リンシス『隣人シスターは、煩悩まみれで、ライバルでもあった』

藤咲 みつき

全話

2019年 10月 某所

 その日フリーライター佐久間 幸一はバイトをしていた。

 なぜフリーライターなのにバイトなどするのか。

 簡単な話である、それだけで生活などできるわけがないのである。

 小遣い程度、というのは語弊があるが、フリーで活動している人間の収入は安定するものではない、加えて、ライターという仕事はあるものの、単価にして1文字0・5円が支流の時代。さらに言ってしまえば、サクラ記事、いわゆる本来その商品や、現地に行って体験もしていないのにあたかもそれを素晴らしかったと書く事。

 そういった仕事が近年増えており、彼はそれらすべてを断っていた。

 いやいや、仕事だろ?そう思う人も多いだろうが、彼は曲がったことが嫌いで胸を張って生きていきたいと考えていたため、それらサクラとなりえる仕事をすべて断っていた。

 もちろんそんな感じなので、生活ができるわけもなく、また危険な仕事を回避して、安全なものだけを選別していると、おのずと仕事は減るので、どうしても安定した収入を得るためにバイトなどをしなければならない。

 だがしかし、フリーライターであり、ライトノベル作家を目指す彼は、時間が惜しい、より制作に、物語に浸っていたかった彼は、わりのいいバイトを選び仕事をしていた。

 割のいいバイト、と言えば聞こえはいいが、実際は肉体を行使して高額な収入を得る、いわゆる肉体労働が主である。

 昼は肉体労働、夜は製作、フリーライターの仕事。

 このような生活をしていて、体が悲鳴を上げないわけがなかった。

 気がつくと彼は、10月のこの日、人生最大のミスを犯したのである。



「は?!」

 飲料メーカーのバイトで検品作業をしていた彼が、いつものように商品をカートに乗せようとした時だった。

 彼の体に激痛までにいかないまでも、とてつもない体の違和感を感じ、持っていたものを落とした。

 彼の手にあった重さ12キロほどのペットボトルの箱が落ちる。

 それと同時に、左肩がおかしい事に気がついた。

「いやいや、そんなわけが・・・」

 自分に言い聞かせ、手が滑っただけと思いながらも、嫌な汗が出てくる。

 脂汗が背中を伝い、10月の少し肌寒くなってきた空気の中、全身が沸き立つような熱と、気持ち悪さに支配される。

 直感で分かる、やばいと。

 体は危険だと判断し、その場に立ちすくみ、動こうとしない。頭では、ああ仕事しないとと彼は思いながらも動けずにいた。

 徐々に体が今起きた出来事に反応を示していき、やがて、吐き気が全身を支配し始める。

 何が起きたのかいまだにわからずにいるがこれは危険だと認識した時、一気に血の気が引くのが手に取るように分かった。

 慌てて駆け出し、バイトリーダーへの元へ行く。

「すみません、や、やばいかも」

 彼の口からついて出た言葉は、支離滅裂だった。

「え、どうしたの佐久間君」

 パートのおばちゃんが怪訝そうに彼を見る。

「あの、なんか体がおかしくて、早退を」

 もうそれしか言えなかった。

 形容しがたい、言葉にならない恐怖が全身を支配し、口は思うような言葉を紡ぐことができないでいた。

 そしてこの日彼は、この悪寒と、恐怖の正体を1か月後知る事となった。



 1か月後。藤沢市、接骨院。

「結論から言います。左側頭部随感版ヘルニアです」

「え・・・」

 言われた病名を頭の中で復唱する。

 左側頭部随感版ヘルニア。

 ヘルニア、一般的にはたいしたことのない病名という認知度が高く、あ、はいはい、ヘルニアねぇ、などと言う人が大半であるが、ヘルニアは命にかかわる危険な病名であるという事を、様々な仕事をしてきて、過去に接骨院で働いていたことのある彼は理解していた。

 なので、何が起きたのかを瞬時に理解はしていたが、それが最悪の病名だった。

 何が最悪なのかと言えば、一般的に言われるヘルニアはたいていの人が腰であるだが、今言われた病名は、首である。

「あの、何かの間違いでは?」

「いいえ、これが証拠です。こちらのこの部分がそうですね」

 医師は淡々と語り、MRI(磁気共鳴画像)を見せてきた。

 簡単に言えば、レントゲンをさらに高性能にして、神経や脳などの普通では見る事の出来ない部分を鮮明に映し出し、異常がないかを確認できる機械というのが正しくくだけた言い方だろう。

「あ、ああはっははは」

 乾いた声が自然と漏れ出す。

 佐久間 幸一はこの時見た画像を二度と忘れることがないほど衝撃と絶望を同時に味わった。

 何がそんなに深刻なのかという事だが。

 そもそもヘルニアとは何かだが、簡単に言えば、異物が神経を圧迫し痛みを誘発するものというのが砕けた言い方で、それにより痛みが発生するのだけれど、その神経というのが中枢神経と言われる、いわば人の動きを頭から全身に指令を出す、司令塔い繋がるいわば一本の線、そこを圧迫されている状態をヘルニアと呼称するのである。

 で、彼の場合、首であった。

 首は、全身が指令が最初に通るいわば一番太い線の場所であり、脳から手足へ、手足から脳への電気信号が行きかう、場所である。

 そんな重要な場所でヘルニア圧迫など起きようものなら、体の機能にどんな影響が出るのかわかった物ではない。

 そして彼は、過去に働いていた接骨院でこう言われた。

(ヘルニアにはなるなよぉ~、首なんて最悪だからなぁ、歩けなくなるか植物人間になるぞぉ)

 当初彼は、先生悪い冗談だなぁ、と思っていたが、これが冗談ではなかったのかもしれないとここ数日の出来事で理解していた。

 左手は痺れ、今までやっていたタイピングはうまくいかず、違和感があり、さらには、四六時中左側の頭が割れる様に痛かった。

「あの、それで、左側の手や足、頭など異常はありませんか?」

「え、あ、あえ?!」

 幸一は医師に何を言われたのかわからず戸惑う。

 医師は特に気分を害したという事はなく、幸一の返答をじっと待っていた。

「左手のしびれが。あと、首と頭痛が酷くて寝れてません」

 そう、ここ1か月彼は頭痛の激痛にもだえ苦しみ、不眠症になっていたのだ。

 さらに、左腕は思うように力が入らず、仕事に出ても2時間もすればまともにごくこともできなくなっていた。

 医師は、お宇一の言葉を聞くや否や、手を取り、感覚を確かめたり、手や、棒のようなもので叩いて反応を見た。

「う~ん、なるほど・・・・痛み止めの薬と痺れ止めの薬、こちらをお出ししておきます」

「あの、これ治るんですか?」

 幸一は藁にも縋る思い出そう切り出しが、意思からの返答は。

「何とも言えません、時間がかかるものですので・・・・」

「手術とか?」

「お勧めしません。理由は・・・おそらくお判りでしょう」

 幸一に病名を伝えた時に詳しく聞かれなかったことをで、医師もどうやらこの人は病状の深刻さを知っているのかもしれないと思い、あえて余計な事をいう事を避け、必要最低限の返答をおこなっていた。

 幸一も、医師の言葉が自分が過去に聞いた話と、中身、それから物書きとして調べた時の知識などを合わせ、どこかで1年~2年以内に治らなければ、一生続くのだというのを理解していた。

 事実、首のヘルニアで治ることなく、徐々に悪化し、手足が動かなくなったという事例は多く、彼もまた、その記事に一度目を通したことがあった。

「ともかく、しばらく様子を見ましょう。半年~1年は安静にしてください。一ヵ月ごとに診察を行い、経過を見ていきましょう。大丈夫」

 何が大丈夫なのだろうか、そう思わずにはいられないながらも、幸一はそれ以上何もいう事が出来ず、気がつけば会釈をし、診察室を後にしていた。

 少しの会釈にもかからず顔が歪むが、これはもう、仕方が無い事だと自分に言い聞かせ、その場を後にするのだった。



 それからというもの、彼の生活は一転した。

 仕事はできず、不眠症に悩まされ。

 左手は小学校低学年程度の腕力しかなくなり、誰がどう見ても、まともに仕事などできる状態ではなかったが、会社はそれを無視した。

 いわゆるブラック企業だったのだ。

 まぁ、どこにでもある話である、業務中に仕事をしていて怪我をしても認知しせず、気がつけば、仕事もなく、怪我で働けず、保証もない、八方ふさがりにすでに陥っていた。



 12月 ソレイユ大山 202号室 佐久間自宅

「どうする・・・」

 瞼をこすり、恐ろしいほど目に熊を張り付けた青年は、パソコンとにらめっこをしていた。

 頭は割れる様に痛く、小脳、大脳がグワングワンとまるで、どつき漫才で頭を叩かれ続けているように揺れるようにズキズキときしむ。

「う~ん」

 幸一は寝間着で、机のパソコン、そして手の元の通帳を睨みつけながら途方に暮れていた。

 通帳には一様お金はある200万ほど、しかし、病院の費用が異様なほどかかるのだ、ひと月7000円、普通に働いている人間なら、何だ7000円じゃん、と思うかもしれないが、幸一は違った。

「年間で84000円、さらに家賃が年間70万ぐらい、食費が・・・」

 カチャカチャと音を立てつつ、パソコンに数字を打ち込み、自分で作ったエクセル計算表に合計金額が表示され、啞然となる。

「死ぬ、いや死ねる」

 ふと部屋に目をやると、キャラクターグッツのかづ数が目に飛び込んできた。

 彼は作家でもあり、それと同時に世間でいう所のオタクなのだ。

 椅子から立ち上がり、部屋の隅に置いてある本棚へといく、本棚は二重で、手前と奥で二重構造になってる凝った作りをしていた。

 手前には本、そしておもむろに彼は奥がわが見える様に、本棚をスライドさせ、奥を粟原にする。

 そこには、美少女ゲームがきれいに並べらえていた。

「ぱ、パソコンにインストールしてあるし・・・き、緊急事態だし」

 彼は何に誰に言い訳をしているのか、そう口にするも直後、頭を抱え。

「俺のコレクションがああああああああああああ」

 発狂した。

 ベットに身を投げ、首のヘルニアの痛みも何のその、のたうち回る。

「痛い、痛いたぃ。でも何より俺の苦労があぁ」

 美少女ゲームはその1本が割と高級品で1本1万円が当たり前、それが少なくても棚には100本近く綺麗に製糖されていた。

 だが彼は知っている、これを売ったとしても100万円にはならないと。

 そして何より、彼が現代社会の理不尽さと、肉体労働の疲労と疲れ、そういったものに耐え続けられたのは、嫁、と言える彼女ら美少女ゲームのヒロインたちのおかげであった。

「よ、嫁を売るかぁ! いや、しかし。でも、このままでは死ぬ!」

 聞く人が聞くと、嫁を売るとか完全に誤解を生むキーワードである、それでもそう叫ばずにはいられなかった。

 そして叫んだのがまずかった。

 ドタドタ、ガタン、ピーンポーン。

「へ?!」

 なぜか隣人が慌てたように動き出したかと思うと、幸一の部屋の呼び鈴を鳴らしたのである。

 突然の出来事に硬直していると、再度ピーポーンと、呼び鈴が鳴る。

 ヤバいと思い一瞬居留守をとも思ったが、先ほどの嫁を売れるかぁを聴いていたのであれば、居留守は無理だろう。

 観念して、はーいと声を出し、ドアを開けた。

 開けて、硬直した。

 開け放たれたドアの先には、修道服に身を包んだ、小柄で髪が長い幼い印象の女性がたっていた。

「こんにちは。失礼します」

「え、あ、おぃ」

 彼女は恭しくお辞儀をし、挨拶も早々に幸一のわきをその小柄な体で、スート、素通りし、部屋へと難なく上がり込んだ。

 あまりに彼女が自然な動作で部屋えと上がるので、反応が遅れてしまった。

「あの、いきなり何を」

「お嫁さんを売るなんていけません・・・あれ、お嫁さんは?」

 どうやら先ほどの叫びが隣人に聞こえていたらしく、彼女は有無を言わず入ってきたらしい。

「お嫁さんはどこですか!」

 見た目が幼くはあるが、顔が整っているためか、妙に色っぽくつやっぽいシスターは、幸一に顔を近づけ、詰め寄った。

 体も小柄で156センチぐらいだろうか、妙にちんまいが、胸がそこそこあるのか、凹凸がはっきりしていた。

三十路すぎの、独身男性の幸一にとってはわりと目の毒である。

「いや、えっとぉ・・・・」

「私が買います!」

「は?!」

 場の空気が一瞬で凍り付いた。

 実際に凍り付いたのは幸一だけで、隣人シスターは鼻息荒く、顔も若干桃色に染めて、鼻息荒くそういい放っていた。

「あのぉ・・・」

「え、売ってくれないんですか。女性と組んずほぐれずを合法的にできると思ったのに!」

 いやそれは合法ではない、とツッコミを入れそうになる幸一だったが、それ以前に、この人やべぇ人だとすぐに思った。

「さっきのはですねぇ・・・」

「あ、申し遅れました。わたくし近くでシスターをしております、咲宮 雪羽と言いま。隣人としてよろしくお願いいたしますね」

 物腰は柔らかく、言葉遣いも先ほどとは別人で、清楚で、清らかなかわいらしい声でそう言い放つので。

「え、あ、はい。佐久間 幸一です」

「幸一さん。素敵なお名前ですね」

 天使のような微笑で彼女が微笑、幸一はここ最近こんなかわいい女の子と接したことがなかったため、一気に舞い上がりそうになるも、すぐに思い直す、この人はやばいと。

「で、私の合法性欲材はどこですか?」

 またとんでもない事を言い出したぞこのシスター。

「あ、あのですね、嫁と言うのは・・・」

 そこで雪羽は何かを悟ったらしく、少し考え、あたりを見渡す。

 幸一の部屋には、ベット、ソファー、本棚があり、そのあらゆる場所に美少女が散りばめてあり、壁には、とても青少年にはお店できない、かわいらしい女の子が頬を染めて微笑みながらあれれもない姿でそこに居た。

「アレですね。嫁とは、嫁の事でしたか」

「え?!」

「ああ大丈夫ですよ、わたし理解ありますし、男性の一人暮らしですものねぇ」

 そういいつつ、なぜか彼女はすたすたと部屋の中央まで来ると、おもむろに周囲を見渡し、あたりを付けたのか、本棚へと歩みより、そのまま美少女ゲームの棚へ手を伸ばした。

「いやちょっと、何を勝手に」

「ふむふむ、ああこれぇ、なるほどぉ・・・・フフフああ、いい。最高です」

 いきなり美少女ゲームを手に取り吟味し始めたかと思うと、気がつくと一本のゲームを手に取り、夢うつつと言わんばかりに幸せそうな顔でそんな事を言い始めた。

「これ、売ってしまうのですか?!」

 一本の美少女ゲームを持ち、幸一に狂気じみた感じで詰め寄ってきた。

 あまりの出来事に一歩後ずさり、そして一言。

「ええ、まぁ、その・・・これからお金が必要になる感じで」

「なぜです、こんなにもいかがわ・・・素晴らしい作品を!」

「今いかがわしいって言ったよね」

「気のせいです」

 かわいらしい満面の笑みでそういう雪羽だが、前後の行動が一致しておらず、幸一は訝しげに彼女を見る。

「その、俺、首のヘルニアになっちゃって。治療中は仕事とか激しい感じのはしないようにときつく言われていて」

 ここは素直に事情を話し、すぐにお引き取り願おう、そのほうが良いと思い、幸一は事情を話し、さっさと追い出すことを決めた。

 すると彼女は、何やら考え込みつつ、胸にゲームを抱きしめ、その場に座り込んだ。

 いや、帰ってくれ。てか座るなよ。

 そう心の中でつぶやくも、決して口には出さない。

 ほぼ初対面、隣人が女性で小柄である、とは知ってはいたけど、こんな変人だとは知らなかったのだ。

 おまけに、シスターだとは。

 そう幸一は心の涙を流した。

 というのも彼は、シスターと巫女が超がつくほど好きで、あまりアニメやゲームで取り上げられないが、まれに出てくるその登場人物に心を癒されているのである。

 もちろん、本棚の100本近い美少女ゲームの中には、そういうと固執したジャンルのものも含まれてはいるが、幸か不幸か、まだこの目の前にいる煩悩シスターには気がつかれていないのだと安どする。

「明日また来ていいかな?」

「いや、あの来るというか押し入ってきたの間違いでは?」

「来ていいかな?」

 今度は満面の笑みで上目図解で聞いてくる。

 どうやら幸一の意志は関係なく、来るつもりらしい。

 幸か不幸か、今は仕事がないし、不眠症で基本的に外に出たいとも思わなくなっていた幸一は、とりあえず現状をさっさと片付けたい一心から、首を縦に振った。

 そうすると、雪羽は満足げに微笑を浮かべ立ち上がる。

 そのまま玄関へと行き、出て行こうとするが、幸一がその首根っこを掴んだ。

「おい、それは置いていけ」

「あ、あれぇ、おかしいなぁ、私は何も持ってないよぉ」

 振り向かせ、自分の胸に抱えてたであろう美少女ゲームの箱を取り上げようとするも、手元にそれはない。

 ないのだがある、正確には、彼女の修道服のお腹のあたりが箱のカタチにくっきりと盛り上がっていた。

「・・・・おい」

「いいじゃん、ほんのちょっと、先っちょだけ。ね、おねぇかがぁい」

「わざと、わざとなのかこの煩悩シスター!」

「お、良いねぇその二つ名」

「よかないわ!」

 にやにやと不敵な笑みを浮かべ、嬉しそうにそういう雪羽に、幸一は怒鳴るも、とうの本には全くひるまず、むしろ嬉しそうに笑みを浮かべながら、ああ今夜はパァティーよぉ、とすでに自分の妄想の中に旅立っていた。

 もういいや、という気になった幸一は、彼女を解放し、シッシッと追い払うように手を振った。

「ああ、それと、あのゲーム全部取っておいてください、3日後、お話があるので」

「また来るんですか」

「では、嫁は貰ったぁ。さらば!」

 目を子供のように爛々と輝かせ、部屋から去って行った隣人。

 あとには静寂が残り、何の冗談だよこれ。

 幸一の口からそんな言葉が漏れたのは、言うまでもなかった。

 部屋に戻り、本棚を見る、そして、何をもっていったのかと確認するため、タイトルを確かめていく中ある事に気がついた。

「えっとぉ、え、いや待ておい。あのシスター・・・マジか」

 そう、あろうことか、シスター系の割と激しいのが、1本棚から消えていたのである。

 絶望に打ちひしがれ、床に突っ伏する。

「終わった・・・・隣人に性癖がバレた」

 いくら三十路すぎたとはいえ、まだ若いであろう女性、しかも隣人にとんでもない趣味がバレてしまったと思う。



 3日後、午前10時20分。

 呼び鈴が鳴り、声を掛けられる。

「佐久間さん、来ましたよぉ」

 出たくない。

 先日の出来事から数日、どうするべきかわからず、悶々としたままこの日を迎えてしまった。

 ここ数日、あの人がどんな人なのか、気になり一度だけ幸一は彼女の勤務先である教会へと足を運んだ。

 そこには、清楚で優しく、おしとやかを絵にかいたような聖女お手本のような人が叩いており、唖然とした。

 教会は孤児院も営んでおり、孤児の子がやんちゃをして色々やらかす中、それを優しくたしなめ、優しく微笑む姿は、幸一の部屋で変態な発言をして、だらしなく顔を緩ませていた人物とは似ても似つかなかった。

 唖然とし、教会の入り口で突っ立っていたのが良くなかったのか、雪羽と目が合ってしまい、そそくさと逃げ帰って、本日に至る。

「わたくしの、あられもない姿をのぞき見してた佐久間さん、いらっしゃ、あ、こんにちは」

「こんにちわじゃねぇよ。何言いだしてんだアンタは。ってなんだおい」

「はーい、通りますねぇ」

 玄関が開き、幸一が慌ててそういうが、彼女は気にしたそぶりも見せず、強引に部屋絵と押し入ってきたが、彼女の姿は見当たらず、何かを抱え、そのまま前進してくる。

 アパートの入り口はそこまで大きいわけではなく、人一人がやっと行き来できるかどうかという感じなので、おのずと幸一は部屋の中央へと押し戻されていく。

 雪羽は小柄な体で、何やら多き筒状の縦長な何かを抱えており、その長さは彼女の背丈とほぼ同じぐらいで、よいしょ、よいしょと言いながら運んでくる。

「ふぅ、はいこれ」

「え?」

「使ってください。未使用品です。あ、でも一人暮らしの男性なら、使用済みの女性の物のほうが良かったですかぁ?」

「慎みをもてくれ、淫乱シスター」

「良いんですよぉ、淫乱ですからねぇ私」

 まるでそう言われるのがうれしいというように満面の笑みを浮かべる。

 幸一は、首のヘルニアとは別の意味で、頭が痛くなってきていた。

「で、何ですこれ?」

「こないだのぉ、お礼と、こちらから色々お願いをするので、貢物です」

 貢物。その言葉に言い知れぬ不安をいだかずにはいられない。

 そんな幸一の心境を察してなのか、にっこりと天使のような微笑を浮かべながら、はいこれ、と机の上に紙の束をごっそりと置いた。

「なんですこれ・・・」

「これ、私が書いた、官能小説ね。読んで感想聞かせて」

 一瞬何を言われたのかわからず、原稿と彼女を交互に見て、ナンダコレと思う幸一をよそに、彼女はもってきた筒状の大きな何かを部屋に常備してあったカッターで開放し始めた。

 ぎゅうぎゅうに真空で梱包されていたそれは、解放され、大きくベットに広げられ、開封と同時に独特の匂いが鼻を突き、何とも言えないほこりっぽいという表現に近い、ワタ?のような変なにおいが部屋中に充満し、幸一はたまらず咳をしながら窓を全開にした。

「げほげほ、もぉ、いつもこの商品のこれだけどうにかなんないかなぁ」

 どうも雪羽もこの独特の匂いだけは嫌らしく、顔の前で手をパタパタと振り、顔をしかめていた。

「これ、本当になんなんですか、本当に新品?」

「独特の匂いするけど新品よ。ついでにいえば君のその目の下のクマを消してくれるはずの物」

「いやいやぁ、こんなの一つでそんなわけないじゃないですかぁ」

 怪訝な顔で彼女に視線を飛ばすが、雪羽は自信満々に、ここに寝転がれと言わんばかりにパンパンと叩く。

 目の前にはどう見ても、マットレスのようなものが広げられれていた。

 今更ではあるが、この時やっと彼女の服装が、こないだ幸一の部屋に来た時とは違いシスター服ではなく、白を全面にしたワンピースと、黒のストッキングという、シンプルだけど、清潔さと、清楚さが際立つコーディネートだった。

 幸一は一瞬、自分の趣味に直撃する服装に眩暈がし危機感を覚え始めていた。

 まずい、このままこの人のペースに巻き込まれると良くない。

 何度目になるか分からない自分への制止も、彼女の促す、広げられたマットレスへと仕方なしに触れると、体重とともに吸い込まれるように手がマットレスの中へと吸い込まれていく。

「うお、うおおおお、なんだこれぇ」

「そのまま寝そべってください」

 促されるままに、幸一はそのマットレスに身を投げた。

 するとどうだろう、体は吸い込まれるように落ちていくが、程よいところで止まり、安定する。

 最初ただの低反発マットレスか何かだと思っていた幸一だったが、なんとなくだが違う気がした。

「これ、本当になんなんですか?」

 気になってそう聞くと。

「え、トュルースリーパー」

 こともなげにそんな事をいい、耳を疑った。

 トュルースリーパー、日本通販サイトでも大人気商品、ショップジャパンさんのトゥルースリーパー、高性能で、首やひざを優しく包み込み、とても好評とよく耳にするその商品だった。

 1つ2万前後し、とてもではないがおいそれと手が出るものではない。

「いやいや、待て待て待て」

「というわけで、私の官能小説を読む代金はこれでぇ」

 こんなの受け取れないと幸一が言い出す前に、それを先読みしてなのか、雪羽は満面の笑みでそう告げた。

 そうか、そういう事なのか、いや、しかしこれはいくらなんでも高い。

 そう思うが、一度寝そべり、その感触を確認し、さらにはそのあまりの気持ちよさと、毎晩枕の位置などを変え、頭痛に耐えていた幸一が、このマットレスに身をゆだね、寝そべるだけで、頭痛は楽になり、体も安定しているという事実は、ここ1か月の地獄の頭痛と激痛に耐えた彼には大変効果的であった。

「あ、あー、その、わ、分かった。これはその、だ、代償という事で」

「はーい。契約成立ぅ」

 嬉しそうに笑顔を作る彼女に、ちくしょぉ、負けたぁ。と何とも言えない敗北感を幸一は味わいながら、机まで行き、件の小説へと目を向けるそこには。

(魅惑のひと時、昼下がりのいけない授業)

「・・・・」

 目に入ったタイトルを見て固まる。早まったと。

 しかし、読むと言った手前、後には引けない。

 幸一は意を決し、読もうと一ページ目をめくろうとして、雪羽に制止された。

「ああ、ダメダメ。私のいないところで読んでください。あともう人お話があるので、座っていただけますか?」

 今度は何だと思い、彼女の促されるままに幸一は、雪羽の真正面へと座る。

 居間と寝室が兼用の1kルームなため、そこまで大きくはないため、部屋の中心にあるテーブルを挟んで向かい側に彼女がいる。

 雪羽は、先ほどの笑みとは違い、真剣な面持ちで話し始めた。

「佐久間さん。今後お金が必要という事で間違いはないんですか?」

 前置きなしに雪羽聞きにくい、あるいは言いにくいであろう質問を投げかけてくる。

 あっけにとられている彼を気にすることなく、雪羽そのまま言葉をつづけた。

「そこで、一時的にこちら、すべて私に預ける気はありませんか?もちろん私が買い取るという形で」

 何を言われているのかわからずに、彼女の指さすほうへと視線を向ける、そこには本棚があった。

 こちら? いったい何を言っているんだと思っていると。

「この素晴らしい嫁たちを、私が一時的に買い取るという事です」

「え?! いやいや、これ全部か?」

「はいぃ、50万でどうですか?」

 いうや否や、彼女は小さなポーチバックから茶封筒を出すと、机に静かに置いた。

「待ってください、流石にこれは駄目です」

「でも、コレ売ってしまう予定なんでしょ?」

 確かに先日、売るのを見越し、大手買取サイトや美少女ゲーム買取専門店の相場を全て調べていた。

 調べていて、彼は絶望に打ちひしがれていた。

 というのも、年代が古くなるにつれ、プレミア価格になっているもの以外は、まるでお金にはならず、どんなに計算して、ここにあるすべてを売りさばいても、234225円にしかならないと判明したのだ。

 今後、病院の通院費、生活費、家賃、そこからさらに飲食などでかかる諸々を考えるのであれば、それでも生きてくために売らねばならないとそう思っていた。

「このまま二束三文で売り飛ばして良いんですか?」

「や、それは」

 苦渋の決断を仕様と数日前に決め、目の前には助ける手を差し伸べてくれる人が居る、どうすればいいのか、幸一は何とも言えない気持ちになった。

「別に、あげませんよそのお金」

「え、どういう・・・」

「そのお金はあくまで貸します。で後で返してください。その代わりここにあるコレクションすべて私がお預かりします。いわば担保です」

 そう来たかぁ、と幸一は思った。

 担保とは、価値あるものを代償として、便宜を引き出す方法で、一般的には土地や家、これらを担保に入れ、金融機関からお金の便宜を引き出す方法で、その商品やモノに見合った便宜を図る事である。

「えっと、今すべてとか言ったか?」

「ええ、グッツ、抱き枕、すべて押収します」

 ああ、そうですよねぇ、そんなうまい話無いよねぇ。

 幸一は心の中で血の涙を流しながら、よく考えてみる。

 目の前には50万。現状働くのは無理。グッツやらすべて見積もっても恐らく50に届くことはなく、一度手放せば二度と戻ってくることはないだろう。

 首のヘルニアが治らないにせよ、現状よりは病状が落ち着いてから仕事をしていき、返せばいいが。返せなければ、おそらくこれらは彼女の手によって、何らかの方法で捌かれるのであろう。

「ひ、一つ聞きたい、なんでなんだ?」

 幸一としてはしご当たり前のことを雪羽に問いかけた。

「隣人だからよ」

「え・・・・」

「う~ん、教えにね、多くの人を助けることは不可能だ。でも自分の隣人や家族を愛しなさい。困っているならば、自分に助けるだけの力があるならば、せめて隣人を助けなさい。

 隣人を愛し、隣人を助け慈しみなさい。

 というのが、私たちの教えではあるのだけどぉ、まぁ一般の方々にはなかなか理解をされない思想であるのは認めます。

 ですが、私はこの嫁を、私の性欲のはけぐ・・・ではなく。救いたいのです」

「おいこら。本音が駄々洩れてんぞ」

 幸一がツッコミを入れると、視線をそらし、苦笑いを浮かべる。

「そもそもだ、自分で買いに行けばいいじゃないか」

「行けたら苦労しません!」

 両手を付けにたたきつけ、前のめりに幸一へとかを突き付ける雪羽。

 あまりの剣幕にたじろぐ幸一に、彼女は付け加える様に言った。

「通販で買えるものは良いんです。ですが、現役清楚系シスターがコミケやらイベントに行ったり、いかがわしい美少女グッツを持っていたら、後々大変なのです」

「あー、うん。なるほどぉ、それで今回目を付けたと」

「そうなんです、この嫁たちと、いかがわ・・・もといい。可愛い女の子たちに囲まれて過ごしたいのです。預かりものだという事であれば、とがめられた時にもいいわけができますし、これで私もご褒美でうへへへへ」

「担保とは・・・・」

 どうやら、幸一のためと言いつつも、彼女自身のためというめんがかなりの割合を占めているようだった。

 女性、小柄、幼い容姿。この3つがそろっているのだ、おそらく美少女ゲームを買おうとして止められたことも1回、2回ではないのであろうことを思い、幸一は目頭が熱くなる。

「そこ、同情しないで!」

「さぞ苦労されたのでしょうねぇ」

「やめてぇ、哀れまないでぇ」

 涙目になりながら訴えかけてくる彼女の悲痛な叫び、分からなくもないとは思いつつも幸一は、つまりこれはある意味で対等と言えるのだろうかと自問自答をしてみる。

 しかし、まぁすぐに結論は出るもので、現状の幸一に断るという選択肢のほうが難しい。

「ち、ちなみにだが。この金はどうした」

「え、ああ。普通にお給料とぉ、同人活動してるからその売り上げから」

「なんで同人やってて買えねぇだよ」

 思わずツッコミを入れる。

 それもそうだろう、幸一が言うように、同人をやっていれば、こういったグッツなどは仕入れたり手に入れることなど正直朝飯前と言えるぐらい、目と鼻の先で売り買いがされているのだから買えないわけがないのだ。

「建前と本音って知ってる?」

「あ、はい。すみませんでした」

 どうやら、本当に色々な意味で世間体を気にしているようだ。

「じゃぁ、良いのな。借りるぞ?!」

 半ばやけくそになりつつ、これで少なくてお1年は安泰であると、幸一は胸をなでおろしたが、彼女は当然のことを聞くのを忘れたというように、口を開いた。

「で、返すめどは?」

「それならまぁ、クライアントをまた一から探す羽目になったが、フリーライターに戻ればどうにかこうにかって感じかなぁ」

「何そのフリーライターって・・・儲かるの?」

「儲かる・・・はは、そんなわけないだろ、1文字単価0・5円が平均の世界だぞ。良いヤツは1・5から2はあるけど、そんなのまれだからなぁ」

 遠い目をしながら語る幸一は、この仕事が金にならないと身にしみてわかっていながらも、ほかに選択肢が無いと自分に言い聞かせた。

 質問した雪羽は、いまいちわからないというように小首をかしげている。

「つまり、1件いくらよ、時給として」

「2時間で1000円と思え」

「あー、うん、なるほどねぇ。大変だねぇ・・・・でもなんでそんな仕事?」

「俺はもともとライトノベル作家を目指していて、その過程…」

「え、君もなの、ならライバルじゃん!」

 わぁ嬉しい、こんなところに同業者ぁ。

 そう言いつつ、雪羽は幸一の手を掴み愛おしそうに包みながら、嬉しそうに微笑む。

 あまりにも素直できれいな笑顔に、幸一は顔が火照るのを自覚しながら目をそらす。

「そうなるとぉ、私の小説やっぱりちゃんと見てもらえる、知識はあるんでしょ?」

「まぁいいけど、こっちも金銭面で援助されるわけだし」

「まぁそうよぉねぇ。それにこんなに美少女ゲームもってるしねぇ」

 生暖かい瞳が幸一を捕らえ、一瞬早まったかなぁと思う。

「ただ、俺は官能小説は専門外だぞ」

「普段どんなの描いてるの?」

「ファンタジー小説、純愛系ラブストーリか、ラブコメ」

「うわ、意外とまともなの描いてるのかぁ、う~ん。今更だけど、私のエロエロの小説読めるの?」

「三十路すぎた男をなめるなよぉ」

「何それ、何がすごいかわからないけど、そのどや顔キモいですよ」

「その天使のような笑みでそういう事言わんでくれるか?」

「あららぁ、私の魅力にもう虜なのかしらぁ」

「本当にアンタシスターなのか疑わしくなるわ」

「おほめにあずかり、光栄です」

 こうして、幸一と雪羽の変な隣人関係が始まったのだった。



 第一話 賞・・・

 2020年1月、新型コロナウイルスが世界で流行をはじめ、ここ日本でも様々な影響が出始めた1月下旬、まだまだ日本は平和だったが、佐久間 幸一は平和とは言い難かった。



