第3話 友人とお札

「そろそろかな?」

 真緒は今日の売上を入力しているタブレットの時間を見て、入口に視線を向けた。時刻は午後3時近く。食堂が落ち着き、甘味屋が賑わう頃合いだ。この山寺の商店街には食べ物屋がみっつ、甘味処がむっつ、山門近く、街半ば、駅近くにそれぞれに建っており、仲良く客を分けていた。商店街の建物はみな古く、文化的資料としてリフォームするのに制限がかかっているものもある。九十九やも江戸時代の頃は小間物売り屋だったらしいが、前の持ち主が勝手に中を改装してしまい、文化財としての価値はほとんどなくなってしまった。真緒は外観だけでも昔をとどめておきたいと思い、内装も小間物売り時代の面影を再現した作りにしていた。

「真緒ー、お客さんはけたからいいよー。あ、これ午前の茶殻」

「いつもありがとう、茜ちゃん」

 Tシャツにデニム、ギンガムチェックのエプロン姿で現れたのは、3件隣の飯屋の看板娘、茜である。歳は真緒より8つ下の28なのだが、茜は童顔の真緒を同年代だと思っているようで、砕けた物言いをする。茜は高校卒業後、すぐに婿を取り家業を手伝っているので、商店街での経歴は、真緒より先輩である。


「そうやって座ってるとホント女主人って感じよねぇ」

 真緒が出かける準備をしている姿を見て、茜はしみじみとした感想を言った。3年前、空き店舗だったこの店を買い取り、和雑貨屋を始めた真緒。来たばかりの余所者がどこまでできるのかと、口の悪い連中が言っていたが、童顔でひとあたりの良い真緒の商売は、昔からある土産物屋よりも客の入りが良かった。和服姿の真緒の佇まいと、揃えている品の凜とした雰囲気がよく合っていて、値段がそこそこする商品から買われていく。1日に売れる品数は少ないが、厳選された高めの良い商品から売れていくので、売上は上々なのだ。

 加えて店舗を敷地ごと買っているので家賃は取られない。月の電気代などが支払えれば、閑古鳥が鳴く日があってもさほど気にならない。

 当初は金持ち夫人の道楽と揶揄されていたが、おおらかで謙虚な真緒の態度は、商店街の店主たちに気に入られ、アイドルのような存在になっていた。


 店の戸締りをして、『休憩中』とプレートを引き戸に引っ掛けて、茜の働く「すみよしや」へ向かう。

「今日はアジ定食がおすすめだよー。でも真緒、うどんしか食べないもんね」

「あんまり動かないからお腹空かなくて……」

「まぁコンビニ飯食われるよりはマシよね。あんまり食細いと、ダンナの頑張りに応えられないよ〜?」

「朝食と夕飯はしっかりとってるから大丈夫。それにいっぱい食べると眠くなっちゃうから」

 茜と真緒は軽口を叩きつつ、すみよしやへと並んで向かった。真緒が外国人(のように見える)の夫と、駆け落ちをして結婚したという話は、本人から聞いていたし、商店街の年寄りたちも知っている。真緒の夫にも何度か会っており、すみよしやで食事をとってくれるところも見かけた。夫婦共におおらかで、どっしりと構えており、まるで背後を護る御山のようだと茜は思った。

 ただ、どことなく違和感が拭えない。新参者で、まだ心に壁を作っているのだろうか。なにか遠慮しているような、大事なことを聞かせてもらっていないような、そんな気がしていた。茜は早くその壁が取り払われるといいなと思っている。

 そして亭主持ち同士で女子トークをするのだ。旦那の良いところ、愚痴、惚気話に馴れ初めも聞きたい。また、真緒は子ども好きでもある。茜が身重のときから目尻を下げてすみよしやへやってきてはお腹に語りかけ、産まれるのを心待ちにしていたし、産まれたら産まれたで、子守りを買って出たり、お客でごった返しているときは保育園のお迎えも代わりに行ってくれている。現在保育園に預けている3歳と2歳の息子たちと遊ぶ真緒の姿は、どこか仏様に似ていて、心から子どもを慈しんでいることが傍目で見ても分かる。

