第27話陰キャの叫びは響かない

 それ以降も小幡は俺の部屋に訪れ続けた。

 流石に毎日ではなかったが、それでも来ていなかった日のほうが珍しいくらいで、俺が一日中部屋から出なかった日も、ドアの向こうからは聞きなれた声がしていた。


 でもきっと、日が経つにつれて小幡を無視することに対する抵抗は薄れていくと思っていた。

 それでいつかは、少しうるさいバックミュージックくらいに捉えるようになって、そうなればもう小幡も諦めるだろうと思っていた。


 でも、そんなことは全くなくて、むしろ罪悪感が募るばかりで。

 だから俺は、ただもう小幡の心が折れるようにと願うほかなかったのだ。 


『――現在接近中の台風十一号は、今月二十日の未明から正午にかけて......』


 垂れ流していたニュースを聞き流しつつ、ふと曇り空が広がる窓の外を見る。


「......バイト、行くか」


 ――そして、その日は訪れるのだった。


 ***


 その日の朝は珍しく目覚ましが鳴るよりも早く目が覚めた。


 いや、目が覚めたというよりは、強制的に覚まされたというほうが正しいかもしれない。

 それもそのはずで、数年に一度と称される暴風が部屋全体をギイギイきしませ、その風に乗った雨だれが窓を破らんばかりに打ち付け音を立てる。それで怖くなって目が覚めたという訳だった。

 今頃になって思い出したように目覚ましがジリジリがなる。いつもは鼓膜が破れるんじゃないかと錯覚する音も、今日に限ってはかわいいものだ。


『――こちらでは滝のような雨が降っております! 警報の対象となっている地域の方は急いで避難して下さい!』


 急いで付けたテレビでは、現地のキャスターがレインコートに身を包み必死でそう呼びかけていた。どのチャンネルに代えても、いまはこの台風上陸の話題で持ち切りだ。

 と、ちゃぶ台の上で充電していた携帯がブルリと震える。

 確認してみればバイト先からの連絡で、本日台風のため休校とのことだ。......まあ、これで来いって言われても困るんだけどね。


「......ふぅ」


 幸い食料の備蓄はたんまりある。流石にライフラインを絶たれたらまずいが、一日や二日程度ならギリ行ける範囲だ。それ以上は、うん、考えないようにしようそうしよう。

 息を吐いた途端、その合間を縫うように危うい爆音が耳を打つ。しかも、心なしかさっきよりも風が強くなった気がする。


「......これマジで大丈夫かよ」


 今さら家賃が安かったというだけの理由で下宿先を決めるんじゃなかったと後悔し始めた。もうね、天井とかどっか飛んで行ってもおかしくないレベル。

 いつもなら、こういう日は自分で台風ハイと呼んでいる現象によってむしろテンションは高いのだが、今日に限ってはもうなんというか、やばい。なにがやばいって、もうマジやばい。


 あまりに怖くなったので、俺は外界との連絡を遮断すべくヘッドホンを装着。そのまま流れるような手つきでゲームのセットアップを済ませる。それから音量をいつもより気持ち大きめに設定しいざゲームスタート。


 よし、これですこしは落ち着いたな。

 しかしこれでもアパート全体が軽く揺れている振動はそのままである。でもFPSやめれないんだけど、とか言ってる場合じゃないんだよなあ......。


 不意に風が一段と強くなりヘッドホンを貫通してその暴力的な音を届かせる。うーこっわ......。

 俺はさらに音量を引き上げ、それからびくびくしながらゲームを再開。首筋に水滴が当たったのは気のせいだと信じたい。


「......うーん」


 しかしまあ、あれだ。こういう追い込まれてるときにやるゲームってのは、やっぱりいつもと違って面白くない。

 なにしろ集中できない。いくら音量を上げて外の音を断ち切ろうとしたところで、やっぱり聞こえるときは聞こえるし、逆に聞こえないところでなにか危険なことが起きている可能性だってあるのだ。


 そう考えるとどんどんゲーム画面から注意がそれて行って、しまいにゃスマホで各地の被害状況について調べていた。視界の端では俺のコントロールしていたキャラクターが、無残にも敵キャラに蹂躙されている。だが今はキャラの命よりも自分の命である。

 ......うわ、これマジかよ。ここからほど近い県の路上で、かなり大型のトラックが風に吹かれて横転している動画を発見してしまった。


 このアパートよりよっぽど重そうな車体がなすすべなく倒れているのを見ると、いよいよゲームに戻れそうな気がしない。シゼン、コワイ。

 本格的に不安になったので、現状を確認すべくヘッドホンをしっかりと抑えて窓に近づいていく。


「......雨つっよ」


 少し顔を寄せただけで窓にぶつかる雨粒の衝撃が推し量られる。これまともに食らったらあざになりそうだな......。

 さらにその豪雨と呼ぶべき雨に加え、視界に広がる木々はへし折れるんじゃないかってくらいに風に吹かれてひん曲がっている。

 と、その時だった、


「あ......」


 汗ばんだ手が滑り、耳栓と化していたヘッドホンが俺の手から離れる。そして抵抗する間もなく、重力に引かれカチャッと床に落ちた。

 瞬間、想像の何十倍もの爆音が押し寄せてきた。


「――っ!」


 反射的に手で耳を覆う。

 ......が、ほとんど意味がない。ガタガタ揺れる窓の音も部屋全体がきしむ音も、すべて俺の手をすり抜ける。

 そして、玄関の隙間から入り込む風がビュウと不吉な音を立てて、


『――きゃっ』


 俺の生存本能を刺激する......。


「......は?」


 いまなんか変な音が聞こえなかったか? いや、音というか、声というか。

 しかしいくら耳を澄ませても、聞こえてくるのは命の危険を感じさせる暴力的な爆音だけだ。


「まさかな......」


 口ではそう言いつつも、俺の足はゆっくりと玄関へと向かっていた。

 近づくにつれ、木製の玄関ドアがガタガタ揺れる音が大きく聞こえる。

 これがRPGだったら、この先にはきっとモンスターが待ち受けている。確かに現状も、ドアの先には大自然という大ボスが待ち構えているのは間違いない。

 到底、俺みたいな最初の村から出られないような低ランク野郎が挑む相手じゃないだろう。


 でも、俺の足は止まらなかった。

 それどころか、むしろ歩幅は大きくなって、いつしか耳から手を離して。

 ゆっくりと、揺れるドアに手をついて、のぞき穴から外を見る。


 ――初めに目に入ったのは、ブルーのレインコートに身を包んでなお主張をやめない、大きな大きな胸だった。


「――なあ、おかしいだろ......!」


 ノブをひねって奥に押し込むと、風に押されてドアがすごい勢いで開いた。

 ガンッと凄まじい音が鳴る。でも今は、それがどこか遠くの出来事のように思えた。

 今はただ、目先のバカを怒鳴りつけることにしか意識が向かない。


「なにしてんだよ! 小幡!」


 風にかき消されないように思いっきり叫んだ。ほとんど怒鳴っていたと思う。

 でも、小幡は暴風とは場違いに明るい笑顔で、


「――ようやく、呼び捨てしてくれたね」


 そんなことをのたまうのだった。


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