 1月25日午前9時30分 202号室。

「忘れていた。やらかした。どうすんだよ!」

 彼は頭を抱えていた。何にそんなに頭を抱えていたのかというと、ライトノベル作家を目指す人たちが年に数えるほどしかない賞。

 その中でも大型の募集は年に10件前後あるかどうかだというのに、彼はその賞が募集が始まり終わる、その終わり際6日前にして気がついたのである。

 自分自身の、環境の変化や病院への通い、隣人の変な官能小説の感想や、フリーライターとしてのクライアント探しなど、様々な事をしていてすっかり頭から抜け落ちていたのである。

 結果、募集要項を見て、絶望していた。

「10万文字・・・6日で書けと?!」

 やれるかどうかではなく、作家を、ライトノベル作家を目指すのであればどんな形であれ出さねばならい。

 そう、やらなければ意味が無いのだが、6日で10万文字書き上げるという事がどれだけ異様な、もといい異常な難しさをはらんでいるのか、彼は身をもって知っていた。

「だー。チクショー誰か助けてくれぇ」

 部屋で悲痛な叫びを吠えていると、机に置いてある携帯がピロリっと音を立てた。

 恐る恐る近づき、ロックを解除して中を見る。

「『うっさい。安眠の邪魔したらマリア様の元に連れてってあげる、ハート』」

「・・・・・」

 どうやら隣人の雪羽本日お休みらしく、家にいたらしい。

 幸一は先日、彼女との様々な契約を利害の一致で交わし、その時にLasutyという、無料メール通話アプリの連絡先の交換をしていた。

 小説の感想や、休みの日などで意見交換や、互いの向上心を図るためとの事だったが、主にこうして苦情に使われることもしばしある。

 先日は、幸一が手抜きでも美味しく食べられるスープカレーを作ってたら、お腹を空かせて帰宅した雪羽から。

「何このおいしそうな臭い、私のは?!」

 とLastyのアプリで文句を入れたかと思うと、すぐに部屋の呼び鈴を鳴らし、他借りに来る始末である。

 そして本日、幸一の悲痛な叫びは、見事隣人シスターに届いたというわけだった。

「と、とにかくかまってられない。書かなきゃ」

 そうは思うも、とっさに書けと言われ、白い紙とペンを渡されて、いったいどれだけの人間が無言で書き始めることができるだろうか。

 だが、幸一はそれができた。

「し、死んでたまるかぁ」

 変な事を言いながら机に座り、パソコンへと向かう、ワードを開き、文字数、体裁、段落を調整して、真っ白なページに無心で書き連ね始めた。

 ピーンポン、チャイムの音が鳴り、現実に引き戻される。

「おい、ふざけるな、この忙しいときに」

 独り言をつぶやきつつ、玄関に行き、来訪者の態様に向かう。

 ドアを開け、はい、どちら様・・・と言ったところで凍り付いた。

 髪が乱れ、ぼさぼさ頭の小柄な寝巻の少女が、親の形を見るような目で睨みつけながら、両腕をだらーんと前に垂らして立っていた。

「うるさい・・・・」

 いつもの清涼な声音ではなく、低く呻く様な声音が耳につく。

 まるでホラー映画に出てくる、井戸のお姉さんのように髪も乱れているものだから、よけいその異様さが際立つ。

「せっかくの私の休日を」

「あー、そのすみません、今超忙しいんでこれでぇ」

 ドアを閉めようと手をかけ、閉め始めて、すぐに雪羽の手が伸び静止させられた。

「う~ん・・・・」

 呻く様な声を出すと、そのまま幸一の横をすり抜け、なぜか幸一の部屋まで入り込み、そして布団へダイブ、そのままスヤスヤと寝息を立て始めた。

 あまりの出来事に啞然としながらも、これでとりあえず現状は適当に回避できたと心の中で安堵しながら、すぐに制作に取り掛からねばと、ドアを閉め、パソコンの前へ戻るが、すでに先ほど出来上がっていた頭の中の構図は、来客の衝撃で崩れ去り、アマの中ホラー一色におちいっていた。

「ぐぅぅぅぅぅ、このシスター」

 彼女が起きないように小声で睨みながら呟くが、彼女は幸せそうに寝息を立て、布団にくるまっていていた。



 隣人シスターが幸一の部屋に上がり込んでから2時間が経過し、幸一はなんとか集中しながら、登場人物紹介を終わらせ、冒頭を書き上げ、ちょうど半分きたところで、お昼を過ぎていることに気がついた。

 一度意識すると駄目で、腹の虫もなり、早く栄養をよこせと体が悲鳴を上げる。

「仕方ない、ごはんに・・・」

「すぅ、すぅ」

 ベットを見やり、ため息をつく。

 いくら疲れてるとはいえ昼だ、そろそろ起きても良いのではないだろうかと思いつつも、社会人なんてこんなもんだよなぁと、一人納得する。

 で、幸一は目が離せなくなる。

 雪羽が寝ていた布団が少しめくれ、上半身、胸の位置がくっきり見える形となっており、彼女が寝息を立てるたびに、身長と童顔に見合わない、2つの柔らかな膨らみがフワフワと彼女の寝間着越しに上下居ている。

「ぐぅ、め、目の毒だ」

 三十路すぎの彼女いない人間にとって、完全に嫌がらせだと思いながら、そそくさとその場を離れキッチンに行く。

 幸一は世間比率で言えば料理をするほうの人物で、よく自炊をしており、基本的に外食や、スーパーなどでのお惣菜には手を出さない。

「ああ、手抜きしたいなぁ。でもなぁ、あれだ、ベン・トー的な事すれば」

 ベン・トーとはかつてスーパーのお弁当を争奪戦のように描き、一世を風靡したライトノベルで、アニメ化もされている。

 半額弁当を食すことに命を懸けて戦う人たちの物語だ。

「・・・パスタにしよ」

 一瞬、あの熱い戦いが繰り広げられるバトルに参加を。などと妄想してみたものの、現実にそんな面白おかしい展開があるわけがないので、諦めて普通に料理を始める。

 幸一は慣れた手つきで調理をしていき、ケチャップを使ってソースをフライパンに作っていく。

 〆切6日前で時間も惜しいため、かなり手抜き感が否めないなぁともいつつも、食べられるぐらいの納得のいくナポリタンが完成した。

「いいにぉ~い」

 寝ぼけた顔で雪羽が起きだし、調理して、今まさに盛り付けをしようとする幸一の背後から声が聞こえた。

「起きたんか。食べるか?」

 試しにそう聞くと、彼女はまるで幼子の様に無邪気に。

「たべりゅ~」

 甘ったるい声でそう答え、思わず幸一はドキッとしてしまった。

 気のせいだ、何かの間違いだ。最近嫁(二次元)に癒されてないからだ。

 頃の中で無理やり納得をさせ、そそくさと盛り付けを2人分にする。

「持ってってくれ、洗っちまうから」

「え、フライパンは暑いまんま洗わないほうがいいよぉ」

「これは鉄製だから大丈夫だ」

「へぇ、ほいじゃもってくねぇ」

 雪羽心を躍らせながら、二人分のナポリタンをテーブルにもっていく。

 幸一も、まだ熱いうちにフライパンを洗ってしまわないと汚れが落ちにくくなる、と思いすぐに取り掛かり、さっさと片付ける。

「いただきま~す。わぁ、人が作るご飯だぁ」

「いただきます。そりゃそうだろ」

「うぅ~、おいしぃ」

「そりゃぁどうも」

「なんか淡白だよ、反応が。こんなかわいい女の子が嬉しそうにほうばってるのに」

「自分でかわいいとか言わないでくれ」

 ブーブーと文句を言いつも、幸せそうに食酢雪羽を見て、自然と幸一は頬が緩む。

「なんだよ・・・」

「おいしぃねぇ」

 雪羽はにやにやといやらしい笑みを浮かべつつ、幸一を見ながら食事をし、幸一もまた、なんともむず痒い気持ちになりつつ食事をした。

 食事を終え、紅茶を入れ、一息つく。

「で、何で襲ってくれなかったの?」

「ぶぅっ、ゲホゲホ」

 唐突に、雪羽は幸一にとんで爆弾をとおかしてきて、思わず口に含んでいた紅茶を吹き出しそうになり、慌てて飲み干すと、器官に入ってしまったのか、せき込んでしまう。

「うわ汚い」

「何を言いだすんですかアナタは」

「いや、こんなかわいい女の子が、ノーブラで寝間着のまんま君のお布団で寝てるんだよぉ、襲わない手はないよねぇ」

「ブラを付けろ!」

「えー、普通寝間着はブラなんて付けないよぉ、疲れるし。楽な格好で寝るのが普通だよねぇ」

「え、マジなの」

「女の子は、皆こんなだよぉ。理想いだきすぎじゃない?」

 た、確かに、家では楽な格好をする、これは誰もが共通していることだが、女性がブラを付けないのはそうなのか?

 男であるが故、幸一からしたら衝撃の事実であった。

「あ、なるほどぉ」

 そんな幸一の動揺を見て、雪羽は何かを納得したようで、目頭をぬぐいながら言葉をつづけた。

「アレだよね、佐久間さんは彼女今までいなかったもんね」

「おい、やめろ。そういうのやめろ。いたから、彼女はいたから!」

 幸一は必死にそういうが、ハイハイ、と言いながら雪羽はあしらいつつ、今もまた幸一の前で、にやにやしていた。

「咲宮さんは、無防備すぎますよね。独身男性の部屋で、ノーブラで寝るなんて」

「誰のせいで、私の安眠が妨害されたのかしらぁ?」

「いや、それはだなぁ」

「う~ん?」

 どうやら彼女は寝ているのを邪魔されるのがお嫌いなようで、顔はとても笑顔なのだが圧がすごく、押し黙ってしますほどの威圧感を感じる。

「それで、私の安眠妨害したんですから、まさか少しは進みましたよねぇ」

「誰かさんの小説よりはましな出来だと思いますよぉ」

「なにそれ、嫌味ですか?」

「いや、だってねぇ・・・あの濡れ場の酷い事」

 そう、ここ数日、賞がある事を忘れるぐらいに衝撃的な出来事と言えば、この隣人と知り合った事もそうなのだが、幸一としては、それ以上に彼女のもちこんできた観音小説に度肝を抜かれ、もう頭を抱えてうずくまりたいほどだった。

「いいじゃないですかぁ分かりやすくて」

「表現の仕方が問題だと言ってるんだ。なんだあの、あぁ、いい、良い。って状況説明が足りてないうえに、何が良いんだか分らんわ。後エロさが足りん」

「あああ、言ったぁ。言っちゃいけない事言ったぁ!」

「そもそも、なんでもっとこう、情緒あふれる、文学てきな表現ができないんだ」

 痛いところを突かれ、雪羽は言いよどむ。

 そう、彼女の小説は全体的に読みやすい、読みやすいのだが、表現が分かりやすすぎて、いまいち印象に残りずらく、また、幸一の言うように色気のような、雰囲気作りから行為に至るまでの流れがあまりにも乱雑なのである。

「万人受けを狙って何が良くないんですかぁ」

「読まれるのは基本的に大人だから、子供は観音小説読まないから難しい表現で良いんだよ」

 これが良いのか悪いのかは、幸一もはなりかねてるが、とりあえず納得ができないので反論捨て置くことにした。

「くぅ、そんなに言うなら、佐久間さんの小説を見てやるぅ!」

 言うが早いか、立ち上がるとそそくさと、パソコン用の椅子に座り、ドスンと腰掛ける。

 ノーブラなためか、彼女が激しく動くたび部屋着越しのラインがたフワフワと揺れ、それと同時に、中央の凹凸がチラチラと浮き彫りになったりするので慌てて目をそらす。

「おい、勝手に・・」

 ピーンポン、雪羽に退くように言うおうとした時、不意にチャイムが鳴り、来客を知らせる。

 この流れ、先日目の前のシスターが訪問した時と似ている。

「ああ、苦情かなぁこれ・・・」

「早くでないと大変かもよぉ」

「誰のせいだよ、誰の」

 先ほどの言い争いは割と二人とも声が出ていたので、十中八九そうだろうなぁと肩を落としながら来客の態様をするため玄関に向かい、ドアを開ける。

「あの、うるさくてすみま・・・せん?!」

 怒られるのが分かっていたため、幸一は謝罪の言葉を述べながらドアをあけ放つが、そこには制服姿の、いかにも文芸部です、という感じの、いわゆる地味な女の子がたっていた。

 髪はストレートで腰まであるのが印象的だが、前髪が今時珍しい横一直線にそろってる、まぁ昔良くいたなぁこんな娘、と思わせるような感じだった。

「あの・・・」

「え、あ、はい・・・・どちら様?」

 幸一がそう聞くと、彼女は指をスーと目の高さまで上げると、ゆっくりと動かし、203号室の扉を指さした。

 つまりお隣さんだという事なのだろうと、幸一はすぐに理解し、頭を下げた。

「うるさかったですよね。ごめんなさい。静かにしま・・・」

「だれぇ。あ、麻衣華ちゃんだ」

「あれ、雪はお姉ちゃん・・・ナンデ?」

 来客が気になったのか、雪羽が玄関口に顔出すと、来客と雪羽は知り合いなのか、双方違う反応を見せた。

「何してるの?」

「この冴えない三十路の人にぃ、私の小説を読んでもらって感想をね。でもこの人があんまり私の小説をけなすんで、今この人のを読んでるところぉ」

 雪羽が事情を説明していると、麻衣華と呼ばれた少女は、コクリコクリと頷きつつ、幸一をチラチラ見て、時折、残念そうな、何とも言えない顔をして、また視線を雪羽に戻し、首を縦に振る。

「私も・・・読む」

「え?!」

「はいはーい、1名様ごあんなぁい」

 はぁ? と幸一が呆けている間に、麻衣華は幸一の横をすたすた歩いて通り抜け、何の抵抗もなく、部屋に上がり込んだ。

 とうの家主は、なんなんだよこれ。と呆けるばかりであるが、不意に麻衣華が振り返り、幸一に。

「雪羽お姉ちゃんの小説・・・一言でいうとどうでした」

「酷い、特に濡れ場が」

 はっきりとそういうと、麻衣華は哀れみにも似た悲しい表情を幸一に向けつつ、しっかりと頷いたのであった。

「え、え?! ちょっと二人してなんで!」

 騒ぐ雪羽だったが、麻衣華の悲しい表情を見て、騒ぐのをやめた。

「二人はいったいどんな関係なんだ?」

 幸一は気になり、雪羽にそう聞くと。

「作者、読者だよ」

 自分を指さし、続いて麻衣華を指さす。

「麻衣華ちゃんだっけか・・・・辛かったなぁ」

「そうでもない・・・でも、おもしろくない」

 幸一がそう言って彼女の肩に手を置くと、彼女は抑揚のない声で、決定的一言を言い放った。

 あまりにはっきりと言うものだから、幸一も一瞬固まってしまった。

「うぅ、いつも手厳しいけど。今日は普段よりも手厳しい」

 眼がしらに涙がにじみ、悲しそうな表情をする雪羽だったが、そこに追い打ちをかける様に麻衣華が言い放つ。

「そう思うなら・・・読むほうの身にもなって」

 ごもっともである、読者がいる、作者がいる。

 でも、決してその2つは対等ではないし、読者が見放せば、作者がどれだけ面白い作品を書こうとも、読まれることは無くなってしまう。

 なので、作者は確かに自分が楽しいと思える作品を作らねばならないけど、それと同時に、読み手への配慮をないがしろにしてはいけないのだという事だ。

 現に、彼女の官能小説は、お世辞にも良いとは言えず、濡れ場に至っては、子供の作文並みに酷い。

 幸一も美少女ゲームをやったり、ライトノベルを書く手間、そっちの分野も一度読んだことがあるが、表現が豊かで、さらに難しい単語が多く、思わず引き込まれるものが多かった。

 それらと比べてしまうと、どうしても酷い、の言葉が似あうものだと理解してしまう。

「それでね、これが、私をいじめてる佐久間さんの小説だよぉ」

「あ、おい、勝手に・・・」

「・・・・え?!」

 幸一が何を勝手にと止めに入ろうとしたが、雪羽に遮られ、うまくいかず、また、雪羽がノーブラと知っていたので、下手に胸でも手が当たろうものなら大変だと思い、あまり強く出れずにいた。

 すると、小説の冒頭、タイトルと、製作者の名前が記載されてるページを見て、麻衣華ちゃんは目を見開き、パソコンにくぎ付けになった。

 幸一とパソコンを交互に見て。

「これ、お兄さんのペンネームですか?」

 女子高生にお兄さんと言われ、妙にむず痒く、お、おう、とぎこちなく答える幸一に。

「佐久間さん、キモイ」

 雪羽はそんな幸一の反応が気に食わなかったのか、訝しげに怪訝な顔をしながら、幸一に辛辣な一言を放った。

「なぁ酷くないかい、シスターならもう少し優しくしてくれない?」

「あらあらぁ、いけないんですよぉ、女子高生にお兄さんって言われて鼻の下のバスなんてぇ」

「丁寧に言えばいいってもんじゃないだろ!」

雪羽の言葉は相変わらずの辛辣で、ただ言葉を丁寧にしただけだった。

そんな夫婦漫才のようなやり取りを繰り広げる二人をよそに、麻衣華はまじまじとパソコンの中に書かれている作者名を見て、そのまま作品を読み始めてしまった。

「あ、おい、まだそれ冒頭しか書いてない」

「いい、読む」

 麻衣華は幸一に顔を向けると、まるで子供が新しいおもちゃを買ってもらったかのように目を輝かせ、一言だけそういうと、すぐにパソコンの画面に視線を向けた。

 もうワクワクして止まらず、すぐにでもその新しいおもちゃに飛びつきたい、そんな勢いだったので、何がどうなっているのかわからず、幸一は呆然としており、雪羽も、初めて見る彼女の反応に目を丸くし、驚いていた。

「なぁ、この娘。お隣みたいだけど、どういう娘なんだ。知り合いだろ?」

「え、ええ。でも、初めて見たかも、こんな麻衣華ちゃん。普段大人しいし、口数も少ないし、感情もあまり・・・あれ」

 不意に雪羽が小首をかしげ、何かひっかるといった表情をする。

「どうした?」

「いや、何か前に、一度だけお母さんと小説か何かで言い争いしてるのを見た気がぁ」

「ふぅ、終わった。ありがとうございます」

 雪羽が考え始め、あともう少しで何かわかる、と言いかけようとした時、読み終えた麻衣華がそういい、二人の意識は彼女へと注がれた。

「はや、内容薄いんじゃないのぉ」

「そんなことはないぞ、それに、まだ冒頭しか書いてないから、短くて当然だ」

 そう、まだ描き始めて2時間少々、冒頭しか書けていないのだから、物の5分もあれば読み終えてしまうのは当たり前と言えば当たり前である。

 からかい交じりにいう雪羽に、うざいなぁと思いつつ、幸一は麻衣華の言葉をまった。

「分からないけど。構成は面白い。できたら読みたい」

「あー、それなんだが、あと残り5日以内に10万文字以上でこの作品を完成させなくちゃいけなくてね。どうせそこに・・・」

「カクヨムですよね。待ってます」

 幸一の言葉を遮り、何やら興奮気味に麻衣華はそういい放つ。

 さっきまで口かづ少なく、おしとやかで清楚で、いうなれば日本の大和撫子のようなたたずまいと、物腰だったのに、急に興奮冷めやらぬという感じでいうものだから、幸一はたじろいだ。

「へぇ、なるほどぉ・・・・悪くはなさそうねぇ」

 麻衣華がパソコンの椅子から退き、こちらと話をしていると、そのすきを見計らって雪羽が椅子に腰かけ、冒頭を読んでいた。

「そろそろやらないと、間に合わないわよぉ」

「そう言うならそこをどいてくれませんか、淫乱シスターさん」

「あ、今言っちゃいけない事言ったぁ!」

「どうして淫乱なんです?」

 幸一と雪羽の言い合いが始まろうかとするとき、今のやり取りを見ていて麻衣華は小首をかしげながら二人に問いかける。

「え、ああ、私が部屋着でノーブラだから、この童貞三十路さんはムラムラしてしまってるんだよぉ」

「いい方、言い方考えようなぁ」

「そうなんですか、普通家だとノーブラでは? もしくはスポブラ」

 不意に女子高生から新たな単語が出てきたので22歳女性は、あれぇって顔をしながら、彼女に顔を向ける。

「す、スポブラって?」

 どうやら物を知らないらしく、額に汗を少しにじませながらそう聞くと、彼女はこともなげに。

「運動用・・・楽」

 そう言って制服をめくり上げ始めたので、雪羽は慌てて、幸一の顔面目掛けて近くに置いてあったものを投げつけ視界を遮るはずだったが、投げたものが良くなかった。

「あ・・・」

 ゴン、っという鈍い音ともに、彼の脳天に直撃し、彼は気絶したのだった。



「・・・・」

「まことに、申し訳ありませんでしたぁ」

 雪羽は、幸一に精一杯の謝罪と、土下座を披露していた。

「ねぇ、知ってるよねぇ。俺の病状・・・・死ぬよ?」

 流石に温厚な性格の幸一も、今回の事は肝が冷えたこともあり、隣人の悪ふざけ、で済ませるのはいささか無理があると思ったが。

「あの、ごめんなさい・・・・・私も原因」

 なぜかその横で同じように土下座をする女子高生がいたので、今すぐにでもつまみだしてやるという気にはなれなかった。

 スマホによる一撃を受けた幸一は、その場で脳震盪を起こし、気絶した。

 まさかこんなことになると思わず、動転した雪羽は、彼から病状も聞いていたためすぐに救急車を呼び、事なきを得たのである。

 幸い、強い衝撃が脳にうまい具合の振動を与えたことによる脳震盪で、それで気絶しただけという事。首のヘルニアには影響がないとの事を医師から説明され、安どする事となったのだが、さすにあやまらないわけにはいかず、こうして雪羽土下座をしていた。

 幸一は額のおでこをさすりつつ、言った。

「頼むぞマジで。あとその・・・・俺も悪かった」

 幸一は雪羽ではなく、麻衣華に頭を下げると、彼女はバツが悪そうにしていた。

「いえ、私が・・・考えなしに」

 流石に恥ずかしいのか、みるみる顔が高揚していくのが、白いうなじがほんのり赤く色ずくのを見て幸一は理解した。

「えー、とりあえず二人とも。頼むからあと5日、ほおっておいてほしい」

「はい」

「うん・・・」



 5日後、1月31日、金曜日 午前9時

 咲宮 雪羽は朝早くよりシスター服に身を包みながら、表札とにらめっこをしていた。

 手にはドラッグストアで様々な栄養ドリンクや、栄養食などを詰め込んだ袋をぶら下げ、唸っていた。

 金曜日、本日が〆切日という事もあり、雪羽は気になって幸一の家の前で袋片手に唸っていた。

 すると、203号室のドアがガチャリと空き、人が出てくる。

 緑のカーディガンを羽織、上は白のタートルネック、下は紺のフレアスカートという装いの麻衣華が出てきた。

「・・・おはようございます」

 全身を外の廊下に出し、雪羽の目の前まで来ると、スッと頭を下げお辞儀をしながら朝の挨拶をする。

「え、はい。おはようございま・・・・何してるの」

「うん・・・」

 麻衣華は幸一の部屋の前202号室の前に立つと、カーディガンのポケットからカギを取り出し、雪羽に見せ、そのまま202号室のドアノブに差し込んだ。

「え?!」

 何が起きてるのか理解できないでいると、彼女はそのままドアを開け、中に入って行こうとする。

 慌てて雪羽もあとにつづくが、なぜ彼女が202号室のカギを持っているのか、なぜすたすたとその中に入っていくのか。

 状況が呑み込めず、パニックになりながら、あとにつづく。

 部屋は暗く、どうやら家主は寝ているようだ。

 相当徹夜でもして、朝方にでも寝たのだろう、そう雪羽が思っていると、麻衣華はすたすたと歩いていき、閉め切られていたカーテンをガッと、勢いよく開け放ち、それから布団にくるまっているであろう幸一めがけて。

「起きないと、間に合わずに死にますよ」

 静香だけどはっきりとした、耳に良く届く声でそうつぶやく。

「・・・・」

 まったく反応見せない幸一に、麻衣華は何を思ったのか、パソコンがスリープモードになっていたのを知ってか知らずか、少し動かし、何か操作をし始め、何かのボタンを押す。

 スピーカーらしきもののダイアルを右に回し、音量を上げたような動作をした後、雪羽のほうを向き。

「耳、ふさいでください」

「は、いったい何を・・・・」

 麻衣華はあらかじめ用意していたのか、カーディガンのポケットに手を突っ込むと、何やら小さいスポンジのようなものを取り出すと、それを両耳に一つづつ入れ、再度雪羽に視線を向ける。

 視線を向けられ、慌てて耳に両手を当て、一様言われたとおりに耳をふさぐ雪羽を確認した麻衣華は、満足そうに微笑むと、カチっとマウスのボタンを押した。

 次の瞬間音楽が流れだしているが、言うほどうるさくはない。

 さらにマウスを麻衣華が操作し、画面上にゲームでいう所のコンフィグ画面から、通常画面に戻ったが、そこにはとんでもないものが映し出されていた。

 シスター服を着た女性が、頬を赤く染め、恥じらう姿が画面上に映し出され、さらにどう考えてもこの後が展開できるであろう状態にもかかわらず、麻衣華は無言でオート再生ボタンを押した。

 すると、スピーカーからは音楽とは比べ物にならない大音量とで、しめやかな色っぽい声音が部屋全体を震撼させた。

「ちょっ、麻衣華ちゃん、何して!」

 止める間もなく再生したものだから、桃色の声が雪羽の声を遮り、彼女には届いていなかった。

「『ああ、もぉっとぉ、もっとしてぇ!』」

 そうこうしている間に、さらに激しいシーンへと突入するかという所で。

「ぎああああああああああ、何してんだああああああああ!」

 慌てて目を覚ました幸一が、顔を真っ赤にして麻衣華を押しのけ、すぐにゲームを閉じ、音量を戻す。

 そら起きないほうがどうかしている、と雪羽は思いながら、麻衣華に視線を向けると、彼女は満足そうに満面の笑みを浮かべながら幸一を見ていた。

「ナニコレ・・・」

 あまりの衝撃展開に、雪羽は何が何やらという感じで思わず口をついて出た言葉がそれだった。

「ま、遠見さん家の麻衣華ちゃん」

「はい、遠見さん家の麻衣華です・・・」

 麻衣華ちゃんはと言えば、何事もなかったかのように幸一の態様をしていた。

 幸一はと言えば、今にも激怒しそうな感じで、こめかみがぴくぴくと動いてた。

「起こしてほしいとは頼んだけど、ナニコレ!」

「起こしました。でも起きないので。お兄さんが大好きなシスターさんのいやらしい声なら起きるかと思って」

「何を考えてるんだ君は!」

「お兄さん、シスター大好きでしょ?」

「いや好きだけど、そういう話じゃ」

「雪羽お姉ちゃんも大好きでしょ?」

「好きとかではない!」

「はぁ?!」

 そこで初めて、幸一は麻衣華とは別の人間が部屋にいる事に気がつき、声のしたほうへと視線を向ける。

 そこには修道女の清楚な格好をした雪羽が、仁王立ちして、幸一に鋭い視線を送っていた。

「ふぅ~ん、へぇ~、ほぉ」

「あの、咲宮さん・・・ナゼコノヘヤニ?」

「誰かさんが修羅場だろうと思ってぇ、心配になってきてみたんですけどぉ、なんかお隣の大和なでしこにぃ、激しく起こされてましてぇ」

「いや、チガ、これはだなぁ」

 わざと間延びした口調で雪羽は話、幸一をけん制する。

 最初からいたことを知らず、慌てふためく幸一をほおっておいて、雪羽は麻衣華に視線を向けると、屈託のない笑みを浮かべ綺麗に微笑み返してきた。

 どうやら確信犯のようだと思い、はぁ、と雪羽ため息をつく。

「はいこれ、今日でしょ、〆切」

「え、いやこれはさすがに」

「隣人だし、同じクリエーター、作家として、辛さは分かるからせめてこれぐらいはさせて」

「いや、もう十分色々してもらってるのにそれは」

 そう言い受け取るのを拒否しようとした幸一だったが、時間が惜しい事に気がつき、押し問答の前にやらねばと思い、素直に受け取り、パソコンの前へと行く。

 麻衣華は満足げな笑みを浮かべ、まるで自分の役割は終わったと言わんばかりに、そのまま部屋を後にするためか、すぐに玄関へと向かうが。

「ちょっと待ったぁ」

「うぅ・・・痛いです」

 雪羽は自分の横をすり抜け、そのまま何食わぬ顔で立ち去ろうとする麻衣華の腕をつかむ。

 勢いよくつかんだためか、思いのほか力が入ってしまっていたらしく、痛がる彼女に謝罪をし、どういう事か尋ねた。

「どういうことなの?」

「頼まれたんです。そこのシスター大好きさんに」

「頼まれた・・・・・」

 麻衣華はそう言って幸一に目を向ける、すでに作業に取り掛かっているらしく、すごい形相ととんでもないスピードでキーボードが叩かれ、モニターに映っている白い画面にあれよあれよという間に文字が連ねられていく。

 雪羽は初めて彼の作業姿を見たが、鬼気迫るとはまさにこのことを言っても間違いではないだろうというぐらいのスピードで書かれていく。

 自分がいかにゆったり書いているのかという事を思い知らされると同時に、この人は本気で今日中に原稿を上げるつもりなのだろうと思った。

「うん・・・・」

 何に納得したのかわからないが、麻衣華はうれしそうにうなずくと、その場を後にした。

 雪羽も、10時からお勤めがあるのだと思いだし、その場を後にするのだった。



 間に合う、それは間違いではない、しかし、自分が求めているものがかけているのか、何か間違ってはいないか。

 読んだ人が楽しい思いを、心に残る物語をかけているのだろうか。

 佐久間 幸一の脳裏には、キャラクターたちのセリフや、その場の情景、信教の一つ一つを書き連ねながら、頭の片隅でそんな思いがいつも張り付いており、それと同時に恐怖を感じていた。

 読んだ人が、クソつまらなかった、というかもしれない、それどころか、読んだにもかかわらず何の反応も示してくれないかもしれない。

 常に彼の頭はそれに支配されつつ、物語を書いていたはずだった。

「・・・・」

 しかし、今回は〆切まで6日しかなく、また、そこにさけるだけの頭の容量はすでに無い。

 頭をフル回転し、セリフ、立ち位置、ラストまでの流れ、力を入れてねい入りに書き連ねたい部分。

 さらには、キャラクターの性格やしぐさ、セリフの癖なんかもすべて頭の中でくみ上げて、そのまま文字にしていく。

 普通であれば、ブロット作成などを行い、キャラクターの特徴、何を主体とし、どういう結末に向けてどういう形でキャラクターを動かしていくのか。

 最終的な結末と、それにかかる時間と修正など、本来であれば段階を踏み、丁寧に作るのがセオリーではある。

 そして何よりも重要な、作品のテーマ。というのがあるだろう。

 しかし、これらすべてを丁寧に行っている時間はすでに無く、頭で構成し、そのまま打ち出す以外に原稿を間に合わせるすべが彼にはなかった。

 よって、いつも考える、楽しんでくれるかなぁだの、良い作品がかけているかだのと言った、誰もがいだく感情はなく、ただただ、ひたすらにキーボードを打ち続けていた。

 ぐぅ~。

 どんな時でも人間腹はすくもので、彼とて例外ではなかった、だが、先ほど雪羽から頂いた差し入れとやらが目に留まり、彼はすぐにそれをあさる。

「何買ってくれたんだ・・・おいおい、何この人、エスパーなの?」

 幸一は、カロリーメイトと栄養ドリンクとドクペがあればいいなぁとか、思って袋をがさアサリすると。

 それらすべてが出てきただけでなく、カロリーメイトに至っては、フルーツ味、プレーン、チョコレートの3点セットである。

「神か、あのシスター神なのか!」

 数日間の徹夜で支離滅裂で、文学科としては安易に使ってはならないであろう単語を適当に呟き感動する。

「ああ、シスター最高ー」

 おそらく雪羽が聞いたらドン引きされるであろう事を呟きながら、カロリーメイトを開封し、ドクペを開ける。

 カシャリ、ジュァア、という炭酸の缶ジュースならではの音を楽しみながら、その甘く黒い液体を、乾き、疲れた体に流し込んだ。

「ぐぅぅぅ、これだよ。生き返るぅ」

 とても外でこの顔をしてはいけないというような、至福に満ち足りた顔で天井を仰ぎ見る。

 次に、カロリーメイト(フルーツ味)を開け口に含む。

 クッキーのパサリとした触感の中に、様々なフルーツの甘さが溶け込み、深い味わいを生み出しており、これぞまさにバランス栄養食にふさわしい食べ物だと体が訴えかけてくる。

「う、うまぃ、徹夜はこれが必須だよなぁ」

 今にも泣きだしそうなほど感動しながら、わずか2分の至福を堪能し、パソコンに目を向ける。

 現在進行比率は97パー程度、9万8千文字は越えているが、どうにもクライマックスの戦闘と、その後の落ちが出てこない。

 締め切りまであと6時間、時刻はもう午後の18時を示していた。

「ちょっとまずいなぁ」

 ラストが決まらず、ここで止まったのも実はカロリーメイトなどにてお出した理由だった。

 その時だ、玄関の施錠が解除される音がし、ドアが開く。

 ひょっこりと、麻衣華、雪羽がうかがうように顔を出すので、幸一は玄関に向かって声をかけた。

「おお、今ちょうど休憩中だぁ」

 幸一が声をかけると、なぁんだぁという感じに二人が遠慮なしに玄関をあがり、部屋に入ってくる。

「二人とも遠慮がなくなってきたな・・・・」

「入っていいって言った・・・・」

「そうですよぉ、何言ってるんですかぁ」

 二人そろってそんな事を言うものだから、思わずため息がこぼれる幸一。

「進捗はどんな感じですか?」

 雪羽が、少し疲れた顔でそう聞きながらソファーに腰かける。

「後はラストを書き上げれば、仕上がりだ。3時間もあれば終わるだろう。それより大丈夫か?」

 天所を仰ぎ見ながら、疲れたアピールをする雪羽に、思わず心配そうに幸一はそう聞くが、手をパタパタし、お構いなぁくぅ、とかいう。

「俺の部屋なんだけど・・・・麻衣華ちゃんもごめんね。朝起こしてもらったり、いろいろ気にかけてもらっちゃって」

「いい・・・新作楽しみだから」

 本当に楽しみなようで、もうワクワクが止まらないというように、部屋に入ってきてから妙に落ち着かないように、麻衣華は辺りをきょろきょろ見渡していた。

「それでだ、二人に聞きたいことが・・あるの・・だが」

「すぅ、すぅ」

 ソファーに腰かけ、天井を仰ぎ見ていた雪羽が、疲れ切っていたのか、眠ってしまった。

 すかさず、ゆっくりと麻衣華が横に倒し、ソファーに寝かせ、その上から毛布をそそくさと掛けてあげる。

 こいつは俺の部屋に寝に来てるのか?

