コーヒーソーダとひと冬の恋

このめだい

コーヒーソーダとひと冬の恋

 初恋ってどんな味だろう?

 甘酸っぱい苺みたいな味?


 あたしの場合、ほろ苦いコーヒーをソーダで割ったコーヒーソーダみたいな味。

 不味そうだけど、例えとしては間違っていない。




 あの冬彼と出会っていなければ、きっとあたしの人生は大きく変わっていただろう。


 これは、あたしと彼のひと冬の恋?の物語だ。








 出来るだけ遠回りして遅く帰る、これが毎日のルーティンだ。

 あたしの名前は藤原ふじわらゆず香、高校二年生。

 一緒に時間を潰してくれる気の置けない友人なんかいない。


 学校から家まで直帰することを避け、時にはわざわざ反対方向の電車に乗ってブラブラと時間をやり過ごす。


 通りすがりの書店に目的もなくふらっと入り、流れるように雑誌のアイドルや平積みになっている本を眺めてふと思った。

 いつからか、集めていた本も自分を満たしてくれるものではなくなった。

 以前はもっとワクワクした気持ちで本を見ていられたのに。



 結局長く時間を潰せずに、隣接するコーヒーショップへと入った。

 コーヒーは飲めないのに、アイスコーヒーを注文した。

 コーヒーショップで高校生がオレンジジュースとかちょっと頼みにくいし。

 時間潰しのために入ったから、別に何でも良かった。


 うえっ苦い。


 一口だけ飲んだ後は、氷が溶けて薄くなったアイスコーヒーをクルクルとかき混ぜて時間潰しの相棒に仕立て上げる。


 時間潰しも限界を迎えて、重たい足取りで帰路につく。


 帰りたくないなー。




 元々仲がいい両親ではなかった。

 けれど、最近母親の不貞が発覚してからは以前にも増して激しい口論が続いていた。


 せめて兄弟がいたら良かったのになぁ。

 重い重い溜め息を吐き、ただいまと玄関の扉を開けた。


「もう別れましょうって言ってるでしょ!」

「別れてもゆず香の親権を渡すつもりはないぞ」

「お腹を痛めてゆず香を生んだのは私よ!? 彼もゆず香を引き取ってもいいって言ってる!」


 自分のいない場で、自分の親権争いをする両親にやっぱり帰らなきゃ良かったと特大の後悔が襲い掛かる。

 とは言っても、ここが家なのだから帰らないわけにもいかないが。


 玄関からリビングの扉をそっと開けると、帰って来たことに気付いた両親が同時に振り向いた。

「ゆず香! あんた今日もこんな遅くまで何してたの!?」

 母が言うと「お前にはそんなことを言う資格なんてない」と父がぴしゃりと言ったことで、再び口論が再開された。


 うんざりする光景を、なぜ自分は生まれてきてしまったんだろうかと思いながら見つめていた。


「ゆず香はお父さんがいいだろう?」

「娘には母親が必要なのよ! お母さんのとこへ来なさい」


 どっちも嫌だ。

 こんな家嫌だ。


 何も分かってない。


「友だちに借りたノート返し忘れてた! ちょっと行ってくるね」


 あたしは出来るだけ落ち着いた様子で、脱いだ靴をもう一度履いた。


「ゆず香っ!!」


 親の声を背に、猛スピードで家から離れた。

 そう、あたしは逃げ出したんだ。



 こうして真冬の寒空の下、家を飛び出した。

 このまま逃げて走るうちに、粉雪みたく儚く舞い散って自分なんて消えてなくなればいいと思った。







 元陸上部だったあたしは、退部後も結構走ることが出来た。

 自分が消えてしまうことだけを願って、走って、走って、走った。


 足の張りを感じてトボトボと歩き出すと、何だか少しお腹が空いたような気がした。


 心は空っぽなのに、人間不思議とこんな時も寒さや空腹は感じるものなんだなとおかしなことを思いながら、行き着いた先をキョロキョロと見渡した。


 無我夢中で走って辿り着いたのは、架道橋かどうきょうの上だった。

 あたしはしばらく、下を通る無数の電車を無感情にボーッと眺めていた。



 別に消えてしまいたいと思ったから、死のうとしたわけじゃない。

 ただ、このまま自分がこの世からいなくなったらどうなるんだろう…って意味もなく考えてた。


「生きるって面倒臭いなぁ…」


