41 対面


 モカブラウンのコートを腕に掛け、清楚と可愛らしさのバランスが良く整ったワンピースを纏っていた美来はドアから数歩だけ前に出た。


「ずっと会いたかった……会って謝りたいって思っていたの。ごめんなさいっ、こんな、子どもみたいに泣くつもりなんて無かったんだけど。でも、どうしても感情が高ぶってしまってっ。……私なんかのために会うための時間を作ってくれて有難う」


 美来はハンカチを目元に何度も押し付け、丁寧に頭を下げた。目が既に赤く充血していた。もしかしたら部屋に入って来る前から泣いていたのかもしれない。


 ただ、過去を教えてもらった今、同情は出来なかった。そんなに泣いて謝るくらいなら、始めから謝らなくてはならない事なんてしなければよかったのに。そう思わずにはいられなかった。


 美来の下げられた頭の先に自然と視線を向ける。するとそこには表情のない冷たい目をした男が座っていた。無感情な双眸は美来の事をちらりと見たが、その視線は直ぐに逸れノートパソコンに向けられる。


「俺に何か話したい事があると五島さんに伺いました。聞きます。どうぞ」


 美来が挨拶諸々吹っ飛ばして感情のままに喋り出したからなのか、それとも元々そうするつもりだったのか。とにかくレックスは何の前置きもなく本題に入った。聞き慣れない平坦なトーンの敬語がレックスと美来の間にある心の壁を表現しているようで、これでもかというくらい冷淡に聞こえる。当然美来にもそう聞こえたのだろう。涙で血色の良かった顔が僅かに青ざめる。


「えっ、そんな、私に敬語なんてわざわざ使わなくても――――」


「時間があまりありません。本題に入っていただけますか?」


「あのっ、かなりプライベートな事をお話することになるけど、……マネージャーさんと五島さんがいる前でいいの?」


 美来が逡巡した様子で月に視線を向けた。そわそわしつつも無難に会釈で返す。


「構いません。二人が同席することは事前にお伝えしたはずです」


「でも――――」


「今この状況で話す事が出来ないような話をするつもりなら、今すぐお帰り頂いても構いませんが」


 声を遮るようにきっぱりと言い切るレックス。美来は手元のハンカチをぐっと握り込んだ。


「そんなっ、帰れなんて言わないで。ごめんっ、松田くんの個人的な事がマネージャーさんやスタッフさんに聞かれたら嫌かなって、余計な心配だったね。……優しくしてもらえるとは思っていなかったけど、やっぱりまだ怒っているよね。当然だよね、私のせいで酷い目に遭ったんだから……。あのね、私、有名人で忙しい松田くんに時間を取って貰えただけで嬉しかったの 。ここに来るまでも緊張して、凄くドキドキしてた。……うん、分かった。私が伝えたかった事を伝えさせてもらうね」


 美来が入室してから恐らくまだ数分しか時間は経過していない。美来は荷物を抱えて突っ立ったままだ。本当にもう本題に入るんだと、展開の早さに驚いた月はいつの間にかドアを閉めてレックスと美来の表情が見える壁際に移動していた種田と不意に目が合った。その目が下にするりと逸される。スマホを操作した後、種田の視線が再び月の許に戻って来ると、不機嫌な表情を作って月の手元をさり気なく指差してきた。瞬間月のスマホが震える。画面を見れば種田からメッセージが入っていた。今回の件で美来に私用のスマホで連絡を取っていた月はその場にいたレックスにそっちの連絡先が知りたいと請われ、種田にも今回の件でやり取りするために自分にも連絡先を教えろと命じられたのだ。


『鞄やポケットに危険物の所持はなし。出だし一番でこっちでも泣かれてまともに会話も出来なかった。女はこれだから面倒くさい』


 やはり美来が入室前にも泣いていたようだ。予想通りではあれ多少なりとも驚くと同時に最後の一文に種田らしさを感じて月は苦笑を浮かべた。そうして再び種田を見上げると疲れたと言いたげに肩を竦められる。ご苦労様と言いたいところだったが、会話を出来る状況ではないし、労うにはまだ早い。


 そう月が改めて身構えた時だった。


「あのね……、あの時はごめんなさいっ。突然……キスするとか本当に私最悪だった。写真の事も……。当時の私は余裕がなくて、自分を守る事に必死だった。それで、松田くんの強さに頼ってしまったの。松田くんはあの頃からとてもしっかりしていたでしょ? 蒼龍くんとも対等かそれ以上に私には見えていたの。だから、私、松田くんなら蒼龍くんを正しい方向に導けるって勝手に思っちゃって、逃げたの……」


 守る? 逃げる?


 一体何の事だと月と種田は首を傾げた。ただ、レックスだけは何の反応も示さずパソコンの画面を見下ろしたままだった。


 数回ハンカチで目元を押えた美来がそんなレックスを見つめる。何の反応も示さないレックスに彼女は一層表情を歪ませ、悲しみと後悔の念に囚われたかのように顔を手で覆った。


「っ、本当にごめんなさいっ。私っ、蒼龍くんが怖くて怖くて仕方なくて、それで、松田くんに蒼龍くんを押し付けて自分は安全なところに逃げようとしたのっ!! 後悔してるわっ! だって、まさかっ、松田くんがイジメの対象になって、学校を中退するなんて思ってもみなかったのっ」


 とうとう美来は嗚咽を交えながら泣きじゃくり始めた。そんな状態で語られたのは当時の美来が抱えていた蒼龍に対する恐怖とそれから逃れるためにとった行動の全てだった。

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