 そう思いながらも、そんなに疲れてるのに気にかけて訪問してくれたことに感謝である。

「何が聞きたいの?」

 どうやら先ほどの幸一の言葉をしっかり聞いていたらしく、雪羽の世話が終わると、麻衣華は幸一にそう切り出した。

「ラストをハッピーにするか、バットにするかという話なのだ・・・が。なんで耳ふさいでるの?」

 幸一が深刻な顔で切り出した話を、麻衣華は最後まで聞く前に両耳を両手でふさぎ、きりっとした表情で幸一を睨む。

「ネタバレ・・・ダメ絶対」

「ああ、なるほど」

 気持ちは分かる、いくら完成まじかとは言え、彼女にとってはネタバレになってしまう話だ。

 ましてや、この後読んでくれるらしいと幸一は確信していたため、よけい悪い事をしたと思い、すまんと両手を顔の前で合わせ誤る。

 すると、少し怒っているものの、両耳を抑えるのをやめ、麻衣華は普通に佇まいを整える。

「楽しみ、頑張って」

「おう。任せとけ!」

「ご飯は?」

「あー、食べてる時間おしくて、今カロリーメイトで済ませたんで、とりあえずいいかなぁ」

「分かった。じゃぁ、何かあったらLastyで連絡して」

「何から何まで悪いね」

「いい・・・これどうする?」

 そう言って立ち上がりながら帰ろうとする麻衣華だったが、雪羽を見て、どうするのか尋ねてきた。

「そのまま寝かせてあげてくれ。社会人は大変なんだ」

「うん・・・じゃぁ、お邪魔しました」

 素直にうなずくと、麻衣華は玄関へと歩みを進め、靴を履き出て行った。

 ついでに律義にも施錠する音が聞こえた

 どうやら彼女が玄関のカギを出て閉めたらしい。

「さぁて、やるかぁ」

 あんな可愛い女の子に、頑張って。期待してる。

 そんな言葉をかけられたら、男としてはがぜんやる気が出てくるというもので、それは幸一とて例外ではなく、先ほどよりもやる気に満ち溢れながら、再度パソコンへと体を向け、作業に取り掛かったのだった。



 咲宮 雪羽は眠っていた。

 正確には眠っているふりをしていた。

 先ほど幸一の元を麻衣華と訪れ、二人で面倒を見ようかなぁと思っていたところ、わりと元気そうでやる気もあったので、寝てしまおうかなぁ、と思い目をつむって寝息を立てては見たものの、寝付けなかった。

 というのも、そそくさと麻衣華が雪羽の世話をしているとき、ふいに気になり幸一の様子を薄目で眺めていたのだ。

 するとどうだろう、何とも言えない優しい瞳で麻衣華を見ているではないか、シスター好きで、三十路すぎの男が、大好きな現役生シスターを差し置いて、結局は清楚系上司構成に目を奪われていたのだ。

 そう思うと、このまま狸寝入りして居座ってやろうという気持ちが沸々と沸き上がり、結果、雪羽は一人毛布にくるまりながら、なんとなく背を向けて一生懸命にパソコンの画面に向き合い作業する男の後姿を拝むこととなった。

(なんだろこれ、まだ知り合って1ヶ月程度の人なのに、なんかすごく居心地が良いんだよなぁ)

 今まで、聖職者という職業柄、人にやさしく自分に厳しく、幸せは他人と分け合い、困っている人が居たら助けるのがあたりまえ。

 さらに言えば、世間体もあり、自分の趣味嗜好が割と桃色な事もあり、ずっと内に秘めていたのだ。

 だが最近はどうだろう、彼と出会い、会話をするときは遠慮がなく、自分の趣味嗜好を共有できるし、楽しく話せるのだ。

 隣人を助ける、ついでに、自分の趣味の少し卑猥な表現のあるゲームやアニメ、それらのグッツを借りとは言え、手元における喜び、これだけで私の心は最近ではとても軽く、仕事も前以上に順調で、さらに言えば、作品作りにも力が入っている。

 ここ最近、彼と出会う前までは作品作りへの意欲が薄れていて、私なんのために生きてるんだろう状態だったため、この出会いはすごく彼女にとって大きな変化となった。

(神よ、わたくしは、良き隣人となれているのでしょうか)

 自問自答するように、祈るように布団にくるまりながら、雪羽そんな事を思いつつ、ゆっくりと窓路のみの中へと意識を沈ませていった。



 2話 作品作りの練習とは

 4月2日、8時54分、202号室佐久間部屋

 がチャ、キィー。バタン。

 鉄の扉の施錠が解除され、開け鼻たれ、閉まる音が響く。

 しかし家主である佐久間 幸一は起きる事もなく、また幸一が出かけたわけでもなかった。

 幸一は数日前からのクライアントの無茶ぶりで連日連夜、苦戦を強いられながら納品の原稿を仕上げ、昨晩2時に就寝したため、今も夢の中だった。

 幸一の癖なのか、彼はパソコンをよくスリープモードにしてそのまま寝る癖があり、特にロックもかかっていなかったため、誰かが少し動かせばパソコンを触ることは容易だった。

 来訪者は、ゆっくりとパソコンの椅子に腰かけると、ヘットフォンを耳につけ、スピーカーに線を差し、パソコンを起動。

 マウスを操作し、とあるアイコンへとカーソルをもっていく。

(聖職者の優しい懺悔室)そんなタイトルのショットカットキーをクリックし、起動させる。

 ゲームが起動し、画面にはタイトスカートやミニスカートの修道女がかわいらしく微笑む画面が写る、セーブデーターを呼び出し、プレイを開始する。

 物語はすでに終盤で、ヒロインの女の子と主人公がくんずほぐれつの元気なプロレスごっこ中のシーンが流れ始め、来訪者は真剣な顔で文章を読みながら、耳元から聞こえる色欲の色の濃い声音を聴きつつ、世界観に浸っていた。

 1時間ほどプレイをし、セーブをしてゲームのプレイの痕跡を消す。

 すると来訪者はおもむろに立ち上がり、カーテンを開け放て、寝ているであろう、幸一の布団をはぎ取った。

「起きて・・・朝」

 小さくもはっきりとした口調で朝を告げる声、それと同時に、来客を知らせる呼び鈴が音を立てる。

 時刻9時55分で、おそらく来客は隣人のシスターであることは彼女、遠見 麻衣華にはわかっていた。

 最近のカノジョの日課は、幸一が寝ているすきに彼の部屋に侵入し、卑猥なゲームをこっそりやり見聞を広める事だった。

 今年で18になるし、問題ないと思った彼女は、なぜか春休みに入ってからのここ2週間余りこの行動をとっていた。

 もちろん、幸一にはバレていない。

「おはよぉ、もう来てたの麻衣華ちゃん?」

「はい、起こさないといけないので」

「今日はなんだっけ。具体的な作品の作り方だっけ?」

「うん・・・・」

 淡いピンクのセルフベストドレスに身を包み、春を感じさせるコーデで雪羽はすたすたと、部屋に上がり込んできた。

「雪羽お姉ちゃん、かわいい」

「ああこれ、良いの見つけたんだよぉ。2980だったんだよぉ」

 テンションが高く踊るようにくるりと一回りする。

 スカートがふわりと舞い上がり、場が華やかになる。

 そんな女性陣とは打って変わって、この家の家主、幸一はのっそりと眠そうに瞼をこすりながら起き上がった。

「騒がしな・・・ふぁ~ん」

「今日は勉強会ですよお兄さん」

 そう言われ、そう言えばそんな日だったと思いだし、幸一は起き上がる、

 1月の〆切騒動からはや3ヶ月、第一選考を突破した幸一ではあったが、続く第2で落とされるかもしれないとの危惧から、より良い作品を作るために、互いの悪い部分などをお互いにお題を出し、練習してより良い作品作りにつなげよう。

 という話がなんとなしに持ち上がり、本日4月2日に第1回、勉強会が開かれることとなったのだった。

 各自自分以外の2人に対してのお題を考え、お題を与えられた本人は、そのお題2つ分の短編小説を作成し、それぞれのお題を上げた人物に渡し、採点をしてもらう、という形式で行うと昨日決まり、麻衣華と雪羽はそれぞれ、お題を考え本日この場に足を運んだのである。

 幸一は身支度を整えるため、一度部屋から出て行く。

「でも、麻衣華ちゃんもやるの、これ?」

「昨日もLastyで説明しましたが、より多くの物語を書き、意見や感想を求める事で、さらなる作品の向上につながる。という事らしいです」

 そう、麻衣華の言う向上するらしい、というのは文字どうり受け売りで、その受け売りというのが、麻衣華の母であり、現在出版社に勤めて編集長をしている遠見 華浦からの言葉だった。

 なぜこのような話になったのかというと・・・・。




 4月1日午後19時23分 203号室 遠見家

 本日は久しぶりに母親である華浦が定時で帰宅し、遠見家は二人そろっての夕食の時間となっていた。

 この二人、普段から会話という会話はなく、ただ黙って食事をすることが多いのだが今日は違った。

「マーちゃん、いつもの作家さんだけどさぁ。今作どう思ってんの?」

「え・・・う~ん、面白かったけど、何となく物足りなさはあったかなぁ。でもでも、ラストのシーンはアレすごかったなぁ」

 麻衣華は好きな作家の話になると、いつもの口数が少なく大人しい印象とは打って変わり、お宅などに特有の、声音が大きくなり早口になる典型的なタイプだった。

 この時も例外ではなく、少し早口で、興奮気味だったが、母はいつもの事なので慣れたもので、特に驚いた様子もなく。

「え~、あそこはヒロインの女の子が身を挺して主人公を守って、その痛ましさと悲しさから覚醒してラスボス倒すところだろ?!」

「違う違う、それだとありきたりすぎて、感動がないし、今まで地道に積み重ねてきた主人公の修行やら旅の目的が・・・・」

 華浦は編集長として隅々まで読み意見を。

 麻衣華は純粋なファンとして、一読者としての意見をぶつけていく。

「だいたい、何でラスボスが自分の肉親なんだよ。アレだとただの悲劇の主人公じゃん」

「そこが良いんじゃない、苦労して旅をして、世界の危機の原因が自分の肉親だった。そこで主人公は選択を迫られる。どこが悪いの?!」

「流れは悪くないんだぞ、でも親だよ。勝てるわけないじゃない」

「そんなのやってみないと分からないじゃない!」

「ほぉ、なるほどぉ、つまりこう言いたいのか、努力して苦労してつかみ取った力なら親にも勝てる、だから主人公たちの選択と冒険には意味があると?!」

 どんどんと論戦がヒートアップしていく。

 華浦は矛盾点やおかしな部分、ここはこの帆が面白いなどを言い、麻衣華は作品の良さ、矛盾点や展開のすばらしさを話して聞かせていく。

 どちらの意見もわかるし、どちらの意見も間違ってると言える。

 物語を書くうえで大切な事は、絶対はなく、10人いたら10人の結末と、考えが存在するので、彼女たちのやっていることはいわばすり合わせ、どういう形がより面白いのかという話をしているのだ。

「あれだっけ、お隣さんだっけ作者」

「そ、そうだよ・・・・」

「最近よく出入りしてるよねぇ、201の官能小説大好き。煩悩シスターさんと一緒に」

 雪羽はすでに華浦の中では、煩悩シスターという位置づけらしく、そういう。

 何か言い知れぬ不安を感じ、麻衣華がこの話を切り上げようか悩んでいると。

「そこまで言うならさぁ、お題を出せばさぞ素晴らしい短編小説を書けるんだよねぇお隣さん」

「え、いや、それはぁ・・・・」

「えぇ、できないんだぁ、残念だなぁ、マーちゃんがそんなに押すんだからさぞすごい人なんだと思ったんだけどなぁ」

「や、やれる。できるもん!」

 年相応に、喚き散らす麻衣華、に対し、してやったりという顔をしつつ、華浦は不敵な笑みを浮かべていた。

 しまったと、思った時にはもう遅く、一度言ったからにはやるしかない。

「そ、それで、期限はいつまでですか?」

「う~ん、私も新人研修やらに駆り出されたり、少し忙しい時期だからなぁ・・・5月1日までの1カ月間、何作品書いてもいいが、私が読むのはそれぞれ1つずつだけだ」

 華浦はそう言い、麻衣華は分かったわ。と言って当事者の雪羽と幸一を蚊帳の外に置いたまま話は進んでしまったのであった。

 その日のうちに麻衣華から、謝罪と、こう言った事情で二人に短編小説を書いてほしいとの話があり、二人は、まぁプロの編集に読んでもらえるならと二言返事で承諾したのであった。




「それはそれとして、麻衣華ちゃんまで書くのはなんで?」

「あ、それは俺も気になったかも」

 そう、お題を出しあい、それに沿って物語を構築し、短編小説を書くだけならば、麻衣華は参加する必要性は全くなかった。

 だが彼女は。

「私が言い出したことなので、付き合わせてください」

 覚悟に満ちた表情に、これ以上言うのも野暮だろうと思ったら雪羽と幸一は、納得して話しをお題に戻した。

「まず俺から。咲宮さんは普段から恋愛、官能小説を専門として書いてるので、ファンタジーを題材とした冒険ものでお願いします」

「な、なるほどぉ・・・分かったわ、やってみる」

「遠見さんは、ほのぼの日常系のギャグをお願いします」

 幸一がそういうと、なぜそのジャンルなのだろうと思い、麻衣華が小首をかしげている。

 雪羽も不思議に思ったらしく、理由を尋ねてくるので、幸一はこたえた。

「そらあれよ、俺のファンという事は、ギャグ系に特化した小説を読んではいなと思ったのでそうした」

「あー、なるほどぉ。自分が書いてないジャンルを選択したわけか」

「うん・・・・確かにあまり好まないジャンル」

 幸一の読みは当たったらしく、麻衣華自身も好むジャンルではなかったらしい。

「じゃ、今度は私ですね。幸一さんにはホラーを書いていただきます」

「おお、とんでもないところが来たなぁ」

 ホラー、ミステリーのジャンルは、どれだけ恐怖や、おどろおどろしさ、謎解き、その独特の世界観にどれだけ引き込めるかが重要になるジャンルだ。

 どのジャンルでもそうではあるのだが、このホラーミステリーは特にこの、恐怖と謎解き、雰囲気作りが大変中になる。

「麻衣華ちゃんには、官能小説を書いてもらいます」

「え?!」

「は、何言いだすんだお前は!」

 雪羽のあまりのジャンル選別に、麻衣華は硬直し、幸一は慌てて止めに入る。

「ちっちっち、お二人さん、私が考えなしにこのジャンルを選択したと思っているのかい?!」

「うん」

「おお」

 二人そろって同意し、いかに雪羽が普段どう二人に見られているのかわかるぐらい、二人ともほぼ同時にうなずいた。

「ふ、二人ともぉ、わたくし、そんなにいつも煩悩まみれじゃないわよぉ」

 半泣きになりながら二人に詰め寄ってくるので、さっさと話を進めてくれと幸一が促す。

「あのね、麻衣華ちゃんも今年で高校生を卒業するでしょ。だからね、貞操も・・・」

「あほか!」

「女の子にとっては大切な事なのよ!」

「恥じらいを持て。ちっとは考えろ」

「考えたわよ、18歳にもなればR18の映画とか、ビデオが借りられるのよ。大人なのよ!?」

 言っている意味は分かってるが、幸一としてはその事と、彼女に官能小説を書かせる意味が全くつながらないのである。

 官能小説というジャンルは、いわば文章でどれだけ豊かな表現をし、読み手に濡れ場をより鮮明にリアルに生々しく伝えることができるのか、そして何より、人間の欲望をどれだけ忠実に書き上げることができるのかもとても重要となってくるジャンルで、文章に自信がある人間でもない限りおいそれと手を出そうとはしないジャンルである。

 なので、今回初めて小説、短編とは書くという事であればハードルがあまりにも高すぎるのだ。

「やる・・・・」

 少し考えるそぶりをしていたが、すぐに決意のこもった声音ではっきりと麻衣華はそういった。

「え?! いやいや、分かるでしょ、難しいんだよ普通に」

「だからやってみたい。初めて書くのが難しければ、ほかのジャンルを書くときに楽かもしれない」

 なるほど、逆転の発想というやつか、と納得しかけた幸一だったが、そこで納得してしまってはいけない気がしたが、本人のやる気に水を差すのも違う気がしたので、幸一は渋々だが了承する事とした。

「最後、私・・・・お兄さんは官能小説を、お姉ちゃんは異世界転生ものを」

「え、俺官能小説書かされるの?!」

 うん、とハッキリ頷き、異論は認めないという力強い目で幸一を見る麻衣華に何か言い知れぬ圧を感じた幸一は、大人しく同意するしかなかった。

 こうして、三者三葉に書く物語のジャンルが決まった。

 幸一は、官能小説とホラー。

 雪羽は、ファンタジーと異世界転生もの。

 麻衣華は 官能小説と日常系ギャグ。

 こうして改めてそれぞれが書く短編小説のジャンルを見てると、官能小説が二つ存在するのはなぜなのかと思わなくもない幸一だった。

 だが、それぞれの読んでいるジャンルや、実力向上などを図るのであれば悪くない振り合わけではないかと思う。

 こうして、3人はそれぞれの〆切を1週間後と定め、解散したのだった。



 4月9日土曜日 午前10時2分202号室

 1週間後、それぞれ、苦悩しつつ、だろうかは分からないが、それぞれ指定されたジャンルで短編小説を書き上げてきた。

 三者三葉、かなり疲労しているのだろうか、目の下に熊が出て来ていた。

 なれない事をすれば疲労はたまるのだが、思った以上に疲弊していた。

「とりあえず、お題を出した本人に小説を渡す形で」

 幸一がそう言い、それぞれ持ち寄った短編小説を渡す。

 幸一は、雪羽のファンタジーと麻衣華の日常系ギャグを受け取り。

 雪羽は、麻衣華から官能小説、幸一からホラーを受け取る。

 麻衣華は、官能小説を幸一から、異世界転生ものを雪羽から受け取る

 三人とも、それぞれのお題を出したジャンルを受け取り、読み始める。

 パラパラと紙がめくれる音が室内に静かに響き、各自読んでる中で、うぅ、だとか、ふぅ、だとかよいしょよいしょで反応は示すものの、大きく動揺したりすることなく静かに時間が過ぎた。

 持ち寄ってから2時間が経過し、それぞれに読み終わったときにはお昼に差し掛かろうという時間だった。

「どうする、それぞれもう感想言いあう感じで良いのか?」

 幸一がそう促すけど。

「ご飯食べてからにしてはどうかしら?」

 雪羽の問いかけに、麻衣華と幸一は、そのほうが良いかもしれないと苦笑いを浮かべながら同意した。

「あ、それなら、私が修道院直伝のパスタを作ろうじゃないですか!」

 おお、と言いながら二人はパチパチと拍手をし、感動の声を上げる。

「わたし、手伝う」

「麻衣華ちゃんも座ってて」

「でも・・・・」

「たぶん邪魔になるから・・・・」

 どういう意味なのだろうか、幸一は一抹の不安を抱えながらそのやり取りを聞いていた。

「ねぇ、冷蔵庫の物使っていいよねぇ?」

「お好きにどうぞぉ・・・・壊すなよ・・」

「壊さないわよ!」

 失礼してしまうわねぇと言いながらてきぱきと雪羽は準備をし始める。

 フライパンと、大きなお鍋を用意し、調理を開始するのを見て、まぁ大丈夫だろうと幸一は思いながら、麻衣華を見る。

 そう言えば、この娘とゆっくり話をしたことはなかった気がして、何を話したらいいのか考えていると、彼女のほうから話しかけてきた。

「お兄さんは、もう15年ぐらい書き続けてますよね」

「あ、ああ。でもよく知ってるね、15年も書いてるなんて・・・」


 そこでふと不思議な事に気がつく、15年前と言えば、まだネットの復旧も始まったばかりで、ネット小説サイトは今ほどメジャーではなかった。

 もちろん幸一もネットは書いておらず、紙媒体で、出版社に送り付けていただけなので、それこそ、そのころから活動していたなんて知っている人間は身内か知人だけだった。

「お母さんが、持ってきてくれて」

「おい、騙取・・・持ってきたって言っても。そんなに読めるものではなかったんじゃないか?」

 首を横に振り、麻衣華が否定する。

 だが、幸一の記憶にはあの頃書いていたのはファンタジーだけど、子供が酔えるような感じで書いてはいなかったはずだと思った。

「お母さんが読み聞かせてくれた。子供向けで面白いからと」

「‥‥」

 断じて子供むけて描いていないはずの作品を、当時編集をしていた彼女の母は子供向けだと言ったのだ。

 ドン、ッという音ともに、幸一は机に突っ伏した。

 ちくしょぉ、絶対いつかぎゃふんと言わせてくれるわぁ。

「あの、大丈夫?」

「だいじょばないけど、大丈夫だ・・・ちくしょー」

 日本語としておかしい事を言いながら、心の涙を流す幸一を麻衣華は不思議そうに見ていた。

「それから毎回出版社に送られてくる物語を、お母さんに頼んで持ってきてもらってたの」

「つまり、全部読んでたの。第一選考落ちの作品を?」

 幸一の疑問に彼女は迷うことなく頷き、恥ずかしそうに俯く。

 幸一はと言えば、これまでいく度となく選考で落とされ、読んでくれていたとしてもごく一部の人しかいるわけがなく、また、自分にファンと呼べる人なといないと思っていたが、15年も自分の作品を毎度読んでくれて、ファンでいてくれた人が居たことに嬉しさと同時に、目頭が熱くなる。

 毎度書くたびに、また落とされる、またごく一部にしか読まれない。

 ああ、自分は何のために書いているのだろう、書くことに意味はあるのだろうかと。

 書くことをやめようと思った時期もあったが、でもこうしてやっていたことに意味はあったのだと思うことができた。

「ありがとう、うれしいよ」

「うんうん・・・・私こそ、楽しかったから。だからお兄さんには作家になってもらいたい」

 普段から口数の少ない麻衣華が、はっきりとした口調でそう言い、微笑む。

 ああ、この娘のためにも、そして何より自分自身のためにもデビューをしてスタートラインに立たなければ。

 毎度小説を書き始めるたびに、スタートラインに立つ、そう言い聞かせるようにして自分を奮い立たせてきたが、今日は一段と強く幸一はそう思うのだった。

「何二人でイチャイチャしてるんですかぁ。私にご飯作らせて」

 台所から不満そうな声が聞こえてきて、幸一と麻衣華は、ハッとして意識を戻される。

 二人とも今までのやり取りを思い出し、急に恥ずかしくなったのか、お互いに顔をそらし、顔を真っ赤にする。

「はぁーい、これが教会仕込みの、スペシャルパスタだよぉ」

 雪羽が大皿に盛りつけたパスタをテーブルの上に置き、それぞれに取り皿を渡す。

「それにしてもすごいわねぇ。食器から料理道具が全部そろってるなんて。本当に男の一人暮らしなのこの部屋?」

 雪羽はあきれながらそう言い、そそくさとパスタを取り分けていく。

「ああ、一様なぁ。ほとんどは実家から持ってきたものだが、料理道具はそろえた。基本的に自炊だから、どうしても安物だとすぐ壊れるんだよ」

 なるほどねぇ、と言い、雪羽は納得する。

 トングで取り皿にパスタが3人のさらに取り分けられ、全員にいきわたったところでいただきます。と言い食べ始める。

 見た目はソーセージと、おそらく余っていた鷹の爪を使ったペペロンチーノだろう。

 アイリオ・オーリオ、日本では主にペペロンチーノが支流だが、これはおそらくアイリオ・オーリオのほうかもしれないと幸一は思った。 

 その証拠に、ニンニクの塊がかなり多く、オリーブオイルも気持ち多めだ。

「これ、アイリオ・オーリオか?」

「よく知ってるわね。正式な発音はアーリオ・オーリオペペロンチーノ。イタリアの家庭的な料理で。基本料理とも言われてるやつね」

「それは知ってるが・・・・すごいな、すごくうまい。この料理、確か作る人の腕が試されるやつだよなぁ、中華でいう所のチャーハン的な立ち位置」

 鼻高々に雪羽は胸を張る。

「お姉ちゃん・・・すごすぎる・・・小説はダメダメなのに」

「ま、麻衣華ちゃ~ん」

 麻衣華は悔しそうな顔をしながら、雪羽に言ってはならない事を言ってしまった。

 雪羽は縋りつくようにして麻衣華に抱き着き、麻衣華は何も言わずに彼女の頭を優しくなでていた。

 どっちが年上だか分らんなこれはと幸一はパスタを食べながら、呆れた瞳で雪羽を見ていた。



 食事を終え、片付けも終わり、それぞれの小説をまだ読んでないであろう人に渡していない事に気がつき、再度読書をが再開されてからさらに2時間、やっと全員が全員の物語を読み終えたところで、読み込まれたように少し折れ曲がった原稿を机に置くと、それぞれを見やった。

「で、誰の作品からいくよ?」

「ここはあれね、まずは時計回りに一作品ずつ感想を言って行って。2周するという感じでどうかしら?」

 雪羽がそう促すと、二人は異議ないといい、さて誰から時計回りにしようかという空気が流れるが。

「これからが良い・・・・」

 おもむろに麻衣華が原稿を指さし、そう言った。

 それは幸一が書いた官能小説からだった。

「お、おいぃ、流石に俺でもエロは恥ずかしいのだけどぉ。もう少し心の準備をさせてほしいんだが」

「いつも私のエロエロ小説読んでるじゃない。いまさら何を」

「お前と一緒にするんじゃねぇ」

 二人が言い合う中、麻衣華は特に何か言うわけではなく、じっと二人のやり取りを見ていた。

「新鮮だった・・・でも、なんで妹と?」

「あ、それ私も思った。なんで義理の妹と最後くんずほぐれつなのよ」

 幸一が書いた話はこうだった。義理の妹と櫃と屋根の下で暮らしていて、妹は兄である主人公に恋をしていて、両親が主張で3日家を空けるというとき、ついにその思いを暴露すると同時に兄を襲う、という主人公が受けに回る話だった。

「それはアレだよ、可愛いだろ?」

「そうじゃなくて、主人子がなんで義理とは言え妹に迫られただけですぐに落ちたのよ。もう少し抵抗しようよ、葛藤しようよ!」

 雪羽のいう事はもっともである、短編という事で、限られた文章で書くことになったため、その辺の理由付けがいまいち弱く、何とも言えない納得できない感じが出てしまっているのだ。

「私は・・・エロさが足りないと思った。具体的には妹の湿っぽさというか色香的なのが、さらに言えばもう少し色気を出す服装でも妹は良かったと思う。」

「え、ぐ、具体的だなオイ」

 麻衣華が回答に、書いた本人はびっくりして、いるとさらに具体的に。

「こう、妹がしなだれて、兄ににじり寄って行って、最後に。お兄ちゃん、私じゃ・・・・駄目かなぁ。みたいなのがあっても良かったと思う」

 普段、口数が少ないが、一度感想を言い出すと、止まらず、さらに具体的なダメ出しが来て幸一は言葉に詰まる。

 言われてみればそうだなぁ、と思い、なるほどなぁと納得する。

 雪羽もあまりに的確だったので、おお、すごいなぁ、的確だぁ。と感心していた。

「つ、次行こうか」

 あまりの的確な指摘だったので、これ以上はないだろうと思った幸一は、そう促すと、雪羽も納得して、次の流れとなった。

「では次は私のね、どっちがいい?」

「異世界のやつ・・・・」

「ああ、それがいいかもな」

 険しい表情で麻衣華が良い、幸一もまた顔をしかめながら同意した。

「え、ちょっと二人とも、なんで、なんでそんなに険しい顔してんの?!」

「一言で言おう、冒頭からひどい」

「うん・・・・雷で死んで転生しました。その後いきなりハーレム作って冒険しないって。異世界転生して何してんのこいつ。そもそも雷に撃たれて死ぬのに何で晴天なの?!」

 そう、雪羽の話は、主人公が平日の昼間、歩いていたらいきなり雷に撃たれ死に、異世界に転生する流れて、さらに転生した時に得た力が、女の子を篭絡する能力を得て、そのまま最初の村の女の子全部自分のもにしてしまうという展開だけで完結。

 これを見て、面白いのかと問われれば、10人中9名はノーと答える事だろう。

 ただ、昨今のライトノベル事情を鑑みると、あながち的外れな流れでもないのが、幸一と麻衣華はどうなんだろぉ、と思う所でもあったりした。

「だ、だってぇ、最近のアニメは。こう女の子可愛くて、主人公とイチャイチャしてれば成り立つからぁ」

 ごもっともな意見を言う雪羽だが。

「作家として、物書きとして。ノーだ」

「そんな・・・女の子可愛ければ売れるてきなのは捨ててください」

 わりと麻衣華は怒っているらしく、トントンと原稿を叩いて普段は変わらない表情が少しだけ険しくなり、その目で雪羽を見ていた。

 麻衣華の迫力に押され、反省する雪羽はまるで小さな子供である。

「では、次行こうかぁ」

 涙目で進行を促す雪羽。

「次はぁ、遠見さんの官能小説をだけどぉ・・・・」

 幸一は言いよどむ。言っていい物かとても悩まれるのだ。

 しかし、空気を読んでか読まずなのかは分からないが、雪羽が感想を述べた。

「全体的にエロイんだけど、団地妻の不倫をリアルに描いてはいるんだけど、何というかこうだったら良いなぁ。的な感じで人妻の心境は書かれてるんだけど、男の人の心情がいまいち悪いこう・・・・」

「男がなんというか欲望のままに襲って、人妻のほうは迷うことなくおkしてるのは、なんか違う気がすると俺も思う」

 そう、彼女の描いた官能小説は、よくある団地妻が襲われるけどまんざらでもなく、そのまま襲われて食べられちゃったてきな、不倫ありきの話で、あるけど、女性のほうの心境はうまく書かれているのだが、男性側の視点や心境があまり書かれておらず、読んでいてもいまいち盛り上がりに欠ける感じの内容だったのだ。

