第6話 嵐、来る。

23 変化のはじまり

「ねぇねぇ、ムーちゃん。変装するならどんな服が違和感なくてバレにくいと思う?」


「えっ? 変装するんですか?」


 時刻は午後五時五十分。夕焼け空がカーテンの隙間から広いリビングに朱を挿す秋の夕方。


 家事代行の料理を終えた後、余り時間でいつものようにの洗濯物を畳んでいた月は突拍子もないレックスの問いに目を瞬きながら顔を上げた。


「うん。今度街中に俺の大型広告がバーンと出るから、それ見に行くついでに動画の撮影をしようと思ってるんだけどさぁ。ん? どちらかというと動画撮影のついでに見に行くか?」


 動画撮影に重きを置くか見に行くことに重きを置くかの微妙なニュアンスを自分の中で整理した後、レックスが語った内容はこうだった。


 近々、都心のターミナル駅の駅前広場にレックスの大看板が掲載される。しかも、その一枚だけではなく、そこから見える複数の大型広告がレックス一色に染まるらしい。女性に人気な某有名化粧品メーカーのイメージキャラクターに就任したレックスによる新商品の宣伝広告だ。


 現地に行って動画を撮影するのは化粧品メーカーとのタイアップの一環と、レックス自身が駅前広場一杯の自分を見てみたいという願望を叶えるためだった。


 レックスは両手にごちゃっと複数枚の服を載せており、それを月が作業している傍の床に広げ始めた。


 レックスはその職業柄様々なジャンルの服を着る。気分や動画に合わせてファストファッションの時もあればビシッとスーツの時など様々だ。


「町に馴染むようにカジュアルな感じがいいとは思うんだけどさぁ。色とかどっちがいいかな? キャップは必須だよね。サングラスは夜だと不審者だと思われそうだからやっぱり伊達眼鏡?」


 アレコレと問うてくるレックスはまるで遠足前の小学生のようで月の口元が思わず綻ぶ。


「ふふっ、そんなに広告見に行くの楽しみなんですか?」


「えっ? そう見える?」


「はい。楽しそうです」


 月は思ったままを口にしてレックスに笑顔を向ける。するとレックスは照れくさそうに頬を指先で掻いた。


「……そっか。うん、まぁ、楽しみかな。俺一色の広場とかテンション上がるし」


 月ははにかむレックスの笑顔に胸をキュンとさせつつも、レックスで一杯になる広場に思いを馳せてみた。


「松田さんでいっぱいの広場かぁ。それっていつからですか? 私、再来週の月曜日の夜にその駅に行く予定あるんですけど、その時にはもう掲載されてますかね?」


 月は自らのスケジュール帳の中身を頭に思い浮かべつつ、特に深く考えることなく自らの予定を口に出していた。


「掲載されてるよー。へぇ……月曜の夜に予定があるんだぁ。誰かと会うの?」


 月は予想外の問いにまた手元の洗濯物を見ていた視線を上げた。上げた視線の先でレックスがにっこりと笑っていた。


「えぇっと、そうですね……会います」


 歯切れ悪く答えると何故かレックスの笑顔が濃くなった。そしてそれと同時に違う方向から声が掛かる。


「男か」


「ちょっ、種田さんっ!?」


 勢いよく振り返ると、種田がダイニングテーブルにいつものように仕事の資料とパソコンを広げて頬杖を突いていた。


「おっ? 第一声で否定が出て来ないな。彼氏いたんだな、五島さん」


 ニヤついた顔で見下ろされた月は頬を膨らませて種田を睨んだ。


「彼氏なんていません! 相手が男だから否定しなかっただけですっ!」


「へぇ、男と会うのか。その言い方だと二人っきりだな。彼氏じゃなくて彼氏候補だったか?」


「そんなんじゃありませんっ!」


 種田のからかい口調に月はプリプリ怒って言い返した。


 ここ最近――――月が種田にライバル宣言をして以降、二人のやり取りはいつもこんな感じだった。


 コンプレックス故に人との初対面を苦手とし人見知りなところがある月だが、元来はスナックを営む千穂と似て社交的で明るい性格だ。


 車中のやり取りで恐怖心がなくなった月はその後種田に対して畏縮しなくなった。すると、以前は殆どする事も無かった会話をするようになる。種田の月に対する基本姿勢は以前と変わらないので、必然的に投げかけられる言葉は辛辣なものが多い。だが、月の心持ちが変わり、気軽に言い返すようになる。元々礼儀を欠かれていたので月の発言は敬語は使っても気を使わないものになり、それに反発して種田が更に言い返す。