 自分でも驚く程久しぶりに声を出したら、思ったより霞んでいた。急に喉が乾いたような感覚を取り戻して、軽く咳払いをすると呼気から出た白い煙が宙を舞った。


「寒いなぁ…」


 もう一度声を出すと、今度は自分のよく知る声でどこか安心する。

 自分でもよく分からないけど涙が溢れて止まらなくなった。


 潤んだ瞳は電車から漏れる明かりを滲ませ、長い光の残像となった。


 涙を拭くと余計に冷えが増して感じるが、次から次へと涙が頬を伝った。

 ついでに鼻水もだ。


 ズビズビと一人していると、突然大きな声で男が叫んだ。


「早まるなーーーーーー!!」


 振り向くと、背の高い髭もじゃの男があたしを掴んで道の真ん中まで押しやった。


「いかんよ! 人生いろいろあるとは思うけど、死んだらダメだよ!」


 髭もじゃ男はあたしの肩を鷲掴みにして、鋭い眼光でそう言った。


 肩痛い…。

 死のうとしてたわけじゃないし。

 何? は? めっちゃウザいんですけど!


 勝手に勘違いして、あたしを説き伏せようとする髭もじゃの男にイライラする。


「離してくださいっ!」

 掴まれていた手を振りほどくと、髭もじゃ男は困惑した様子で眉をハの字にした。

「ゴメン…つい力が入ってしまって」

 男をギロリと睨む。

「勘違いしないで下さい! あたし死のうとしてたわけじゃありませんから!」

 面倒なことにこれ以上巻き込まれたくないと、足早にその場を離れようとする。


「なーんだー! なら良かった!」

 髭もじゃは心底安心したように、顔をくしゃくしゃにして笑った。


 その顔を見て、なぜか胸がチクリとした。


「あーそうだっ! もし気持ちが塞いでいたら俺のとこおいでよ!」


 そう言う髭もじゃに対して、やましさは消え再びイラつきが襲う。


 はぁ? 何て?

 こいつナンパか?

 キショー。


 文句を言おうとした声が音になる瞬間、先程と同様真っ直ぐな瞳でこちらを見る髭もじゃは、背中に背負うギターを指差した。


「俺、これから路上ライブするんだ。 もし良かったら遠目でいいから見に来てよ」


 そう言うと、髭もじゃはすたすたと歩き去った。



 …怒り損ねてしまった。




 しばらくその場に呆然と立ち尽くしていると、スマホがやたら震えていることに気付いた。

 見ると、両親からの着信とメールの嵐。


 別にあたしのことなんて心配しなくてもいいのに。

 あたしがいない方が二人とも自由になれるんだから。


 大人ぶってる子供はいるけど、子供のふりをして立ち回る子供もいる。

 ちょっとでもいい子でいようって。


 自分がいい子にしていたら、何か変わるかもしれないと淡い期待を抱いていた時もあったから。


『友だちの家にいる。 適当に帰るから心配しないで』


 そう送るとやっぱり帰りたくない気持ちが勝り、不本意ながら髭もじゃがやると言った路上ライブへと重たい足を運んだ。


 どうせナンパの常套句だったんでしょう?

 ウソかどうか見に行ってやるわよ。

 大半の大人は嘘付きだと思っているあたしは、髭もじゃの嘘を証明することを目的に歩き出した。




 架道橋の階段を下りて行くと、どこからかアコースティックギターの温もりのある音が聞こえてきた。


 音の方向へ歩み進めると、人集りの中心でさっきの髭もじゃがその顔面からは想像出来ない程の綺麗な声で歌っていた。

 あたしの嘘を暴く冒険は、あっという間に終了した。





 不思議とみんながイケメンでもない髭もじゃをうっとりとした顔で見つめていた。

 スマホを片手にしてる人や、曲に合わせて身体を左右に動かしている人、ただ静かに聴いている人。

 その空間を髭もじゃが支配していた。


 それはまるで、その場にいる全ての人を優しく包み込んでいるような空間だった。


「みんなー! 聴いてくれてありがとねーーーー」

 髭もじゃは、一見その髭面からは想像出来ないような愛嬌のある立ち居振る舞いで、見ているとだんだんと大型犬のように思えてくる。


『ソーダー!』

『ソーダくーん!』


 ソーダと呼ばれている彼は、全面に置かれたスケッチブックにもアーティスト名ソーダと書かれていた。


 ソーダ?