「やはり難しい・・・男の人の心情がうまくいかなかった」

 どうやら本人も理解はしていたらしく、特にそれ以上何も言わなかった。

「じゃぁ、一周回って。今度は俺のか・・・・どうよこれ」

「どうって・・・」

「うん・・・これ」

 幸一のもう一つのお題はホラーで、幸一自身もこの作品に関しては良く書けていると思っていたが、どうにも二人の反応が悪い気がする。

 そう思っていたが。

「怖すぎるんだけどこれ・・・何をどう書いたらこうなるのよ。リアルすぎて引くんだけど」

「うん・・・なんというか、じわじわと侵食されて行って、最後に絶望が訪れるみたいな」

「ああ、うんなるほどぉ・・・だってこれ実話だし」

 二人がおびえた表情で感想を述べていると、幸一がとんでもない一言を言い出した。

 一瞬にして場が凍り付き、麻衣華と雪羽は顔を見合わせ、そのあと恐る恐る幸一に視線を向ける。

「大丈夫だよ、昔の体験談だし、ほら生きてるし」

 何を書いたのかという話だが。内容はこうだ。

 臨海学校という行事が小学生、中学生とあり、泊りがけで行く、いわば課外学習のようなもので、その行った先でおきた出来事をホラーにしたと、二人は最初そう感じていたが、幸一の一言で、その話は一変、現実に存在する場所なのだという話になってしまったのである。

「一様お祓いもして・・・おい」

「・・・・・・」

 雪羽十字を切ると、何やら必死にお祈りを始めてしまった。

 それほどまでにリアリティーがあったのだと物語る形になってしまった。

「リアルすぎるのは・・・・物語というより。エッセイとかそっちに近くなるからダメ」

 麻衣華に一括され、幸一はうなだれた。

 文章面では特に指摘はされず、ただリアリティーがありすぎたという事だけが問題だったようだ。

「じゃぁ、次は私のファンタジーだけど・・・・」

「正直に言おう、世界観がなってない」

「うん、世界構成が曖昧過ぎて、ファンタジーなのかが曖昧過ぎる、できれば剣と魔法の世界で、どんな種族がいるのかくらいは書いてほしい」

 麻衣華は具体的な指示を飛ばす、雪羽は初めてのファンタジーだと言っていたこともあってか、原稿用紙の空白欄に今言われたことをメモしていく。

「あと、ファンタジーと言えば、魔法とか必殺技があると、より臨場感が出やすいぞ」

「えー、それ恥ずかしいじゃん!」

 幸一がそういうと、すかさず雪羽がそう反論する。

「確かに、恥ずかしいけど・・・・中二病全会ぐらいのほうがファンタジーは面白くていい」

 長年幸一のファンタジーやらを読んでいた麻衣華にとっては、むしろ当たり前にも等しい事だったため、この作品を読んだときかなりの物足りなさを感じてしまっていた、なので素直に面白くないと思ってしまったのだ。

「だがから、つまらなかった・・・退屈」

 なので、はっきりと言ってしまった。

「あう、私今回ボロボロ」

 異世界転生ものとファンタジー。

 二つともに似たようなジャンルなので、こうなるのも無理はないのかもしれない。

「さて、最後か・・・・」

「ま、麻衣華ちゃん・・・・あのねこれはギャグだけどその・・・・おやじギャグって言うのよ」

 最後の作品、麻衣華の課題である、日常系ギャグ物の小説、というお題だったのだが。

 中身が酷かった。

 確かに日常系の作品で、女子高生3人が、和気あいあいとしながら、日常に潜む流れでボケとツッコミを入れていくのだが、おやじギャグを言った友人につうっこみを入れるというシーンが多く、笑うというより、この小説そのものがネタだろと言えるような作品の仕上がりになっていた。

「うぅ・・・面白いと思ったのに・・・」

 どうやらギャグセンスがないらしく、本人はいけると思っていたようだ。

 こうして、最初の1回目の短編小説界は三者三葉に、散々な結果で幕を閉じたのだった。




 4月29日 金曜日(祝日) 午後17時頃

 4回目となる短編小説見せあい会が終了し、麻衣華はどうしようかと悩んでいた。

「ねぇ、意見交換と、向上はしたと思うのね」

 雪羽が口を開き、今目の前に積まれている原稿用紙の束を見てそういう。

「ああ、でも、コレで遠見さん家の・・・・まして編集長にまでなった人をうならせる作品なんてなかったよなぁ」

 そうなのである、1週間に1回集まり、一人2つを書き、さらにその日のうちにお題を出し合って再度1週間後にまた。

 これを三人で繰り返して4週目、集まった原稿は24もの物語と世界観を様々な語りで紡ぎだしており、そのどれも似皆が目を通しているが。

 結論としては、プロの編集を唸らせる、面白いと言わせる作品は作れていなかった。

「麻衣華ちゃんごめんね。私たちはいい勉強になったんだけど、本来の目的が・・・」

「・・・仕方ない。とりあえず、全部見せてみる」

 あろうことか、駄作から、ちょとこれはいいぞ、と言える作品まで、天から地まである作品24冊短編集を、あろうことか母親である華浦に見せるというのだ。

「いやいや、まった。やめよう、絶対鼻で笑われるのがオチだよ」

 流石に幸一も不安になって止めに入ったが、なんで?というように麻衣華自身は食い下がらなかった。

 だが幸一はあえて止めようとする、なぜなのかと言えば、この作品の中に官能小説が少なくても8作品も混じっているからである。

 なぜこうなったのかと言えば、あの後、雪羽以外の二人、つまりは幸一と麻衣華はこの煩悩シスターに毎度官能小説を言い渡され、結果2つづつ、系6作品が出来上がる事となったのだ。

「う~んでも、見てもらって実際に評価は欲しいよねぇ」

「お前はいいよなぁ、ファンタジーとかSFメインだったもんなぁ」

「え、いいじゃん、佐久間さんの作人も良いのあったと思うよぉ、その中でも一番良かったのはやっぱりぃ、シスターとの官能小説よねぇ」

 そうなのである、何を血迷ってしまったのか、あろうことかネタがなくなりかけた幸一が最終日に書き上げた官能小説は、シスターとのくんずほぐれつの甘々設定の短編小説だったのである。

「だから、止めてくれぇ。魔が差したんだ。フリーライターの仕事で、徹夜してて頭の回らない状態でアレを書いたから」

「今までで一番良かった・・・・お互いの心理描写、服装から、行為に至るまですべて!」

「頼む、後生だからぁ」

 なぜか麻衣華はえらく気に入ってしまい、幸一は必死に止めるも、どうも聞き分けてくれない。

「でもこれ、本当によく書けてるわよねぇ。なに・・・・私そういう目で見られてるの?」

「だからぁ、違うんだってぇ。これは俺の妄想で・・・」

「妄想という事はつまり、シスターとこういう事したいって事よねぇ・・・警察電話しよ」

「違うんだ。魔が差したんだ。徹夜で頭が回ってなかったんだ!」

 必死に訴えかける幸一だったが、24作品の中でもそのシスターを題材にした官能小説はかなりの熱と、こだわりを感じる作品と世界観、雰囲気作りになっており、これをプロが書きましたと言っても通用するレベルで、良い作品になっていたと言える出来場でだった。

 しかし、幸一からしたら最悪だろう。

 なにせ、お隣の隣人が現役シスターで、あろうことかこうして集まっていて、皿に小説を見せあい意見交換しあう中。

 さらに、今から見せると言っている人は、麻衣華の母親である。

 隣人がシスター好きの変態で、さらにその性癖を隣人である現役シスターに暴露したようなものを書いて見せ、それを娘に読ませたとなれば、何を言われてもおかしくない。

「大丈夫、最悪警察呼ばれるだけだから」

「お前は他人事だと思ってぇ・・・・ってあれ、遠見さんは?」

 幸一と雪羽が言い合いをしている間に、麻衣華は原稿をまとめ、そそくさと自宅に戻って行ってしまったのだった。

「おいいいいいい」

 心の中からの悲鳴が口をついて出る。

「ドンマーイ」

 こうして、1ヶ月の短編小説勉強会は、幸一の心の涙と声で幕を閉じたのだった。



「これ・・・・」

 食後、ゆっくりしていた華浦の目の前に、一冊の原稿用紙の束が置かれる。

「ナニコレ、仕事しろって?」

 缶ビールを片手にくつろいでいた華浦は、訝しげに原稿用紙を手に取る。

 ここ数日、新人研修や、次の小説大賞の受賞作品の選考で忙しく、久しぶりの休日前のひと時で、やっとくつろげると思ったら、娘がおもむろに原稿用紙を出してきたのだ、怪訝な顔をするなというほうが無理である。

「忘れたの・・・あっと言わせるのを隣人に書かせてみろって言ったの、お母さん」

「あー、そう言えば・・・・でこれがそうだと?」

 麻衣華が頷く。

 華浦は、タイトル名を見て、また珍しいものが出てきたなぁと内心驚いていた。

 作者は知っている、それこそ自分が新人のころに担当していら、ずっと追いかけてる一人でもあるし、個人的には好きなのだ。

 ただし、個人的に好きな作者で作品が好きであっても、それが売れなければ意味はないし、出版社として、売れるモノしか認められない。

 昨今のライトノベル事情は特にそうだ。

 インターネット投稿サイトで人気の高い、あるいは、評価の高い作品、もしくは作者に目を付け、その人物が大賞などの大きな賞に応募してくればチェックをし、いけると判断されれば採用される。

 もしくは、親、親戚がそれなりに名の売れた作家、その系統にある親戚であれば、それを持ち上げて売るなどと言う説法もある。

 もちろん、実力があり、光るものがあれば採用もされるし、商業科もされるが、そういう傾向や流れがあるのは否定できないのがこの業界の常でもあるし、おそらくどの業界でもこの傾向は強いだろう。

 要は、売れなければ意味が無いのだ。

 それはそうと、これはまたすごいタイトルだなぁと思う。

 (傷ついた心に、癒しと性を)と書いてあるので、この作者が長年タイトルに意味を持たせ、ているのを知っている華浦は、そこから中身を推測する。

「これ、エロいやつか?」

 娘である麻衣華にそう聞くと、彼女は特に恥ずかしがるでもなく、しっかりと頷いて見せた。

 この15年間、佐久間 幸一が書いてきたのは主にファンタジーであり、冒険ものだ。

 しかし今作は短編とは言え、官能小説、全く別の作品と言っていい。

「着眼点は良いし。201の欲望まみれのシスターさんよりは、良いの書いてそうね・・・どれ読みますかぁ」

 内心年甲斐にもなく心が高揚し、胸が弾む。

 いつになってもこの感覚、好きな作者が全く別のジャンルに挑戦し、その作品を初めて読むときは胸が弾むものだ。

 1ページ目をめくり読み始める。

 そんな華浦の様を見て、麻衣華は少し驚いていた。

 最近の華浦は、新しい仕事や、小説を自宅にもってきてもあまりよい表情をせず、麻衣華に「新作、う~ん。読む?」と少し残念そうにしたりと、ここ数年続いていた。

 昔は、様々な作品を持ち帰ってきては、ああでもないこうでもないと言いつつも、目を輝かせ、新人の人たちの熱い思いのこもった小説に目を通しながら、毎日のように百面相を繰り広げながら、寝るのも忘れて読みふけっていたのを麻衣華はよく覚えていた。

 そんなキラキラした目で小説を読む母を見て、楽しそうだなぁ、私も読みたいなぁと思ったのが、小説を読むきっかけとなったのは言うまでもなかった。

 なので、久しぶりに見る母親の変化に、少し麻衣華は驚きを隠せないでいた。

 麻衣墓は読み終えるまで時間がかかると思い、紅茶を入れ始めた。

「お母さんのも入れてぇ」

 読みながら声が飛んでくる、一瞬、え、お酒。とも思ったが、麻衣華は素直にその言葉に従った。

「・・・・」

 茶葉をポットに入れ、熱湯を注ぎ、蒸らす。

 時間にを計るために、麻衣華は時計を見て、ついに母親を見る、頬に手を当て、おおぉ、とかひゃぁとか、ところどころ声を漏らしながら読み進めていく。

 どうやら楽しんでいるようだ。

 こんな母を見るのはいつ以来だろうと、麻衣華は思う。

 紅茶が蒸れ、二人分のカップに紅茶を注ぎ、自分の前と、母の前にそれぞれ差し出し、麻衣華は母の向かい側に腰かける。

「入れたよ」

「うぅ・・・あいがと」

 心ここにあらずの生返事が返ってくる。

 どうやら相当集中しているらしいという事は、長年の付き合いで理解できた。

 麻衣華はゆっくりと紅茶を飲み、母が読み終わるのを待つ。

 30分ほどだろうか、読み終えた華浦が原稿を置き、すっかり冷めきってしまった紅茶を飲み一息つく。

「ふぅ、へぇ~、なるほど純愛ねぇ・・・」

「どう?」

 短く、でも期待のこもった形で麻衣華が緊張した面持ちで聞く。

「なんというかぁ、初診に帰れるというか。胸がキュンキュンして、ふぁってなる感じねぇ。一言でいうと、初々しい純愛をかみしめてる感覚ねの中に、熱い情熱的なものを感じる作品になってて、作者の好きと熱が伝わってくる短編ねぇ」

 麻衣華は唖然としていた。

 というのも最近、華浦が作家の評価をするときは決まって。

 つまらない。これは売れるかもねぇ。情熱が足りない。文章力がないけど人気がある。と言った、おおよそ小説の感想というよりは、編集長として、売れる、売れないだけを判断し、作品の中身を掘り下げはするものの、彼女の中で機械的な判断になっていた。

 しかし、今日は中身がある事に、驚いていた。

 麻衣華はてっきり、もう少し頑張ってここをこうして出直してこい、ぐらいは言われる覚悟があったが、出てきた言葉は意外なものだった。

「それに荒れね、203の煩悩シスターさんよりうまい文章で、ドキドキできたわ。久しぶりに読み応えのある満足のいくものを読んだ気がするわ・・・・何その顔?」

 あまりにも満足げに言うので、唖然としていると、華浦が怪訝そうな顔で娘を見る。

「え、いや、なんか久しぶりにお母さんのそんな顔見た気がして」

「そう? ああ、でもそうかも、最近は売れるやつだけ中心にしてたし、私の好みというには程遠いのも多かったし、何より表現力が乏しく、文才としてはどうなのよってのが多くて正直仕事してて、面白くなかったし」

「そう・・・なんだ」

「でもねぇ、生きてくためには嫌な仕事もしなきゃいけないし、納得できなくても飲み込まなきゃいけないから、ストレスなのよねぇ・・・・・で、これ借りて良い?」

「別にいいと思うけど・・・何するの?」

「ちょっとねぇ」

 華浦は含みのある言い方をして、具体的な回答は控えていたが、その顔はこれから悪戯をする子供の様に輝いていた。

「それはそぉとぉ。これ、あのシスターさんも読んだのよねぇ」

「雪羽お姉ちゃんも読んでたよ・・・」

「どんな反応してた?」

「読み終えた瞬間に(ナニコレ・・・・趣味全開じゃない、キモイ、キモいわよ!)って言いながら座布団投げつけてたよ」

 なるほどねぇ、そら恥ずかしいわよねぇ、と華浦も呟く。

 改めて、麻衣華は(傷ついた心に、癒しと性を)の内容を振り返る。

 現代社会に疲れ、会社からも無理やり解雇され、同僚からも裏切られ、住んでいた場所も会社からのいわれのない噂が大家の耳に入り追い出され、身も心も疲れ果て、住む場所も失った主人公が、途方に暮れ、もう人間も信じられなくなった彼が行きついたのが、こじんまりとした小さな教会だった。

 彼はそこで一人のシスターと出会う、行く当てもない事を彼女に告げると、ここに住み込めばいいと言い出し、彼と彼女の生活が始まる。

 その中で次第に彼は彼女に、彼女は彼に惹かれていき、彼の心もまた徐々に元気を取り戻していく中で、二人は最終的に合いを確かめ合う。

 という、こそばゆくも純愛的な要素に重点を置き、濡れ場は最後の少しだ解けという、官能小説の濡れ場としては少し物足りないモノの、大人の純愛ストーリーとしてはいい線を言っているのではないだろうか、と思わせる作品になっていた。

「ところでぇ・・・マーちゃんは、これ読んでどう思ったの?」

「普通に良い作品だなぁって」

「おい娘よ、あたしゃァそんな話をしてるんじゃないんだよ。これを読んで、ああ、マズイ、憧れの小説家さんが隣のシスターとどうにかなってるか・・・」

「たぶんそれ無い・・・」

 実に楽しそうに盛り上がっていた華浦に、少し強めの口調で麻衣華はそう言い放った。

「おやおやぁ・・・」

「な、なにかなぁ、お母さん」

 普段しないような、いやらしい笑みを浮かべ、含みのあるニュアンスで顔を近づけてくる華浦に、麻衣華は視線を逸らす。

「最近妙に朝早くにお隣に行ってるみたいだしぃ、何かあるのかなぁって」

「なにも・・・ない」

「ふぅ~ん。まぁそういう事にしておきましょ。とりあえず、この原稿は少し預かるからお隣の、お兄さん、にはちゃんと言っておいてね」

 含みのある言い方をし、華浦は席を立つと、自分の部屋をと入って行った。

 一体あの原稿をどうするつもりなのか、少し気にはかかったが、麻衣華は自分への追及がこれ以上来ない事に安堵し、その場が無事に終わったことをうれしく思いながら、幸一へのメールを考え始めたのだった。



 3話 なぜこうなったのか。わからない。

 5月11日水曜日 午前11時25分 都内某所喫茶店

 何故こんな事になったのだろうか、幸一は今喫茶店で一人の女性を対面していた。

 女性は、綺麗な黒髪うぃかきあげ、不敵に微笑んだ。

 悪寒ではないものの、一抹の不安がぬぐえないのは否めない笑みに、幸一は背中を伝う冷や汗が止まらなかった。

 幸一は朝麻衣華に起こされた際、この時間にここへ来るように促されていた。

 その時理由を尋ねはしたが応えてもらえず、仕方なく向かう事にしたのだが、待ち受けていたのは、麻衣華ではなかった。

「ふふぅ~ん」

 目の前にいる人物、203号室の遠見 華浦をみて、再度なぜこうなったのかと幸一は悪意味でとらえていた。

 そうだよなぁ、大切な高校生の年頃の娘が毎朝三十路すぎの男の家に来て起床を手伝ってたらなぁ、母親としては心配全に、何かあると思うのが普通だよなぁ。

 でもあれだぞ、決していやらしい何かがあるとか、そういう事はない・・・無いのだが。

 目の前の人物が怒っているのか、それともまた別の何か愉快な事があり、それで機嫌が良くて微笑んでいるのか、幸一には判断がつかなかった。

「これ、読んだわ」

 バサッと何か白い束がテーブルに置かれ、なんだ?と思いながら視線を向けると(傷ついた心に、癒しと性を)というタイトルが目に入り、思わず目を見開く。

 全身の血の気が一気に引いていき、寒さを覚える。

 ヤバい、ヤバいぞこれ。に、逃げるか?!

 幸一は逃げ出したい気持ちにかられ、どうしようかと周囲に視線をさまよわせる。

「これ、うちの雑誌に乗っけて良い?」

 逃げなければ!

 そう幸一が思って、今にも立ち上がろうとし、腰を浮かせた瞬間、目の前の女性は何か予想外の事を言い出した。

「は?」

 思わず素っ頓狂な声が漏れ、呆ける。

「仕事の依頼なんだけどぉ・・・娘から何か聞いてない?」

「いえ、なにもぉ・・・ただ朝起きぬけに、ここに来るように言われただけでぇ。って住間瀬に自摸娘さんにお世話になっていて!」

 ガバっと、勢いよく頭を下げる。

 ここ半年ほど、麻衣華は幸一を毎朝起こしに来ており、そのことに対してどころか、その間一度たりとも華浦に対してあいさつを行っていないのだ。

 華浦の職業柄、帰宅はまちまちであり、幸一もまた、仕事がフリーライターのため、家にいる事もあれば、出先に出て情報収集などに努める事もあるため、妙にかみ合わず、会うことが今までなかったのである。

「ああ、あの娘どう。可愛いでしょ?」

「ええ、大変美しく、清楚な・・・・って何言わせるんですか」

 気が動転していたのか、華浦の聞き方がうまいのか、思わず幸一はいつも思っていることが口をついて出た。

「おお、なるほどぉ。でもなぁ、お隣のロリ顔淫乱シスターも捨てがたいよねぇ」

「ええそうですね・・・とでもいうと思いましたか?!」

「なんだ乗ってくれないんだぁ。こんなの書いたのにぃ」

 そう言って原稿用紙をつまみ上げ、ペラペラと幸一の目の前にちらつかせる。

 うぅ、ッと唸り声をあげ、幸一は言葉に詰まる。

「ああはは、いやぁ。娘のお気に入りだからどんな人かと思ったけど。変な人じゃなくて良かったわ」

「え、じゃぁ今のは全部・・・・ですよねぇ」

「何か勘違いしてる部分あるみたいだけど。掲載の話はマジよ」

 先ほどまでの笑顔が消え、真剣な表情でそういう、どうやら彼女は仕事とプライベートのすみわけは結構きっちりしている人なのだと。幸一はこの時そう思った。

「えっとぉ・・・・」

「娘の事はまぁ、ついでみたいなもので。この作品については、本気でのせたいと思ってるしすでに許可は出ている。後はあなたがうんと頷けば、雑誌に載るわ」

 どういう事だろうか、華浦の言っていることの意味が、幸一には半分も理解できなかった。

 それもそのはずだろう、本来この作品は、内輪だけの話で完結していて、麻衣華が自分の母親に幸一の作品のすばらしさ、技量があると認めさせるだけのための物だったはずで、麻衣華からも、この原稿を少し預かりたいというメールが来たものの、特にこう言った話になるという流れではなかったはずだ。

「ついでと言いつも、気にはなるんだけどねぇ。後でたっぷり聞くとして」

「あ、聞かれるんですね」

「うふふふふ。で、この短編小説だけど、報酬も出るしどうかな? 君の事情も娘から聞いてるし、足しになると思うのだけれど、作家としても、生活面でも」

 確かに彼女の言っていることはもっともでもある。さらに言ってしまえば幸一にとってはメリットしかないが、なぜこんな話になったのだろうかと、疑問が頭をついて出た。

「まぁ、そうよねぇ。いぶかしむのも無理はないかもね」

「いえ、そういうわけでは」

 どうやら顔に出てたらしく、苦笑いを浮かべながら華浦がそう言うので、慌てて高知は否定したが、実際気にはなっていた。なぜ彼女がそんなことを言い出しのか。

「純粋に良かったから。って言うのじゃ・・・納得しないか」

「ええ、普通に不自然ですし」

 そう、流れが不自然なのだ、いくら良い作品だった。

 良作だ、売れるかもしれない。

 だから話通しておいて、是非乗っけさせてください。

 こんなうまい話があるだろうか、いやない、そんなのは詐欺ぐらいだろうというぐらいにありえない話だった。

 だからこそ、不信感も生まれるし、疑惑も浮上してくる。

 一瞬、娘に頼まれたのでは? という考えが幸一の脳裏をよぎるが、それもないだろうと目の前の女性を見てそう思った。

 華浦はまじめで実直そうで、仕事については、私情を挟まないと麻衣華から聞いていたからよけい、俺がなぜなのか分らなかった。

「あー、うん。おほん」

 何かいたたまれなくなってきたのか、視線を泳がせ、何かを言おうか言うまいか考えているそぶりをした後、意を決したかのように咳払いをし、深呼吸してから、こういちをみる。

「ふ、ファンなのよ」

「え、ああ、遠見さん・・・麻衣華ちゃんがですよね?」

「違う・・・」

「え?」

 思いがけない言葉に、幸一は何を言われたのかわからなくなる。

 麻衣華が幸一のファンというのは知っている、だが母親がそうだとは聞いていなかったし、麻衣華の話からしてもそうだとはとても結びつかない。

「私情を持ち込まなそうと思っていたのですがぁ・・・」

 恐る恐る尋ねると、今度は、怒ったような険しい顔つきになり。

「だからよ、だからいつも、なんでこうおしいのにあと一歩足りないのよぉって、やきもきしながら来る原稿、来る原稿。読んでは、ああ、足りないって何年思ったか!」

 机をたたき、不満をぶちまける。

「す、すみません・・・・」

「まさかそれが隣に住んでると思わなかったから、知ったときは乗り込んでお説教しようかと思ったぐらいよ」

 彼女の剣幕に圧倒され、身じろぐ。

「そ、それでつまり・・・・娘さんを利用して、私の足りない部分をどうにかしようとしたとかですか?」

「流石。わかってるじゃない」

 満足そうな笑みを浮かべ、姿勢を正す華浦。

 幸一はと言えば、こ、こえぇ、と内心びくびくしていた。

 麻衣華が大人しい清楚系美人だが、母親はイケイケ系キャリアウーマンOLといった感じで、大人の色香と厳しさ、のようなものを感じさせる人だった。

「で、私なりにあなたをデビューさせたかったのもあって、私の知り合いから、今回の作品を取り上げてくれそうな人にコンタクトを取って、この話になったわけ。

 中身としては1回だけのお試し、って感じになるから、継続的な収入にはつながらないし、デビューという話でもないから、弱いと言えば弱いけど、それでもいいならどうかしら?」

「そういう事なら、是非乗っけてください」

 こうして話がまとまり、事前に華浦が用意していた契約書にサインをし、口座の番号を書く容姿にも記載をし、事務的な事を終える。

「あのぉ。一つ聞いても良いですか?」

「なにかしら?」

「なんで俺の作品を好きになったんです?」

 華浦は悲しいような、嬉しいような、戸惑うような、そんな複雑な笑みを浮かべながら。

「元気をくれるからよ」

 そう、一言応えたのだった。



 遠見 麻衣華には秘密がある。

 明け方、幸一が寝静まったところを見計らい、彼の家に侵入する事。

 目的は、彼のパソコンの中にある小説・・・・ではなく、彼の所有しているPCゲームである。

 PCゲームと聞くと、普通のゲームのように感じるが、彼女が求めているのは美少女ゲーム、いわゆる18禁ゲームと言われるジャンルである。

 最初は彼を起こすために、これをやれば飛び起きるかも、と思って使用したゲームであったが、興味本位で彼が寝ている問いにプレイをしてみたところ、思いのほか楽しく、今まで読んできた小説やライトノベル、ハードカバーとはまた違った面白さと、ワクワク感、さらには18禁特有の空気間と、濡れ場のシーンなどにすっかり心奪われ、幸一が寝静まったのを確認すると、プレイしに彼の部屋に侵入していたのだった。

 もちろん、彼に見つかってしまったらいいわけなどできないし、普通にリスクが高い。

 とはいえ、自宅の自分のパソコンにゲームをインストールしようにも、なぜかこの部屋にはそれらしきものが存在しなかったので、仕方なくこういう事になってしまった。

「おお・・・」

 小さな声が漏れる、一様や主が寝ているので、持参した小型イヤホンをジャックに刺し、音はそこから出すようにしている。

 18禁とは最初いかがわしいゲームで、特に中身などないものだと思っていた彼女だったが、プレイし始めて気がつく奥深さ、人間らしさ、そしてドラマと、今まで読んできたライトノベルや、ゲーム、アニメよりも、より人間味に近い世界が広がり、現実ではないけど現実味のある、妙な感覚に浸れ、面白かった。

 さらには、感動できる作品から、ちょっと見るに堪えないシーンまで、各種様々なものがあり、それだけでも見ていて、読んでいて飽きなかった。

 新たな世界に、胸躍らせ、毎日が楽しくて仕方ない。

 さらに、麻衣華のこの楽しさ、これには寝ている家主(男性)が寝ている横で、女の子である私がいやらしいゲームをひそかにプレイする、という事に妙な高揚感と緊張感があり、それもまた、この行為を加速するきっかけとなっていた。

「バレたら・・・・どうなるんだろう?」

 ふとそんな疑問が頭をよぎる。

 麻衣華は、寝ている幸一を覗き見て、ああ、バレないかなぁ、バレたらこの人どうするんだろうか。

 怒るのか。それとも女子高生である私はゲームの画面の中の様に、あられもない姿にされ、彼に美味しくいただかれてしまうのだろうか。

 妄想は尽きることなくあふれては消え、彼女を満たしていく。

 こうして今日も又、彼女は秘密の時間を過ごすのだった。



 咲宮 雪羽には言えない事がある。

「もうだめ、あーん、私のシルヴィー!」

 彼女は感情のおもむくままに、ベットに横たわる美少女のそれにダイブした。

 柔らかく、すべすべとした肌触りに、仕事の熱が解けていき、ヒヤリとした感触は一日頑張って火照った体を冷ましていく。

 彼女が抱きしめているのは、シルヴィー(シルヴィア・ル・クルスクライン・ソルティレージュ・シスア)と呼ばれるキャラクターで、金色ラブリッチェと言われる美少女ゲームのキャラクターの抱き枕だった。

 なぜ、彼女がこれを持っているのかと言えば、隣人から担保のかわりに現在預かっているグッツの中に、彼女の抱き枕があり、ダメ、使ってはダメ、こrは未開封だから価値があるのよ。と自分に言い聞かせながらも、気がついたら海部をしてしまっていて、気がついたら抱き枕の中身も購入してしまっていたのだ。

 以来、彼女はシルヴィーとくんずほぐれつしながら、仕事の疲れを彼女の抱き枕でいやしてもらっていた。

 隣人の幸一にこのことが知れたら事だろう。

 というのも、この金色ラブリッチェ、人気が高く、抱き枕カバーなどはすでに手に入らないらしく、かなりレアなのだ。

 気になり、彼から預かっているパソコンゲームからお目当ての、金恋を引っ張り出しプレイしてみたが、大変面白く、また感動できる作品だったため、ドハマりし、ゲームプレイ後の高揚した状態で抱き枕カバーなど見つけてしまったものだから、雪羽迷うことなく開封し、シルヴィー大好きー、と言いながベットでのたうち回ったのは言うまでもない。

 しかし、開封して気がついた。やってしまったと。

 普段から、妄想がいきすぎると止まらない傾向があり、外ではそのような事にならないよう、気を張り詰め、常に意識して自分を取り繕っているためか、いざたかが外れてしまうともう制御が聞かず、気がつけばこのありさまとなっていたのだ。

 自分に妄想癖があることは理解して痛し、その解消として、官能小説を書いていたのだが、最近は特にこの抑えが効かなくなっているような気がしていた。

 そしてついに、4月上旬、新しい春の到来を告げる季節で仕事がバタバタする季節でもあり、教会の4月のお祭り、イースターの準備もあり、大変忙しい時期なのだ。

 そんな、忙しさから、癒しと心の潤いを求めてしまったが故の行動だったのだが。

 人間、欲とは尽きないもので、一度たかが外れると、次に、もっと次にと求める種族で。

 気がつけば彼女のベットは、抱き枕カバーはシルヴィー、ベットシーツもまた別の作品の、ユキイロサイン、というものへと変わっていた。

 シーツ自体は、パジャマの美少女が三人頬を染めながら描かれているものであり、シルヴィーに比べればかわいいモノだった。

 だが、これもまた、参考に買わせてくれ。と言われ、幸一が買ったゲームを預かったその初回限定版の中にあったもので、決して使用してはいけないものだったのだが、あまりの可愛さに負けたのだ。

 いいの、もう怒られるんだから一緒よ!