 恋のライバル関係という事もあり、以前に増して月とレックスの接触に敏感になった種田は監視と同時に月のアンチキャンペーンを仕掛けてくる。どれもこれも冗談みたいな些細な内容ばかりのそれに月は一つ一つツッコミを入れて訂正するを繰り返す。そんなやり取りが何故か不快感を伴わず、少しばかり楽しいと感じてしまうのが月にとっては不思議だった。


 ただ、レックスの前で交際相手や恋する相手が他にいる様に言われて呑気に楽しんでいる訳にもいかない。


「知人に会うだけです!」


 勢いよく変な事言わないで下さいと目を眇めて種田を見上げる。すると視線の先ではない方からクスリと笑う気配がした。


「なんか最近仲良いね、二人」


「まぁ、そうですね」

「仲良くない!!」


 相反する反応が飛び出し、レックスはカラカラ笑って月の方に顔を向けた。


「ツンケンしてると不機嫌な猫みたいで扱い難いけど、それに慣れちゃうと意外と面白くて可愛いでしょう? うちの種ちゃんは」


「そうですね。見た目エリートサラリーマンみたいなのに、中身小中学生くらいなのがツボです」


「コラァ、ガキども!! 大人を揶揄うんじゃない!!」


「やだぁ、大人ですってぇ」


「種田さんが大人なら私達も大人ですよねー」


 ダイニングチェアを脚で押してガタンと立ち上がった種田を横目にレックスがオネェ言葉を使って揶揄い、月もそのノリに乗じる。顔を赤くして怒る種田を見上げてレックスと月は遠慮なく声を上げて笑った。


 種田に気を使わなくなると、自然と月の肩の力は抜け、レックスに対しても以前より気楽に接する事ができるようになっていた。恋心を自覚した後なので、レックスへの接し方が分からなくなったらどうしようと少し考えたりもしていたが、それは杞憂に終わった。


 レックスの方は種田と月が変化した分、それに合わせて気さくに接してくれている。それが三人の現状だった。


「再来週の月曜日なら広告掲載は始まってるよ。そっかぁ。ムーちゃんが月曜日の夜にあの辺うろついてるなら俺も月曜の夜に行って撮影しようかな」


「えっ?」


 まさかの発言に目を丸くする月にレックスは再びにっこり微笑んだ。


「何か問題ある?」


 何故だかレックスの笑顔に有無を言わせぬ迫力を感じ、月は顔を左右に勢いよく振った。


「問題はありませんっ。その、どちらかといえば嬉しいです。……ちょっと、嫌な予定だったので、松田さんが近くに居るかもしれないと思うと少しは元気出そうです」


 月は種田というライバルが身近にいる分、告白はしないまでも少しばかり積極的にレックスに好意を伝えるようになっていた。照れつつ出来る限りの笑顔を向ける。するとレックスは僅かに驚いた顔をした後に、薄く笑う。それは一見喜んでいるのか戸惑っているのか分からない笑顔だった。


「はっ、残念だったな! レックスが例え気分が向いて月曜の夜に撮影に行ったとしても、その場での滞在時間は精々十分だ! アンタと顔を合わしている暇なんてこれっぽっちもない!!」


 すかさず口を挟んできた種田に月は唇を尖らせる。


「別に会う前提でお話している訳じゃないですよ」


「まさか待ち伏せして、隠し撮りをしようとしてるんじゃないだろうな!?」


「まさか。種田さんじゃあるまいし」


「なっ」


 反応が面白くてついつい揶揄うような口調になる月。それに種田が絵に描いたようにた反応したとき、レックスが自らが持ってきた変装候補のキャップを手で弄びながらポツリと言った。


「男と会う夜の嫌な予定なんて、ばっくれちゃえば?」


 キャップを言葉尻と同時に被ったのでその表情が月の角度からは見えなくなる。


 月は構ってほしくてつい余計な事を言ってしまった事を後悔しつつ、欲しかった類の言葉を掛けてもらえた事に小さな満足を覚えた。


「これが、ばっくれたくてもばっくれられない用事でして。といっても、いい歳したおじさんと一緒にご飯食べるだけなんですけど」


 敢えて意味深に言えば、レックスの瞳が見える角度に移動する。


「何そ――――」


 何それ、か、何その用事、か。レックスが言おうとした台詞を切って、月はニカっと笑ってみせた。


「うちの父親、話つまんないんですよ」


 あからさまにレックスが胸を撫で下ろすのが分かると同時に種田が「紛らわしい言い方をするな」とか「それともパパ活か?」などと調子を崩さず言ってくる。月はそれに出来る限り明るく返し、話を流した。


 そして、改めてレックスの変装用の衣装に意見を出しながら、貼り付けた笑顔の裏で一人思う。


 ――――再来週の月曜日なんて、来なけりゃいいのに。




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