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「僕も、拐われたその日から、今日まで……。なぜかずっと休みなしだ。僕の精神状態なんて、父上は考えていないのかなって。そう思ったりもする。だけど、これからさき。僕も、フィリアさんも名家の看板を背負うからこそ、ここぞとばかりに厳しい生活を強いられているんだよね」


 イヴァンツデールの跡を継ぐのは並のことではない。

 スタンホープとて、おなじである。


 問題が発生するたびに父を頼っていては、。このレッテルを貼られてしまう。


「昨日、お父さまに相談したの。六〇冊の本を運びたいのだけど、って。それは学校の案件か、と訊かれて。はい、と答えたの……」

「それなら自分でなんとかしろ、か……」レオナルドは両手を頭の後ろで組み、空を見上げる。「うちなんか、ごく普通の一般家庭だけどさ。それでも、自分の問題は自分でやんなさいって言われる。こっちのは貧乏母ちゃんがどやどや怒っているだけで、軽く流せるけどさ。名家ともなると、なんていうか……」


 冷徹無情——。

 レオナルドが言いたい単語はこれだ。


「やっぱりかって……。がっかりしたけど。こんなだったら、普通の家に産まれたかったって……、思っちゃったりして。普通のお父さんだったら、本くらい運んでくれそうじゃない? 娘が困っていたらさ……」


 このまま話していても、暗い方向にばかり向かってしまいそうだ。タイガは空気を変えようとする。


「じゃ、じゃあさ。運ぼうよ、本。三人で」

「三人?」レオナルドが反応した。「おい、おれは部活の連中と……」

「今回は断って。頼む」タイガは合掌をしてみせた。


 もちろんレオナルドに部活の連中と遊ぶ予定はない。それをわかっているからこその、頼む、であった。


 こいつめ、やるじゃねぇか。

 こんなに楽しそうな案件に巻きこんでくれるとは。

 ちくしょう、だから憎めねぇ。

 学校一の美女のために重い本を運ぶ……。

 最高のミッションだぜ。


「おし!」レオナルドは気合を入れて、「やろうぜ! 三人で」

「ありがとう!」フィリアの顔が晴れてゆく。「正直、って。心配だったの」


 タイガの躰のどこかから、ぐさり、と音が聞こえた気がした。いや、気のせいか。


「レオがいてくれたら心配ないね!」タイガは若干声を震わせながら、「それじゃ、週末……。明日の土曜にする?」

「うん」フィリアはうなずいて、「土曜日なら運動部が部活してるし。午後の三時くらいまで、学校開いてるから」

「おれは午前中部活だから。午後いちでいいか?」

「そうしよ」


 にこやかな表情のフィリアである。


「本か……」タイガは腕の筋肉をたしかめた。「さぞ、重いんだろうな。なるべく大きめのバックを持っていくよ」

「ありがとう。そうしてくれると助かる」フィリアは申し訳なさそうに、「あのね、ちょっとびっくりしちゃうかもだけど。その六〇冊の本ね。すごく分厚いの」



 土曜の午後は快晴で、町内をランニングで一周というのもありかな、と思わせるほど。気温も湿度も、日光のあたりも、ちょうど良い気候に恵まれた。


「まじかよ。なんすかこれ。辞典ですか」


 しかしながら、六〇冊の本は からはほど遠く……。腕力に自信のあるレオナルドですらも躊躇ちゅうちょを覚えるほどで。図書室の静けさがまた、気の重さを助長するかのようで。


「ごめんね……」


 山と積まれた六〇冊を前に、フィリアは謝るしかなく。


「私がこの本を別で売りたいなんて、言っちゃったから。巻きこんじゃってごめんね……」

「最悪は、あれだな。何回かに分けて運ぶとかすれば……」そう言ってレオナルドは、タイガの方を見た。「で、あんた誰?」


 問われたのはタイガではない。彼の三メートル後方にいるひとりの男。黒スーツ姿とサングラスを身につけた、いかにも腕っぷし強そうな人物に対して、レオナルドは怪訝の声を投げた。


「僕のボディーガードなんだ」タイガは困った様子で、「昨日の放課後から、ずっと僕の跡をつけている人がいて。なんだろう、気味が悪いな、誰だろう、アンドロイドかなって思っていたら。家の敷地内にまでついてきて……」


 誰ですかぁっ!? 

 アンドロイドですかぁっ!?

 もう拉致とか嫌なんですけどぉっ!?