 と高をくくって開けたのは本人には絶対言ってはいけないとも、雪羽は思っていた。

「しかし、あれねぇ・・・どうしようかしら」

 そうは思ったものの、そろそろまずいのではないかと思い始めて思居たので、どうしたものかと悩みつつも。

 彼女は自分の押しの娘たちに囲まれながら、今日もまた眠りにつくのだった。




 2020年6月 日本

 この年、始めてかねてより懸念されていたコロナウィルスというのが爆発的な、感染を見せ、瞬く間に世界を震撼させ、ここ日本も例外なくその脅威にさらされ、人々はマスク緒着用しての生活水準を余儀なくされた。

 だが、引きこもりの幸一にとっては、そんな事どうでもよかった。

 何故ならば・・・・

「だずけてぇ・・・終わらないぃ」

「えぇ、私、知らないけど。そもそも今日って、今度の8月に開催される新人賞の、なにを出すかだったわよねぇ」

 先月、遠見 華浦の計らいにより、晴れて正式な形で、雑誌に名前と、作品が掲載され、小さいながらも作家としてのデビューを飾り、その影響が小さいながらも出ていた。

 決して華々しく大賞を受賞して、堂々のデビューという流れではなかったものの、彼のフリーライターとしての仕事にはしっかりと影響を及ぼしていた。

「わ、私のせい・・・・ごめんなさい」

 申し訳なさそうに謝る麻衣華に、いやいや、それは無いから大丈夫だと幸一は言った。

「むしろ仕事が増えたんで、感謝してるぐらいだけど。問題は・・・その8月の新人賞締め切りまでに、今から取り掛からないと間に合わなそうだという話なんだ」

 そう、幸一にとってはそれが最も問題になっていた。

 先日の短編小説がとある美少女ゲームメーカーの目に留まり、シナリオライターとしての依頼があり、小さい作品ではあるが、やってみないかというお誘いがあったのだ。

 幸一としては知らないブランドでもなかったため、二言返事でその申し出を受けたのだが、その影響で、2作品を同時進行する事となったのだ。

 ゲームのシナリオと新人賞のための新作。

 ゲーム会社のほうは先方の方針や、企画に合わせたシナリオ作成やキャラクター構成がある程度求められるため、こちらの意志で書く面ももちろんあるが、クライアントの意向に、ある程度合わせなければいけないという問題がある。

「私も参加すの?」

「人にアレだけ官能小説読ませておいて、新人賞に送らないのは許さんぞ」

 去年10月から早半年以上、その間に幸一が雪羽から受け取り、一つづつ丁寧に感を打を述べた作品の数は、大小合わせて30作品にも及んでいた。

 もちろんその作品のほとんどを幸一だけでなく、麻衣華にも読破してもらい、良い部分や、文章が甘い部分、面白くないところなどを丁寧に指摘し、雪羽の小説を書き上げる能力は徐々に向上していた。

「お姉ちゃん、普通の書けば良い線いくと思う」

 静かだけどはっきりとした声音で、確信のこもったように麻衣華は言う。

「よっと・・・・そうねぇ、ここで作業をしつつかなぁ・・・・」

 幸一のベットにシスター服で身を投げ、寝っ転がると、そのままの体制で小型のノートパソコンを開き、操作を始める。

 ソファーには麻衣華が座り、ライトノベルを読みはじめ、幸一はパソコンに向かい作業を始める。

 各々会話が終わったと言わんばかりに、誰かが合図したわけではなく、自然とそういう流れになっていた。

 ここ数日集まりはするものの、近況報告と、今日やる事、予定、次の目標を確認すると、作業が始まるのだ。

「これでどうだ!」

 2時間後、何かの作業を終えた幸一が、そんな声とともに、椅子に身を投げ、リラックスしだす。

 麻衣華が音もなく立ち上がり、パソコン画面をのぞき込む。

「お兄ちゃん・・・・ヒロイン由実の性格の設定が少しおかしい」

「え、どれよ」

「ここの、シスターで普段は清楚で可憐だけど、家に帰ると煩悩まみれッてところ」

「合ってるぞ。そこに実物いるし」

「ああ」

 麻衣華は幸一にそう言えわれて、ああ、と納得の声をもらす。

「なにぃ、私呼ばれたぁ?」

「ひひゃいいいい、はにゃへぇ!」

 画面をのぞき込みながら、頬をつねる雪羽。

 画面に書かれてるプロット(小説や映画、などを作成する際に、キャラクターの設定や、話のどこから始まり、どこで終わるのかの筋書きの作成を行う事)を見て、キャラクター設定が自分をベースに書かれているのだと気がつく。

「ねぇ、なんで私がモデルなの?」

 素朴な疑問である。

 だが、幸一はこともなげに言った。

「ネタの塊みたいなそんじゃぁふでふぅからぁ」

 今度は無言で椅子の後ろに回り、両側の頬を思いっきり引っ張った雪羽。

「お姉ちゃん・・・かおまぅうぅぅ」

「痛っ、いきなり離すな・・・ってナニシテンノ?」

「べ、別にぃ・・・麻衣華ちゃぁん、こっちにいらっしゃい」

「うぅぅぅぅぅ・・・・」

 おそらく助けてくれと言っているのだろうが、雪羽に触れると面倒なので、幸一はほおっておくことにした。

 改めて今回の新作を整理する。

 日本一周旅行をしていた主人公が、路銀がそこをつき、気がつけば3日間まともな食事をしないまま歩いていたところ、ついに力尽き行き倒れるところから話は始まり。

 気がつくと小さな教会にお世話になっていたことから、その小さな教会のある、小さな村での生活が始まり、教会の世話になりながら、主人公は徐々に彼女の身の回りの仕事を手伝い始め、やがて恋に落ちる。

 というストーリーで、先日のシスターとの恋物語を、シスターの性格を変え、場所と設定を濃くした形での構成にしたのが今作だった。

「う~ん、前と一緒ではないけど、なんか足りないんだよなぁ・・・・資料を・・」

 そう思い、パソコンから向きを変え、本棚のほうへと体を向けた時に、そこでヒソヒソと話をしていた麻衣華と雪羽と目が合う。

「なぁ、咲宮さんのとこに行ってるやつで、シスター物の美少女ゲームを返してもらえるとありがたいんだが」

「あれ、そこに入ってるんじゃないの?」

「そこには入ってない・・・・」

 あれぇ、おかしいなぁと麻衣華に視線を向ける幸一、今何か変な事を言わなかったか? と思うと、どうやらそれは幸一だけではなく、雪羽もだったらしく、なぜという顔をしていた。

「それは・・・何となくそんな気がしただけ」

 表情を変えず、冷静につとていた麻衣華だったが、そんな麻衣華に何かを感じ取ったのであろう幸一は。

 スッとパソコンに体を向けマウスを操作。

「おっと、麻衣華ちゃん大人しきゃァ」

 幸一の背後で、麻衣華を雪羽が羽交い絞めにしようとして、次の瞬間、視界が反転し、気がつけばベットの上で天井を仰ぎ見ていた。

 幸い、ベットのマットレスがすべての勢いを殺してくれたため、痛みはなかったが、かなりの勢いでくるっと投げられたようだった。

「お、おい、いったいなに・・・」

 背後でそれなりの音が聞こえたため、マウスの操作をやめ、背後に向き直ると、麻衣華の顔が目の前にあり、量頬を両手でがっちりと掴まれた幸一。

「お兄ちゃん、言い間違えただけだよぉ」

 普段、口かづも少なく、声音も消して高くはない麻衣華だが、今回は少し強めの口調で、幸一にそう言い聞かす。

「いや、別に何もしようとしてないぞ。ただゲームを起動するだけで・・・」

「何のゲーム?」

「シスターが出てくるやつだけど?」

「それで、そのゲームで何するのぉ」

「セーブデーターをだな・・・・」

 幸一がそう言った瞬間、量頬に少し圧力がかかる。

 動画ら麻衣華が力を少し入れたらしい。

「もう一度聞くよお兄ちゃん」

「はい・・・」

「何をするのぉ?」

「なに・・・もぉしません」

「お兄ちゃん大好きです」

 怖かった。

 幸一は純粋にそう思った。

 ヤンデレ残ってこんな感じなのかもしれないと、妙な身の危険を次回味わい、背筋に寒いものを感じる幸一。

 雪羽もまた、麻衣華に投げ飛ばされたことでびっくりし放心状態だった。

 二人はこの時思った。

((大人しい娘が、本気出すと怖い‥))

 だがしかし、これで限りなく麻衣華が幸一のパソコンの中身を知っているという事が発覚し、一瞬、ロックかけたほうが良いのだろうか、と思うと。

「お兄ちゃん。パスワード設定とか、しないでね?」

「・・・お、おう」

 麻衣華の一言で、できなくなったのでした。



 6月26日、202号室。 午後18時59分

 本日の天気は雨なのだが、普通の雨ではなく霧雨のような形で、深々と降り続ける妙に梅雨としては珍しい雨の降り方をしていた。

 時刻はまもなく19時示し、皆一日がお疲れ様という時間に差し掛かろうとしていた。

 アパートに靴音が響き、隣の隣人が返ってきた音を知らせる。

 だが、なにやら一向にドアが開かれ、入っていく音が聞こえない。

 どうしたのかと幸一が気になり始めた時、幸一の部屋の呼び鈴が来客を告げた。

「え、あ、はーい」

 なんだろうか、今日は特に約束事や集まるてきな話はなかったはずだと思いながら立ち上がる。

 本日は日曜礼拝の日で、要はシスターである隣人はお仕事なのだ。

 何か用事かと思い、玄関のドアを開けた。

 鉄のドアがキーと音を立て、開かれる。

 廊下には修道女の正装、シスター服に身を包んだ雪羽が、びしょぬれで立っていた。

「おまえ、傘は?!」

「差してたわよぉ」

 なのになぜ、と思ったが原因はすぐに検討がついた。

 深々と降る雨、でもそれに加えて妙に海風が強く吹いていたのだ。

 この状態ではどんなに傘をしていても濡れてしまうだろう。

「で、なに、そんな状態を見せつけて俺にサービスでも・・・・おいぃ」

「お風呂借りるわ」

 幸一が冗談交じりに言葉をかけたが、雪羽は、スタスタと上がり込む。

 どうやら靴の中まで雨が浸透し、玄関で脱ぐとぐちょっと水の音がする、そのまま濡れたタイツのまま、べちゃべチャト音を立て脱衣所まで入って行ってしまい、幸一は慌てて追いかける。

「おいぃ、そんな濡れた状態であがる、うわぁ・・・ば、ばか服を着ろ」

「こっち見たら殺すわよ」

 追いかけた先脱衣所へ顔を向けた時には、雪羽すでに服を半分脱いでおり、雪羽の背中とブラのホックが見え、慌てて視線をそらし回れ右をする。

 何がどうなっているのか、これはギャルゲーのしすぎてしまい、頭がおかしくなってしまったのではないかと、自分の頭を疑う。

「ギャルゲーのし過ぎでも、イベントでもないわよぉ。お風呂借りるねぇ」

「人の心を読むな・・・っておい」

 止める間もなく風呂場のドアが閉まり、中からシャワーの音がする。

 いったい何なんだと思いながら、ため息をつきつつ、部屋に戻り、適当なタオルを持ってきて、彼女が歩いた床をふいて回る。

 脱衣所までふき終わったところで、ふと彼女の脱ぎたての服が目についた。

「おい、これ、濡れたまんまだが?!」

「洗濯機貸してぇ。あとあなたの服、何でもいいから貸してほしいの、着るものないわ」

 そらないだろうよ、と思い、本日何度目かのため息をつきつつ、部屋に戻り、適当なフリーサイズのTシャツと適当な短パンを見繕うが、ふとある疑問が浮かぶ。

 パンツはどうすればよいのだろうか・・・。

 服はいい、ズボンも良い、だがパンツは?

 先ほどの洗濯物の中には、上から下まですべてが入っていた、つまり彼女に着るものを提供しなければ、その部分は無い事になる。

「・・・・・」

 一瞬、ノーパンでもなどと魔が差しそうになり、慌てて自分に言い聞かせ、そう言えば買ったばかりの新品3つセットのが1つ、使っていないのがあったことを思い出し、それを出す。

「おーい、ここにパンツとTシャツと短パン置いとくからこれ使えよ。パンツは新品のがラパンだから、気にせず使え」

「ねぇ・・・・ブラがないわよ」

 含みのあるからかった声でそう言うので。

「そんなもんあるわけないだろ!」

 幸一はアホか問いながらその場を後にした。

 風呂場からは何がおかしいのか、少しくすくすと笑い声が聞こえたかと思うと、すぐに鼻歌に変わる。

「そういや、シャワーもいいが、風呂沸いてるから、冷えてるならそのまま浸かれよぉ」

「なんで沸いてるのよぉ」

 「風呂入ってゆっくりしてから飯でもだべようかと思ったら、誰かさんに占領されましたぁ」

 そうなんだぁと、少し楽しそうに言い、、どうやら風呂の湯船につかったのか、ざばーんというお湯が流れる音と、生き返るぅ~、という間脳抜けた声が耳に聞こえた。

 やれやれと思いつつ、本日の夕飯に用意していた、ターメリックライスの量を確認し、2合だったけかと思い確認し、安どする。

 つづいて、昼間から弱火で2時間煮込んだスープカレーを温めながら、こっちは4人前はあるから、まぁ大丈夫かと幸一は安どする。

 雨にうたれ? 濡らされ? この場合どっちが正しい表現なのだろうかと考えつつ火の強さを調整する。

 どういう理由なのかは分からんが、自分の部屋に入れない、のかもしれないので、その流れならばご飯も要求されるだろうから、素直に2人分のスープカレーを用意する事とした。

 風呂場から上がる音がし、一瞬脱衣所に目が行きそうになるのを必死で抑える。

 というのも、このアパート、なぜか脱衣所からキッチンが丸見えの作りで、一直線に遮るものが無いのだ、よって、そちらに視線を向ければ、今ならば聖女のあられもないつややかな綺麗なお肌と、艶やかで張りのある双玉を拝むことができるのだが、あとが怖いので、大人しく視線をスープカレーにそそぐこととした。

「くぅくん・・・ご飯?」

「ああ、あがったなら、そこの炊飯器から二人分のご飯をさらに盛り付けてくれ。今夜はスープカレーだ」

「え、良いの?」

「いらないなら・・・・いるんだろ?」

 うん、と屈託のない笑みを浮かべるものだから、嫌味の一つも言えなくなるというもので、幸一は黙って二人分のスープカレーを器によそい、テーブルにもっていく。

 テーブルには二人分のお皿にターメリックライスが盛り付けてあり、スプーンも置いてある。

 スープカレーを置き。

「いただきます」

「いただきます」

 二人そろっての食事となった。



 夕食を終え、皿を片付け、幸一は声をかける。

「紅茶、飲むか?」

「うん・・・」

 段々と、ナニコレ、同棲してるカップルか、新婚夫婦みたいやん。なんて馬鹿な事を考えながら、紅茶を入れ、テーブルに戻り、二つのカップに紅茶を注いだ。

「う~んおいしぃ」

「ふぅ・・・・で?」

「うぅ?? でって?」

「いや分かるだろ」

「う~ん、お姉さん分からないなぁ、話の脈絡がないしぃ、嘘です冗談です。ごめんなさい」

 あまりに幸一すごい剣幕でが睨みつけるので、雪羽はふざけるのをやめて誤った。

「鍵・・・落としたみたい」

「は?! おいおいまじかよ。あれでも確か、麻衣華ちゃんに合いカギ渡してなかったか?」

「忘れたの、彼女今日、母親と一緒に都内でお仕事だって」

「ああ、そういえば・・・」

 そう、本日、お隣の麻衣華は母親華浦の付き添いで、出版社の倉庫整理に付き合わされているのである。

 なので、今日から2日間、平日も使って大掃除の手伝いだとか何とか。

 学校のほうはと言えば、家の都合という事で、お休みがもらえたらしい。

 よって・・・このままだと雪羽は家に入れないのである。

「そもそも。落とした心当たりは?」

「それがさぁ、無いのよねぇ・・・・どこやったかなぁ・・・」

 そう言い、バックの中身を全部テーブルの上にぶちまける。

 財布、スマホ、最近必需品になったマスク、メイク道具(ファンデとアイシャドー)リップがあり、ハンカチとあるが・・・・なぜか鍵だけが出てこない。

「何かつけてなかったのか、こうカギにキーホルダー的な」

「あれ、あれ付けてた。金恋のアクリルの・・・やつ?」

 雪羽条件反射の様に言い、あ、しまったと思った時には遅かった。

 幸一の担保コレクションの中にあった、金色ラブリッチェのアクリルキーホルダーを在ろう事か使用していたのだ。

 抱き枕カバー前の、一番最初に魔が差したグッツがこれだったのである。

「誰のを使ったんだぁ」

 怒りを必死に抑えつつ、幸一はそう聞くと。

「シルヴィのを・・・」

「それ、SDのやつか?!」

「えっと、SDが何を意味してるのか分からないんだけど、普通の絵のやつじゃなくて。こうミニキャラ的な可愛い感じのぉ・・・・ねぇ、大丈夫?」

 雪羽の回答に、魂が抜けたようになる幸一を見て、これ、シルヴィーの抱き枕解放したとか言ったら本当にやばいかも、と思い、雪羽はこの時だまっておこうと固く誓ったのだった。

「と、ともかくね、シルヴィーもろとも無くなったという変な話で・・・・」

 確かに変である、アクリル型のキーホルダーで、まず落とせば鍵の音か、アクキーのプラスチック音がし、すぐに気がつくはず。

 物も大きかったはずなので、落とせば気がつくし、財布を取り出すときにも引っかけたとしても気がつくはずだが、そういった記憶はどうやら本人にはないらしい。

 幸一は何か変な感じがし、唸る。

「なぁ、おかしくないか? あれ結構デカかったはずで、財布に引っかかれば気がつくし、落とせば鍵の音か、プラスチック音するよなぁ?」

「そのはずだよ。というか落とさないし!」

 まぁそうだろうなぁと思う幸一。

「盗まれたとか?」

 幸一は冗談交じりにそう言ってみる。

「まさかぁ、私の私物盗んでそうするのよぉ。それに、そんなことできるわけ・・・・」

 何か引っかかる、と思い、雪羽考え込んだ。

「おい、どうし」

「ちょっと待って、もう少し、もう少しでこう、奥歯に刺さった骨が取れるようなぁ」

 そう言って再度雪羽は考え込んだ。

 鍵、というより貴重品だが、日曜礼拝の日は人がたくさん出入りするため、普段使わない禁錮へ全員バックなどを預ける事となっており、そのカギはシスター長と、牧師様がもっているが、基本的にはシスター長が開け閉め、管理を任されているものだった。

「ちょっと電話していい?」

「あ、ああ。どうぞ・・・」

 真剣な表情でそういうと、どこかに電話をかけ始めた。

「あ、夜分遅くに申し訳ございません、わたくし、シスター ミィリアと申します」

 誰だシスターミィリアって? と首をかしげている幸一に、雪羽はシーっと人差し指を立てて、喋らないように促す。

「(はい、お疲れ様ですミィリアさん。何かございましたか?)」

「ええ、わたくしの家の鍵が見当たらなくて、落としたとも考えにくいモノなので、少し金庫についてお聞きしたいのですが、どなたか本日礼拝が終わるまでの間に金庫をお明けになられた方はいましたでしょうか?」

 少しまくしたてる様に、しかし、柔らかく穏やかで、清楚なイメージを崩さないように配慮しことばを紡いでいく雪羽に、なんか怖いなぁと思いつつも幸一は黙って待ち。スマホ口からかすかに聞こえてくる相手の声に耳を傾けた。

「(いえ誰もいないは・・・一度牧師が確認のためと言い開けたぐらいは)」

「なるほど、分かりました。夜分遅くに申し訳ございません」

「(いえ、お力になれず申し訳ないわ。あなた今夜はどうなさるの? お部屋は入れないのでしょう)」

「親切な友人に、今夜泊めていただけることになったので、大丈夫です。明日、わたくしは休みですし、警察に届けられていないか確認してみます」

「(こちらでも探しておきましょう。それではおやすみなさいミィリアさん)」

「はい、おやすみなさいませシスターラピス」

 それで通話は終了した。

 何から聞いたものかと、悩んでいると、雪羽が口を開いた。

「今の、ラピスというのは。シスター長の洗礼名です。私のはミィリアと言って・・・つまり二つ名だと思ってください」

「何その中二病手なの・・・」

「教会では、牧師より洗礼をうけた者には洗礼名というものが送られます、これはまぁ色々難しい話が絡むのではぶくんだけど、要は礼拝の時に、聖人としての祈りをささげるときなどに使うのよ。

 まぁ私としては、職業用の名前としか見てないんだけど、場所や宗派によっていろいろ意味合いが違う事があるから、深く考えなくていいわ」

「お、おう、そうなのか」

 聞いては見たものの、まったくもって理解ができなかったので、とりあえずお祈りの時に必要、ぐらいの認識にとどめておくことにした幸一。

「それで、見当がついたのか?」

「う~ん、確証がいまいちもてないんだけど、司祭様かなぁ・・・・」

「司祭って。男か?」

「うん・・・でもまさかぁ、それにあの人既婚者だし私なんかの家の鍵盗んで何するのよ」

 自身に言い聞かせるかのように雪羽は言うものの、何とも言えない、まるで田んぼのぬかるみに素足で入ったときのような、ぬるりとした気持ち悪さと、じわじわと足が沈んでいく感覚に似た、妙な感覚に襲われる。

 幸一も、いやいや、上司じゃん。とは言うが、こいつ見た目はいいし、外ずらは優しく清らかな聖女。みたいな節があるからなぁと、内心思ってても言わないようにしていることが頭をよぎり、何とも言えない不安に陥る。

 急に二人とも考えこんだものだから、部屋を静寂が包み込み、外の深々と降っていた雨でたまった水が流れる音だけが聞こえてくる。

 どれぐらい二人で思考を巡らせていただろうか、時刻は9時を回り、さてこの後どうしようかと、幸一が話を振ろうとした時だった。

 誰かが階段を上がってくる音が聞こえる。

 え?!っと思い、幸一と雪羽は顔を見合わせ、同時に全力でその音に耳を傾けた。

 音はコンコン、と徐々に上へと昇ってきていて、二階に到着。

 一瞬、隣の遠見家が返ってきたのかと思ったが、2日間は都内のホテルで過ごすと聞いていたのでそれは無いと思っていたが、もしかしたら何かあって帰ってきたのかもしれないと思い、音の行方に耳を傾ける。

 しかし、その二人の予想とは裏腹に、音は左から徐々に右へと、そして、幸一の家の前を通り過ぎ、右奥へと進んでいく。

 このアパートは2階建てで、1,2、3号室しかなく、上下同じ作りなので、幸一の部屋の前で止まらなければ、雪羽の部屋だろう。

 宅配便か来客だろうかとも思い、行方を耳を傾けそっとまつが、次の瞬間、ガチャガチャ、がちゃり、というまるで鍵が開いたような音がし、それとほぼ同時にドアが開くキーという音が聞こえ、幸一と雪羽は顔を見合わせる。

 雪羽は慌ててパソコン机の上にあった紙とペンを握り、殴り書きで書いた。

「(わ、私の部屋・・・・誰か来たんだけどぉ!)」

 幸一もあまりの出来事に、何かの冗談じゃないのかと思い、耳を疑ったが、確かに聞こえるし、何やら隣の部屋から物音も聞こえ始めてきたので、あきらかに誰かが部屋にいる事は間違いなかった。

「(警察・・・・読んでぇ)」

 幸一は慌てて電話をかけようとして、思いとどまる。

「(警察にかける前に確認したいことがある・・・・)」

「(なに?!)」

 耳を当ててろ、という合図をし、幸一は、ゆっくりとベランダのカギを開け、外に出る、隣を確認し、遠見家がいない事を確認する。

 次に右奥、ベランダから出た時だと左奥になる部屋、つまり雪羽の部屋に視線を向ける。だが部屋の明かりはついていない、ついてはいないが人の気配はするし、物音が部屋にいた時よりはっきりと聞こえた。

 確認し終えると、すぐに部屋に戻り、携帯をもってトイレに音を立てず入る。

 すぐに電話をし、警察に事情を説明し、すぐに誰かが来るという事となった。

「(警察来るって・・・・ただ逃げられたらかなわんので・・・・ちと細工する)」

「(は?!ない言ってんのよ、すぐ捕まえてよぉ、わしの部屋ぁ)」

 気持ちは分かるし、今すぐに犯人を捕まえたい。それに俺のコレクションが山ほど保存されているのだ、あれらに何かあったらと思うと気が気ではない。

 そう思う幸一は、パソコンの引き出しを開け、とあるものを取り出した。

 それは男の子の必需品、ローションであるが、雪羽からしたらなにを取り出したのかわからず唖然とする。

 しかし、幸一はそんな雪羽の事を気にすることなく、キャップの蓋を全部開け、料理の鍋にそれをすべて投入、そのあと水を入れ、手でかき混ぜる。

 雪羽は幸一がいったい何をしているのかわからず、その様子を見ていると、幸一は出来上がったローションいっぱいのお鍋を、ベランダにもっていき、雪羽の絵やのベランダのほうへ向けて音をたてないようにして流し込んでいった。

 幸いにも、水はけ用のパイプはベランダを出て左側、つまり雪羽の部屋のほうへと伸びており、そこから下に落ちる仕組みとなっていたが、ローションたっぷりの水をベランダ全体にお鍋一杯分まき散らしたのだ、すぐに乾いたり、水はけ用のパイプに流れたりはしないだろうと踏んでいた。

 そうこうしている間に、どうやら警察がキタらしく、ドタドタという足音が複数、聞こてきて一つは幸一の部屋の前で止まり、もう一つは雪羽の家に直行した。

 同時にチャイムが鳴り、こちらはスムーズに出て、右の部屋、つまり雪羽の部屋からはど、ドタドタと音が聞こえだし、すかさず右はがちゃりと警察が玄関を開ける音が聞こえた。

 どうやら侵入者は玄関のかぎをかけていなかったらしく、警察が難なく侵入した。

 幸一はドアを開け、警察を向かいれる、と同時にベランダのほうで、どーん、という音と、いでぇ、という男性らしき声、さらに何度もどんどんと音が聞こえる。

 どうやら幸一のトラップにまんまと引っかかり、盛大にコケているようだ。

 ローションまみれの床など、バランス感覚を注意してたとうとしない限りうまく立ち上がることなどできないのだから。

「あ、なのぉ、いったい何が・・・・こちらですよね通報されたかた」

「ああ、俺です。隣人はそこで自分の部屋に耳傾けてます。あと、ベランダにトラップ仕掛けておいたので、多分犯人が盛大に転んでるのかと」

 はぁ、という生返事が返ってきたが、すぐに無線で、応援に来てくれ、との声が聞こえ、慌てて幸一の前にいた警察官は、雪羽の部屋に突入していった。

「おーい、行くぞ・・・・犯人みるだろ?」

「・・・・」

 緊張しきった表情で頷き、幸一の前までくる雪羽、今までに見たことないほどに顔がこわばっていたので、幸一は、そっと手を握ると同時に、少し待て、と言い、部屋のクローゼットから羽織るものをもってきて、雪羽に着せる。

「ノーブラだろ、見えるとまずいからそれで隠せ」

「変態・・・・でも、ありがとう・・・・」

 そう言って素直に受け取ると、ジャケットを着こみ、幸一と一緒に雪羽も外に出る、隣の部屋、雪羽の家の玄関入り口は開け放たれ、中は電気を付けたのか、照らされていたが、アレに荒れ果てていた。

 というよりも、服と下着が散乱し、あきらかにやばい状況になっていた。

 一瞬雪羽は怯み、一歩下がるも、それを見た幸一が彼女の手を握り、頷く。

 ベランダでは、警察官二人で犯人を取り押さえていたが、どうもうまくいっていない。

「ナンダコレ、ぬるぬるしてうまく手錠がかけられん」

「くぅ、大人しくしろぉ」

「いたたた、痛いから」

 声がした。犯人の声だ。

 だが、雪羽その声を聴いた瞬間顔面から血の気が引いていた。

 その反応を見て、こりゃ身内かと幸一もすぐに思い至り、彼女の手を少し強めに握る。

「大丈夫俺がいあああああああああああああああ」

「へ?!・・・・あ・・・・」

 幸一がカッコよく声をかけようとした矢先だった、彼の目に、雪羽が隠してきていた彼の私物、シルヴィー抱き枕があったのだが・・・・その姿んは無残な・・・というか見るに堪えない状況になっていてた。

 具体的には、こう、抱き枕を抱き枕とは違う、もっと欲望全開の方向で使用したような状態となっており、その証拠もばっちりべっとりついていた。

「あ、お、俺のシルヴィ・・・・・」

「え、えーと・・・」

 思わぬことがきっかけで、シルヴィーの事がバレたにはバレたが、あまりに無残な状態になっていたので、どう声を書けたらいいのか、雪羽は迷っていたが、すぐに幸一は動き出すと、ベランダで暴れる犯人の元に歩み寄ると。

「死ねえええええええ」

 足を思いっきり振りかぶり、まるでボールでもけるかのように、犯人の顔面を蹴り上げた。

 警官二人に取り押さえられ、固定されていたため、体が飛ぶことはなかったのだが、それが良くなかったのか、脳震盪を起こし、気絶した。

 結果的に大人しくなったとはいえ、わりと危険な行為だと、あとで警察には叱られることになるのだが。

 今の幸一からすると、本気で殺す気でけったであろう。

 何故ならば、あろうことか嫁の無残な姿を目の当たりにしたのだから。

「あの、この部屋の形。すみませんが、犯人の顔の確認をお願いします」

 そう言われ、恐る恐る雪羽は近づき、やはり、というように納得してその気絶している人物の顔を見た。

「司祭様です・・・・うちの教会の」

 こうして、一連のカギを無くしてから、の事件は幕を閉じたのだった。



 現場は、警察の現場検証のため保存・・・となり、一時的に幸一の部屋へという話になったときに。

「服・・・全部捨てる感じか?」

「うん・・・・気持ち悪い・・・・」

 この部屋で何が行われていたのかは、想像にたやすく、下着や、服、衣類はすべてその対象になりえる形となってしまった。

 さらに、警察からは、衣類はすべて押収した後どうしますかと問われ、迷うことなく燃やしてくれというしかない状況だった。

 幸か不幸か、幸一のコレクションで犠牲になったのはシルヴィーだけですみ、ほかは無事だった物の、いったんは、雪羽の部屋をそのままにし、幸一の部屋に戻る事となったのだった。

「お、俺のシルヴィが・・・・」

 幸一は両手、両膝を床につき、打ちひしがれていた。

「あ、あのぉ・・・」

「じょ、女性なら1万ぽ譲って許せたんだ・・・男・・しかもあろうことか・・・よし、やつを処刑しよう」

「待って待って、もう捕まってるから。無理だから!」

「離せ。奴を血祭りにあげえやるぅ~!」

 今にも飛び出していきそうな幸一を、慌てて雪羽は後ろから羽交い絞めにして止めるが、幸一は涙を流しながらそう叫ぶ。

 その後、何度かそのやりとりが繰り返されたが、だいぶ落ち着いてきたのか、とりあえず話ができるまでに二人とも落ち着き、テーブルの上に紅茶が二つ置かれていた。

 気がつけば時刻は深夜の1時となっていた。

「あ、あの・・・もぉ誰よ!」

 話をしようと口を開いた雪羽だったが、深夜にもかかわらず着信があり、乱暴につかみ取ると、通話ボタンを押した。

「いったい何時だと思ってるの!」

「(何時でも構わないわ・・・大丈夫。無事なの、シスターミィリア)」

「え、シスターラピス・・・このような時間にどうされたのですか?」

 どうやら電話口は雪羽の務める教会のシスター長らしく、驚く雪羽。

 時刻は深夜1時、普通の人であればとっくに就寝している時間でもあったし、雪羽はこのシスター長が規則正しい方で、10時ごろには就寝されていると、本人から前に聞いていたものだから、驚きを隠せないでいた。

「(司祭様がその・・・捕まったとのご連絡をいただきまして。その罪状が、不法侵入、器物破損、痴漢行為だと伺い、さらに被害者はあなただと言うではありませんか、いてもたってもいられず、こんな時間ではありましたがお電話したのです。本当に大丈夫ですか?)」

 普段温厚で、聖職者の鏡のような人であると雪羽は常日頃からこのシスターの事を尊敬し、いつか私もこの人のような、清く正しい、揺るがない精神と慈しみの心をもって、多くの人の支えになりたいと、そう思える人が、今日は珍しく、声を荒げ、取り乱したように、普段ではありえないほどの早口でまくし立ててきた。

「シスターラピス落ち着いてください。わたくしは大丈夫です」

「(本当ですか? 危害など加えられておりませんか? 今どこにいるのです?)