 髭もじゃ男爵でいいじゃん。


「続いては米田玄太で愛は暗いな! 聴いて下さい!」


 あー、好きな歌だ。



 アコースティックギターの優しく切ない音色と、髭もじゃの優しい声が絶妙に曲と合っていた。

 合いすぎて、語りかけられるように歌われて、顔面崩壊レベルで涙が溢れて止まらなくなった。


 思い出したくもない小さかった頃の自分のことや、まだ仲の良かった父と母。

 日常のほんの些細な一コマが、スクリーンで上映されているかのように曲に重なって浮かんだ。


 私が帰りたかったのはあの時のあの場所のような家だったのに、もうその場所には帰ることが出来ないんだ。


 本当に子供らしく振る舞うなら、二人の前で泣いて叫べば良かった。




 あたしはその場にうずくまり膝を抱えると、定かではない時間がいつの間にか流れていた。


「おいっ! 大丈夫か?」


 頭上で聞こえる声に我に返ると、心配そうに覗き込む髭もじゃがいた。


「どっか悪いのか? 救急車呼ぼうか? 俺がおぶって病院行ってもいいけど…通報されてもいかんし」


 一人でオロオロする髭もじゃに、膝を抱えたまま話す。


「あたし、毎日どうすれば親に迷惑をかけずに消えられるか考えてるの」


 ポツリと言うと、頭の上で髭もじゃが息を呑んだのが分かった。


「君っ! やっぱり死のうとしてたんじゃないか!」


「違うよ! 別にリスカもしたことないし、自殺したくていつも方法を考えてるわけじゃないよ」


 ゆっくりと顔を上げると、緊迫した顔の髭もじゃがこちらを覗いていた。


「積もった雪の上を歩くと、足跡が付くじゃない?」


「あー…うん?」

 何の話か分からずに、髭もじゃは戸惑いながら返事をした。


「でもその上からまた雪が降れば、その足跡は消えちゃうでしょ。 そんな風にあたしがいた記憶とか、痕跡とか全て消せたらいいのになぁって思うんだよね」


 少し沈黙が続いた後、髭もじゃはボロボロと泣いていた。

 年齢は分からないけど、いい大人が恥ずかしげもなく高校生の前で腕でゴシゴシと流れる涙をぬぐいながら泣いていた。


「俺にはさぁ、君がどうしてそんな風に考える程追い詰められてるのかは分からないんだけど……君みたいな若い子がそんなことを日々考えてるのかと思うとしんどいなぁ」


 あたしは髭もじゃが泣きながら話すのを、ひたすら聞いていた。

 なんであたしじゃなくて、こいつがこんなに泣いてるんだろう。


「俺なんか出来る限りたくさんの人に自分の痕跡を残したいと思ってここで歌ってるんだぜ? 俺ソーダって言うんだけど、街で声掛けられればすげー嬉しいし」


「世の中には必要な人とそうじゃない人がいて、あなたは必要な人。 あたしは不要な人ってこと」


 そう言うと、髭もじゃは真剣な顔をして決して大きな声ではないけれどよく通る声で話した。


「俺もまだ若造だけど、君より長く生きてる身として言うけど……世の中に不要な人なんていない」


「いるの」

「いない」

「いる」

「いない」


 引かないあたしにため息を吐くと、まぁいいやと無理やり話を進めた。


「確かに誰かにとって君は不要な人かもしれない。 でも逆に誰かにとって君は必要な人だと思うよ」


「あたしを必要とする人は誰もいないと思う」


「両親は?」

「毎日ケンカして離婚寸前だけど、あたしの親権で争ってる」


「ほら! 誰かにとっては必要じゃないか!」


 その髭もじゃの言葉に、どこかでセーブしていた何かがキレた。


「ハァ!?どこがよ? あたしなんていない方がお母さんは好きな人とやり直せるし、お父さんだって大切な誰かを見つけられる!」


「でも君の親権で争ってるんだろ?」

「そんなの、世間体とか気にしてるだけでしょ! 本当はどっちも引き取りたくないのよ! あたしなんてただの迷惑なお荷物なの!」



 突然、頭にふわっと大きな手がポンポンと覆いかぶさった。


 よしよし、いいこいいこ。

 髭もじゃが、あたしの頭をポンポンと撫でている。


 何するんじゃと振りほどこうとするが、出来ない。

 自分の中で、長い間緊張していたものが解れていくような気がした。


「辛かったな……俺は君の親ではないけど、もっと気持ちをぶつけてもいいと思うぞ。 君が親に対して思ってきたことを全部ぶちまければいい」


 そんなこと出来ないからこうなってるんでしょ。


「俺は迷惑かけっぱなしのケンカばっかで、何も出来ないまま結局二人とも他界しちゃったけどさ!」


 あ、もういないんだ。


「困らせればいいよ、たくさん。 若いうちは特に! 突然死なれるより百倍いい!」


 そう言うと、髭もじゃはあたしのバッグについたマイロメちゃんを見て、あたしのことをマイロメちゃんと呼んだ。


「マイロメじゃないし…」

「名前知らないから! なら教えてくれる?」

「……マイロメでいい」


 ボソっと言うと、髭もじゃは苦笑していた。

「じゃあ、俺はソーダ! 君はマイロメちゃんね」



 ヤバイカップルか、snsのハンドルネームみたいでクソ恥ずかしいけどまぁいいや。


「俺、大抵夜はこの付近で歌ってるからまたいつでもおいで! 今日はもう遅いから途中まで送って行くよ」


 そう言ったソーダくんの申し出を丁重に断ってその場を後にした。


 心配そうにするソーダくんを背後に、再び陰鬱な気持ちで帰路についた。




 帰宅すると両親が心配そうに駆け寄って来た。

「ゆず香っ!」

「……ゴメン…遅くなった」


 脳裏にソーダくんの言葉が浮かんだ。


(もっと気持ちをぶつけてもいいと思うぞ。 君が親に対して思ってきたことを全部ぶちまければいい)