 もっと仲良くなりたいな、いろいろ知りたいな、と茜は日々思っていた。


 真緒がこんにちは、と挨拶をし、いらっしゃい、と茜の両親と婿殿に迎えられ、店の中に入ったとき。

 

─何かが、違う。何か、引っかかる。


 いや、引っかからないことに引っかかったというべきか。本来あるはずの「抵抗」が今日はなく、すんなりと店の中に入れたことに気づいた。

 この商店街は、山寺への参道として栄ている。そしてその山寺から商店街の店々に、毎年魔除けのお札が配られているのだ。真緒は半人前だが吸血鬼である。魔ではないがあやかしに近い存在だ。だから魔除けのお札に少しだけ反応する。店々に貼られている魔除けに対して、髪の毛を一本引っ張られているような、僅かな抵抗を感じながら入店しているのだ。

 真緒は店内をぐるりと見回し、お札を探した。見ると入り口の真上に貼られているお札の角が破けている。真緒はきゅうう、と目を細めた。


「真緒ちゃん、あんかけでいいかい? ってどうしたんだい?」

 入り口を厳しい顔で見つめている真緒に、茜の父は首を傾げた。

「おじさん、最近嫌なお客さん来ませんでしたか?」

 真緒は真顔で店主を見た。日本人形のようなその表情に、茜の父はびくりとした。

「あ、ああ。昨日今日と酔っ払いが入ってきてよ、警察呼ぶ呼ばないの大騒ぎよ。……ひょっとして、お札が破けちまったからかい?」

 入り口を見ていた真緒の視線を追いかけた先にあったお札を見て、茜の父は怯えた顔を見せた。ハタキで掃除してるときに、ひっかけちまったんだ、と言った。

「多分そうだと思います」

「えー、たまたまじゃない? 嫌な客なんてそこいら中にいるじゃない。真緒も信心深いねぇ」

 茜は明るく声を出し、お札が破けていることを気に留めなかった。婿殿もそこまで気にしていないようで、ちょっと端が欠けただけじゃないか、と茜を支持する。

「代々の檀家さんであるおうちがそんなことを言ってどうするんですか。お寺さまあっての商店街、お寺さまあってのお店じゃないですか。檀家さんが仏さまのご加護を信じなくてどうするんです」

 真緒の勢いに茜と婿殿は呆気に取られた。余所者の真緒の方が、この街を見守ってきたお寺のご加護を信じている。茜の両親は顔を顰め、やっぱりもう一度もらったほうがいいのかい? と真緒に尋ねた。でもご住職も忙しいだろうし、すぐにはいただけないかもねぇ、と母親がこぼす。

「すぐにお作りいただけるよう、頼んでみます」

 真緒は帯の隙間からスマートフォンを取り出し、ぽちぽちと手早くメールを打つ。こうなったときの真緒は猪突猛進だ。寺の当代の住職は山で修行をし、さらに大学で仏教と民俗学を学んだ勤勉家であった。彼の語る言葉、彼の紡ぐお経、彼の書くお札の効力は「本物」である。昨今生臭坊主と言われ、霊力の乏しい住職が増えているご時世には珍しい、真っ当な僧侶なのだ。それは半妖に近い存在になった真緒だからひときわ感じることだった。

 返事はすぐにきた。これからすぐに作るから、一時間ほどしたら取りに来てほしい、とのことだった。

「お作りいただけるのはありがたいけど、これから夜の仕込みの時間だし……取りに行くのは明日かしらねぇ」

「私、こちらでお昼をいただいたら、代わりに取りに行ってきます。すみよしやに悪いお客が入ってくるのは気持ちの良いものではありませんから」

 真緒はきっぱりとそう答えると、あんかけお願いします、と店主に笑顔を向けて言った。

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