第8話 鳴家その後

 真緒は自宅のマンションに戻ると、灰色のパーカーにスキニーデニム風レギンスという洋装に着替え、キングサイズのベッドへ倒れ込んだ。洋装は「今日はもう何もしない」の意思表示であり、昼間からベッドへ寝転がるための姿でもある。

「あー……。付喪神さま二柱は珍しかったなぁ」

 ごろんと仰向けになり、今朝方の騒動を思い出す。話しぶりからすると、大黒柱はともかく、仏間の柱も人間が憎いわけではないようだ。子ども好きというのは、新芽のような生命を守護する気持ちが強いのだろう。安達某という家族と、うまくやっていけるといいのだが。まぁそれ以上は、真緒の仕事の範疇を超えている。願うことしかできないのはもどかしいが、あの二柱なら、大丈夫だろう。なんとなくそう思う。


「お昼、何にしようかな……。ホットケーキでも焼こうかな」

 たまご、あったかな。料理はほとんどレオンに任せているから、冷蔵庫の在庫がわからない。昔はこまめに冷蔵庫の中身を確認して買い物に行っていたし、つまみ系は毎日補充しなければならなかった。冷蔵庫の中身の心配をしなくていいなんて、贅沢だなぁ、と真緒は思った。

 気を張っていたせいか、真緒はなかなかベッドから抜け出せなかった。ふわふわの枕を手繰り寄せて、むぎゅっと抱きしめる。そのまましばらくとろとろと微睡んでいたとき。


 ベッドサイドに置いていたスマートフォンが鳴った。起き上がって画面を見ると、レオンの会社からだった。おそらく田代か工藤だろう。

「はい、市村です」

「こんにちは、奥様〜! 先ほどはありがとうございました! 無事契約が成立しましたのでご報告したくてご連絡しました!」

 電話は田代からだった。声の調子からして、双方いい感じに話がまとまったのだろう。

「よかったですね」

「はい! 奥様のおかげです! じゃあ僕、これから買主さんと予定詰めていくので、部長に代わりますね! はい部長!」

 この調子の良さというかテンションの高さはもう少し抑えたほうがいいんじゃないかな、と真緒は思った。まぁ狸はお調子者が多いと聞くので、田代ももれなくその部類に入るのであろう。

「代わりました、工藤です」

 工藤の落ち着いた声を聞くと、そうそう、こういう人だと頼っていい気がする。家を買うという人生において大きなイベントを、任せていいという安心感が湧く。無論、田代の明るさも、「いい家を紹介される」期待が持てるのでいいのだが。

「契約成立、おめでとうございます」

「ありがとうございます。真緒さまのおかげです」

 工藤の涼やかな声が響く。工藤もまぁ、冷静すぎて人間味がなくて怖いと、担当を変えられたことが数度あるらしいので、これは人の好みの問題だなぁと真緒は思った。

「買主さんは付喪神さまたちにどういう反応を?」

「ご夫婦と中学生のご長男と、双子の未子を連れてお見えになられたのですが、ご長男が『声』を聞ける体質だったようで、非常に面白……コホン、興味を持たれたご様子で、ご夫婦も、ふだん物事に関心を抱かないご長男がそこまで興味を持つなんて、と驚かれておりまして。間取りと部屋の広さを気に入っていただけて、その場でリフォームの相談に入り、無事、成約と相成りました」

「付喪神さまたちは、ご家族を快く受け入れたのですか?」

「はい、末子さまに非常に喜んでおられまして、ご長男とも色々お話をされており、ご夫婦もよい相をしておると、ご満足のようでした」

 そこまで喋って、工藤ははっと息を飲んだ。少々の沈黙ののち、やや小さな声で、こう言った。

「……この個人情報の件は、社長にはご内密にお願い致したく」

 電話越しに佐伯のくっくっくという笑い声が微かに聞こえた。きっと工藤に睨みつけられるだろう。

「ここまで工藤さんがお話ししてくださるとは、私も思っていませんでした。今回の契約、工藤さんもよっぽど嬉しかったんですね」

「嬉しい? 私が? ……真緒さまがそうおっしゃるなら、そうなのでしょうか」

 普段から喜怒哀楽の乏しい工藤は不思議そうに呟いた。

「社長には内緒にしておきますよ。って、レオンはまだ会合に出ているんですか?」

 今日は商店街の主だった店の会合の日で、レオンは朝から寄合所に行っているはずだ。観光用の表の商店街と、住民の生活の要である裏の商店街。どちらも今後も維持させていくにはどうしたら良いか。それを年に数度、話し合っているのだ。レオンは新参者だが、東京暮らしのアイデアが採用されることもあると言っていたので、重宝されているのだろう。

「はい。おそらく昼食を経て、今回もそのまま宴会へ流れていくかと思われます」

「なるほどー」

 夕飯はカップラーメンでもいいかな、と思った真緒であった。

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