「何か思ってることがあるなら言ってちょうだい…」


 母が珍しくあたしの気持ちを聞いてきた。

 今が言うチャンスかもしれないと思いながらも、いざ二人を前にすると声にならない。


「何にもない」

 それだけ言うと、あたしは自室へとこもった。


 今更自分の気持ちをぶつけたところで何かが変わるとは思えないし、それなら敢えて労力を使いたくない。



 こうしてあたしのルーティンである出来るだけ遠回りして帰るが、ソーダくんのところに行くことに変わった。


 ソーダくんの歌声はとても優しくて聴いてるだけで癒やされるから、一人であてもなくフラフラするよりいい時間の過ごし方を見つけたと思った。


「ねぇ、マイロメちゃん」

「何?」

「連絡先教えてよー」

 そう懐っこい笑顔で言われたが、あたしも笑顔で速攻断る。

「ムリー」

「えーなんで! 酷いなぁ! マイロメちゃんは秘密主義だなぁ」


 そういうとソーダくんは、おもむろに半分ずつ飲んだ炭酸とコーヒーを一つに合わせ始めた。

「はっ? 何やってるの?」

「えっ?」

 何が?と言う顔できょとんとするソーダくんは、あたしの視線が手元のペットボトルに釘付けになっていることに気づいてあぁと言った。


「コーヒーソーダ作ってんの」

「コーヒーソーダー? うえっ!不味そう!」

「えー? 美味しいよ? 俺ライブの時はお酒飲めないから、これするんよ」

「うえー…」

「飲んでみる?」

 あたしは全力で拒否る。


「あたし、コーヒー嫌いだし」

「そうなんだー」


 こうしてソーダくんの路上ライブを聴きに行き、合間に話したりする時間はここ数年なかった落ち着ける時間だった。


 ソーダくんとはいろいろな話をした。

 初めはソーダくんの話が中心で、なぜ路上ライブをしているのか、普段は何をしているのかを話した。

 そのうち、自分の話も出来るようになってポツリポツリとこれまで誰にも話せなかったことを聞いてもらったりしていた。




 その日もいつものルーティンで出来るだけ家に帰りたくないあたしは、ソーダくんのライブ先へと足を運んでいた。


 すると、背後からここにはいないはずの人物から声が掛かる。


 あたしは背中からどっと嫌な汗が出たのを感じ、背後の気配に神経を尖らせる。

「ゆず香……あんた毎日帰るのが遅いと思ってたら、こんなとこにいたのね!」


 あたしの様子に気付いたソーダくんが、すかさずフォローに来る。

「あ!マイロメちゃんのご両親ですか! いつも俺の歌を聴きに来てくれてお世話になってます、俺はソーダと言います」


 柔和な物腰で、人懐っこく挨拶するソーダくんに両親は冷たく応対した。

「あなたね! 高校生たぶらかしてどういうつもり?」


 母が烈火の如く怒り、ソーダくんに迫った。

 周りの人も何だ?何だ?と足を止め、いつものライブの時よりも多くの人集りが出来ていた。


