第2話 Terminate

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 人類の地球脱出以後、食事の意味合いは変わった。


 食品を口に運び、咀嚼し、飲み込む、という一連の行為は、人が地球に忘れてきた数多くの文化の一つである。


 宇宙へ出た初期の人類は、宇宙空間に適応するため様々な変革を迫られた。


 地球の早すぎた死が、なんの準備もできていない人類を宇宙へと追いやったためだ。


 あらゆる文化、伝統、慣習、儀式は宇宙に放り出された人類が生き抜くために不要どころか害になるものも多かった。


 好むと好まざるとにかかわらず、人はそれらを捨てていった。


 人が宇宙でなんとか生きていけるようになったときには、人からは多くのものが失われていた。


 地球人類と宇宙人類とでは、遺伝子gene上の連続性はあれど、文化memeの連続性は限りなく断絶したに等しかった。


 そらを得た人類が失った文化の一つが食事である。


 食品の生産コストは初期の宇宙人類には重たかった。


 そこで人が生きるために最低限必要な栄養素を化学的に精製する技術が確立され、食品の生産という人類の有史以来の仕事は消滅したのだ。


 人が食べ物をということはなくなり、食事とはただ単に栄養を摂取することを指す言葉になった。


 しかしどんな時代にも物好きはいる。


 3年ほど前のことである。月の地球観測センターがとある発表をした。


 壊滅的に汚染された地球環境に回復の兆しが見える、という報告であった。


 その頃には既に宇宙開発はかなりの割合で進み、人類は不自由なく宙で暮らしていた。


 地球もそれを観測する月の施設も殆ど忘れ去られた存在であった。


 しかし、母星の回復というニュースは意外にも一定の人々に喜びをもって受け入れられた。


 それは支配者層と一部の富裕層であった。


 現在宇宙人類を支配する政府は、人類が地球を脱出する際に音頭をとった旧来の国家首脳の連合体を祖としている。


 現在の政府を政府たらしめているのはである。


 つまり宇宙人類の中で唯一政府組織だけが地球人類との文化的連続性の先にいる。


 そのことが支配者層に正統性を与えている。


 そして、支配者層を支える富裕層パトロンもまた、地球からの連続性を保ちうる存在であった。


 彼らだけは地球を懐かしめる。


 宇宙人類でありながら、彼らだけは地球に価値を見いだせる。

 

 彼らが地球の回復に歓喜したのはそういう理由であった。


 彼らは地球に忘れてきた物を取りに帰ることを望んだ。


 失われた遺産を求めたのである。


 まず政府が主導となって、歴史遺産の保全活動が行われた。


 次に民間の業者が地球に降下した。


 地球に残っていた美術品や工芸品は、コレクションとして需要があった。


 また、動植物も同様であった。


 初めは観賞用としての需要が主であったが、次第に食用として求める者も現れた。


 それはサルベージされた美術品や文芸品で描かれた食事風景に感化された富裕層たちであった。


 こうして一部の懐古主義者たちの間で、食べ物を口にする、ということが贅沢として行われるようになり、一般市民のうちにもそのにあずかる者たちが現れた。


 ホコリにまみれたジャンク屋の店内でドルフが巨体を震わせながら黒焦げの何かをバリバリ頬張っていた。


「うまい!うまい!旧文明の味じゃあ~。……ほれ、再会の証に一本やるぞ」

「お、おう。……ジニーへの土産にするよ」


 ルークはドルフから受け取った「ヤキトリ」をハンカチで包んでバッグパックにしまった。ルークは帰りを待っている船員クルーから土産を要求されていた。


 とくに物の指定はなかったから、何を土産にしようが文句を言われる筋合いはない。


「おお。ジニーも元気か」


 バリバリもごもごやりながらドルフは懐かしげな顔で聞いてきた。


「ああ、調子よくやってる……うげっ」

  

 ルークはドルフがあまりに旨そうに食べるので串からひとかけ拝借して舐めてみたが炭の味しかしなかった。


 あんまり酷いのでジニーならむしろ観察対象として、興味を持つのではないかと思った。


 ジニーはルークが便利屋稼業を始めて以来の相棒アンドロイドである。


 ドルフには何度かジニーの改造を手伝ってもらったことがある。


「そういえばワシが初めてヤキトリを食ったのはおぬしからジニーのパーツの代金としてもらったアレじゃったの。なんといったか、あの……」


 ここで助け舟を出してはドルフのボケがすすむと思ったルークは見守った。


 しかし全く目的の言葉が出てこずドルフは自分の頭をポカポカやりだしたのでついにルークは口を出した。


「カンヅメな」

「そうそう!カンヅメ!おぬしが地球で拾ってきた金属の箱!何百年も前の代物だというのに、中身はまるで昨日詰めたかのようなシンセンさじゃった……」

「旧文明の技術も捨てたものじゃないのさ。特に食い物方面ではな」

 

 だから金になる。

 数年前の「地球回帰運動」以来、ルークは地球へ降下しては旧文明の加工食品を回収し高額で売りさばいている。

 

 最近は宇宙でカンヅメのコピー品が出回り始めたというが、まだまだ品質は低い。


「あれ以来、ワシはヤキトリの虜になってしまってのう」

 

 ドルフは初めて食べたヤキトリの味を思い出したのか、口ひげをよだれで濡らしながら語った。


「なんとかあれを再現できんかと思って研究しとったんじゃ。色々調べてみたがどうもヤキトリというのはアミノ酸をペプチド結合させた化合物を熱して変性させたものに、塩化ナトリウムなんかで味付けしたものらしく……」

「あ~。わかった。もういい。今度またヤキトリのカンヅメを見つけてくるから……」

「なんと!本当か!!」

「ほんと、ほんと。これから地球に行くから、ちょっとばかしジェネレータの部品を分けてほしいのよ」


 ルークは別に暇つぶしにドルフを訪ねたわけではない。目を充血させたドルフに肩を掴まれ潰されそうになりながら目的の部品を伝えた。


 どれもジャンク屋にしかないような廃盤になったものばかりである。


「なんじゃ、いまだにあのオンボロ幽霊船に乗っておるのか」


 ルークが所望したパーツを探しながらドルフは呆れたように言った。


「今度の仕事が終わったら乗り換えるさ」

「そのセリフ前も聞いた気がするがのう」


 ガラクタの山をひっくり返してドルフは目的のパーツを引っ張り出した。



「じゃあ、代金はヤキトリのカンヅメ10個じゃ!!」

「なに!?そんなの探査船が一隻買えるじゃねえか!法外だぞ!」


 地球由来のカンヅメとなれば、一般市民が3ヶ月労働して得られる賃金と同程度の価値がある。


「月の裏通りで法が通用すると思うな」

「く、6個でどうだ。サバカンを一つつける」

「サバはダメじゃ。あれは旨いが腹を下す。ヤキトリ8個!!これ以上はまけれん」

「……わかった。それでいい」


 ヤキトリ8個で商談は成立した。


 地球降下がうまくいかなければ、最悪ルークが隠れ家に貯めているカンヅメコレクションの扉を開け放つ必要がある。


「それじゃあ。地球土産待っておるぞ!!」


 ニコニコ手を振るドルフを背に、ルークはどうやって支払いを踏み倒すかを考えながらスラム街を歩いていった。


 

 

 


 

 

 


 


 


 

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