「危害はなかったです、知人の家にいたので。部屋はとんでもない事になっておりますが。今も知人の家で・・・え、変われ?」

 幸一が雪羽に変わるよう指示をし、電話口のラピスも、どうしたのでか? と慌てだす。

「あの、こんばんは」

「(え、男性の形?! こ、こんばんは・・・)」

 電話口の相手が驚いたのもつかの間、警戒したのが声音ですぐに理解でき、慎重に言葉を選ばねばと幸一は思った。

「わたくし、咲宮さんの隣人で、良き友人の、佐久間 幸一と申します。彼女に関しましてはかなり動揺はしていたものの、今は落ち着いておりまして。大丈夫かと思われます」

「(幸一さん・・とおっしゃいましたか。ミィ・・・雪羽さんとはどういった?)」

「ああ、洗礼名で構いませんよ、聞いてますし本人から。そうですねぇ、雨の日に人の家に押し入ってきて、風呂場を占領されたあげく着るものないからと、貸せと言われ、夕食を一緒・・・痛い、痛いから蹴るな!」

 今日の出来事を淡々と話し始めた幸一に、慌てて小声で、何言ってるのよ、と制止するも、言葉を止めようとしない幸一に耐えかねて、ついに雪羽は机の下から幸一の足をけりつけた。

「(はぁ・・・・あ、あの、幸一さん。という事は、一連の流れは)」

「はい、存じ上げております。というより、捕まえる手助けした感じですし」

 それから、これまでの経緯を幸一はラピスへと説明し、やっとラピスは安どの声を漏らした。

「(そうでしたかぁ・・・よかったわぁ。それでは、ミィリアさんの事、よろしくお願いしてよろしいかしら、数日は落ち着かないでしょうし)」

「ええ、まぁ、これも雪羽さんの言う隣人愛とやらという事で」

「(あら、うまいことおっしゃいますのね。それではご本人に代わっていただけるかしら?)」

 変わるように促され、幸一は挨拶をしてそのままスマホを雪羽に手渡す。

 怪訝な顔になる雪羽をよそに、幸一は台所へと立ち上がった。

「はい、お電話かわしました」

「(良き友人・・・いえ、殿方を見つけになられましたね)」

「シスター、ちょっとぉ」

「(あとで、連れてきてくださいね。それではおやすみなさい、落ち着いたら出てきてください)」

「ちょっ・・・・切れちゃった」

 最後はだいぶ安心したのか、声音がいつもの感じに戻っていた、様な気がしたが何となくはずんでいるようにも聞こえ、釈然としない感じだった。

「終わったか、ほらココア。落ち着くぞ」

「ぅん・・・」

 雪羽は、不満げな顔をしながら幸一から半ばふんだくるようにしてコップを受け取り、口を付け、勢いよく飲もうとして、すぐにアチッといい、ふぅーふぅーとココアを冷まそうとする。

「当てて飲むから」

「誰のせいよぉ・・・・何言われたの、シスターに」

「別に何も、まぁ最初は警戒されたみたいだけど。大丈夫だろ」

「そうね、大丈夫そうよ・・・連れて来いとは言われたけど」

「え、いやいや、なんで?」

「知らないわよ・・・・」

「ところで、咲宮さん。今晩は・・・」

「私がベット使うのは嫌よ。ソファーで良い」

 幸一が言おうとしたことを先回りされ、頭をかきながらどうしたものかと悩む幸一。

「ああ、俺今日は〆切あって寝れないんだよなぁ。だからベット使わないんだよなぁ」

 わざとらしくそんな事を言い出す幸一、訝しげに見る雪羽だったが、今日一日の疲れがココアを飲んだ事で気が緩んだのか、一気に全身に押し寄せてきて、瞼が、シバシバしてきたらしく、雪羽は目をしきりにこすり始めていた。

「飲んだら歯磨きして寝ろ」

「歯ブラシ無い・・・・」

「新品置いといた・・・・予備のやつだから使え」

 今更ながらに雪羽は思う、なんでこの友人はなんやかんやでこう準備が良いのかと。

「備えあれば患いなし・・・・あと、安いときに買っとけば高いときに買わなくて済むからな!」

 どうやら後者が本音らしく、実に楽しそうにそういうものだから、なに言ってるんだかと思いつつも、その心遣いに感謝して、雪羽は、ココアを飲み干し、歯磨きをして床に就くのだった。



 翌日、10時20分

 けたたましく呼び鈴が鳴り、来客を告げたかと思えば、ガチャガチャと音がし、どん、っという音ともに扉が開け放たれる音がする。

「お兄ちゃん、お姉さんは!」

 慌てた様子で、麻衣華がらわれる。

 ソファーで寝ていた幸一が起き上がり、眠い瞼をこすりながら欠伸をする。

 カーテンが開け放たれ、昨日のシトシト雨は何処へやら、外は初夏の日差しが照り付けていて、思わずまぶしさに目を背ける幸一。

 眠いながらも、そこだと言いながら自身のベットを指さした。

「え、ああ、無事なのね・・・・」

「なんでいるんだ? 確か都内で仕事を・・・」

「朝早くに警察から電話があって、アパートで事件があったって聞いて。お姉ちゃんの部屋だって言うし、急いで帰ってきたの」

 どうやら、朝の早い通勤ラッシュ中の電車で慌てて帰宅したらしい。

 というのも、ここ藤沢に朝の10時前後につこうと考えるならば、8時か9時前後の都内の電車に乗らないと来れないからである。

「まぁ落ち着け。犯人は捕まえたし、本人はそこで寝てる・・・ってか本当にぐっすり寝てるなこいつは」

 大変幸せそうな顔で寝息を立てる雪羽に呆れながら、幸一はあくびをした。

「なんか・・・無事そう?」

「麻衣華ちゃん、とりあえず、お茶飲む?」

「え、あ、うぅん・・・・・」

 普段の彼女ならばここまで取り乱したりはしないだろう、よほど心配だったんだろうなぁと幸一は思い、Lasutyあたりを使い、一言こちらは無事だと入れておくべきだったかもしれないと思う。

「うぅ・・・ぅ~ん。おはよぉ」

 三人分の緑茶を入れ、部屋のデールに置く。

「お姉ちゃんおはよ」

「うん、おはよぉ麻衣華ちゃ・・・あれ?」

 そこでやっと気がついたのか、雪羽の動きが止まり、麻衣華に視線を向ける。

「にゃんでいるぅ」

「飲みながらしゃべるな」

 まだ寝ぼけているのだろうか、飲みながらしゃべる雪羽に、幸一があきれながらそう言うと、はしたないわねと、姿勢を正し、まだ寝起きの起き抜けの髪を手櫛で整える。

「おねえちゃんこれ」

「うぅん、あんがと・・・ふっ・・・・」

 櫛を麻衣華から受け取り、髪の毛を整えていく。

 そのやり取りを、女性は大変だなぁと思いながら幸一は眺めていた。

 3人で緑茶をすすり、一息つく。

 すっかり目を覚ました雪羽、は姿勢を正し、麻衣華に視線を向ける。

「心配かけてごめんなさい、まさか慌てて戻ってきてくれるなんて!」

 どうやら麻衣華が部屋に入ってきてからの会話を、寝ぼけながらも耳に入っていたらしく、そんな事を言い、頭を下げる。

「いえ・・・それより、お姉ちゃん。怪我とかは? 襲われたんでしょ?」

 どうやら、警察の方々の伝え方が悪かったのか、襲われたこととなっていた。

「いやいや、襲われてはいない。実は・・・」

 これまでの経緯を麻衣華に話始め、麻衣華は真剣にそれに耳を傾け、話を聞き終えるとと、良かったぁといい、安どのため息をつく。

「それならそうと、連絡くれればいいのに」

「「まことに申し訳ございませんでした」」

 幸一と雪羽は同時に頭を下げた。

 確かに彼女の言うように、一報入れておけば、慌てて帰ってくることもなかったであろうし、余計な心配をさせる事もなかったであろう。

「で、実際の被害は・・・・ってなんでそこでお兄ちゃんが暗い顔してるの? 被害受けたのお姉ちゃんなんじゃ・・・」

「あー、うん、そうなんだけどぉそうじゃないというか・・・」

 まだ昨晩の惨状を思い出して立ち直れないのか、奴は許さん・・・などとブツブツと小声で壊れたようにつぶやく幸一の姿に、これまでの幸一との事を説明しつつ、昨晩の惨状についても雪羽が説明をした。

「うわぁ・・・・つまり・・・部屋ごと色々穢されたと」

「結論だとそうなるから、どうしよかなぁと思って。あの部屋も、もう住めないし」

「いや、住めはするだろ」

「いやよ、変質者が色々やった部屋なんて。ましてや、部屋も特定されてるのよ」

 ごもっともな話である、身の安全を考えるのと、色々安全策を講じるのであれば、引っ越しをするのが適当であることは明確であった。

「あーあー。ここなら仕事への立地条件もいいし、隣人は変な人だけど優しかったから助かったのになぁ」

「変人は余計だぞ」

「う~ん・・・・お兄ちゃんと暮らせば?」

 は?っと雪羽と、幸一は同時に麻衣華を見やるが、彼女は何をそんなに驚いているのだろうと小首をかしげながら二人を見る。

「何考えてるの。麻衣華ちゃん、男と女が一つ屋根の下にすむのよ、分かる?」

「うん・・・・でもお兄ちゃん。襲わないでしょ?」

 そう言って屈託のない笑みを浮かべながら麻衣華は幸一を見るが、幸一は渋い顔をしながら言った。

「麻衣華ちゃん。俺とて男だ、しかも三十路すぎの男だ。普通に性欲はあるし・・・おい、なぜ自分を抱きしめながら距離を取った」

「そら、身の危険を感じたからよ」

「一般論の話をしてるんだ。襲うか!」

「お姉ちゃん可愛いと思うけど。お姉ちゃんじゃ不満なの?」

 また答えにくい事を麻衣華は幸一に投げかける。

「へぇ、即答しないのは私に不満があるんだぁ」

「ちが・・・ってか近づいてくるな。お前ノーブラだろ。見えるから!」

「見たいくせに。ヘタレ」

 雪羽が一括し、幸一は勘弁してくれと思いながら、麻衣華に助けを求めたが、彼女はそんな二人のやり取りを、とても愛しいモノの様に慈しむ様な瞳で見ていた。

「あのぉ、助けてくれません?」

「楽しそうだなぁって思ってたけど、違うの?」

 二人のやり取りを見ていた麻衣華は、素直にそう告げると、どうやらまんざらでもなかったらしく、二人ともに少し恥ずかしそうに麻衣華から視線をそらした。

 麻衣華はそんな二人の反のを見ながら、微笑ましく思った。

「あ、でもそうなると、下着とか。服は?」

「そうよ、忘れてたわ・・・・確か昨日の洗濯機回してくれてたのよね?」

「え、ああ、一様昨晩のうちに回しておいたから干せるぞ」

「じゃぁ干して・・・・」

「え、俺?」

「いいじゃない、私のパンツと、ブラ干せるのよ、ご褒美でしょ?!」

「いや、お前機能の今日でよく知らない男にそういうの頼めるな」

 知らなくないし、良いから干してという、なにが何だか分からないというようにしてると。

「私・・・・干そうか?」

「いや、麻衣華ちゃんは座ってていいよ。まったく・・・」

 そう言い、立ち上がると、幸一は洗面所にある洗濯機の元へ行く。

「お姉ちゃん、わざと?」

「うん、萌えるじゃない・・・・男の子が女性の下着を握りしめながら、妄想を必死に抑えながら洗濯するなんて。それを背後から眺められるのよ!やらない手はないわ」

 本当に昨晩この人は怖い思いをしたのだろうかと、麻衣華は疑わずにはいられなかった。

 しかし、良くも悪くも平常運転だなぁと思い、心からほっとした。

 その後、幸一は、麻衣華のシスター服と、下着を干し、その間背後から散々いじられ、顔を真っ赤にしつつ、午前中は過ぎて行った。

 下着など一式は昨夜の騒動ですべて駄目になり、というよりも、司祭に穢されたので、嫌だ使いたくないとの事で、すべて処分、仕方ないから買いに行くこととなったのだが、今ある下着は、干しているので、乾くまで、お昼を食べ、ゆっくり過ごすこととなった。

 幸い、本日は天気も良く、晴天だったため、すぐに乾くだろうとの事で、午後からは出かける準備となったが実際今後どうするのか、という事は何も決まっていなかった。

 昼食を終え、紅茶を3人ですすっていると、不意に幸一のスマホが着信を知らせる。

「はい・・・」

「(おお、お隣さん。お元気かい? 昨日は大変だったようで)」

「ああ、麻衣華ちゃんのお母さん・・・」

「(華浦お姉さんって言ってくれないかなぁ)」

 ここにも癖の強い人が居るなぁと幸一は思いながら、やれやれと思う。

「か、華浦お姉さんは・・・何のご用件で?」

 幸一が、麻衣華の母を名前呼びにした瞬間、雪羽と麻衣華は同時に会話をやめ、幸一を見やる。

 あまりの迫力と反応の速さに、一瞬言い知れぬ恐怖を覚えるも、さっさと用件を聞いてしまって通話を切ったほうが賢明だ、と判断した幸一は、用件を促した。

「(何やら強姦が出たとの事で、隣人が大変だったみたいだが・・・)」

「その件ですか・・えっとですねぇ」

 幸一は本日二度目の昨夜の出来事を、華浦に説明をし、華浦もまた黙ってそれを聞いていた。

「(それで、お隣さんどうするってこの後)」

「一様、我が家に泊まり込む遺体なので、この後麻衣華ちゃんに手伝ってもらって、お買い物だそうです」

「(へぇ、ほぉ~、ふぅ~ん。なに、好きなの?)」

「電話切っていいですか?」

「(まぁいいや、娘にも、戸締りしっかりするように伝えておいてね、後何かあったら君がどうにかしてくれると助かるから、よろしくぅ)」

「ええ、まぁできる限りの事はしますので」

 任せたよぉ。という声とともに一方的に通話は切られた。

「お母さんなんて?」

「任せたって・・・・」

 そう言った時、麻衣華のスマホが音を鳴らし、麻衣華ちゃんが確認をする。

「・・・・馬鹿じゃない」

「どうしたの?」

 麻衣華にしては珍しく子供のような声で、ぼそりと呟いたので、幸一は気になりそう聞いたが、彼女は何でもないと言って、話を遮った。

「へぇ・・・なるほど。確かに佐久間さんには関係ないかもねぇ」

「え、きゃっ・・・見ました?」

「う~ん、見たけどぉ、見てない事にするねぇ」

 麻衣華のスマホを覗き見てそう言い、雪羽は含みのある言い方をしながら、そういう。

 普段から動揺などしなそうな彼女が、珍しく動揺をし、雪羽を見やるが、雪羽は適当にごまかす。

 二人のやり取りで、大方母親が麻衣華に何か変な事でも吹き込んだのであろうと思って、やれやれと幸一は思うのであった。

 その後、乾いた、下着を着用し、服は幸一の物を借りて、3人で出かけ、必要な物資を買い求めて、その日は終わりとなったのだった。

 長い長い1日が、これでようやく終わったのだった。






 4話、迷い、戸惑い、すれ違い。

 7月になり、初夏から本格的な夏へと移り変わるこの季節。

 梅雨が明け、燦々と照り付ける太陽の熱に、陽炎が遠くで見えるほどにアスファルトは熱せられ、熱さも本格化しようという時期であり、同時に新人作家の勝負ともいえるのがこの夏でもある。

 夏は様々な出版社が新人賞などを応募する時期であり、学生や社会人のお盆の休みや、夏休みなどを利用して、数多くの作家を目指す人が勝負をする月でもあるのが7月~8月のこの時期である。

 そんな、作家にとって、特に売れない作家や新人時にとって大切な時期に、なぜか幸一は外に居た。

 正確には外ではなく室内ではあるものの、自宅ではない場所にいた。

 目の前には石造りの立派な教会があり、その大きさと広さを物語っていた。

 何故、自分がこんなところにいるのかといえば。

「失礼のないようにお願いね」

「忙しいんだが俺は・・・・」

 幸一がそういうと、雪羽は幸一の太ももを抓った。

 イタタタ、とわめく幸一を無視し、扉を開け、中に入る。

 中の作りはまさに協会そのもので、イギリスの大聖堂ほどではないにしろ、白を印象的にしたとても清潔感ある内装で、石造りという事もあり、それがまた、異国の建築物であることを強く印象図ける作りとなっていた。

「凄いなここ」

「うん・・・・すごい」

 幸一と、是非お姉ちゃんの職場を見学したいという事で麻衣華も教会に招かれ、雪羽は二人の案内役を仰せつかったのだった。

 あの事件から約1ヶ月。雪羽は、身の回りの整理や、後始末に追われ、シスターラピスの計らいもあり、本日まで休暇をいただいていたのだ。

 久しぶりに身を包むシスター服に、雪羽は何とも言えないむず痒さとともに、言い知れぬ恐怖のようなものも少し感じていたのだ。

「お待ちしておりましたよ皆さん」

 礼拝堂の奥から、一人の女性がゆったりとした足取りでこちらに向かってくるので、こちらも歩みを進め、ちょうど教会の真ん中ぐらいで両社は止まった。

「シスターラピス、ごきげんよう」

「はい、シスターミィリアごきげんよう。正装をしてきてくださるとは思いませんでした。その心づかいに深く感謝いたします」

 そう言い、深々と目の前の初老の女性は頭を下げた。

 あまりの事に頭が追い付かなかった三人だったが、すぐに雪羽は慌てて制止する。

「やめてくださいシスター。あなたは何も・・・・」

「いいえ、今回の件。わたくしは薄々感づいていながらも、神に誓って人様を疑う事はいけないと自分に言い聞かせ、見て見ぬふりをしてしまった。わたくしにもう少し勇気があり、早く行動さえ起こしていれば、結果は違ったやもしれません」

「しかし・・・・」

「はーい、まった」

 幸一は今のやり取りで聞き捨てならない発言があったので、ラピスを制止する雪羽を止めに入った。

 まさか止められると思っていなかったのであろう、目を見開き、驚いた表情で幸一を見やるが、幸一の目がしっかりとラピスをとらえ、その瞳に決意にも似た何かを感じ、何をするのよ、と出かけた言葉が喉元で止まってしまった。

「おい、あんた知ってたのか・・・いや知らなくても気がついていたのか?」

「はい・・・・」

「つまりあれか、知ってて放置して。こんな事態になったと?」

「はい、弁解は致しません。確証がなかったとはいえ、長年の同僚です、仕草や目の動き、言動である程度は察しがついていましたが、疑うという事は・・・・」

「お姉ちゃん・・・それで取り返しのつかない事になるところだった!」

 珍しく怒りを面に出し、今にもつかみかからんばかりの迫力に、ラピスも驚いていたが、それよりも雪羽と幸一が、びっくりしていた。

「そもそも、なんでこんな事になったんだ?」

「それは・・・まぁ色々ございますが、一番は、あなたの輝きが増したのが原因かと」

 幸一の問いに、良く分からないふわっとした回答が飛んでくる。

「分かりやすく述べますと。生き生きとし始め、精力的になった。といえば良く分かるのではないかと思われます。

 私も、ここ最近のアナタに、大変魅力的な・・・」

「シスター、私ノーマルで」

「当たり前です、私もそのけはありません!」 

 どうやら、物腰は丁寧で柔らかく、口調も洗礼されてるが、案外ノリツッコミができる人なのだと幸一は驚いた。

「まぁ、仕方ないわね・・・私がそれだけ魅力的だっ、いた。何するの!」

「何するのじゃねぇよ。少しは気を付けろこの煩悩シスター」

 調子に乗り始めた雪羽に、すかさず幸一がツッコミを入れ、頭をはたく。

「なんてことをラピス長の前で言うの。私は・・・」

「今回はお前のせいじゃないし、そういう流れだったというだけだ。だが運が良かったのも事実だ。少しは気を付けろ」

「うん・・・・今回は運が良すぎた」

 麻衣華に言われ、流石にバツが悪そうに、静かになる雪羽を見て、ラピスはくすくすと笑いだした。

「すみません。でも、あなたがあまりにもココにいる時と違うものだから、つい」

「え、いや、あの」

「そうだよなぁ、違うよなぁ。猫をかぶってますから二ゃァ~」

 慌てふためく雪羽に、幸一がすかさずからかうようにしてそういう。

「アンタねぇ。覚えてなさいよぉ。シルヴィー全部開けてやるんだから」

「だぁー、頼む、残り僅かの遺産を開けないでくれぇ」

 慌てて誤り、懇願する幸一に、知らないわよと雪羽は言い放った。

「うふふ。本当にいい出会いがあったようですね。さて、シスターミリィア」

「はい・・・」

 いきなり場の空気が変わり張り詰める。

 今までの和やかなムードは無くなり、何かの決断を迫られるような、そんな張り詰めた場になり。ああ、これが年上の候というやつなのかと、幸一と麻衣華は思い。押し黙る。

「今回の件。教会としても重く見ており。近く、正式に教会側からの謝罪と、彼の者の処分と処遇が決まります。

 その際、あなたに問います。

 厳罰を彼の者に求めますか?」

「求めます・・・・」

「続いて。汝、シスターミィリア。現職続行を望みますか」

「・・・・」

 どうやら今回の本当の目的はこれだったらしく、雪羽に、ここで働き続けるのかを解いたらいらしい。

「今回の事で、教会からは大きな慰謝料をあなたへ出すことは決定事項です。ですので、しばらく生活に困る事もなければ、次の仕事につきましても全力でサポートはさせていただき・・・」

「その必要はございません、シスターラピス。わたくしは、わたくしの意志でここに残ります」

「なぜです?」

「それは、わたくしはあなたに憧れ、尊敬の念を抱き。あなたから聖職者とは何たるかを学び、己の糧としていきたいと考えているからです。

 おそらくここに残る事で危険などもあるとは思います。ですが、それでもわたくしはあなたから聖人の在り方を学び、多くの人を導きたいと考えているのです」

「そ・・うです・・か」

 雪羽の決意と熱意の表れに、その言葉を向けられていた張本人は、唖然とし、言葉が出ず、目の前の女性の強さと気高さ、に感銘を受け、動けなくなってしまっていた。

「分かりました。教会は司祭を永久追放すると同時に、教会として、あなたがここにいられるように全力を尽くさせていただきます。これで、よろしいですか?」

 最後に、なぜかラピスは幸一と麻衣華に向かって問いかけた。

 雪羽は彼らに視線を向けるが、特に何も言わず、二人の回答をじっと待つ。

「咲宮 雪羽・・・・良いんだな?」

「うん」

「はぁ~、ハイハイ分かりましたよぉ。好きにしてくださいな隣人様」

 幸一は一度は真剣な面持ちで聞いたが、彼女の決意の固さは本物だと思い、仕方ないかと思った。

 それと同時に、ああ俺の平穏な一人暮らしが・・・とも思っていた。

「お姉ちゃん。大丈夫。いざとなればお兄ちゃんがどうにかしてくれるから!」

「麻衣華さん・・・もう十分どうにかしてあげてると思うんですよねぇ」

「え、それは、今まで以上にでしょ?」

 そんな当たり前だよね。みたいに言わないでほしいと、幸一は心の中で涙を流しながら、うずくしかなかったのだった。

「何それ、カッコ悪、あははははは」

「おいこらそこぉ、お前のせいなんだぞぉ」

「あはは、ひぃーおかしいぃ。では、改めてよろしくね。お・に・い・さ・ん」

 その日、幸一は人生最大の間違いを犯したのかもしれないと、心で思いながら、ああ神よ、俺にお慈悲をと、教会で嘆いたのは、いうまでもなかった。




 7月7日、七夕

織姫と彦星が一年に一度出会い、愛をはぐくむ日。

 しかし、そんなロマッチクな日だというのに、幸一と雪羽は向かい合わせでにらみ合っていた。

 原因は、テーブルに置かれた原稿であった。

「ナニコレ」

「何って原稿だよ、読んだら感想を言う。俺たちの決まり事みたいなものだろ」

「だから言ってるじゃん。納得できない!」

「何が納得できないんだ」

「だから全部。全部納得できない。書き直して!」

 今まで、意見交換や、完走を言いあい、悪い部分を修正し、互いを高めあう事を主目的としてきたはずの見せあいっこは、本日どういうわけか、雪羽が書き直せとまで言い出したのだ。

 本来、作者の書いたものを批判するのも、称賛するのも読者であるので、それを甘んじて受け、次に生かすのが作者であるはずだ。

 しかし、今回は読者が作者に、書き直せと言っている。

「この娘がかわいそうスギル!」

「はぁ、それが良いんだろ。救いがないからこそ、現実味がある」

 今回の話はいわゆるバットエンドをテーマとして書かれた作品で、ファンタジーで冒険ものを書いてきた幸一の今までの物語は、どれもある程度救われる、もしくは救う側の話で、バットエンドになりようもない構成だったのだ。

 目の前で繰り広げられるやり取りに、2人目の読者は、緑茶をすすりながら、みたらし団子を食べ、行く末を見守っていた。

「良いか。この話はな、主人公たちが、頑張ってたどり着いた強敵に立ち向かうも、装備や準備を怠り、慢心が招いた油断から敗北につながり命を落とすことで、何事にも準備を怠るべからずという教訓をだなぁ・・・」

「面白くない」

 一括された。

 こともあろうに、感想が今までで一番侵奪だったので、幸一も唖然とする。

「おかしいじゃない、手前の街で補給できたじゃない。不自然すぎる。あと主人公が死亡フラグ立てすぎ得て、展開が読める。面白くない」

 確かに、幸一もそれは思っていた。

 展開が短絡的、流れが少し雑、バットエンドにするために少しやりすぎたかな。というのは思ってはいた。

 自分でもしっくり来ていなかったし、なんとなく、楽しんで書いてはいなかった。

「お兄ちゃん・・・・」

「はい」

 口論が始まってから早1時間、すでに意見は出尽くし、自分でもダメだと分かっていながら、食い下がっていたが、ついに自分の一番の本命、今の今までこの作品に関して口を開かなかった麻衣華が口を開いた。

「二度と書かないで・・・・」

「え・・・・」

「・・・・」

 雪羽も思わず声が漏れ、冷や汗が出てくるほど恐ろしい形相で、一言そういった麻衣華。

 言われた本人に至っては、嘘だろ。というように動けないでいた。

 麻衣華はそれだけ言うと、スッと立ち上がり、玄関に良き靴を履き、そのまま何も言わずに帰って行った。

 静寂が部屋を包み、残された湯呑だけが、彼女がそこに居て、徹底的な人音を言ったのだと物語っていた。

「ちょ、ちょっと私買い物行ってくるねぇ」

 居たたまれなくなり、雪羽は急いで身支度を整えると、そそくさと部屋を出て行った。

 あとには、放心状態の幸一だけがポツリと残されたのだった。



 7月10日

 二度と書かないで、事件から3日後幸一は都内の喫茶店にいた。

 向かい合っているのは、麻衣華の母、華浦だ。

「どうですか・・・・」

「なるほどねぇ・・君はまぁ、この手のは向いてないないとおもう。人間向き不向きがあるから、得意分野を伸ばすことがいいとは思う」

「やっぱりですか」

「しかし驚いたよ、呼び出されるとはねぇ」

 そう、幸一は華浦を呼び出していたのだ。

 いつもならば仕事などの話の都合で、ちょくちょく呼び出しとして華浦からメールないし電話をいただいていたのだが、今回は幸一が彼女を呼びつけたのだ。

「すみません。もう分らなくなってしまって」

「一つ聞いて良いかい」

「はい」

「うちの娘が、最近妙に怖い顔で家にいるんだが・・・・もしかしてこれか?」

 動画らまだお冠のようだ。

 ここ3日、あの日から毎朝の日課だった幸一と、最近だと居候し始めた雪羽を起こすのに訪問していた麻衣華だったが、3日間一度も来ていない。

 初日なんて、雪羽は寝坊をし、遅刻する羽目にまでなってしまったぐらいだし、幸一も1件仕事を落としていた。

「そうかぁ、まぁ怒るよなぁあの子は特に」

「どういうことですか?」

 苦笑いを浮かべながらそう言う華浦。

 意味が分からず幸一は険しい顔で彼女を見ると、華浦も困った顔でぽつりぽつりと話し始めた。

「私が、未亡人ってのは知ってるよな?」

 そう、遠見家には父親がいない。

 それはお隣という事もあり、幸一は気がついていたし、あえて地雷を踏むことでもないから聞かないままでいた。

 何が原因で父親がなくなり、母と娘だけで暮らしているのか、なぜ母の仕事場の近くである都内にすまず、湘南の海の近くに住んでいるのか、分からない事、聞きたいこと、聞けることはいっぱいあったし、なぜ自分なんかのファンで居続けたのかも、詳しく掘り下げて聞いていなかった。

 もちろん目の前の女性にも、幸一はファンだと言われているが、詳しく根掘り葉掘りは聞いていない。

「当時私は短大を卒業し、憧れだった今の会社にバイトとして入っていて。そこで知り合ったのが麻衣華の父親。

 それから3年で色々な事があり、麻衣華を授かり、順風満帆な人生を送っていたわ。

彼がガンで早死にするまでは。

その時、私は娘の顔を見るのがつらくてねぇ、まだ小さかったから、色々してほしいとねだる時期でもあったから、どうしたらいいかわからなかったのよ。それで麻衣華にキツク当たったこともあった。

そんなときに出会ったのが貴方の下手くそな文章。

アレは笑えたなぁ、超素人丸出しの、読書感想文みたいな、そんな子供が書いたような小説だった。

でも、そこには確かに、誰かを元気づけよう、笑わせよう、倒しい気持ちにさせようって気持ちが垣間見えた。

だから私は、その時試しに麻衣華にあなたの小説を話して聞かせたの。

そしたら麻衣華、続きは? って目をキラキラさせてせがんできたわ。

あの時が旦那が死んでから初めて、麻衣華が私に見せた笑顔だった。

嬉しかったし、何とも情けない気持ちにもなったけど、あなたの小説は、そんな私たちに下手くそだけど笑顔と元気をくれた。

主人公が苦難を乗り越えて仲間たちと戦い。

そして、決して皆を幸せにできはしなかったけど、自分の周りの手の届く範囲だけは幸せにできた、強くはない勇者のお話」

長々と麻衣華が話すのを、幸一は黙って聞いていた。

昔の話で、部活動の時に書いた小説を自分が楽しい、こうだったらいいなぁ、人の心に残る物語を書きたいな、元気にさせる、なる話を書きたいな、というのをただ文才もなく、文章力もない人物が、書き、投稿した自己満足以外の何ものでもない作品。

 でもそれは、こうして親子を救ってくれていた、元気にしてくれていたんだと思うと、なんだそれ、と思うと同時に。ああ、書いていてよかったと素直に思えた。

「つまり。そんな俺の前向きな作人、主人公がハッピーエンドになる作品を見て、読んで育ったから。バットエンドは受け入れられないと」

「まぁそれだけじゃないのかもしれないけど。少なくても君の書いてきた物語は、主人公がヒロインと結ばれ、仲睦まじく暮らす冒険ものや恋愛ものだったはずだろ?」

「そうですね、確かに俺はそういう、皆が笑顔になる作品だけを書いてきました」

「だが・・・世の中はそうじゃない。それに、昨今では救いがないアニメや、結末の悪い作品。グロテスクなものとがはやりでもある・・・そう言いたいんだね?」

「ええ、まぁ」

 そう、幸一が書いた大きな理由としてはそこが大きかった。

 時代に合わない、人が求めていない。

 だから流行りの者を取り入れる、異世界転生もの、リピートもの、バットエンドもの、それからキャラだけが可愛く中身のないモノ。タイトルだけ無駄に長く、中身のない作品。

 そう言ったものを取り入れ、次につなげ、少しでも新人賞に近づくための糧とする。

 幸一のやっている事は決して間違ってはいない、世間一般的に見れば。

 でも、麻衣華の中ではとても受け入れられるものではなかった。

 自分の憧れの作家さん。

 今まで勇気と元気、ワクワクを与えてくれた憧れの人の書く作品。

 それは彼女にとってどれだけキラキラと輝いて見えていたのか、幸一は良く分かっていなかったのだ。

「まぁ、なんだ・・・人にはそれぞれ役割分担がある。君はこの役割じゃないってことだよ」

「そう・・・みたいですね」

「なれない事はしない。得意な分野で、頑張って勝ち取って。人に愛される作品を書いたらいい。

無理に流行りに乗る必要性なんてないと私は思うよ。

 編集長だから、そうしても売り上げを考えるけど、流行りに乗ったはいい物の、自分が思い描いていたものではなくて、気がつけば流行りの波にのまれて自滅した。

 そんな作家を私は何人も見てるし、巻を追うごとに中身がなくなり、自滅した。

 という作家も最近増えてきている。

 君は、君の信じる物語を紡いで、そしておらせればいい」

 それだけ言うと、華浦は立ち上がり、すまんね、仕事が立て込んでるんだと言い、店を足早に出て行った。

 残された幸一は、ただただ、今の話を頭でループしながら、自分が何を書きたいのかを今一度考えなおす必要がると思うのだった。



 遠見 麻衣華は迷走していた。

 自分は何を求め、何を信じ、どうしてほしかったのか。

 先日、憧れの作家さんが新作を書いてきた。

 いつものように胸躍らせページをめくる。

 ページが進むにつれて、主人公たちの雲行きが徐々に怪しくなっていき、最後には主人公たちは無残な最期を迎えてしまった。

 驚いたと同時に、悲しかった。

 彼の描く作品は、皆何かしらの試練や苦難があり、それを乗り越えて主人公たちは幸せになる物語が多かったからだ。

 最近ではライバルも増え、様々なジャンルの彼の作品を見る事が出来、さらに楽しく、胸躍らせていたし。

 彼の描く物語には、読み手を元気にしよう、楽しませよう、という努力がそこかしこに見られてそれを見つけるがまた楽しかったのだ。

 だが、これはどうだろうか。

 誰も助からない、読み進めていくだけで辛い。

 楽しい冒険じゃないし、主人公たちも痛い苦しい思いをして旅を続けている。

 彼らに笑顔がない、私にも笑顔が見えない、浮かべられない。

 こんなの彼の作品じゃない。

 そう思ったし、そうとしか思えなかった。

 だから口をついて出た言葉は、自分でも信じられないぐらい冷たい声音で、二度と書かないで、だったのだ。

 悲しかったし、そんな言い方しかできない自分が情けなくて、悲しかった。

 もっと他の言い方があったと思う。

 でも出てきた言葉はあまりにも心無いモノだった。

 だから居たたまれなくなり、その場から逃げるように後にしたのだ。

 二人とも驚いていたというより、悲しい表情をしていた。

 幸一お兄ちゃんいいたっては、ショックで動けず、おそらく自分で気がついていなかったであろうが私ははっきりと見てしまった。

 彼の瞳からスーッと涙が伝うのを。

「なに・・・してるの・・・」

 自分で自分に自問自答をしてみるが、声は虚空に消え、誰も答えを返してはくれない。

 2日前の朝、雪羽お姉ちゃんは私が起こさなかったので遅刻をしたらしい

 申し訳ないとは思う、でも合わせる顔がない。

 自分でも信じられないぐらい、なぜあんなことをあんな声音で言ったのか。正直自分自身の事で、自分の声なのに、あの声が脳内で再生されるたびに背筋に冷たいものが走る。

 それぐらい、あの時の声は冷たく、怒りに満ちていたのかもしれないと、自分でも思った。

 そんな事を考えつつ、暗いまどろみに身を任せていき、いつしか眠りについていた。

 意識が遠のく中、明日もどうしようかと思いながら。



 咲宮 雪羽は思考を巡らせていた。

 何を、先日起きた、二度と書かないで、事件ではなく、8月の新人賞へどういった作品を出すべきなのかという事を。

 普通ならば、こないだ起きた、二度と書かないで、の真意について思考を巡らせているのが普通なのだろうが、あいにく彼女はずれて居た。

「まぁ、アレは怒れるわよねぇ。さて、ライバルが足踏みしてる間に、私は私の作品を書いて、応募してデビューしちゃるわい」

 と教会内の清掃を行いながら、ひとり呟く。

 なぜ、彼女が特に気にしていないのかといえば、麻衣華が怒るのも無理ないと思ったからである。

 最初から読んでいて不快だったし、なんというか、彼の色が全く感じられず、書いているというよりも、書かされている、という表現が的確に当てはまるぐらいいびつな作品であったの火を見るより明らかだった。