 その中心となっていたのが両親で、あたしは今まで何とか留めていた何かが急速に外れたのを感じた。


「いい加減にしてよっ!」

 あたしは大きく叫んだ。


「どうして? どうしていつもあたしの大切にしている場所を奪うのよ!」


 両親がいつもと違う娘の様子に驚き、呆然としたいた。


「ゆず香…」

「ゆず香、別にあなたの大切にしている場所を奪ってるつもりなんてないわよ」


 切なげに顔を歪める父と、必死で弁明しようとする母。


「奪ってるじゃない! 家族仲の良かった幸せな時間も、あたしが唯一心安らげるこの場所も!」


 あたしが声を荒らげると、二人は固唾を飲んで見守っている。


「あたしが毎日何を考えて生きてるかお父さんとお母さんに分かる? 自分なんていなきゃ良かったのにって思いながら生きることが、どれだけしんどいか分かる? 誰にも必要とされない、誰も本当のあたしの気持ちを知らない……」


 涙を見られたくなくて、声が詰まって出なくなるあたしにソーダくんがそっと肩を抱いてくれた。


「あたしなんて……生まれなきゃ良かったのよ」


 ずっと言えなかった言葉をついに言ってしまった。


 ソーダくんの優しい瞳がよく言ったなと言ってくれたようで、肩の温もりと共に長く背負ってきた重い荷物を下ろした気がした。


「お父さんもお母さんも、ゆず香が生まれてきてくれてとても嬉しくて幸せだよ」

 目を赤くした父が、掠れた声でゆっくりと話し始めた。


「ゆず香に……たった一人の娘にそんなことを考えさせてしまっていたと思うと、親として不甲斐なく思う。 申し訳なかった」

 そう言うと、父が頭を深く下げた。


「お母さんとのケンカが耐えなくなってから、別れようと何度も思った。 でもお父さんはゆず香を手放したくはなかったし、年頃の娘にとって母親が必要だと思って決断が出来なかった」


「私はお父さんにとってお荷物じゃないの?」


 そう言うと、バカ野郎と一喝された。

「お父さんとお母さんにとってゆず香は宝物だ! 二人の仲が悪くなったからと言って、それは変わらん!」


 今、父が言っていることを一言一句逃すまいと耳に全神経を集中する。


「お父さんは…あまり人付き合いが上手くない。 気の利いたこと一つ言えなくて、口に出す前にいろいろなことを諦めてしまうクセがある」


 あぁこの不器用さ、私は父に似たんだなとこの時思った。

 長年一緒にいて分からなかった…分かろうとしなかった家族の一面。

 今慣れない話を一生懸命してくれている父に、自分への愛情を久しぶりに感じた。


「もっとお母さんと、逃げずにいろいろな話をするべきだったと思う」

 そう父が言うと、母が叫んだ。


「そう思っていたなら……もっと早くに私と向き合って欲しかった! 私は母親としてゆず香に向き合うべきだと思っていたけど、寂しくて不安でどうしたらいいか分からなかったのよ」


