きみを待つちっぽけなトラがいる

秋色

きみを待つちっぽけなトラがいる

――さあ、さあ! もっと先だ。登ろうぜ!――


――もうクタクタですよ、先輩。日が暮れかかってて足元、見えにくいし。山道、キツイっすよ。――


――オイオイ、バテるなんてまだ早い! キツイ思いせずに絶景見れるなんて思ったら大間違いだぞ――


――絶景はともかく、本当にこんな山の上にラーメン屋があるんですか? 先輩がおごってくれるって言うからついて来たけど。前にいつか行こうって言ってたラーメン屋ってこんなとこ?――


――ああ。美味しいもんは苦労して行かなきゃ味わえないんだよ。がんばれ!――


――いやもうダメっす。美味しいラーメンにはありつけそうも……。 あ、光が見えてきた! ――




***




「あ、光が見えてきた!」


「本当に? でももうダメ。こんな山道、もう一歩も歩けないよ、輝矢。美味しいラーメンにはありつけそうにない」


「がんばれ」


「ってか、さっきから輝矢、なに一人でブツブツ言ってんの?」


「そうだったっけ? 気にすんな、梨花。病んだ恋人をそっとしておいてくれ」 


「何、それ。あ!でもホント頂上、近いよ。木がまばらになってきた」



 そうだ、気にすんな、梨花。あれはオレと先輩とのエア会話だから。絶景スポットにあるラーメン屋にいつか連れて行っておごってくれるって約束だったあの先輩との。


「わぁ! 本当に絶景だー。海も、向こうの夜景もすごく綺麗だよ。ね、輝矢、見て」


「見てるよ。ほら、さっきまでのキツイの、忘れたろ?」


「ん」



***



――本当に絶景だー! 海って、山の上から見たらこんな感じなんだ。先輩、見て下さい――


――見てるよ。ほら、さっきまでのキツイの、忘れたろ?――


――はい……――



 ***



 オレが近藤柊季先輩と初めて会ったのはまだほんの子どもの頃。幼稚園の年少組の時、先輩は年長組にいて、すでに人気者だった。いつもみんなに囲まれてた印象。接点のなかったオレは一緒に遊ぶきっかけもなく。そんなオレ達に一度だけ話すきっかけを作ってくれたのは、動物園だった。

 幼稚園の遠足で行った動物園。檻の前でじっとホワイトタイガーのユキを見つめていたオレの横で誰かの声がした。


「がお!」


「は?」


 隣を見ると、人気者の男の子がいた。人懐っこい目をしたその子の名札には「こんどうとうき」と書かれてあった。

 子ども同士でどの位の間トラを見ていたのかはよく分からない。「とら、カッコいい」とか言いながら過ごした時間は膨大に感じられた。その子は数ヶ月後の春に卒園し、それ以来、姿を見る事もなくなった。


 そんな出来事を時々懐かしく思い出していた少年時代。大学生になった年、オレ達はひょんな事で再会した。通学の電車に乗っていた時、大学生らしい乗客のスマートフォンについた小さなぬいぐるみのマスコットが目に入った。男子大学生なのに、こんなの付けて、彼女からのプレゼントかなと思って眺めていた。

 それは、トラのマスコットだった。ホワイトタイガー。その時、オレの胸に幼稚園児の頃の思い出が甦ってきた。そして大学の最寄りの駅で降りた後も、幼稚園の遠足での出来事を思い出しながら歩いていた。すると隣で誰かの声。


「がお!」


「は?」


「もしかして森が丘幼稚園にいなかった?」


「いたけど? ひょっとして?」



 ホワイトタイガーのマスコットをあまりにジロジロ見てたんで、向こうも気になって顔に眼がいって、もしかしたらと思ったらしい。それがオレ達の再会だった。


 すぐに同じ大学という事が分かった。そして彼、近藤柊季先輩と仲良くなり、その影響で写真同好会に入ったオレ。周りからは「まるで兄弟」と言われる位、気が合っていた。と言っても、やっぱり先輩はオレなんかとは違う。華があって、品性がある。そしていつもみんなの真ん中にいた。子どもの頃から野球やってて、高校三年の時肩を壊してやめたけど、野球少年だった時代の繋がりから人脈があった。自分がケガして野球に挫折した分、他人への思いやりとかハンパなかった。


