24 気が進まない予定と駅前広場の光景

 自宅マンションの玄関で普段使いの何の色気もないスニーカーに足を突っ込み、雑に踵を三和土で叩く。そうして靴と同様に全く飾りっ気ないメンズサイズのパーカーとスキニージーンズを身に着けた上に、唯一可愛げがある小さめのショルダーバックを引っ提げて、月は背後の千穂を振り返った。


「んじゃ、行って来る」


 いつもは朝にする挨拶をもう少しで日が沈む時間にする違和感。何となく普通の顔が出来なくてに苦笑を浮かべる。それを見た千穂が不満顔をより不機嫌に歪めた。


「もう月もいい大人なんだから、律義に面会交流なんてしなくてもいいのよ。高校卒業する時に年六回の面会は無しにして、自由交流にするって決めたんだから」


「まぁ、そうなんだけど。向こうが必ず次に会う日はいつにするかって聞いてくるから無下にも出来ないし。とりあえず、夜に外食ってあんまりしないから精々美味しいものでもせびって来るよ」


 サムズアップして苦笑を悪戯な笑みに変換する。すると、千穂の方もそんな月を見て肩に入っていた力を抜いた。


「そうね、思いっきり絞り取ってきちゃって!」


 千穂らしいカラリとした笑顔を確認した後、月は「りょうかーい」と軽く手を振って自宅マンションを出た。


 一歩二歩と踏み出し、口角があっという間に下がって足がどんどん重くなっていく。それをいつもの事だと割り切って月は駅に向かってのろのろ歩いた。


 レックスの部屋で話題に上った月曜日がこの日だった。






 のろのろ歩いていても、前進していれば自然と目的地に近づいていく。気がついた時には改札を通り、電車を乗り換え、例のターミナル駅に着いていた。


 目に入った駅構内の時計が指し示す時間は待ち合わせまで大分あり、月はふらりと父親と夕食を食べる予定の場所とは別の方向に歩き出した。


 千穂と月の父親・山元和司やまもとかずしが離婚が成立したのは月が小学四年生の時だった。それ以降、月は定期的に和司と顔を合わせている。それは親権を取れなかった和司が月との交流を望んだ結果生じたもので、中学生になるまで月に一回、高校を卒業するまでは年に六回、月は和司と会っていた。それ以降は、月を大人とみなした両方の親が“制限して交流をする必要はない”と改めて取り決めた。その時点で月はもう和司とは殆ど会うことは無くなるだろうと考えていた。しかし、蓋を開けてみれば、和司はそれ以前と同様のペースで月に会いたがった。


 それが煩わしい。断っても良いのなら断りたい。そして、実際に月は断れる立場にあった。だから、月は毎回予定を聞かれると自分が休みでサラリーマンの和司が一番時間を取りにくそうな月曜日なら空いていると言う。遠回しに会いたくないと意思表示しているつもりだった。それでも和司に必死にスケジュールを調整され、顔を見たいと言われると、いつの間にか次会う事を了承してしまっていた。


「はぁ、何なんだろうあの人……」


 月は重い溜め息を吐いて駅のコンコースを抜けた。そして目的を思い出して俯き気味だった顔を上げた。


「わぁっ、すごっ……」


 見上げた景色に月は一瞬で目を奪われる。


 いつの間にか日が落ちて暗くなり、肌寒い風が吹き抜ける広い空間にライトで照らされた赤が花のように其処彼処に咲き誇っている。その赤の中にはそうではないと否定しようがない程イケメンな――――イケメンという言葉では軽過ぎると思わず思ってしまうようなレックスが居た。


 全ての看板に、様々な種類の赤い花をバックにシンプルな黒いシャツを着たレックスが映っていた。ポーズは様々だか、クリスタルをイメージしているのであろう輝くメイク道具を手に持ちこれでもかと言う程セクシーな表情を浮かべている。


「ひゃー」


 月は思わず顔を両手で覆った。何故だか無性に恥ずかしかった。


 週に二回顔を合わせるレックスでも充分以上にかっこいい。それでも部屋で会うレックスは基本的にオフモードだ。服装も雑だし、寝癖も髭も未処理な事も時々ある。毎朝千穂と見る動画の端々に自らのルックスを活かした演出や表情なんかは出てくるけれど、基本的な部分は素で撮影をしているようで、普段との違いはあまり感じていなかった。そんなレックスに慣れた月は自らを商品にして魅力を全力で放出するレックスを知らなかった。被写体も撮影する側も本気で仕事をしているのが伝わってくる大きな画は、そんな月の脳を痺れさせる程の視覚的パワーを放っていた。


 圧巻の光景に上を見上げたままふらふら歩いて、駅前広場の中心に立って全方位を改めて見回す。すると振り返った駅ビルに特大の壁面広告が設置されており、真っ赤なリップを口元に当てたレックスが真っ直ぐ前を見据えていた。その横に細いしなやかな白抜き文字が赤に浮かんでいる。


『隠さないで、輝いて。』


 ドキリとして、月の胸がギュンと高鳴った。


 新商品のコンセプトであろうキャッチフレーズ。化粧品メーカーが考え出したものだろう。他の看板の文字を見るに、メイクは顔を隠す為ではなく、どんな顔の人でもより一層輝かせるために存在すると主張しているようだった。


 ただ、目の前にあるポスター単体で見ると、レックスに直接声を掛けられているかのような気分になった。月は自らの胸を拳で押さえる。


 私も素直になれたら、もっと輝いて、笑っていられる時間が多くなるかな?


 それが出来たら苦労はしない。そうは思っても何故だか少し背中を押されたような気分になった。


 今日はいつもより楽しく父親と話が出来るかもしれない。


 予感と期待が入り混じった呟きを心中で吐き出し、月は少し前向きな気分で本当の目的地に向かうべく看板から視線を落とした。


「……えっ?」


 駅の反対口に向かうため、月はコンコースの入り口に向かって踏み出すと同時に落とした視線の先に予想外のものを捉える。


 スーツを着た女が一人、何かを見上げて涙を流していた。


 コンコースから数歩踏み出した人の流れの多い箇所に佇んで動かないその人は行きかう人がギョッとしたり心配そうな視線を向けたりいるのに気が付かず、真っ直ぐ上を見上げて悲痛な表情を浮かべている。


 月はその視線の先あるものが何か予測はついていたが、その女がを見て涙を流しているのかが気になってしまい、振り返り顎を上げた。


『君に幸あれ。』


 白抜き文字の横でレックスが目を細めて優しい笑みを浮かべていた。


 何か嫌なことがあって、お疲れなのかな?


 月は深く考えることなく歩みを進め、「お互い色々大変だけれど、頑張りましょうね」と心の中でその女に激励を送ってすれ違った。


 他人事だから送れた激励。


 この女の“色々大変”が後に他人事ではなくなってしまうことを、月は知る由もない。

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