52 月家のいつもと違う朝の風景


「やばぁーい。架空の彼女をつきな例えるなんておっしゃれー。こんな風に愛のこもった手作りケーキをレックス様から貰えたら死んでもいいわぁ」


 千穂が朝食の目玉焼きを箸で突きつつ、うっとりした顔をテレビ画面に向けている。それを見る月の心境は超が付くほど複雑だった。千穂が見ているのは前日の夜にレックスが投稿した動画。つまり、それは月への告白に使われたあの動画だった。


 レックスは昨夜、動画を作った目的は月に印象的で思い出に残る告白をするためだと語った。とはいえ彼はYouTuber。目的はどうあれ、撮影したものを一般大衆に向けて公開するからには視聴者を無下にするわけにはいかない。よって動画の後半は視聴者向けに撮影したと月に対して説明があった。


 その後半部分でレックスは答え合わせと称して動画の趣旨をネタバラシ。それまでに何度か動画の企画になっていた架空彼女シリーズの一つということにしたのだ。テーマはずばり『愛しい秘密の恋人をつきに例えて愛を語りながらクリスマスケーキを作る男』。レックスは見事に本来の趣旨を隠して動画を成立させていた。


 説明されたのみで動画を実際に見ていなかった月は上手い事やったものだと感心しつつ、赤面せずにはいられなかった。前半部分を見ることによって昨日の告白やらその後のやり取りを思い出し、未だに流れている後半部分を見ることによってレックスの語る“秘密の恋人”が自分であるということを意識してしまう。


 動画内でレックスはホールケーキと同時にさり気なくミニケーキを作り、それを食べて食レポをしている。画面内のレックスは普段月が見ている姿と比べて華やかだ。The芸能人と言えるようなオーラが全身から放出されている。本当にこの人が自分の恋人になったのかと、月は自分自身の記憶を疑う。しかし、エンディング前のシーンでカメラに向かってアーンとケーキを差し出しているレックスを見た途端、昨晩自らの口内に広がった甘味が蘇り疑う余地が無くなる。


 千穂がノリノリでテレビに向かって口を大きく開けてアーン待ちをしている傍らで、月は込み上がってくる羞恥に耐えられなくなった。顔を勢いよく両手で覆って呻き声を上げる。昨晩、月はこれでもかというほどケーキをレックスに食べさせられたのだ。口にケーキの載ったフォークを指し込まれる感覚を思い出せば、数珠つながりで何度も何度も自らの唇に触れたレックスの唇の感覚も思い出す。目立たないように生きてきた月にとって、告白もキスも初めての経験だった。喜びの感情は勿論あるが、すんなりと受け入れて消化するにはカロリーの高すぎる経験だと言っても過言ではない。顔が熱くなるのが止められず、叫びたくなる衝動を抑える為に呻いたのだが、当然千穂から訝しげに見られる。


「何、どうしたの?」


「なっ、何でもない」


 勢いよく首を横に振って誤魔化す。まだまだ動画が見足りない千穂の意識は直ぐにテレビに逸れる。それにホッとした時だった。リモコンを操作していた千穂が日常会話のトーンで画面を見たまま呟く。


「それにしても、さすがレックス様よねぇ。私が大好きな星を私の大事な娘と同じ響きで呼んでくれるあたり、とことん私との相性の良さを感じるわぁ。一生推す」


 こういう時の千穂は基本的に素である事を月は知っている。そして、千穂のこういうところが月の心をギュッと掴かむのだ。当たり前のように、何を意識する事なく、月の名と存在を肯定してくれる。そんな千穂の事が月は幼い時から凄く好きなのだ。


「……いつか会えたらいいねぇ」


 脳内で昔からずっと好きな母とここ最近大好きになって昨日恋人になった人が出会う瞬間を想像する。どう転んでももの凄い展開になりそうだと月の口角は上がってしまう。千穂はそんな娘の表情にまったく気がつかない。「イベントやらないかなぁー」と呑気な事を言って、今さっき見終わったばかりの動画を頭から再生し始めた。月は朝からこれ以上赤面必須の映像を見てはいられないと、朝食をかき込んで席を立った。


 洗い物を終えて、自室に戻るとスマホにメッセージが届いている事に気がつく。タップするとそれは“松田樹さん”からのメッセージ。


『おはよう。ケーキ余ってるから今日も食べに来てよ』


 立ったまま確認した文面はとてもシンプルで気軽なものだった。雇い主が家事代行スタッフに宛てたものではない、恋人が恋人を気軽に誘うためのプライベートなメッセージ。


 月は思いっきりベッドにダイブして枕を抱えて身悶えた。


「仕事じゃなくても行ってもいいんだ」


 それから暫く感情に任せてゴロゴロ転がっていると、ふと机に置いてあるウサギのぬいぐるみが視界に入る。首元には金色のリボンが昨日の夜から巻かれている。あのケーキの装飾に使われていたリボンだ。


「……宝物が増えちゃった」


 口元がニヤついてきて、今度は枕に顔を埋める。噛みしめるのは純度百パーセントの幸せだ。


「実際に会わせたら、お母さんびっくりし過ぎて気絶するかもな」


 どこまでも浮つく自分の感情を落ち着ける為に、気を紛らわそうと再び妄想した笑える未来。冗談だからそこ笑えたそんな妄想が、職業柄カメラとドッキリを仕掛けずにはいられない恋人によって現実となるのはもうしばらく先のこと。


 慌てた月が大声でイケメンな恋人に文句を言う事になる未来は、もうしばらく先のお話だ。




 End

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