 まして、私なんかよりも彼の作品を誰よりも愛し、大切にしてきたのは麻衣華ちゃんだ。

「なのでぇ、次の作品がまともじゃないと。多分今度こそビンタでもされちゃうかもねぇ」

 別に楽しくはない。

 同居させてもらってる身としては正直居たたまれない、でもこれは、私が口を出すべきことじゃないのは、麻衣華ちゃんのあの瞳と言葉を聞いて、感じてしまった。

 これは二人の問題だし、私はすでにいう事は言い終えている。

 なので、私にできる音はただ一つ作品を書いて、佐久間さんを焦らせて、嫌でも書かせること。

 うまくいく保証はないし、あの人がこのまま同じ路線で行くならばおそらく解決はしないだろう。

 だが、もし彼が自分の書いているものがどういうもので、目指していたものが何なのかに気がつけたなら、解決はするんじゃないかと思っていた。

「しっかしそうなると・・・どうしようかしら?」

 悩む、今回の新人賞、私自身はそれなりに文章力、表現力、キャラクター構成、世界観は大変向上しているのを感じているし、二人のおかげで自分が書きたいジャンルが、官能小説から、少しだけ変わり、ちょっぴりエッチな純愛系に変わりつつあった。

 なので、今回のテーマはこれで、攻めてしまえばいいかなぁと思ってはいる、いるのだがぁ。

 一つだけ問題があった。

「やっぱりモデルにはお話聞かないといけないけど・・・・あってくれるのだろうか?」

 そう、今作にはキャラクターのモデルが存在していた。

 なので、早速、あたりを付けるため、協力をしてくれる人にLasutyでメールを入れる。

 すぐに返答が来る。

「よっし。やりますかぁ」

 気合を入れ、スマホをしまい、仕事を再開しながら、彼女に何を聴こうかと思考を巡らせた。


 最終話 苦悩の果てに掴むもの。

 8月9日 午後13時54分 202号室

 8月に入り、蝉がいっそうその誠意パイの儚い命を燃やしながら、情熱的に泣き続ける中、連日その暑さに康応するかのように、日本の気温が平均35度の猛暑日を記録し、地獄のような暑さが続いていた。

 そして、202号室の気温も暑さを増していた。

「あ、あづいぃ・・・」

 台所の床に半そでと、パンツ一枚でだらしなく寝ころび、ノートパソコンを目の前に置きながらひたすらキーと打ち続けながら、ノートから出る熱に身を焼かれてるかの如く、雪羽は必死に作業を進めていた。

「うるせぇ、エアコンかけてるだろぉ・・・」

 額に汗をにじませながら、幸一もまた、パソコンのモニターから出る熱に、徐々に体力を奪われながら、フリーライターの仕事をしつつ、新作の製作に取り掛かっていた。

 二人ともに、パソコン機器を使い、1kの狭い中に40度越えの熱を砲室するものが複数存在すれば、いくらエアコンがあるとはいえ、熱がこもるというものだ。

 加えて外は猛暑、外からも中からも熱を放出していれば世話無いというものである。

 新人賞まであとわずか、〆切はどういうわけか今年は25日と、いつもより6日早く、8月も9日ともなれば焦りもし始める時期である。

 今回の原稿の決まりはとうに設けてはいないが、文字数は8万文字以上となるのが長編小説、短編小説は1万文字まで。

 という具合で、特にジャンルの制限はなくフリーでの幅広の応募要項となっていた。

 あの事件以来、麻衣華はこの部屋を訪れておらず、何とも張り合いがないと、二人は思っていたが、社会人二人、仕事をしながら小説を書くなどと時間のかかる事、余計な事に時間を割いている時間などありはしないと、雪羽は思いながら、沸騰した頭で。

「え、わたし、時間が時間で、時間がかかるから・・・」

「おーい、熱さでおかしくなったか? アイスあるからそれで頭冷やせ」

 ゆでだこの様に顔が真っ赤になっているのが目に入ったため、幸一は雪羽にそういうと、彼女は素直に従った。

 冷凍庫を開けると、クーラーよりも冷たい、まるで灼熱の砂漠の中にオアシスを見つけ、オアシスに飛び込み生き返ったかのような、そんな感覚に襲われ思わず声が漏れる。

「ふひぃ~」

「20代前半の乙女が出していい声じゃないぞぉ、咲宮さん家の雪羽さぁん」

「うっさいわよぉ、暑苦しいから話しかけないで。ヘタレ作家」

「ぅっ。あのぉ、いい加減その呼び名やめてもらっていいかなぁ」

「麻衣華ちゃんに許してもらえたらやめてあげるよぉ。おかげで私はあのウグイスのようなきれいな声で、朝起こしてもらえなくなったんだからね!」

 雪羽は、あの事件から1瞬間後、幸一にこう言ったのである(もし、このままなら許さないからね。あんな時代に合わせただけの小説・・・・彼女が納得する小説を書くか、私をぎゃふんと言わせてみなさいよ。まぁ、あなたみたいな、流行りに乗ってればデビューできるかもしれないと思ってる。ヘタレ作家には無理だろうけどねぇ

その間に私がデビューして見せるんだから)とあからさまな挑発をしてみたところ。

 この男は年甲斐もなく(はぁ、ふざけんなし。誰が逃げた小説書いたって。いいよ、そこまで言うなら今回は出来上がって結果出るまで見せない方向でいこうぜ。ガチ勝負だよ!)という流れとなり、今の状況が出来上がったのである。

 お互いに書いている作品のジャンルは内緒、応募するのは長編限定とし、どこまで行けるか、賞を取ったほうが勝ちといた。

 ちなみに、勝ったほうは負けたほうのいう事を条件なしで何でも一つだけ聞くという話となっている。

 ただし、金銭面が莫大にかかるような要求は却下とするという勝負内容だったのだが、そこに華浦が現れ(あらぁ、面白いわねぇ。私も一枚かもうかしら)という話となり、さらに条件が追加された。

「ねぇ、あれマジだと思う?」

「一様、責任ある立場の人だし、どうにかしてしまいそうな気がするが。あんまり期待すると痛い目みるぞ」

「何よ、なんか妙に冷たいじゃない華浦さんに」

「苦手なんだよ、ああいう大きい条件つけてくるの。絶対あの人なんか裏がある」

 そう言って苦笑する幸一。

 華浦がつけた条件はこうだ。(もし、審査員特別賞以上の賞を取れた場合は、デビューまで私が全力でサポートする事を誓うわ。ただし、第一選考すら突破できないクズ作品出したら・・・・3カ月我が家の3食全部作り続ける事)

 これが条件で、しかも第一選考にすら受からなければ、そこで死刑宣告である。

 なので、二人とも流石に、三ヶ月、馬車馬のごとく使われそうな気がする条件にだけは入りたくなくて、全力で制作に取り掛かっていた。

(逃げてもいいけど、その場合はぁ。もううちに原稿送ってきても私見ないから)

 との事だった。

 まぁやれば最悪の事態、原稿見てくれないは無くなるのだという事だし、作家としていい挑戦機械を得たと思えばやる気も出るというものだと幸一はそう思っていた。

 思っていたし、おそらくだが、幸一と雪羽、さらに自分の娘、麻衣華の事を心配しての行動なのは良く分かっていたので、強く否定する事も出来なかった。

「あ~、生き返るぅ~」

「清楚で可憐、慈しみがあるシスター様が家ではこんなにだらしない顔でアイス食べておりますよ」

「良いのよぉ。気を抜かないと疲れてしまうし。それにストレスは解消をしないとねぇ」

 そう言って、寝転がる場所にどこから出したのか、抱き枕をポンと置いた。

「え・・・・おい、それ」

「買ったのよぉ。前のはゴミになったし」

「そ、そうじゃねぇ。そのカバーどうした・・・・」

 その抱き枕のカバーにはゲームタイトルだろうか、文字が入っており、千の波濤、桃花染の皇姫、と書かれ、右サイドポニーの女の子が頬を染めて刀を抱いている絵柄が描かれていた。

「お前ぇまた勝手に・・・・シルヴィーの悲劇忘れたのか!」

「あ、アレはほら、事故だよ。そ、それにシルヴィーの代金払ったじゃない。倍額で!」

 そう、あの司祭騒動の時、謝罪という事で全力で誤られ、シルヴィーの代金は支払ってもらったのである。

 未だに借金があるため、受け取らんと幸一は言ったのだが、それはそれ、これはこれだと言われ、渋々受け取ったのだった。

 だが、雪羽はこりていなかった。

 あろうことかまたも、幸一のお気に入りの稲生 滸が解放されてしまっていた。

「滸ちゃん可愛いよねぇ、こういう、真面目系ツンデレ女子大好き」

「お前・・・最近美少女ゲームやりすぎじゃない?」

 幸一が見ている限りでも、家に帰ってきて、ゲームしてるか、小説書いてるかの二択で、炊事、洗濯、部屋の掃除はすべて幸一が行っていた。

「いいじゃん。部屋を荒らされた可哀そうな私を、いっぱい甘やかしてくれるんでしょ?」

「今すぐつまみ出してぇ」

 シスターラピスとの会話の時に、そのように撮れそうな発言をしたため、あながち間違いではないが、幸一は納得いかねぇと思っていた。

 抱き枕を抱きしめ、ゴロゴロした後、定位置に戻り、抱き枕の上に体をうつ伏せになり、その上にパソコンを置き、またカタカタとキーを打ち始める。

 外の暑さと、室内の暑さにうんざりしながら、これ以上熱くなるようなことを言っても体力を消耗するだけだと思った幸一は、さっさと作業に戻った。



 幸一の部屋に行かなくなって1カ月、夏休みが始まり、遠見 麻衣華はここ数日で宿題を全て片付けていた。

 毎年、この時期は何をしていたのかと思い返すも、よく思い出せず、とりあえず買ってあったライトノベルを手に取り読み始める。

 ライトノベルのタイトルは。僕のカノジョ先生という最近ハマり出したライトノベルを手に取る。

 あらすじはこうだ。

 幼馴染だったころ、とても大好きだった先生が「結婚します」と発表し幼稚園を去った。主人公はその時に深く傷つき、それ以来、小学、中学と先生への苦手意識が消せないまま高校へ上がる。

 という話から、先生と生徒の甘くいけない、学園ラブコメが始まる。

 という内容で、最近ちょっぴりエッチ系を麻衣華は読むようになっていた。

 原因は、いうまでもなく、幸一の部屋にあるパソコンの中の美少女ゲームと、雪羽の小説だった。

 いくら興味が薄いとはいえ、そう何度も何度も、性的描写やちょっぴりドキドキするシチュエーションが続くものを立て続けに読まされれば誰だって欲情はする。

 昨今、青少年の健全な育成の妨げになると言われ、規制がいっそう厳しくなり、漫画やアニメですら、規制がかかっている。

 アニメに至っては、最近だとあまりに卑猥だという事で、製作側の製作費や、クライアント(スポンサー)が多額の製作費を出したにもかかわらず、そう言った事情から、放送を断念せざるおえないケースも増えて来ていた。 

 だが、エロに対しての正しい知識というのは、学校の教科書では不十分のように感じると、麻衣華は思っているし、母華浦も、あんな感じだけ難しくして、肝心の仕方や、こう言った時どうやれば対処できる、逃げられる、危険を回避する術を学習できるわけがないだろ。と言葉を荒げながら言っていた。

 麻衣華もそれには同意である、教科書に載ってるのは事務的な事で、実際の行為や、その時の心情、必要なものや、やってはいけない事というのは、教科書に着差はされているがリアリティーや実感はまるでわかないのである。

 よって、物語の中で、主人公とヒロインが結ばれ、最終的にそうなる流れに関しては、嫌悪感よりも、むしろああ、愛って素晴らしいなぁ、こういう恋がしてみたい、こういう形で愛されてみたい、など思う事は色々ある。

「う~ん・・・」

 読み始めて数分、続かない。

 どうしても気が散るのである。

 外はうだるような暑さで、それが原因、かというとそうではない。

 熱を発する機械もなく、特にパソコンも付けていないのでエアコンはその機能をフルに発揮していて、むしろ少しだけ肌寒いぐらいである。

 夏の新人賞締め切りまであと15日あるかどうかという感じ、二人の進捗状況は気になる。

 特に、幸一がどういった物語を書くのかが、楽しみでもあり、とても不安でもある。

 不安、というよりも言い知れぬ恐怖すら感じる。

 怖いのだ、また先日読んだようなものが自分の目の前に突き付けられるのが。

 一様お母さんが見て、それから私に渡す問う話ではあるし、どうもお母さんも幸一さんの小説は好きなようなので、よほどひどければ私には見せないだろう、それだけ、私はあの後数日間、家でも学校でも怖い顔をしていたらしい。

 そう、麻衣華は葛藤しながら、202号室があるほうへと視線を向けていた。

 そしてひそかに祈る、どんな形であれ、二人の原稿が無事に完成しますようにと。



 8月23日 午後21時59分 202号室

「だ、だめだぁ、もうおしめぇだぁ~」

「ふぅん、ふぅ~、くぅ~。ふへぇ~」

 幸一は頭を抱え断末魔の叫びをあげており、雪羽は抱き枕に正拳突きをポンポンと小さく何度も食いだしながら、二人そろって目に熊を作りながら、変な行動をとっていた。

「よし、ゲームしよう!」

「間に合わなくなるわよぉ」

 現実逃避しようとする幸一に、すかさずヤジを飛ばし、現実に引き戻す雪羽。

 現実に引き戻され、涙目で助けを求める様に雪羽に視線を飛ばすが、彼女もまた彼にかまっていられる余裕があるわけではなく、ラストシーンのグッとくる告白シーンでどうするのかを決めかねていた。

「これ・・・はちがう。こんな臭いセリフいらないわよぉ・・・・違うこれじゃまんまパクリよいけないわ・・・自分の言葉自分の言葉よ」

 かれこれ4時間雪羽はこの状態が続いており、幸一は1時間前からその手が止まってしまっていた。

「なに、何で止まってんのそこ。止まったら死ぬわよ!」

「もうダメ・・・・的強くしすぎた」

 アホがいた。と雪羽は思った。

 7月に麻衣華を怒らせた原因の一つ、敵が理不尽すぎるという課題があったはずなのにあろうことか、この人は二度めの失態をしていた。

 ただ、この失敗が、失態なのか、それともより良い結末へ向かうための伏線になるのかは、本人の頑張り次第である。

 実際に、設定を盛りすぎたがゆえに話が進まなくなりそうだったが、試行錯誤の末、それがいい味を出し、限られた条件下でも頭を使えば凡人が天才に勝つことができる、などと言うシーンを良くライトノベルなどで見かけると雪羽は思い、ほおっておくに限るとあえてつけ離す。

「そもそも、私は何も助言しないわよ。今回はお互いに一切の不干渉でって話だったでしょ?」

「ゆけぇ~風のごとくぅ~、魔界の剣士よぉ、たまぁしいを込めたぁ、徹夜の原稿叩きつけて、時代に~輝けぇ~」

「歌うな、鬱陶しいわよ」

「このままじゃ俺が時代に輝くんじゃなくて。これまでの苦労が時代に輝いちゃうよ!」

 すでに支離滅裂の状態の幸一に呆れながら、雪羽は考えた、強い敵ねぇと。

「何事にも弱点って存在するじゃない生物って・・・・そう言うの無いの?」

 仕方なしにそう聞いてみると。

 え? という顔をし、お前は天才かというように晴れやかな表情となった。

 徹夜が続くと人間、普段ならすぐに気がつくようなことが頭から抜け落ち、迷子になる事がよくある。

 もちろん雪羽もここ数日の徹夜で、心身ともに限界は近く、判断力もない。

 だが、他人の苦悩は第三者から見ると冷静に見ることができると同時に、欠点や問題ても見えやすい事が多々あるのだ。

「そっちは何を考えて止まってるんだ?」

 余裕が戻ってきたのか幸一が雪羽に声をかける。

 一瞬イラっとしたがそこはご愛敬、徹夜が続けば普段は気に障らない言葉でも引っかかり、イラっとするものである。

「ラストシーンの告白の言葉」

「あー・・・・ごめん力になれ・・・」

「協力・・・してくれますわよねぇ?」

 彼の両肩に手をつき、耳元で囁くようにそういう雪羽に、幸一は夏だというのに極寒の海に叩き落されたかのように全身を貫く様な痛い寒さが突き抜け、硬直する。

「はい、じゃぁそこにたちましょうか」

「オレハナニヲヤラサレルノダイ?」

「すぐに終わるわ・・・・いい、あなたは主人公、私がヒロイン役で。ヒロインの女の子が主人公に恋心を伝えるシーンの、セリフを今から私が言うわ、良いと思ったのを手を上げてください」

「はいはい、良いからやってくれ」

 さっさと終わらせて作業にもどりたい幸一は、すぐに始めるように促す。

 雪羽は、恥ずかしさでどうにかなりそうな頭に、演技、演技よ。これも作品のため、作品をよくするためなのよ。と言い聞かせ、全力でなりきるために頭の中をヒロインの女の子の設定にして、意識する。

「私、先輩の事が、出会った時から好きでした」

「零点・・・次」

「私は、あなたに、本当の恋を教えてもらったわ。気がついた時には私はもうあなたに夢中だったの」

「10点・・・」

 なかなかに厳しい祭典であると雪羽は思うが、自分でもどうも感情が乗っていないのは分かっているので、次に移る。

「私の残りの人生全部上げるから、あなたの人生も私にちょうだい!」

「う~ん、状況によるなこれ」

「はい、次演じまーす・・・」

 考える、最後の最も盛り上がる場面、主人公は今までなんやかんやいいながらヒロインの面倒を見てくれて、優しくしてくれて、困ったときには助けてくれていた。

 だからそれを素直にでも心に届く感じで演じればいい。

 雪羽は思う。素直に心のままに、助けてくれる優しい彼への感謝の気持ちを。

「いつも、私のために、さりげなくフォローしてくれて、危ないときには助けてくれて、嫌な顔一つ見せずにそばにいてくれる、そんなあなたが・・・好きです。私とお付き合いしてください」

 感情をありったけのせ、上目図解に、手を握り必死に呼びかけるヒロインとして雪羽は幸一の目を見つめる。

「あ、あのぉ。感想は?」

 時間にして10秒ほどだろうか、全く動かなかった幸一に雪羽は不安になり言葉をかけると、やっと反応をし、すぐに雪羽から視線を逸らす。

「80点・・・ぐらい・・・だ」

 それを聞いた雪羽は、すぐに自分のノートパソコンの元へ行き、先ほどのセリフを忘れないうちに入力して生きながら、主人公とヒロインの立ち位置や情景を文章として起こしていく。

 幸一は少し呆けていたが、すぐに原稿の事を思い出し、作業を再開し始めた。



 8月25日 〆切最終日 午後22時20分

「お、おわ、おわたぁ」

 雪羽は、全力を出し切り書き終えると、サイトへアップし必要事項の漏れが無いかもしっかりと確認して、作業を終了した。

「うおおおおっし。終わったぁ」

 幸一も終了し、ほぼ二人同時に原稿を〆切1時間前にあげる事に成功したのだった。

「俺は自信作だぞ今回。苦悩しまくったがなんとか形になったし、納得のいくラストを演出できたと思う」

「私も。今まで官能小説ばっかり書いてたけど、今回は感動できるラブストーリーが書けたと思ってる」

 互いに、どちらからともなく、拳を突き出し、ぶつけ合う。

「負けないぞ」

「わたしも・・・絶対に勝ったから!」

 二人は互いにそうかわした後、ぷつりと糸が切れた人形のように崩れ落ちると、その場に、お互い抱き合うようにして倒れたのだった。



 ドカ、ボン!

 と音が隣から聞こえ何もせずに、椅子に座っていた麻衣華はビクっと跳ね上がり、お尻が少しふわりと浮く感覚を覚え、心臓が鼓動を早くし脈打つ。

 慌てて立ち上がり自室に向かう、202号室のカギと自宅のカギ、スマホをフレアスカートのポケットに入れ、家を出る。

 すぐに鍵を閉め、隣の202号室の施錠を外す。

 重い鉄の扉を開け、中をのぞくと、雪羽と麻衣華が倒れているのが目に入ってきた。

 慌てて駆け寄り、二人が怪我をしていないか確認をする。

 スヤスヤと、二人ともに寝息を立てており、ぐっすり寝ている。

 どうやら原稿が終わったらしいことは、二人のさわやかな、アスリートが全力を出し切った時と同じ顔をしているのを見れば、良く分かる。

 スマホをスカートから取り出し、母親に電話をかける。

「終わったみたい・・・・確認して」

「(なに、ずっと待ってたの?! 私の娘ながら純朴すぎませんか?)」

 母親の呆れたような、でも嬉しそうな、そんな声を聴きながら、雪羽は言葉をつづけた。

「無事い届いてるの? 投稿さてる?」

「(されてるわよ、安心して。それで、二人はどうしてる?)」

「力尽きて抱き合いながら寝てる」

「(あっそ。タオルケットでもかけてあげなさい。それから・・・)」

「今日は帰れないのね、分かったわ。」

「(お母さんのセリフとらないでもらえるかしら? まぁ良いわ。戸締りだけよろしく、読み終えたら、私が読んでいいか判断するから、それまでは・・・)」

「うん見ないよ・・・約束だし」

 そう、麻衣華は母親と約束、問いにはあまりにも綺麗すぎる、いわば賭けをしていたのだ。

 賭けの内容は以下のとうり。 佐久間 幸一が小説を書き上げることができた場合、それを必ず編集長である華浦が読むこと。そして華浦がいい作品だと認めたら、麻衣華も読み、麻衣華が認めたら、二人に対して最大限の助言を行う事。

 普段、こう言った肩入れのようなことはしないのをポリシーとしている華浦をよく知る麻衣華は、華浦に対して、一連の騒動を話し、あやまったうえでこの話を切り出しのだ。

 最初、華浦は全力で拒否をし、書くのも書かないのも本人の自由、それに対して外野が言う事は何もないと、あくまで中立の立場を貫いていたが、麻衣華が私のせいで書けなくなってしまうかもしれないと必死に訴えかけたことにより、様々な条件付きで、今回の話となったのである。

 こうして、三人の思惑と、親子の賭けはいったんの幕を閉じたのだった。



 10月中旬 8月 新人賞 第一選考発表日 午後12時25分

 お昼のチャイムを知らせる鐘がなり、麻衣華は慌てて身支度を整えると、友人に今日は早退しますと言い、走りながら学校を後にする。

 電車に乗り、自宅を目指す。

 携帯がメールやら着信を知らせるが、すべて無視をする。

 メール内容や着信の要件はおそらく雪羽と幸一からだろうし、母親からも恐らくはかかってきているだろうが、それらを無視して自宅への帰路を急いだ。

 電車が地元につき、スカートを翻しながら必死に走る。

 自宅へ、今日の第一選考の発表を、見たい、見なければいけない。

 使命感のようなものにかられ、走る足の速度をさらに上げていく。

 まだ第一選考の話だというのに、緊張が全身を支配し、走るからだがうまく動かず、転びそうになるのを何度か繰り返しながら、雪崩れ込むように、自宅マンションに付くと、202号室の扉の前に立った。

 肩で息をし、全身に酸素をいきわたらせるように大きく息を吸いみ吐き出す。

 ドアノブに手を置き、ゆっくりと202号室の扉を麻衣華は開いたのだった。



 202号室では、パソコンの前に今か今かと、ソワソワした二人が、発表を待ちながら、モニター越しにあるものを見ていた。

「なぁ、これどう思う?」

「そうねぇ、強いて言うなら。可愛いわね、何この娘」

 幸一と雪羽は興奮気味に、モニターに映る桃色が見のセミロングの髪をなびかせ、聖書らしきものを抱きしめた女の子を凝視していた。

 そう、二人はなぜか緊張のあまりゲームをしていたのである。

 人間、緊張しすぎると変な行動をとると言うが、この二人はゲームらしい。

 だが、これにもしっかりとした理由がある。

 事の始まりは雪羽のこの一言だった。

「ねぇ、時間があるし。いい機会だから聞きたいのだけど。今回あなたが書いた主人公、シスターじゃない。なんでそんなにシスター好きなの?」

 そう、今回幸一が主人公に選んだのは、かねてより自分の好きだったシスターを主人公にしたファンタジー小説で、彼女が冒険をしながら様々な人たちに触れ合いながら、成長していくという話だった。

 ここまで来ると普通に気持ち悪いレベルであるが、なぜそこまで好きなのかよくよく考えると、雪羽は聞いたことがなかったと思い、いい機会なので聞いてみる事にしたのだ。

「アー、そういや話してないっけ。えっと何処だっけ・・・・オーガスト、オーガスト・・」

「8月がどうしたの?」

 譫言の様に繰り返す幸一に、雪羽がすかさずツッコミを入れるが、このメーカーの話をすると決まって8月、といわれるので、気にしない事としていた。

「はいこれ」

 何かのゲームを起動し、画面に月が映し出され、動画が再生される。

 動画らゲームのオープニングらしく、月が映し出され、ドレス姿のお姫様のような美少女が映し出され、その次に、聖職者のような、エステルという女の子が映し出された。

「このエステルだよ!」

 言われても意味が分からず雪羽は首を傾げた。

 オープニングムービーがそれなりに早いスピードでキャラクターを紹介していくので、言われても、いまいちピンとこなかったが、最後のほうに金髪の女の子が出てきて。

「わぁ、金髪美少女! え、なにこれ、なにこれ。あれ、でもなんかキャラクターデザインに見覚えが・・」

「そらそうだろうよ、お前が今だき枕にしてる滸、このメーカーのキャラだし」

 ああ、と頷き、納得していた。

「でも、肝心のそのエステルがどんなキャラかわからないわねぇ」

「じゃぁ、少しプレイしよう。どうせ時間あるし」

 こうして、夜明け前をプレイし始めた二人だったのだが、思いのほか楽しんでしまい、気がつけばわりといい時間になっていた。

 そうこうプレイしているうちに、時間になったのだが、第一選考の結果待ちでソワソワしていたのに、気がつけばゲームの展開でソワソワし始めている、何とも言えない状況になっていたのだ。

 幸一は一応、まだ見ていないという旨を伝えるため、電話するも出てくれず、一様メッセだけは入れておいたのだった。

 麻衣華とは、完成後1カ月したある日、ふらりと202号室を訪れ。

「お兄ちゃん、ありがとう。楽しかった」

 そう言い、和解は無事にできていたが、ぎこちなさだけはやはり残っていた。

 しかし、以前の様に麻衣華は幸一と雪羽と接するようになり、一様の決着を見たと言っても良い感じではあったが、幸一はなぜあそこまで怒ったのかが、やはり少し気になってはいた。

「天誅!」

 画面ではエステルが、天誅をしている。

「可愛い・・・何この生き物」

 なぜかすっかり雪羽はゲームに夢中になってしまっていて、時間だなぁと思って結果見ようぜ、という雰囲気ではないなぁと幸一は笑いながら見ていた。

 それからどれぐらいだろうか、気がつくと1時となりそうな時間、突然玄関のドアが開き、来客を知らせる。

「へ?」

「お兄ちゃん、お姉ちゃん・・・」

 額に汗をにじませ、髪が少しぼさぼさの麻衣華が慌てたように部屋に入ってきて二人の元に歩み寄る。

「結果・・・結果見に・・・何してるの?」

 パソコンには結果発表の作品と、作者の名前がびっちりと書かれた一覧表が、大変醜いで好評の、あの一覧表があると思っていた麻衣華の目の前には今、ピンク色の女の子が教会らしきところに折り、文字のテキストが映し出されていた。

「ゲーム。ほら佐久間さん、シスター好きで今回の主役ががシスターなのは麻衣華ちゃん読んだから知ってるよね」

「はい、真が強くて、揺るがない精神を持っていて、旅をしながらその女の子が・・・あれなんかぁ、小説のイメージと、この画面の娘似てません?」

「ああ、それ私も思ったけど。さっきからプレイしててさらに思った。え何パクリ?」

「誤解を招く言い方するな。確かに彼女がモデルではあるが、根本的な部分は違うし、影響を・・・されてないとは言わないが。違う、容姿は似せたかもしれんが・・・・」

 バツが悪そうに、幸一は言うが、二人は納得していないご様子だった。

 その後しばらくゲームを進行していきながら、ああでもないこうでもないと、言い合い、ある程度満足したところで本題の、第一選考発表のページへと来ていた。

 ページを開き、画面に作品名名前が表示される、されるのだが、何度見ても、このページだけ離れない幸一、麻衣華、雪羽だった。

 というのも、このページ、タイトルの次に作者名が来て、またタイトルの後に作者、という形で永遠文字が続いており、ぱっと見、超がつくほど醜いのである。

 どうしてこの形式なのか、なぜ、タイトルの次に作者名、下に行き、ではなく、そのまま続けて記載がされているか、まだに分からないのである。

 毎度、この見づらさからか、今回名前がない、と嘆く人が実は名前がありましたぁ、なんてこともしばしばあり、幸一もまた、SNSの知り合いが去年、名前なかったわ、と軽く言っていたら、幸一が見た時に名前があり、連絡を入れたぐらいである。

 それぐらい毎度見ずらいのだ。

 幸一、雪羽はその見ずらい文字列から、タイトルと作者名を探す。

 だが、昨今のタイトル長い現象の影響か、やたら長いタイトルがあり、それがまた探す邪魔をしていた。

「ああもぉ、これどうにかならないのかしら」

 苛立ちのこもった声で雪羽が画面を見ながらそう言う。

 幸一も、見ずれぇ、と愚痴をこぼす。

 麻衣華は慣れたもので、よくよく見ながら二人の名前がないかを探していき。

「お兄ちゃんありました・・・・後はお姉ちゃん」

「え、マジか。どこよ」

「ここ・・・」

「おおぉ」

 思わず声が漏れる幸一に、麻衣華もうれしくなる。

「私もあったわ。ほらここ」

 そう言い指さしたところには、確かに彼女のペンネームと今回の本のタイトルが記載されていた。

 これで晴れて二人とも、第一関門は突破した。

 問題はこの後、第二の最終選考に残れるかどうかという話である。

879作品の今回の応募に対し、第一選考を突破したのはわずか61名となり、ここからさらに15名程度まで絞られる。

 ジャンル別の賞も入れればも少し増えるが、それでも、18名が受賞できるかどうかという所だろう。

 ただ、これはあくまで基準であり、出版社が、今年は大賞になりえる作品はなかったとか、このジャンルの受賞は無いと判断すれば、そこには誰も入ることなく、新人賞は幕を下ろすのが通例であることから、安どすると同時に、まだ不安は残ったままである。

