第5話 奈良散策*秋篠寺

 時計を見ると九時半を少し過ぎたとこだった。

 和樹とは、十時の待ち合わせだったが、私は、いつものように余裕を持って、待ち合わせの場所に到着していた。


 

 今朝、六時前に起きた私は、今日着ていく服をどうしようかと、クローゼットの中から出したり引っ込めたり、着ては脱いではとかなり悩んでしまった。そして、漸く決めた服を着て、鏡を見ると正直いつもの私と同じ雰囲気の装いだった。これまでの時間は何だったんだろう?と自分に呆れながらも思う。


『和樹はこの服装をみて何て言うだろうか?』


 どうせ、太って見えるぞ!なんて茶化すんだろうな……。


『はあっー』


 そう思うと、私は大きなため息をついていた。



 ここ近鉄大和西大寺駅は、奈良線と京都線、そして、橿原線が乗り入れている近鉄の中でも大きな駅だ。しかも、今は他社線も乗り入れをしているので、ここから神戸三宮や尼崎、京都市営地下鉄にも通じているという。


 私達が大学生のころは、ここから神戸なんかに直通で行けなかったし……。


 たった数年で私達の環境はめまぐるしく変わって行く。

 昔、付き合っているんだろう?と言われていた私達もやはり大きく変わっていってるのかもしれない。


 そんなことを思っていると、持っていたスマホが震えた。


『改札出たら右手に歩いてきて。バスの後ろあたりにおる』


 ラインのメッセージに『りょーかい』と打つと、私はもう一度手鏡で顔のチェックをしてから改札を出た。


 言われたように改札を出て、ロータリーを右側に歩いて行く。

 すると、バスの後ろに白いヴィッツが止まっているのが見えた。


 私は、駆け足になって、その車に近づくと助手席の窓が「クゥーン」という音を立てながら下がっていった。


「えっ、なにこれ!今日、車なん?」

「おう。今日はな、俺様がお前をちゃんと奈良散策にエスコートするからな。やっぱり、車は必須アイテムやろ?」

「う、うん。で、これってレンタカーなん?」

「そうや。今日一日借りたんやけど、思ってた程高く無かったわ。さあ、乗って乗って、行くぞ!」

「うんっ」


 奈良のスポットを回ろうとした時、何が大変かというとやはり交通手段だ。

 ゆっくりと歩いて、お目当ての場所まで散策をするならばそれでもいいのだが、沢山のスポットを回るときには、やはり車が合った方がいい。

 だが、車を止める駐車場を探すのが面倒なのも奈良あるあるなのだ。しかも、上手く止めれたとしても、一時間も使わないのに、観光地特有なのか、一日いくら、一回いくらという感じで、料金を取られる場所も多く、こういうのが続くと結構痛い出費になる。

 だから、私は、今日の和樹とのデート(デートと呼んでいいのかわからないけど)は絶対に歩きだと思っていた。


 なので、悩んだ末、結局歩きやすいこの服装にしたし、オシャレなヒールではなくスニーカーにしたのだけど……。

 う〜ん、車だったらもっとオシャレしてきた方が良かったかな……。


 そんなことを思いながら助手席に乗り込みシートベルトを締める。

「いいか?いくで」と和樹が私の方をちらっとみた。


「うん、いいよ。いこっ」


 西大寺の駅で、和樹を待っていた時よりも、ちょっとだけ私のテンションは上がっていた。



 バスロータリーをゆっくりと出た車は、右折すると道沿いを走り出す。

 もしかして、この方向は!?と思っていたら、「まずは、秋篠寺に行こうと思ってるけどいいか?」と和樹が呟いた。

 私は返事をするのも忘れ、とても懐かしい気持ちになっていた。



 西大寺駅からは、十分ほどで秋篠寺に到着した。

 有料駐車場の看板が見えたが、和樹は車をそこには止めず、秋篠寺を少し通り過ぎた所にある数台だけ無料で止めれるスペースへ車を入れた。

 和樹は、さすがによく覚えている。普通にお寺の前にある有料駐車場に入れてしまうと最低でも七百円位は取られてしまうだろう。


 車を止めた私達は、すぐに山道には入らず、わざと遠回りして歩いていく。なんの打ち合わせもなく私達は揃って遠回りをするのには訳があった。

 それは、秋篠寺のエリアにある民家の佇まい、それらも含めて全てが、私達の思い出になってる秋篠寺だからだ。

 この季節、畑にはなすびの花が綺麗に咲いている。小さな子供達が、水路の中に泳ぐ魚を眺めている。そして、古い民家の瓦も相当年季が入っている。そんなもの全てが私達の思い出である秋篠寺なのだ。