 あぁ……母はこんなにも脆い人だったんだと思った。

 そして、自分の脆さもまた母に似たんだと思った。


「寂しくて…誰かに必要だって……そう言って欲しかったの」


 そう言って泣き崩れる母を上から見下ろし、自分の中で一つの決断を下した。


「お母さん……私はずっとお母さんのことを必要としてたよ。 ゴメンね、あたしお父さんのところへ行くよ」


 母はあたしを見上げ、大粒の涙を流しながらその場で泣き崩れた。

 母の悲痛な声がその場に響き、あたしたち家族の物語の第一部がこの時幕を下ろした。







 慣れた動作でコーヒーソーダを作るソーダくんが、いつにも増して優しい声で言った。


「スッキリしたかい?」

「……うん」


 あの後、父と母の離婚が正式に決まった。

 あたしの親権は父が持つことになり、父の生家へ引っ越すことが決まった。


「そっか……引っ越しちゃうのか」

「うん」


「マイロメちゃん! 連絡先…」

 言いかけたソーダくんに、あたしはすかさず言う。

「教えないし!!」


「えーなんでーーー。 連絡とれないじゃんー寂しいー」


 連絡先なんて交換したら、どこかで期待してしまう。

 この思いは、このまま胸に閉まっておこうと決めていたから。


「ソーダくんの歌はたくさんの人を幸せにする力があると思う。 あたし、ソーダくんの歌声が大好きだったよ」


 本当は少し威圧感のある髭もじゃも、その優しい声も、おせっかいな性格も全部好きだよ。


「いつかソーダくんの歌声をテレビで聴けるように頑張って! そしたらあたし、またソーダくんに会いにソーダくんの歌を聴きに行くから!」


 そう言うと、なぜかソーダくんは両手を大きく広げた。

「何?」

「餞別」


 よく分からず近づくと、その胸に抱き寄せられソーダくんは耳元で囁いた。


「ムリせず元気で生きろよ」


「…うん…ありがとう」


 最後まで反則レベルでいい男だなと思った。

 これから先の人生、もうこんな人間には出会えないかもしれない。

 こんな気持ちにはなれないかもしれない。


 たかだか十七しか生きてないけど、きっと一生この人のことは忘れないと思った。


 たったひと冬の偶然の出会いから、自分を変えるきっかけになった人。








 あれから父と父方の祖父母の元へ引っ越したあたしは、新しい場所で心機一転暮らし始めた。


 母も恋人と再婚したようで、あたしとはたまに連絡を取り合っている。


「ゆず香ー! この人あの人じゃないかぁ?」

「何の話ー?」

「ほら! ミュージシャンの!」


 テレビを見ていた父の言葉に、あたしは急に心臓が踊ったのを感じた。


 嘘?

 ホントに?

 まさかー…。


「ほら! あの人だろ! なんかサッパリしてイケメンじゃないか!」

 テレビには、ソーダくんがデビュー曲初披露という紹介で出演していた。


 父がなぜか嬉しそうにしている。

「すごいなぁ!」


 そこで衝撃だったのはソーダくんの代名詞でもあった髭もじゃが綺麗サッパリなくなっていたこと。

 そして、髭のない顔がとてもイケメンだったことに驚いた。


「髭があって良かった」

「えっ? ゆず香は髭面がいいのか? お父さん伸ばそうかなぁ」


 そんなことを言う父にクスッとしながら、テレビのソーダくんを見てこのさわやかな顔面じゃなくて良かったと心底思った。


 これは完全にアウトだ。


宗田温大そうだぬくひろって名前だったんだ」

彼の温かくて優しい人柄によく合った名前だな。 


テレビのソーダくんが話す。


「俺の歌声が好きだと言ってくれる人のために、精一杯歌おうと思います」



 変わらずに優しく、どこか人の痛みを癒やすようなその歌声を懐かしく感じながら、あたしはひと冬の恋を思い出す。


 ほろ苦くて、爽やかな不思議な味のコーヒーソーダをお供に。

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