第12話 駆け落ちに至るまで

 会うなら早い方がいい、とレオンはその日のうちに真緒の家族に会いたいと言ってきた。真緒は断ってもついて来そうなレオンの強い意志を感じ、諦め顔で承知した。まぁ現実を知ってもらうには早い方がいいだろう。

「貴方には短い間になるのだろうけど、が親戚になるんだって覚悟はしてね?」

「おう?」

 家族をこれ扱いする真緒に、レオンは訝しげな表情を見せたが、真緒は黙ったままだった。

 家近くまで2人を運ぶバスが来た。真緒が先に乗る。比較的空く後部座席へと座った。隣にレオンが当然のように座る。180センチを超えるレオンが隣に座ると流石に狭い。羽織を避けて座ってくれたのは有り難いが。

「契約にさ、条件追加してもいい?」

「ん? どんな?」

「私に対して大声で怒鳴らない、暴力を振るわない、物を投げない。できれば対等で接してほしい」

「俺が血を吸うことで主従になるが、普段はパートナーみてぇなもんだからな? 対等に決まってるだろ。てかなんだそのDVの見本みたいな条件」

 レオンの答えに、真緒はほっとした表情を浮かべた。ならいいよ。結婚しても。と呟く。

「家族構成、聞いてもいいか?」

「父と兄、父と再婚した継母とその間にできた弟の5人家族」

「あんたを産んだおふくろさんは?」

「私が10歳のときに事件死。犯人はまだ堀の中」

「あー……すまん」

「いいよ、慣れてる」

「慣れてるからいいってもんじゃないだろう、こういうのは」

 前を向いていたレオンが真緒の顔を見て、改めてすまない、と言った。真緒はふっと目元を緩ませる。

「優しいんだね」

「普通だろ」

 バスの揺れに合わせて、髪をまとめた簪の飾りがゆらゆらと揺れた。


 玄関を開けると、弟・春樹の靴が散乱していた。どうやら彼女の家から帰ってきたらしい。

「ごめんね、今片付ける」

 脱ぎ散らかされた靴を端に寄せ、真緒は来客用のスリッパをレオンの前に出した。

「本人にやらせろよ」

「言ってもやらないの。だから私が片付けるの」

「いくつだよ弟」

「18かな?」

「離れてるな」

「再婚した母が若かったの。父と20くらい離れているから」

「親父さん、仕事は?」

「定年退職した後はずっと家にいる」

 今の時間なら父も母も起きているだろう。真緒はすたすたとリビングへ向かった。

「ただいま」

「真緒! つまみがねぇぞ! 買ってこい」

「真緒ちゃん、またそんな変な格好して出歩いて〜。ご近所さんに色々言われるの私なんだからね? まともな格好してって言ってるじゃん。あら、その人誰?」

 リビングのソファに、寝そべりながら高年の男と、中年の女が好き勝手なことを言った。隣では弟らしき若者が、テレビをモニターにゲームをしていて、こちらは振り向きもしない。

「ええと、結婚を考えてる市村さんです。こっちが父と母と弟。兄は部屋から滅多に出てこないから、あいさつはできないと思う」

 結婚? 真緒が? 父親は目を見開いてレオンを見た。真緒ちゃんも隅に置けないね〜、いつの間にそんないい男作ったの? と母親は楽しそうに笑った。弟がチラリとこちらを見て、ちょっとだけ頭を下げる。

「真緒、お前結婚て。俺は何も聞いてないぞ。だいたいなんだそいつの頭は。外人と結婚するのか?」

「だから今話してます」

「市村です。今後ともよろしくお願いします」

 レオンがすっと頭を下げた。日本語が通じる相手と見て、父親は怒り気味に言う。

「困るんだよね、急にこられてもさぁ。結納とかさぁ。結婚式とかお金かかるのわかってんだろ? だいたいそちらのご両親は何て言ってるのさ?」

「2人とも既に他界しております」

「あー。まぁならいいか。でも市村くん、か? この子は俺たちの面倒を見てもらうために俺が産ませた子なんだよ。ウチの掃除洗濯料理全部やってもらってるわけ。そんなのが急にお嫁行くとか言い出されてもさ、困るからさ、すぐには出せないの。わかる? 君がウチに入るんなら結婚許してもいいけど。普通はさぁ、娘は親の介護まで面倒見るでしょ? 家離れてると介護できないでしょ? 近くに家建てるお金持ってるの? 職業何? ホスト?」