 そして、私達は、時代を感じさせる門の前で立ち止まり一礼する。

 ゆっくりと門をくぐり山道に入ると、その両端から、豊かに茂る木々が、私達に緑のシャワーを浴びせる。なんて清々しいんだろう。


 そして、なんと言っても、ここは『苔』が美しいお寺として有名だ。

 その樹木の下にびっしりと生える苔を眺めると、まるで緑の世界に入り込んでしまったような錯覚にしばし陥る。

 

 私は、両手を上にしながら背伸びをするとゆっくりと深呼吸した。

 

 和樹は、無言で私の前を歩いて行く。

 まだ誰もいないこの空間に、二人が砂利道を踏みしめる音だけが響いていた。




 拝観料を支払った私達は、本堂に向かって歩いて行く。

 竹箒で整理された庭を歩くのはちょっと気が引けるが、とても気持ちが良い。


 そもそも、和樹と知り合うまでは、私はお寺を巡ったりはしなかった。というか、全く興味が無かったといっても過言では無い。そんな私が、大学時代に和樹と回ったお寺をこんなにも覚えているなんて……。


 少し離れたところから本堂を眺める。とても素敵な佇まいに圧倒されるようだ。

 あっ、新薬師寺の本堂と何となく似ている気がするけど、あとでネットで調べておこうっと。


 本堂の右手に立つ、『国宝』の看板が目に入る。

 やはり、『国宝』と聞くと、全てがありがたいものに見えて来るから不思議だ。




 ふと、私は、和樹と大学時代に来たときのことを思いだしていた。


 あれは、今日よりも夏の陽射しが強い暑い日だったな……。

 山道の木々から、とてつもない数の蝉の声が聞こえてきていた。



「なあ、お前って、就職とかどうすんの?やっぱり音楽の道って感じなんか?」

「いや、まだそこまでは考えてへんよ。キーボードでプロになるには正直無理やし。でも、音楽に携わるところで働けたらいいなとは思うかな。やっぱり」

「そっか、じゃあ、お前をここに連れてきて正解やったっちゅうことやな」

「ん?なんで?」

「ここにはな、芸術の仏様という技芸天立像さまがおられるんや。その目を見つめてじっくりと拝むと願いが叶うといわれてるんやで」



『ジャリッー』


 あっ、、、。


 砂利を踏む音で私は、はっと我に返る。


 そうだった……。


 ここには芸術の仏様がおられるんやった。

 そうか、大学三年の夏、私は、今の会社の下調べをしていたけど、和樹はもしかして、それを知ってたのかな?それで、あの時、あえてここに連れて来てくれたのだろうか?


 いつも、しょーもない事を言う和樹が、今日は本当に静かだから驚いてしまう。どうしたのだろう?と思っていたら、本堂の入り口からさっさと一人で入っていった。 

 私も、慌てて和樹に続いて本堂に入る。少しお線香の匂いがする部屋は暗くも無く、明るくもない絶妙な感じで保たれている。


 技芸天立像の前に立った私達は、時間を忘れるくらい、その優しいお顔を眺めていた。


「ほらっ」


 和樹が私にくれたのは、技芸天立像のお守りお札だった。

 前に来たときも、『これをいつも肌身外さず持っとけよ』っていわれたっけ……。


「うん。ありがと」


 私は、素直にそのお守りを受け取ると、ショルダーバックの内ポケットに入れる。




 そこには、、、、


 五年前に和樹から受け取った同じお札が入っていた。

 少し色あせ、紙はほつれているが、私の宝物が……。



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