第4話 寺と住職と吸血鬼(半人前)

 真緒は山寺へと続く急な階段を登っていた。途中、参拝に訪れた幾人かの観光客とすれ違う。すごーい、あのひと着物で階段登ってるよ。うお、マジだ。足痛くないのかな?

 すれ違った数人に着物姿を珍しがられ、草履で階段を登る様子を驚かれた。

 昔の人は現代人より健脚だし何より着物で生活してました! 参拝の階段登りなんて余裕です! という反論を、真緒は心の中でした。東京より着物を着ている人が多いとはいえ、それは呉服屋の店員だったり、お茶やお花の先生だったり、年配のご婦人がただったりするので、実年齢より若く見られがちな真緒の着物姿は、ここでも人目を引く。先だっては見知らぬ子どもに「こけしだ!」と指さされて叫ばれたし(親御さんはそれはもうものすごい勢いで謝ってきた)、幼稚園児には「ざしきわらぢー」と泣かれるし(引率の先生方が申し訳ありません! とものすごく謝っていた)、一昨日旦那には市松人形みたいだと褒められ(?)、そのたくましい脛を蹴ってきたばかりである。


 別に真緒は目立ちたくて着物を着ているわけではない。幼い頃、行事の度に留袖や華やかな着物を着ていた母の姿が強く印象に残っているのである。真緒が10歳のときに他界してしまったが、あの凜とした佇まいは真緒の生き方の手本になっていた。だから「着物を着て暮らせたらいいなぁ」という真緒の呟きを、夫であるレオンはしっかりと受け止め、支えてくれた。青山で暮らし、レオンの事務所で働いていたときも、着物で仕事をしてもいいと言ってくれたのだ。

 おかげで今では目を瞑っても数種類の帯が結べるし、素人ながら友人たちの着付けを手伝えるようになった。

(まぁ人には恵まれているよね)

 母以外の家族運はなかったが、その代わりなのか、真緒の周りの人々は真緒に優しい。これから会う住職も、真緒が人生の師匠と尊敬する人格者である。


 階段を登りきり、山門が見えた。その奥に作務衣姿の坊主がいる。この山寺の住職、顕行けんぎょうである。

「顕行さま」

「やぁ、真緒さん、いらっしゃい。

「お邪魔いたします。いつも申し訳ありません」

 一礼して、真緒は山門をくぐった。その様子を顕行は面白そうに見やる。

「あやかしの類は一度の許可でいいはずですが……やはり吸血鬼となると勝手が違うんですかねぇ?」

「うーん、吸血鬼というよりかは、私をヒトとして扱っていいのか、あやかしとして扱うべきなのか、判断に迷って、毎回許可が必要になっている、という感じがします」

「ああ、毎回バグかどうかを判断してると。確かに、吸血鬼であるご主人は山門すら通れませんでしたもんね」

「こちらはしっかりとした結界に護られた聖域ですから。完全に魔である夫は入れないのでしょう。お社でもそうでしたし」

「半分『魔』である真緒さんは、それでも毎回許可があれば入れると……面白いですね」


 一部の妖怪がヒトの家に入るときは、その家に住まうものの許可がいる。許可は一度出せば、その後妖怪は何度でも家に入れる。


 日本の妖怪の伝承を趣味で学んでいる顕行は、西洋のあやかしである吸血鬼にはこの慣例は効かないのか、と疑問に思っていた。だが、半吸血鬼である真緒は、毎回許可を出せば結界の中に入れる。真緒は生娘であり、日本人であり、西洋のあやかしである吸血鬼のレオンに血を吸われている。そのあたりの複雑な状況をプログラムに組み込んでいない山寺の結界は、毎回真緒を聖か人か魔かスキャンして、結局日本のあやかしとして通しているのだ。

「難儀ですねぇ」

「顕行さまのお手を煩わせるのが心苦しいのですが」

「なんの。私は楽しいので構いませんよ」

 まだまだあやかしの多い街とはいえ、目にする機会は減ってきていますからね。大事な機会です。と顕行は笑った。顕行は人外を見分ける目を持っている。そして、市村夫婦が人外であると知っている数少ない人間である。


「お札は事務所に置いてあります。真紀もいるので話し相手になってやってください」

「はい」

 真紀は顕行の嫁である。本尊へ献げる花を納品している花屋の娘で、今年50歳になる顕行とは一回り以上歳が離れている。後継ぎの小学生の息子が1人、元気に育っているはずだ。

「戻ったよ」

「お帰りなさい。真緒さん、いらっしゃいませ」

「お邪魔します、真紀さん」

「あのね、檀家さんから和菓子をいただいたの。真緒さんも召し上がって」

「ありがとうございます」

 客間に通され、お茶と和菓子をいただく。男ばかりの寺で1人、寂しいのではないかと心配する顕行をよそに、真紀はころころとよく笑う。若いが寺の中のことを、きびきびと仕切る姿は、清々しく頼もしかった。

「そういえばね、呉服屋のお婆ちゃまがやってきてさ、『住職はともかく、庭先で貰った嫁にあたしが頭下げるなんてね』って言われたんだけど。悪口ってのはわかるんだけど、意味がよくわからなくて」