 写真同好会では撮影旅行にも一緒に行き、いろいろと語り合った。

 オレはどちらかというとドライで、流れ星を見ても、あの隕石が地球にぶつかったらヤバいなとか、あまりロマンチックでない方の想像をする。

 でも柊季先輩は違う。星空を見るのが本当に好きで、星空を見ていると、昔、同じように空を見ていた人達の事を考えてしまうらしかった。今は便利な時代だけど、生活が厳しい時代にどんな思いで人は空を眺めてたのか、とか。


「でもさオレ、楽観主義なんだよ、テルと違って。だから隕石が落ちてくるなんて基本、考えない」と先輩は言った。「それに、いつか家庭ができたら一家でキャンプに来て、家族みんなで星を見たいって思ってる。その時代も今夜と変わらないような綺麗な星空だったらいいな」


 先輩には彼女がいたからな。オレはまだその頃、梨花と会う前で、一人で上等みたいな所があった。家族でキャンプなんて思わない位、本当ドライだったから、ああ先輩はそんな主義なんだ、と思った。


「ところで前から聞こうと思ってたんだけど、先輩のそのスマホに付いたトラはカノジョさんからのプレゼントですか?」


「いいや、これはオカンのお土産。気に入ったんなら、やる」


「悪いっすよ」


「いいって、いいって。テル、寅年だろ? これ、干支のお守りだから」




 ***


「ね、やっぱまだ立春とか言っても寒いよね。あ! あれが輝矢が調べたって言ってたラーメン屋? 本当にこんな山の上にあるんだね」


「だろ? 入ろう」


「わ、結構、中、キレイだよ。コの字型のカウンター席も広いね。こっちの窓辺だと夜景も見えるよ。どっちがいいかな」


「一応カップルだし向かい合って、かな。いや、カウンターの方がいいか……」



❋❋❋



――暦の上では春でもまだ寒いっすね。あ!あれが先輩の言ってたラーメン屋ですか? こんな山の上に本当にあるんですね!――


――だろ? 入ろう――


――わぁ、なかなかいい所ですね。カウンター席がコの字型で広いし、テーブル席もある。どっちにします?――


――そうだな……。隣に座って同じ向きで食べるのがオレ達っぽくね?――



❋❋❋



「何? また誰かとエア会話?」


「いや、何。ちょっとさ。あ、これ地元の土産品みやげひんだな。土鈴どれい


カウンター席は、上の台とテーブルの間に一つ棚があり、そこに呼び鈴と一緒に可愛い干支の動物達の土鈴どれいが飾られていた。


「うん、可愛いよね。このお店の入った所にもあったよ」


「そう言えば梨花、最近、ビーズの編みぐるみ、やってんの? あんま聞かないけど。副業で売ろうかとか言ってたじゃん。オレも頑張ったんだよ」


「ん。何とか台湾版の本を知り合いに訳してもらっていくつか作ったんだけどさ。でも輝矢の方が絶対、向いてるよ。まさか興味持つと思わなかったけど」


「いや、作りたいの、あっただけなんで……。あ、醤油一つと稲荷セット。梨花はどうする?」


「私も醤油一つでお願いします」


「はい、醤油ラーメン二つに、稲荷セット一つですね。醤油二つ、稲荷一で!」


 運ばれた醤油ラーメンは澄んだ濃い琥珀色のスープが美しい。上には炙りチャーシュー、焼き海苔、青菜がのっていた。キメの細かい麺が風味のあるスープとともに口の中にじわっと入ると、ほっと幸せな気持ちになる。


「美味しいね」梨花が言う。もちろん梨花がいるから尚の事、美味しく感じるんだけど……。


――美味い! な、テル――


 そんな柊季先輩の声も聞きたかった。



 どこで間違ったんだろう?