 しかし、すでに作品は提出してあり、泣こうがわめこうが、結果そのものは変わらないのだ。

「なぁ、ちょっとごめん・・・・」

 そう言って幸一はパソコンの画面を切り替え、何かを打ち込むと、また出版社の別の会社のページが出てきた。

 そこから、新人賞の閲覧を出すと、すでに大賞などの受賞作品が誰なのかが出ているページに飛んだ。

 今年初旬ごろにあった新人賞のページである。

 5日前に発表があったのを幸一は思い出し、そのページに飛んだのだ。

 ページには大賞作品のタイトルがドーンと映し出され、あらすじなども記載されており、すでに宣伝が始まっていた。

 下へとスクロールしていくと、準受賞、入賞と続きくが、幸一のペンネームの記載は見つけることができなかった。

 落胆の色を隠せない中、最後の審査員特別賞の欄に行くと、3名の名前があり、そこに幸一のペンネームも載っていた。

「え・・・あ、あれ。マジ?」

「うぅ? うそ、うわぁ、本当に。これコラ画像とかそういうのじゃないのよね?」

 幸一の呆けた声を訝しげに思った雪羽が画像に目を向けると、確かにそこに彼のペンネームがあり、信じられないものを見たという目でそれを見て、悪戯ではないかと疑う。

「いや、なぁ・・・・確認するわ」

 やはりまだコラ画像の悪戯だろう、という感じで実感がわかず、どうしても明確な答えが欲しくてある人に電話する。

 2コールで相手は出た。

「(はいはぁ~い、麻衣華ちゃんのお母様です)」

「茶目っ気たっぷりに出てもらって悪いんですが、至急確認してほしい事があるんですが」

「(新人賞の、第一選考なら出したわよぉ。間違いな・・・)」

「そっちではなくてですね・・・・」

 事情を手短に話すと。

「(あー、アレに応募してたのか・・・・えっとぉ、由実ちゃん、由実ちゃんの名刺はぁ・・・これか。今から言う人に電話をかけて。そしたら分かるわ)」

「え、あ、いや、え?」

「(連絡先言うわよメモ取って・・・・・・はい、あと、遠見 華浦よりこの電話へ確認するようにと言われたと由実ちゃんに言いなさい)」

「いやあの、電話するのは良いのですが、なに由実何ですか?」

「(桜庭 由実よ・・・ごめんね。まだ忙しいからこの辺で・・・あと娘に、母さん今日カレーが食べたぁ~いって言っておいて。こないだもってきたスープカレー)」

「それ、俺が作ったやつです」

「(じゃぁ作って。話もあるし、皆で食べましょ。8時には帰れるからよろしくぅ~)」

「あ、おい・・・・切れたよ」

 間延びした言葉を最後に、電話が切られた。

 はぁとため息をつき、幸一は目頭を押さえる。

 麻衣華に、お母さんにまたなんか変な事言われました? と聞かれたが、いつもの事だから気にしないでいいよといい、先ほど言われた電話番号に電話をかける。

 数コールした後相手先が出た。

「(はい・・・・)」

「あの、桜庭 由実さんの携帯電話でよろしかったでしょうか、わたくし、佐久間 幸一と申しまして」

「(はぁ・・・佐久間さん・・)」

 どうも感触が悪く、相手方は警戒した声音で態様を続ける。

「遠見 華浦さんよりこの電話番号を聴きまして」

「(え、先輩?! あのぉ、どういうご関係です?)」

 警戒は解けたものの、今度は含みのある言い方になり、何とも言えない気持ちになる。

「ご用件ですが、メイプルワークスさんの1月にあった新人賞につきましてお聞きしたいことがありまして」

「(ああ、ありましたね。でも個人に結果は教えてないんですよぉ。いくら先輩のちじんでもぉ・・・)」

「いや違くてですねぇ」

 どうもこの人は人の話を落ち着いて聞かない、と思い、少々やりズラさを感じながら話を進める。

「その新人賞に名前があったんだけど、確認してもらえたりします?」

「(???え、あ、あははははごめんねぇ、勘違いしちゃってぇ。えっとペンネームは?)」

「チヤ、千の夜で千夜と読ませ・・・」

「(ああ、千夜さん! よかったぁ。住所しかわからなくて、連絡付けようがなかったんですよぉ)」

「え、あれ・・・・確か封書に入れましたよね。住所と名前とかの履歴書的なノリの」

「(それがですねぇ、選考をしている間に、紛失しまして。ホームページにでも呼びかけではろうかというのを社内で検討していたんですよ)」

 おいこらしっかりしろよ。と思いながら幸一は話を聞く。

 どうやら、自分の名前は間違いないらしく、本来なら、受賞したものには授賞式があるため、連絡を付けて来てもらわなければならなかったところを、書類紛失により、連絡がつかないという、大惨事におちいっていたのだった。

 苦肉の策として、書類紛失を謝罪したうえで、ページにて呼びかけようかという案もあったのだが、本人ではない人物が名乗り出る可能性も否定できなかったため、どうするか迷いあぐねていたのだという。

 幸一の連絡により、その問題はも解消され、幸一は後日先方と会うこととなったのだった。

 この日、幸一の審査員特別賞、受賞のおめでとうパーティーが行われたのは、いうまでもなかった。



「(ぜんば~い、助かりましたぁ)」

 電話越しの後輩は、鼻水を垂れ流しているのか泣いているのが、じゅびじゅびと鼻をすする音が電話越しに聞こえ、容易にその表情が想像できた。

「私は何もしてないは・・・・とはいえ。メープル大丈夫なのそれ?書類管理とか」

「(はいぃ、にゃ、にゃんとかぁ)」

 この後輩がドジを踏んだわけではなく、どうやら受賞作品の整理に読んだバイトが、紛失したらしいとの事で、会社の管理責任問題とは言え、大本はバイトのやる気のなさが原因だったのだろうと華浦は思う。

「人雇うときは、もう少し目を鍛えなさい」

「(あぃ、ずみまぜん。ところで、佐久間さんとはどういう・・・)」

「隣人よ。麻衣華のファンの作家でもあるけど」

「(ああ、麻衣華ちゃんのですか。なるほどぉ。彼の小説読みましたけど、こう元気が出ますね。私も頑張らなきゃって気になる感じの)」

 どうやら、この後輩も彼の作品を気に入ってくれたようで、その声が弾んでいるのが電話口でも良く分かる。

「(でも、アレだけ書ける人が、なんで今まで日の目を見なかったんでしょう?)」

「知ってるでしょ。出版業界は、運と、実力と、タイミング。後は売れる作品を扱うって」

「(ああ、そうですね。いくら文才があり、目を見張るものがあっても、時代に合わなきゃポイされますからねぇ)」

「だから、正直、少しでもいいからきっかけを作れるようになれば、チャンスもめぐってくる」

「(・・・・)」

「どうしたのよ、急に黙り込んで」

「(いやぁ、先輩にしては妙に持ち上げるし。なんか期待してる感じの事言うしで珍しくて)」

「そう? 私はいい作品は良いとは言うわよ」

「(そこですよ、良いとは言うけど、少しでもいいからチャンスをつかんで次につなげろぉ、何て。先輩言わないじゃないですかぁ)」

 この後輩、どうやらよく見ているし話を聞いている。

 私が、普段から、機械的に仕事をし、私情を捨てて仕事をしているからこそ、毎度私は、次頑張ればいい。次に期待する。という言葉を度々いう事がある。

 でも、よくよく考えれば、少しでもチャンスを掴めば次につながる、何でもいい、次につなげてほしいと思う事は今までなかった。

 自分が彼の書く物語を好きだというのはもちろんあるだろうが、どうやら、今作の小説を読んで、より多くの人に彼の作品を読んでもらいたいと強く思うようになっていたのかもしれないと、後輩との会話で、気がついた。

「(先輩、彼のファンなんですか?)」

 からかう様にう後輩に、私はこう言った。

「ファンじゃなくて。私たちを支えてくれた、家族みたいなものよ」

 自分で行ってなんだがすごく恥ずかしくなり、後輩が何か言いだす前に、私は慌てて通話を切ったのだった。

 ほんと、なにしてるんだろ私。



 奇跡というのは起きるモノじゃない、自分自身で起こすものである。

 どこかのゲームの脇役が、主人公に向かって虫の息ながらも、最後に残した言葉である。

 どのゲームだったか今では思い出せない。

 しかしまぁ、そういう子供のころのゲームやアニメで得た知識や経験、ワクワクした気持ちは、どれだけ年を取ろうと変わらず、まあ、そういう主人公たちの熱い展開があったからこそ、苦難に直面した時に、やってやんよ、という精神が生まれるのだ。

 生まれるのだが、人間、やれ売事とやれない事というのは常に存在する。

 一人では無理な事や、時間的に無理な事、物理的に無理な事、様々存在するが、佐久間幸一は今、時間的余裕を失っていた。

「これで何度目だろう・・・・無理だ」

「いやいや、できるよぉ、やれるよぉ。やろうよぉ。やれ!」

 最後は命令口調になり、強要してくる同居人、雪羽の言葉を無視し、パソコンに向き直ろうとする幸一を見て、麻衣華もまた。

「私もやりたい」

 珍しく、強い口調ではっきりと自分の意志を示した麻衣華。

「冬コミに出たいって。無理に決まってるだろ!」

「だからそこを何とか」

 幸一に懇願し、なんとかシナリオを手伝ってもらおうとする雪羽。

 そもそも何がどうなってこんな話になったのかというと、かねてより、雪羽はコミケに出たいと思っていた。

 そこでその話を麻衣華にしたところ、麻衣華がイラストと描くと言い出し、よしやろうというムードで、今居に至る。

 そう、つまり見切り発車で、この二人はコミケに出たいと言い出したのだ。

「麻衣華ちゃん、絵。かけるの?」

「ふっふふふ、見て驚きなさい、これが麻衣華ちゃんの実力よ!」

 そういって一枚の絵が出てきた。

 そこには美少女といっても差し支えない女の子が、なぜか恥じらいながらベットに寝転んでる絵だったが、妙に見たことがある感じだ。

 幸一は記憶をたどり、思い出そうとして、思い当たる。

 先日、読んでほしいと言って持ってきた雪羽の純愛ラノベのヒロインの女の子の特徴にそっくりなのだ。

「だから二人で出れば・・・たぶん無理だけど」

「なんで無理って決めつけるのさぁ」

「おにいちゃん・・・・やる前から無理は良くない」

 ああ、そのぐらいわかってはいると幸一は思いながら、仕方なくパソコンを操作し、ある画面を出した。

 そこには・・・・。

「コミックマーケット中止のお知らせ?! え、なにこれドユコト?」

「どうもこうもない、物理的に無理なんだ。コロナウィルスだっけか。アレの影響で、イベントすべて中止、コミケなんてもってのほかで。あんなに人が集まるイベントできるわけがない」

 そ、そんなぁ。

 といい崩れ落ちる、気持ちは分かる。俺も体が健康だったらおそらく落胆していたことだろうし、出たいという雪羽の話にも乗っていただろう。

 だが現実はコロナだけでなく、俺にもいばを向いていて、首のヘルニアであの会場に行くのは自殺行為だと思っていた。

 というのも、コミケは人が集まる。当然、人が集まれば押し合いへし合いがある。あるのだが、おそらく一般の人が考える押し合いへし合いは、スーパーやバーゲンのそのイメージだろう。

 だが、コミケは違くはないが違う。要はあのバーゲンセールなどの押し合いへし合い(良く昔はアニメに出てきたバーゲンセールで、母親がバーゲンの群れに突入するあれ)あれを5メートル四方で繰り広げられる場所があると考えればいいのだが、別に底地に何かが売っているわけではなく、前に進もうとして行き止まり。だが後ろから呑トンと人が押し寄せてきてすし酢目状態となり、結果、押し合いへし合いになるのだが、あのハマった、状態にこの首の状況で行けば、最悪押された表紙にぐきっと行くかもしれない。

 実際、過去にそれでけが人も出ているし、毎年そのせいで具合が悪くなる人間が出たりしているのだ。

 そんな考えを巡らせていると、麻衣華ちゃんが幸一の目の前に立って言った。

「お兄ちゃん・・・わたし・・・お兄ちゃんと仕事したい」

「は、はぁ・・・どういう事?」

 いきなりの宣言に、どうしたらいいかわからずにいた幸一だが、麻衣華は決意に満ちた目でさらに言った。

「前から考えてた・・・憧れの先生と、どうやったら仕事できるかって。お母さんは編集だった。けど・・・私話すの得意じゃない」

「それで、絵だと?」

 そう言って一枚の絵を渡してきた。

 そこには、8月に苦悩してかいた作品のヒロインが、イメージにとても合致する形で描かれていて、思わず二度見し、まじまじと眺めた。

「そんなに、見られると恥ずかしい」

「・・・・」

 幸一はすぐにスマホを手に取ると、華浦に電話を掛けた。

「(あのぉ、私忙しいんだけど。仕事の依頼こっちからしてなかったわよねぇ)」

「とりあえずこれを見てくれ」

 そう言い、写メを送って転送した。

「(え、なにこれ、誰が描いたの?! イメージどうりじゃないあの作品のヒロインに!)」

「アンタの娘」

「ちょっとお兄ちゃん。何してるかと思ったらお母さんだったの電話!」

 動転して、涙目になりながら、今すぐに通話を切らせようと麻衣華が幸一に襲い掛かってくるのを、手で制しして届かないようにする。

「(なんか騒がしいわね・・・・それでこれをどうしたいの?)」

「賞とったらこれで出してくれないか」

「え?! えええええええ」

 麻衣華が今まで聞いたことのない大声で叫ぶ。もう叫びというより悲鳴というほうが適切な表現ではないかというぐらい、大きな声だった。

「(うぉっ、ビックしたぁ・・・あの娘がこんな声出すなんて。やるわねお兄ちゃん)」

「からかってないで、返答は?」

「(・・・・掛け合ってみる。確定ではないけど、娘に伝えて。今から2カ月以内に、フルカラーのこれを題材にした世界観で書き上げなさい。と)」

「伝える・・・・あともう一つ。あんたを納得させたら。どうにかしてやってくれ」

「(約束は・・・・)」

「俺たちの勝負に乗っかってきたんだよねぇ、もし賞を取ったら負けだよねぇ。ちなみに勝った人間は勝者の言い分を一つ聞くって事になってるから。前もっていうぞ。これでやりたい、どうにかしてくれ!」

 電話越しにため息が聞こえる、かなり無茶を言っているのは自分でも理解していた幸一だが、こういう直感に信じた構成をしても良いと思えた。

 それほどまでに、麻衣華の見せてくれた絵は、幸一の頭の赤にあるヒロインと合致していたのだった。

「(う~、ったく・・・ただし、大前提は分かってると思うけど、大賞。もしくは出版するのが大前提となる賞で準大賞か、審査員特別賞の枠だけよ。それ以外は認められない。それから商業として出せる絵。それが最大条件。娘だからといってては抜かないし、私にも立場があるの)」

「最大限の配慮をありがとう。それじゃ」

「(待ちなさい・・・・後でじっくり話を聞かせていただきますから覚悟を)」

「お、お手柔らかにぃ・・・・」

 こうして通話は切れた。

「凄い事するわねアンタ」

「いやぁ、それほどでもぉ。といいたいが、問題が残ってる」

「何問題って」

「あと2ヵ月以内に麻衣華ちゃんには、商業絵としてのレベルまで質を上げてもらう櫃王政がある」

「え、無理です無理・・・・何言ってるんですか素人ですよ!」

 確かに幸一の目から見ても、素人ではあるし、足らない部分はかなり多い、細かい部分を上げればそれこそキリがないぐらいに、彼女の絵のバランスは決して良いとは言えなかった。

 だが幸一の目から見ても、この絵には、愛があり、何よりキャラクターがキラキラしていた。

 最近の絵師にはないモノであるのは明白であった。

 確かに、最近のプロの方の絵は、綺麗だし、洗礼もされている。1枚の絵として見た時にうわぁ、うわぁ、可愛い、よく出来てる。こんなこがぁって思う場面も多々あるだろうが、美術的に見ると、目が死んでる、同じ構図ばかり、書かされてる感がすごい、キャラが生きてるように見せてるけど生きてない、などなど、プロの形で商業をされてる方の絵を見ても、いまいちな時が多々あり、幸一としても、生きてくためにはしょうがない部分は絶対に出てくるけど、同じ商業絵を描きすぎてて、自分本来の持ち味や絵としての良さが全く出ていない。

 と思うものが非常に多いのだ。

 だから、この絵を見た時、粗削りではあるが、確かに輝く、まるで今にも微笑んでくれそうなヒロインを見て、これしかないと思ってしまったのである。

「素人を2カ月でまともにするって・・・・無理ゲーじゃない?」

「いいや、ここまで描けるのを見ると・・・・えっと、どこ閉まったかなぁ」

 雪羽の懸念を全く無視して、幸一は押入れを開け、何かを探し始めた。

 そして何かを見つけたのか、引きずるようにして、押し入れから出していく。

「そっちから引っ張ってくれ」

「え・・・・はい」

「何そのデカいっの!」

 幸一に言われ、麻衣華と雪羽は同時に引っ張り出すと、一枚の版画が出てきた。

 しかもデッサン。

「ナニコレうま!」

 そこにはリンゴ、布、台座が得かがれた、台座に乗ったリンゴのデッサンだった。

 一見して分かりにくいが、布の折り目や、しわ、癖のようなものをもしっかり描かれており、まるでそこにあるかのような錯覚を覚えるデッサンである。

「それ、俺が描いた」

「「・・・・え?!」」

 雪羽と麻衣華は絵と幸一を交互に見る。

 いったいどう見られていたのかと、幸一は少し悲しくなるが、それと同時に一枚のスケッチブックを手渡す。

「ナニコレ・・・下手くそだなぁ」

 そこには、まあるい形はしているものの、バランスが悪く、とてもリンゴとは思えない物体が、何かの上に乗っかているような感じの絵だった。

「その二つを見てどう思った?」

 幸一が問いかけると、麻衣華と、雪羽は同時に一報は下手くそ、一方は超うまい。という意見が飛んできた。

 まぁ当然の反応である。

「それ、描けるようになるまでどれぐらいかかると思う?」

「普通に1年ぐらい?」

「うん・・・私もそう思う」

 最もな意見だが、幸一はこともなげに言った。

「1カ月・・・・毎日描くいて、1カ月でそこまでいけた」

「いやいや、それはいくら何でももりすじいゃない? いくら麻衣華ちゃんに書かせたいからって」

「いいや、俺と同じレベルはいっぱいいたし、俺よりも早くこの位置に行ったのはもっといた。だから1か月は普通だったと思うし、1カ月でこれ描けないんじゃ美大は無理だとも言われてたね」

「え、なに、美大目指してたの?」

「ああ、違う違う、ラノベのキャラ制作のためにってのが本当で、塾の人たちは美大のために通い始めたと勘違いしててって話。基礎は毎日基礎をやり、描き続ける。描いては消し手を繰り返すのではなく。描いたら描きっぱなしにして、ひたすら枚数を重ね、自分の描いたものを1週間ごとに振り返り、上達を肌で感じながら、さらに描き進めて、見れるものにする。反復練習みたいなものだ」

 雪羽はまだ信じられないのか、いきなり紙とペンを机に出すと。

「描いて。信じられない」

「まぁ、そうだよなぁ・・・・う~ん」

 周囲を見渡すと、ちょうど雪羽がいつも使ってる抱き枕が、目に留まる滸が描かれており、印象的な絵だ。あれで良いだろうとあたりを付け。

 描き始める。

「ねぇ、なにしてるの?」

「描けと言うから書いてるんだが?」

 雪羽がそういうのも無理なかった。

 幸一は抱き枕の絵を見たまま、手とペンだけを動かしていた。

 まっさらなコピー用紙に、黒い線が次々と書かれていく、やがて5分もすると、顔の輪郭や、髪型が徐々にあらわになった。

「は・・・は?!」

「すごい・・・でも」

 麻衣華の言いたいことは分かっていたので、ここからは滸を頭の中で再生するのと、抱き枕を交互に見て、最後にコピー用紙に目をやり、目元、口も、髪の毛の癖、それらを描いていき、最後に、邪魔な線を消しゴムで消して、無駄に消したところを修正してあげると。

「ほいこれ」

 そこには抱き枕で恥じらう滸の顔と同じようで少し違う、でも特徴が彼女そのものだという絵が描かれていた。

「マジか・・・・しかも30分かかってないし・・・・」

「お兄ちゃん。すごい・・・」

 どうやらこれでやっと信じる気になったのか、雪羽は感心していた。

「それで、描けるのは分かったし、2カ月でどうにかするつもりみたいだけど、実際にどうするの?」

「それなんだが、とりあえず201号室使えるよな?」

「い、一様使えるけど・・・・あの後から入ってないわよ」

 そう、司祭突撃事件の後、彼女はあの部屋をそのままにし、こちらで生活するようになった。

 正確には、かぐや、物はそのままにしてあり、本人一人だけがこちらで寝泊まりしている感じだ。

 貴重品も202にあり、向こうの部屋にあるのは、ベットやら、家具屋ら、本やらだけになっている。

 衣服はすべて処分し、冷蔵庫の中身などの食品類など調味料一式もすべて捨てたのだ。

 正直夜逃げ状態である。

「あの部屋を、美術部屋に改造する。で、最低限の基礎と基本を学んでもらうのが1カ月、2週間でグラフィックを覚えてもらい、2週間で商業絵に匹敵するものを仕上げる」

「うそでしょ・・・・」

「そのため、麻衣華ちゃん・・・悪いんだけど学校休めるかな?」

「うん・・・・やる!」

 雪羽だけが話に付いていけず、蚊帳の外だったが。

 話はあれよあれよという間に進み、こうして、新たな挑戦が始まってしまった。



 それからの2週間は幸一も麻衣華も大変だった。

 まず開かずの間とかした、201を開けると、以外にも、人の出入りがないにもかかわらず、ほこりが積もっており、まずは部屋の換気から掃除までをすべて行う、雪羽は部屋に入りたくないとい事で、2人で行いい、清掃を完了する。

 次にどんだけ汚してもいいように、台所とリビングがつながる比較的スペースの取れるところに、買ってきた青のビニールシート特大サイズを広げ、床が汚れないようにする。

 その後アマゾンで取り寄せた紙、鉛筆、三脚と、絵を描くときに必要な板を設置し、書く準備が整うと、適当なモチーフを、日常のいたるところから持ってきてはビニールの上に置きひたすら描く作業が始まった。

 最初こそ、下手くそだぁ、と嘆きながら、やっていた麻衣華だが、幸一が、下手でいいし、自分でも思いどうりにいかなくてもともかく描いておいていく、を繰り返してほしいと言い、出来上がったら幸一が見て採点をし、気になる場所をどうすればうまくなるのかを描いて見せ。それをまねて麻衣華も描く。

 そうすることで徐々に自分の中に麻衣華は落とし込み、よりバランスの取れたデッサンへと仕上げていく。

 そんな事を4週間続けたころには、基礎と基本を忠実に身に着けた絵が、綺麗に画用紙に描かれていた。

 鉛筆はその間に40本が消え去り、消しゴムも13個が消えていた。

 つづいて、グラフィックの勉強になったのだが、これそのものは特に難しくなく、操作方法と、使いたい色をどう配合すれば出るのか、またどうすれば色合いにムラや、違和感を与えずに済むのかを、幸一のパソコンを時間の許す限り使用し、教えていく。

 こうしてあっという間に1か月と少しがすぎていた。



「さて、ここからは具体的な、絵を描くんだが、小説のシーンで印象的なのは何処だったかな?」

 幸一は麻衣華ちゃんにそう聞くと、麻衣華は迷うことなく言った。

「登場シーン、あと、ボコボコにされて、瀕死の状態の人を誰一人助けず、そんな村人たちに罵声を浴びせた後、悪党たちに制裁を下すシーン。あと、訪れた村で成仏できずにさまよっていた人の未練を解消してあげて、その無事に成仏できたときに自然と涙を流したシーンをえがきたい」

「許可。いいよ、その3つでこう・・・というか、すごいピンポイントで描いてほしいシーンが出てきたなぁ」

「そらあれでしょ、麻衣華ちゃん、あなたのファン長いし」

 そういう問題なのかと思いつつ、そのシンクロに言葉にならない喜びを感じてしまっていた。

 まだ最終選考で、受賞するわけじゃない、この努力は彼女にとっても、俺自身にとってもいい思い出ではなく、苦くつらい思い出になるかもしれない。

 それでもと、俺は言い続ける。

 誰に認められなくてもいい、自己満足でもいいじゃないか、やった先に、見える景色を俺はこの事みたいんだ。

 そう、幸一は思いながら、麻衣華の作業にその後も付き合っていった。

 作業が202になってからは雪羽も参加をし、三者三葉でああでもないこうでもないと意見を出し合いながら、来た付けば、華浦と会う前日となっていた。

「どうかな・・・・」

 麻衣華が出した絵を見て、まるでそこに自分の世界がが具現化し、今にも動き出して世界が広がっていく感覚に襲われ、胸が躍り心が弾む。

 子供のころに思い描いていたファンタジーの世界がそこにはあり、まるで夏休みが今日から始まるんだ、というようなわくわく感が全身を支配する。

 楽しい、嬉しい、圧倒される。

 それらが集約したような、そんな絵で、もはや何も言う必要はないだろうと、そう思ったし、これ以上のものはおそらくまた同じく描けて言っても無理だろうと理解していた。

 絵に同じものは2つと存在しない、その時の気持ち、状況、環境、心境の変化や季節によってもまるで変ったものになってしまう。

 だから、この絵は二度と書けないだろうと、幸一はそう思った。




「なぁ、隣人さん・・・・・」

「はい、何でしょうかお母様・・・・・」

「私は、商業絵を描かせて見せろ、納得のいくものができたら、どうにかすると言った」

「言いましたね・・・・・」

「本人の意思で書いたことも、そのために君に絵の基礎と基本を教えてもらったという話も聞いている」

「・・・・」

「だが、学校を休めとは言わなかったぞ!」

 喫茶店のテーブルが揺れ、店員、周囲にいたお客様方が、ビクッと反応し、縮こまる。

 ええ怖いでしょうよ、怖いですとも。

 幸一は恐怖する体を必死で平常心に保ちながら、相手を見やる。

 これが子を持つ母親が、娘を思って怒る怖さか。

 総身にしみて感じつつ。結果をまつ。

 華浦は怒りながらも、眼鏡をかけ、絵を見やる。

「おい、幸一さんや」

「は、はいなんでしょうかお母様」

「麻衣華はやらんぞ・・・じゃなくてだ。これは本当に素人が描いた絵か?」

 まぁ無理もないだろう、お世辞抜きにうまいと思う。

 しかし、見る人が見ればアラもムラもまだまだある、でも十分に商業としての基準は満たしていた。

「ムカつくわ」

「え?」

「ムカつくって言ったのよ。はぁ~、もぉ・・・・どうすんのこれ」

 顔は大変うれしそうなのだが、声音がそれにあっておらず、かなりお困りの様子だが、幸一はあえて何も聞こうとはしなかった。

 というのも、あきらかに自分たちが悪いのだ。

 よく言えば大成功するぐらい、完璧なものを出せた。

 悪く言えば、完璧すぎて彼女の逃げ場を封じてしまったのだ。

 文句のつけようがない、まさにイメージどうりの絵と世界観、その小説を読み込んでいるからこそ描ける、独特の仕草や、動き。

 それらがすべて詰まっていた。

 つまり過ぎていて、自分の娘ながら恐ろしく感じると華浦は思っていた。

 華浦もまた、この作品を読み、情景や、キャラクターの仕草、町の人々の営みを想像していたが、ここまで自分の娘と自分が描いてほしい、見てみたいと思えたシーンが一緒になるとは思っても見なかった。

 だからイラっとしたし、これを作り上げる事をよしとし、出来上がる手伝いをした目の前の男に腹も立った。

 しかも学校の授業を捨ててまで、これを作り上げたのだ、普通ではない。

 ただ、普通じゃないからこそ、たどり着ける、見ることができる世界がある事を彼女はとうに知っているし、今までそういう人を何人も見てきた。

「絶対に何とかする・・・・嫌は言わせない。ただし、最初にも言ったけど・・・」

「分かってます・・・俺も、麻衣華ちゃんも、咲宮さんも、恨みっこなし、どうなるのかはもうあとはそちらの選考する人しだいですから」

 そう言うと、幸一は立ち上がり、出口へ向かおうとする。

「待って、一つだけ答えてください・・・・・なんで、なんでそんなにしてまで作品に全力なの?」

「楽しいからじゃ駄目ですか?」

「時間はかかる、お金にならない、自己満足で終わるかもしれない、いい年してまだ夢を追ってて恥ずかしくないのといわれる」

「耳が痛い事言いますね華浦さん・・・」

「それでも描き続ける意味はあるの?」

「意味なんて、読み手にしかないですよ。俺は書きたいから書き続けるし、お金になろうがなるまいが、読んでくれた人の心に何かしらの折る作品を書くことが、俺にとって各意味だと思ってる、だから描き続ける。

 ダサかろうが、後ろ指さされようがね」

 幸一のその言葉に納得をしたのかは分からないが、華浦はそれ以上の追及をやめた。

 前にも同じことを聞いた気がするけれど、それでも同じ答えが返ってくるのなら、それは本心であり本物だと理解したからだ。

 だから華浦は自分にできる自分の仕事をしよう。

 そう新たに心に誓うと、店を後にするのだった。



 12月下旬、最終選考発表日。

 佐久間 幸一はこの1年と少し必死だった。

 大怪我をし、手は痺れ、激痛に耐えながら、なんとか自分にできる事、やりたいことをしていき、形にした。

 それがどんな形であれ、多くの人を多かれ少なかれ動かし、自分が生きている意味を見つけることができた。

 病名を告げられた時、目の前が真っ暗になったのをよく覚えているし、今でもたまに寝ることが怖いと思う事がある。

 寝返りを打った際に、間違って症状が悪化し、そのまま目が覚める事はないんじゃないかという恐怖。

 これが常に、背中にべったりと張り付いて離れなかった。

 でも、隣人がいた。ライバルがいた。俺の作品を読んで前に進めることができた人が居た。

 だからまた、立ち上がりまもがいてでも、みっともなくても一歩踏み出す勇気がもてた。

 ありがとうなどと恥ずかしい事は言えないが、それでも前に進めている事、みっともなくともあがき続けてもいいのだと思えたことに感謝しながら、前の前のパソコンを見る。

「良いか、二人とも?」

 二人は特に言葉を発することなく、ただ静かに頷く。

 手が震える、足が震える、頭が正常に働かない。

 こんなにも緊張しているのはいつ以来だろうか。

 そう思い、初恋の苦い思い出が頭をよぎり、苦笑する。

 こんな時にあんなこと思い出さんでもいいだろ本当に、と自分に嫌気を覚えながら、新人賞最終選考のページをクリックした。

 大賞の名前が映し出される、しかし、そこに二人の名前はなかった。

 まだ、まだ終わっていないと思い、マウススクロールを下へと動かしていく、準大賞の文字が見える、ここにないと、いよいよまずい。

 少しずらすと準大賞は今回3名となっていた。

 一人目、二人目とみていくが、どちらの名前もない、諦めそうになり3人目をスクロールする。

 するとそこに、幸一の作品と名前が記載されていた。

「・・・・?」

 現実を受け止めきれず、首をかしげる、すると、首に激痛が走り、頭を押さえながら、おお、現実らしいと思うのだった。

「ちょっと大丈夫?」

「いたたた、だ、大丈夫いつものヘルニアのやつだから」

「お、お兄ちゃん・・・・準大賞だよ。や、やぁぅぅぅ」

 それを見て、麻衣華は感極まり、泣き崩れてしまう。

 大賞ではなかったものの、準大賞に選ばれたのはこれまで頑張ってきたことが報われた瞬間でもあった。

「っぅつ~。さてまだ終わりじゃないぞ二人とも」

 そう言えばと思い、二人はまた画面に視線を向けると、特別審査員賞と、ジャンル別賞が映し出された。

 だがそのどれにも雪羽の名前がなく、雪羽も落胆の色が隠せないでいた。

「ナンダコレ?」

 すべてを見やり、これで終わりだなぁと思っていたのだが、変な一文を見つけ、そこがクリックできるようになっていることに幸一は気がついた。

「『なお、2つ受賞した方が一名おり、こちらになります』」

 となっており、こちらがクリックできるようになっていたのでそこをクリックすると。

 審査員特別賞ならびに純愛ジャンル部門特別賞受賞という文字とともに、雪羽のペンネームと作品名が記載されていた。

 思わず、おいおいナンダコレ、と幸一は声が出てしまい。

 雪羽も同じくナニコレ、といいながら目から涙がスーとほほを伝い落ちていった。

「二人とも。おめでとう」

 こうして、俺たちの長いようで短い一年が終わりを告げたのだった。

 そして、やっとスタートラインに立つ。そこがスタートラインでゴールは存在しない。

 果てのない旅をするような、そんな感覚を覚えつつも、この先に何が待っているのかワクワクしながら、幸一たちはこの日喜びを分かち合ったのだった。



 後日談・・・。

 準大賞を取っってしまった事により、賭けは幸一の勝ちえ、華浦はその要求をのむこととなってしまった。

 自分の娘が描いたことも素直にあかし、作者もこれが良いという事で、なんとか無理を言って、幸一のライトノベルの挿絵はすべて麻衣華が担当する事となり、麻衣華もまた長年あこがれていた人と一緒に仕事をする、という夢をかなえることができたのだった。

 幸一はうれしく思いつつも、ああ華浦さん可哀そうにと、心の中でどう生じたのだった。

 まだまだ、幸一、雪羽、麻衣華は歩き始めたばかりだけれど、それでもこの先に自分たちの求めた景色があると信じて、3人は今日も物語の海へと、沈んでいくのだった。


                                END

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リンシス『隣人シスターは、煩悩まみれで、ライバルでもあった』 藤咲 みつき @mituki735

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