第13話 御山の神様

 さまざまな種類の紫陽花が見事に咲く季節。真緒とレオンは車に乗って、山道を走っていた。

「梅雨どきだから、落ち葉の掃除はちょっと大変かもね」

 真緒は助手席で、大事そうに一升瓶を抱えながら言った。真緒は普段の着物姿とは異なり、巫女装束をまとっていた。行きがけに神社に寄って借りた衣装だ。後部座席には竹箒とゴミ袋が置かれている。

 そんな荷物を愛車に乗せるのが嫌だったのか、レオンは不機嫌そうにつぶやいた。

「酒だけ置いていきゃあいいんだよ。掃除なら伯英だってしに来るだろ」

「くちなわさまの御礼に行くのよ? そんな礼儀を欠いてどうするの」

「だいたいアイツの結界がザルだからそんな流れものが入ってきたんだろ? 管理不行じゃねぇか」

「罰当たり。私たちだって似たようなものでしょう? あの方がお許しになったからこそ、ここで暮らしていけてるんじゃない」

 共存理念はどこに行ったの、と真緒が説教をすると、レオンはむぅ、と唇を尖らせた。レオンは愛しい妻の店に余所者のあやかしが入り込んだことに腹を立てているのだ。しかも自分が居ない間に。そんなときこそアイツがどうにかするんじゃないのか? とこれから向かう先の相手にも怒っている。怒りはハンドルさばきにも出て、舗装はされているが緩急のある道で車体がゴッと浮いた。

「運転荒い人キライ」

「むぐ」

 真緒の一言に、レオンは沈黙する。


 3年前、地元出身の佐伯に連れられて、2人はこの地にやってきた。神秘が存在し、敬い、共に暮らし、まだ畏れられる地。この地なら異郷のあやかしでもある2人を受け入れてくれるだろうと人狼である佐伯は言った。

「異端は排斥されるのが常ですが……。ウチの神様はおおらかな御方でして。けっこう他所からのあやかしを受け入れちゃうんです。新しい血とか知識とか入るから楽しいとおっしゃられて」

 なかなか時代に合った神様じゃないか、とレオンは喜び、早速あいさつに出向いた。御神体とされている御山を管轄している神社の神主・伯英に繋ぎをつけたのも佐伯である。鳥居をくぐれないレオンを置いて、佐伯と真緒だけで伯英に会ったのは、レオンの不本意なところだったが、仕方ない。


 一本道をひたすら山に向かって車を走らせ、中腹にある祠にたどり着いた。神社は表向きの御神体を山としているが、実際祀っているのはこちらを根城としている神だ。

 真緒は車から降りて、竹箒を持って祠周辺の落ち葉を掃く。昨夜雨が降ったのか、落ち葉は地面にぺたりとくっついていて、なかなか取れない。真緒は襷を取り出し、袖を捲ると、一枚一枚手で落ち葉を拾い始めた。幸い、落ち葉の数は少なく、小一時間で祠の周りは綺麗になった。レオンは真緒の隣でゴミ袋を持って、不機嫌そうに落ち葉を回収していた。

 真緒は雨水の溜まった水瓶で手を清め、襷を外し、助手席から一升瓶を持ち出す。


びょう。


 一陣の風が吹いた。風の強さに思わず目を瞑った真緒は、風が収まってからそろりと目を開けた。目の前には、先ほどまでいなかったモノが居る。新雪のような、真っ白な大きな獣。狼に近い姿を模している。ゆえに人々はその獣をこう呼んだ。