「お父さん」

 あまりの言葉に真緒が口を挟んだ。

「うるせぇ! 俺が話してんだ! 女は黙ってろ! だいたい親の許しもなく結婚なんてふざけたこと抜かしやがって! 誰のお陰で生きてると思ってんだよ!」

「パパ落ち着いて。真緒ちゃんも私らのこと心配して今まで黙っていたんでしょ? まぁ家出られると正直困るけどさぁ。今の生活、ラクだし楽しいしぃ。イチムラくんウチにおいでよ。マスオさんになるけどそしたらみんなハッピーじゃん?」

 父と母が酔ったまま揃って無責任なことを言う。真緒はこれで、この結婚話も終わりだな、と思った。小学高校学年から、家と学校とスーパーしか往復したことのない人生だった。それがまた続くだけだ、と真緒は冷めた気持ちでいた。

「この家には入りません。あなた方とも縁を切ります。真緒、必要なものだけ持って、俺の家に行くぞ」

 ぐいと腕を掴まれ、真緒は家族から引き離された。呆然としたまま廊下へ出ると、部屋は2階か? と聞かれた。うん、扉のプレートにまおって書いてある、と答える。レオンは真緒を連れてずんずんと2階へ上がっていった。後ろから父の怒鳴り声とビールの缶を投げる音が聞こえてくる。

「必需品だけまとめてくれ。下着も化粧品も明日買いに行く。すぐに出るぞ。こんな胸糞悪いところなんざさっさと出るに限る」

 レオンは静かに怒っていた。真緒が見ると、目の色が赤くなっている。

「市村さん、目」

「ん? ああ」

 真緒に指摘され、レオンは初めて己の正体が見え始めていることに気づいた。手のひらで目を隠し、深呼吸を数回する。その間に真緒はタブレットとACアダプタ、通帳とハンコを手にしていた鞄に詰めて、お気に入りの黒のワンピースとトレンチコート、着物と帯数枚を風呂敷で包んで大きめのトートバッグに突っ込んだ。

 トントン、と部屋をノックする音がした。真緒がそろりと扉を開けると、弟の春樹が顔を見せた。手には真緒とレオンの靴を持っている。

「姉ちゃん、にーさん、靴持ってきた。親父包丁取り出して待ち構えてるから、窓から逃げたほうがいいよ」

「はるちゃん」

「オレは大丈夫。そろそろオレも家出ようと思ってたし。龍樹兄ちゃんはどうにかして行政にみてもらう。昨日は姉ちゃんのこととかそっちの人と相談してたんだ」

 真緒は、家庭のことは無関心だと思っていた弟の頭をくりくりと撫でた。春樹はくすぐったそうに笑う。

「んじゃ、行くぞ」

 スリッパから靴に履き替えたレオンは、真緒と鞄を抱き抱え、窓に手を置いた。

「ねぇちゃ……姉をよろしくお願いします」

 春樹はそう言ってレオンに頭を下げた。任せとけ。レオンは大きく頷いた。青い瞳が、しっかりと弟を見る。窓枠にグッと足を乗せると、レオンはそのままふわりと飛び降りた。衝撃も物音もしない。窓から見ていた春樹がすげーと声を出さずに口だけ動かす。

「これも吸血鬼の能力?」

「まぁ色々あるんだわ、これが」

 真緒を地面に下ろし、レオンは片目を瞑る。

 これからの人生、すごく長いことになるだろうけど、しばらくは退屈しなそうだな、と真緒は思った。


 かくして2人は、青山にあるレオンの自宅へと向かった。

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