 タイガは玄関先で叫んだのである。


「そしたらね、アップルちゃんですって言ってね。なんですかそれはって訊いたら。新しく雇われたボディーガードです、ソクラさまからのご依頼で、タイガさまをお守りしますって。まぁいっか。てな感じで」


 無表情かつ平らな口調でタイガは説明をした。

 しかしレオナルドは、ツッコまずにはいられない。


「アップルって、名前?」

「うん。コードネームだって。アップルね」

「このイカつい感じの黒人さんが、アップルちゃんなの?」

「そそ。まぁ、お風呂とかトイレにはついてこないみたいだから。そこは安心していいよ」


 ははは……、と謎の笑みを浮かべるタイガである。


「よくあるよね。ボディーガードがいきなり後ろにいる、とか」


 フィリアはまったく驚いていない。


「そ、そう……」お金持ちあるあるなのかな、と。レオナルドはどうにか納得しつつ、「アップルちゃんも、本を運ぶの手伝ってくれるの?」

「いえ」アップルちゃんが答える。「ミーは守護神ですので。天界の住人ですので。地界に危機が迫らぬよう。常に警戒しておりますゆえ」


 なんなの!? 

 自分のこと、ミーって言ってるよ!?

 しかも、守護神らしいよ!? 

 天界に住んでるらしいよ!? 

 タイガ、ねぇ、大丈夫なの、このボディーガード!?

 いくら体術に優れていても面接でアウトじゃないの!? 

 声には出さないが、レオナルドの良識が大騒ぎしている。


「へ、へぇ……」そして苦笑いをして、「天界からようこそ……」

「それじゃ、まずはカバンに詰めてみよっか」フィリアは頬に指をあてて、「ひとり二〇冊……。持てるかな……」

「いやいや」タイガが遮る。「フィリアさんは、持っても一〇冊じゃない
 かな?」

「そうだよ」レオナルドも賛同して、「女の子は少なめでおっけ。おれとタイガで二五冊ずつ持てば、いけんじゃね?」



 リュックひとつで済んだのは、フィリアだけであった。タイガはショルダーバッグふたつと、登山にも使ったリュックをひとつ背中に。レオナルドは、部活用の大容量エナメルバッグふたつとリュックをひとつ。


 四階にあった図書館から階段を降りに降りて。

 三人はどうにか校門までたどり着いた。

 それだけでも足や腰がかなりの違和感を訴えてくる。


「中学で使ってたやつ、持ってきて正解だったわ……」


 両肩にひどい重みを感じながら、レオナルドが言った。


「う……」と、タイガはそれしか言えず。顔を歪める彼の両肩に紐が食いこんでいる。これは、肩が赤くなるやつである。


「本当に、大丈夫?」比較的余裕がありそうな表情で、フィリアは男ふたりを心配した。「もしあれなら、私、何冊か持つよ?」

「いや、それは絶対にだめです」タイガが即答する。

「ま、買取屋までそんなに遠くないだろ」レオナルドは荷物を背負い直して、「歩いて何メートルだっけ?」

「待ってね」フィリアはスマホをいじる。「いま、ルートを確認するから」


 そして、歩いて六キロあるね、と言った。



「もう! なんでアップルちゃんは手伝わないんだよ!」


 約三キロ歩いたところで、ついにレオナルドが激昂げっこうした。


「天界ってなによ、降りてきなさいよ地界に! そのボンレスハムみたいな筋肉を、か弱い人間のために使役しなさいよ!」


 さらには口調までおかしくなった。


「おねえ口調で言ったって無駄さ、レオ……」タイガは額に汗を浮かべつつ、「彼は守護神。危険がないかぎりは、天界にいるのさ……。永遠にね」

「うちの死んだじいちゃんの守護霊だって、もうすこしなんか……。ああっ! だぁっ!」


 レオナルドはなにか言おうとした。が、言えなかった。躰の疲れが脳にまで響いているらしい。


「もう半分は歩いたから……」荷物がすくないフィリアも、さすがに足腰の痛みを感じている。「本当にありがとう。あとでちゃんとお礼するね」

「いやいや、そんなそんな」レオナルドは慌てて顔色を直した。「バスケのトレーニングだって思えば、むしろ貴重な時間だぜ」

「ぼ、僕、も……」息も絶え絶えにタイガがつづく。「最近、自分の弱さに悩んでいたんだ。これだけの重量を全身に感じながら、長い距離を歩くことなんて滅多にないよ。機会をくれたフィリアさんには、むしろこっちがお礼しなきゃ」


 なるほど、この二人は似ている。だからこそ仲がいいのだな、とフィリアは思った。表面的な性格が違っても根本の優しさというか。信念のようなものがおなじなのだろう。


「いいなぁ」歩きながらフィリアは小声で言った。「私も、ほしいな……」


 スタンホープ家のご令嬢であられるフィリアにも、手に入らないものがあるのか……? レオナルドは少々驚いた。



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