、松は優しい殿下を無視して好き放題してただろ⁇」

「……」

「あれじゃあ千年の恋も冷めるって。松を見る殿下の目が、段々と死んだ魚のような目になっていったときは、どうなってしまうのかハラハラしたんだぜ⁇」

 リクルンは笑っていたけど、目が死んでいたというのか。そこまでは見ていなかった。

「じゃあ、ラルフは⁇」

 そう言うと、モブは私をまるであわれむような目で見てきた。

「いや……あの時、ラルフさんを心配して看病していたら違ったかなーと。あの人は殿下よりも盲目もうもくだったから……」

 そう言うと、モブはフッと笑った。ラルフが盲目なのは知っている。だが、アイツは村人にれたのだ。看病したからと言って、モブに惚れるとは攻略対象として情けない。

「くそっ、モブにラルフを奪われるなんて!!」

「はっ⁉俺、ラルフさんとはそんな関係じゃないぜ!!⁇」

 私は大きくため息をついた。

「……村人のモブだよ」

「えーっ、モブは俺だろ⁇他の人のこともそう呼んだら、その他大勢みたいな扱いになっちゃうじゃん」

 まぁ、実際はそう言う感じの意味なんだけど、説明するのがめんどくさい。

「俺!!このあだ名は俺だけのなんだから、モブって呼ぶのは俺だけにしてよー」

 モブが子どものように駄々をこねてくるので面倒だった。

「はいはい、この世界のモブはあんただけよ」

 私が呆れ顔でそう言うと、私を見ながら嬉しそうに微笑んできたのだった。

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