第一志望の企業に就職した先輩はとても生き生きとし、未来に希望を持って社会に出たのに。そしてゴールデンウィークに写真同好会のOBで集まった居酒屋では、「まだ仕事にもイマイチ慣れてないし、今まで会った事のないようなタイプの人もいるけど、何とかやってるよ。優しいセンパイ方もいるし。テル、社会ってのは、やっぱすごいよ。学生時代と全然違うよな」と話してたのに。そして「今度、いつか前に行ってた絶景のラーメン屋に行こうな! それがどこかはお楽しみ。 じゃ、次はお盆休みに!」と約束したのに。


 八月のお盆休みには、事前に帰省の連絡もなく、気が付けばカレンダーは八月を通り越し、自分の内定が決まった報せを握り締めていた。

 大学時代の写真同好会の仲間の噂では、夏に偶然、柊季先輩に会った同級生がそのやつれ具合に驚いたと言う。誘って入ったタリーズで聞いた話では、会社のセンパイとあまり上手くいってないようだったと言う。同期の中で遣り玉にあがっているとか。それを聞いたオレはキレかけた。柊季先輩はバイト経験もあり、何でも器用にこなせる人だ。「そいつらがおかしい。あんな人に勝手に言い掛かり付けんんじゃねー」と。「そんな会社辞めればいいじゃん」と思ってたけど、そう簡単でもない事はオレにも分かっていた。なぜなら柊季先輩の親父さんは前の年に癌の手術をしたって話してて、だからこそ早く社会人になって頑張らなきゃなと言ってた位だから。最悪の環境で無理してるんじゃないかとオレは先輩の事を心配した。

 でもそんな会社もすでに在籍していないらしい事を翌年、同じ会社に入社した同級生が知らせてくれた。ちなみに会社を辞めた経緯いきさつについては大きな会社の別部署であり、知らせてくれた同級生は女でもあるので、全く分からないと言った。「同じ部署の先輩は名前を言っても知らないって言ってたよ。でもまた他の人にも訊いてみるね」

 そしてラインの「友達」からも消えた柊季先輩の名前。たぶん機種変の時、ラインの引き継ぎに失敗したんだろうと仲間達はささやきあった。

 大学や卒園した幼稚園の幼なじみに聞けば、実家も分かるのだろうが、個人情報の保護が叫ばれる今、そこまでしていいのか、分からない。だから当分、待つ事にした。時期を待とう。先輩がオレ達の所に戻って来る時まで。

 ただ、今出来る事は一つ。



❋❋❋



「おじさん、ご馳走さまでした。美味しかったです」


「ご馳走さまでした。山道来た甲斐ありましたよ」と梨花。


「へえ。あの道、来たんだ。駐車場から結構あったろ? 北の国道から来る方は車で近くまで来れるんだが、南から来るお客さんは珍しいんですよ」


「ほんっと苦労しました」と梨花。


「ここまで来て下さったお礼に、土産もんのちっちゃな土鈴、記念に差し上げますよ」と店主。


「いえ、それより一つだけ頼みがあるんです」そう、オレは言った。


「え? 何ですか?」


 店主は驚いた様子もない。オレは持ってた鞄を探った。


「これ、この店の入口の土鈴と一緒に置いてもらえませんか?」


 オレは自分で作ったアクリルビーズの編みぐるみのホワイトタイガーを手のひらに載せて見せた。


 店主はその小さくて頼りなげなホワイトタイガーを見て言った。

「いいですが……」


 梨花は驚いていた。「これ、輝矢のオリジナル? すごぉい。言ってくれたら手伝ったのに。もしかしてこの鞄の中の、全部そう?」


店主は、入口にある十二支の動物達やこの地にいわれのある河童の土鈴の横にオレのホワイトタイガーを置いた。そして言った。

「どうでしょう?幾つかあるんなら、カウンターの棚にも少し置きませんか?」


「いいんですか? どうして……」


「わざわざここまで来たのはラーメンのためだけじゃないと思っていましたから。これを置く事で、誰かへのメッセージになるんなら目立った方がいいと思って」


「はい、憶えてる、待ってるって事、伝えたい人がいるんです」


 そう、だから全国の絶景のラーメン屋に行かなきゃ。

 オレ達は店の外に出た。夜景と港の灯りと星空とが混じり合って綺麗だ。



――ほら! テル、これが見せたかった景色だ!――


「ほんっと綺麗ね。この景色、輝矢のあの先輩と一緒に見たかったんだね。いつか見れたらいいね、一緒に」と梨花が言い、オレのエア会話と被さり、一つになった。


「いつか見れるさ」

 そしてちょっとだけ軽くなった心で山を降りた。いつか先輩がこの山の上のラーメン屋に来た時の事を想像していた。あのアクリルビーズのホワイトタイガーは、硝子細工みたいにキラキラ綺麗だけど、硝子のように壊れやすくない。いつか先輩をあの店で出迎えるだろう。


――がお――


どこかで声が聴こえた気がした。




〈Fin〉





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