 真紀はあっけらかんと言ったが、真緒は思い切り顔をしかめ、顕行の方を見た。顕行は半笑いの顔で、説明してやってくれ、と言ったふうに頷く。真緒の大学の専攻は江戸時代の風習や慣例だった。顕行はそれを知っている。

 真緒は飲んでいた茶を卓上に置き、眉間に指を添える。どう説明すれば、真紀の心につく傷を少なくできるか。言葉を探す。呉服屋の婆の家はこの寺の古くからの檀家であり、この地の名家でもある。そしてその呉服屋は真緒の馴染みの店でもあり、そっちもあまり悪く言えない。

「ええと、『婿は座敷からもらえ、嫁は庭からもらえ』という慣用句……ことわざがありまして」

「うん」

 真紀はちょこんと正座をして、真緒の話を聞く。

「婿は自分の家より格式の高い家からもらうといい、嫁は夫や姑の言うことを聞くように格下の家からもらえ、という意味でして」

「ふぅん。つまり呉服屋のお婆ちゃまは私がお寺さんと釣り合わない花屋の娘で、その娘に頭を下げるのが嫌だって言いたかったのね。そうならそうとはっきり言えばいいのに」

「婆さまもはっきり言ったら、真紀さんに言い返されちゃうと思ったんじゃないですかね?」

 呉服屋の婆は気位が高い。若くして夫に先立たれ、女手ひとつで4人の息子を育てあげてきた。店も切り盛りし、繁盛させて、息子の1人に継がせている。街の人に頭を下げられることが多い中、頭を下げねばならない寺の嫁が花屋とは、と見下しているのだろう。

「仏さまの前では貴賤は関係ないのにねー。で、なんで庭からもらうお嫁さんが格下なの?」

 素朴な疑問を、真紀は口にした。

「うーん、真紀さんはお花の納品のとき、裏に回ってくださいって言われませんでした?」

「うん、よく言われたよ」

「昔も……私がわかるのは江戸時代の話になるのですが。江戸の大きな商家の卸しや納品は大体裏口からしてたんです。その裏口は家の裏にある庭にあって、庭から出入りする人、イコール下請けの人、家の者より格下の人たち、という認識があったみたいです。同じ商人でも、大店の商人と小商いの商人とでは、このような格差があったと言われています」

「へぇ〜」

 真紀はすっかり感心して真緒を見た。大学時代に学んだ古い知識だ。これであっているだろうか、と真緒は顕行を見る。顕行は笑顔で頷いていた。

 真紀が続けて口を開こうとしたとき、電話が鳴った。事務所には固定電話が置かれており、ジリリジリリと懐かしい音を出している。

「あっ、電話。私出ますね。真緒さん、お話ありがとう」

 真紀はさっと立ち上がり、廊下に置かれている電話をとった。あー、ご無沙汰してますー! と明るい声が聞こえた。長話になりそうである。


 真緒は一仕事終えた顔をしてため息をついた。本来の目的はまだ達成されていない。

「ありがとうございました。妻もあれで納得したと思います」

 床の間に置かれた木箱を持って、顕行は真緒に礼を言った。木箱を真緒の前に置く。

「婆さまめ……箪笥の角に小指をぶつけるまじないでもしてやろうかしら」

 真緒は半眼になってブツブツとつぶやいた。それを聞いて顕行は苦笑する。

「あのお歳で打撲は骨折につながりかねませんから、口だけにしてやってくださいよ、真緒さん」

「わかってますー。でも真紀さんをあんなふうに言われて悔しいじゃないですか」

「人がそれまでの考え方を変えるのは難しいものです。婆さまは長くその考え方から抜け出せないでいるのでしょう」

 考え方を変えるのは、生き方を変えるのと同義ですからね、と言って顕行は目の前の木箱の蓋を開けた。中には書状のように和紙で包まれたものが入っている。

「お求めのお札です。ご確認ください」

「ありがとうございます」

 木箱の中のお札を、真緒は受け取った。手に持ったとき、指にチリリと刺激が走る。お札が効果を発揮しているのだ。

「これで、すみよしやも落ち着くでしょう。お手間をおかけいたしました」

 真緒はお札を懐に入れ、深々と顕行に頭を下げた。

「いやいや、商店街の安寧は私も願うところですから。それよりも私の札は、懐にある真緒さんの符と喧嘩しないんですか?」

 顕行は真緒が護身用に懐に忍ばせている符に気づいていた。本当に油断のならない御方だ、と真緒は思った。

「私の符は私が息を吹きかけない限り発動しません。顕行さまの書かれるお札のように、書き終えた直後から自動的に効果を発揮しないのです」

「なるほど、発動するには術者自身の念のようなものが必要なんですね。ほうほう」

 顕行は面白そうに笑い、髭のないつるりとした顎を撫でる。顕行の作る札は、作成直後から自動的に効果を発揮する。一方、真緒が学んだ符は、間に発動の命令を吹き込まねば、ただの紙切れのままである。身代わりの形代は自動で動くのだが、まぁ黙っていよう。

「では、私はこの辺で失礼いたします」

「また遊びに来てください。写経教室も行っていますので」

 そそくさと帰ろうとする真緒を、顕行は笑顔で見送った。

 

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