白狼はくろうさま」

『手で濡れ葉を拾う姿。まこと清らかな心の生き物よの、娘』

「ありがとうございます」

『ぬしも夫なら多少は見習え。異国の』

「生憎とそこまでアンタに執心していないんでね」

「レオン」

『良い良い。斯様な性質なのはわかっておる。して、何用じゃ?』

 風がひゅうひゅうと吹くような、男のような女のような、高いような低いような声が響く。山神の声はまるで笛の音だと真緒は思った。

「くちなわさまを受け入れてくださった御礼に参りました。こちらは神官一同より預かりました御神酒でございます」

 真緒は手にした一升瓶を目の前の獣に捧げた。今、真緒は神社の代表であり、巫女の代理でもある。本物の神を目の前に、緊張と畏怖で手が震える。白狼はふむ、と白布に包まれた瓶を見つめると、すう、と大きく息を吸った。捧げ持った瓶が一瞬で軽くなる。

『うむ、美味であった』

「恐れ入ります。……あの、くちなわさまはお達者ですか?」

『その祠におる』

 白狼が鼻先で白蛇の位置を示すと、真緒はひゃっと小さく叫び、慌てて失礼いたしました、と頭を下げた。

『そこが気に入ったようでの。奥に渓谷があるからそこで寛げと言うたのじゃが。まぁ好みはそれぞれよの』

 わしは山を駆け抜けるのが好きでな。白い獣は小さく笑ったようだった。


『そういえば、わしの縁者たちは達者かの?』

「私の知る限りでは、みなさんお元気でいらっしゃいます」

 レオンの部下の、工藤と佐伯はこの地出身の人狼だ。佐伯の一族は随分前に里に降りたらしいが、工藤の方は最近まで白狼の眷属であった一派だという。工藤と佐伯の力関係はわからないが、年長ということもあって、佐伯が工藤を立てていることが多い気がする。

「そんなの自分でササッと感じとれるだろ? わざわざ真緒に聞くなよ」

『斯様な些事は、聞いたほうが早かろ?』

 不機嫌なレオンの様子を楽しむかのように、白狼は笑った。真緒ははぁ、とため息を吐いた。この2人(?)はどうも相性がよろしくないようだ。

「レオン、もう帰るからそんな怖い顔しないで。白狼さまも私の夫で遊ばないでくださいまし」

『娘。その男に飽きたらわしのところに来い。良い暮らしをさせてやるぞ』

「ヒトの女房を口説くなっつーの」

「はいはいはい、帰りますよ! 白狼さま、ごきげんよう」

 真緒はレオンの背中を無理矢理押して、車へと向かった。

『ではまたな』

 白狼はクックックと低く唸る。次にひゅうと風が吹いたと思えば、そこに居たはずの白い獣は消え失せていた。

「あの助平爺、今度会ったら尻尾踏んづけてやる」

「祟られるのがオチだからやめて。もう、白狼さまのお言葉を間に受けちゃだめだって何度も言ってるでしょう? あの方はレオンが怒るのを見るのが楽しいんだってば」

「わかってるから余計に腹が立つんだよ」

「普段ならこんな言葉遊びに挑発されないのに……」

 どちらかというと言葉遊びで優位を取るのがレオンだ。だが、白狼相手だと勝手が違うようで、いつもカリカリした気分で山を降りることになる。まぁ、日本の神様仏様とは相性良くなさそうだもんね。鳥居も山門も通れないし。

 山自体は聖俗渾然とした場所である。鳥や獣が生き、また死に絶える場所であるからだ。その山の神として君臨する白狼も聖と魔が混沌とした存在のはずで、負の面では魔であるレオンと馴染むはずなのだが。

(私が居ることで神性が大きく出ちゃうのかな?)

 真緒は生娘として巫女として白狼の前に立つことが多い。山の正の面を引き寄せているかもしれない。真緒自身、半分聖であり、半分魔である。どちらの面が強く出るかは、その土地の属性によるところが大きい。この場所は長年聖域として祀られ、清められてきた。混沌とした山の中での、明確な聖地である。真緒は知らなかったが、レオンはこの場所に来ると頭痛がするのだという。となれば、やはりこの場所では自分は正の面が引き出されているのだろう。


「帰ったら、ホットケーキでも焼こうか?」

「……マフィンの方がいい」

「じゃあマフィン焼くね」

「おう」

 どっちが年上なんだか。真緒は窓の外を見ながら苦笑した。

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