RUN

 メールを受信を知らせる木琴を鳴らしたみたいな音が携帯から聞こえた。

アコスタは急いでショートメールを見る。

 経度と緯度が記されている。

 数字をコピペして携帯の地図アプリに必死に打ち込む。

 この携帯を渡した男は今アコスタの足元で死んでいる。

 死んだ男からもらった携帯でどうにか生きようとアコスタはしていた。

 <カイン>も生きようとしたはずだ。

 この国の緯度や経度すらアコスタは頭に入っていなかった。

 地図アプリにフラッグが立つ。

 目的地はどこか当然わからない。アプリ上で分かっただけだ。

 現在地を調べる。

 一瞬でフラグとピンが立つ。

 世の中便利になったものだ。

 地図を読んだりと地図なしで移動するのがデルタの最重要な訓練だった。

 地図上での位置関係だけは分かった。

 北東に向かうことになるらしい。 

 距離がわからない。

 というより、アプリ上で距離を出す方法がわからない。

 自分が殺した男に地図アプリの操作方法を訊くのを忘れた。

 <死人に口なし>。

 携帯の画面に指を当てて図ったりする。

 指一本分。

 まるで子供だ。

 おかしいことはなにもない誰もが昔は子供だったのだ。

 アプリで地図の縮尺を見る。

 1/5000?1/500?。

 指の長さが10センチで、、。

 HALO降下の急減圧のせいか計算できない。

 色々タップしているうちに距離が出た。

 1.02マイル。

 1600メートル。

 160キロではない。

 いや16キロですらない。

 たった1マイルだ。

 少し安堵した。

 地図アプリを閉じる。

 音とともに現在時刻が画面に大きく白い文字で表示された。

 

 05:54。


「嘘だろ」


 アコスタは思わず言葉を発してしまった。

 あと4分しかない。

 4分で1マイルを移動するのか?

 もう歩くという選択肢はなかった。

 確か、高校時代の陸上部の1600メートルのスクール・レコードが4分5秒とか、だったっけ。

 もちろんアコスタの出した記録ではない。名前も顔もしらないサン・バディsomebody

 陸上トラックをたった4周だ。

 アコスタは18歳ではなく31歳で、もう曹長で高校生ではない。

 アコスタはリダイアル機能で<アイ・ボール6>に電話をかけた。

 ワン・コールで<アイ・ボール6>は出た。


「こちら<アンヘル37>走ることになりそうだ」

「・・・・・・・・」


 <アイ・ボール6>はもう理解していたのだろう、返事がない。


 アコスタはすぐに通話を切った。

 生きるために最短時間で色々考える。

 考えている時間がアコスタを殺す。

 連絡員が持ていたAK74は持っていかないことにした。

 身を守るためには必要かもしれないが、概ねの銃器が軽そうに見えて全て重いことをアコスタは陸軍に入隊したときから知っていた。

 実はサバイバル・ナイフですら見た目以上に重い。

 HALO降下のときから身につけていたベレッタの9ミリで十分だ。ベルトの背中部分に一瞬で装填Loadedして指し直す。

 着用していた連絡員のタバコ臭いジャケットも脱ぎ捨てた。

 寒かったが、走れば温かいどころか熱いぐらいになるだろう。

 スマホ片手に走り出す。

 身につけているのは、ベレッタのM9だけ。

 水筒やペットボトルすら身に着けていない。なぜなら1時間もかからない任務だから。

 ただ北東に向かい走り出す。

 北東の空はやや青みがかり夜が明けようとしていた。

 1ヤードでも、1インチでもピック・アップ・ポイントに近づくために走る。

 デルタ入隊要素に2マイルを15分強で走ることが含まれている。

 あのころは気にせずにクリアーしたがもう何年前だ?。

 半分にしたら、、、7分半。

 間に合わない。

 ネガティブなことは考えない。これもデルタの鉄則。

 最初は快調だった。

 上がりそうな朝日に向かって走る。

 アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」を思い出す。

 アコスタの好きな作品だ。

 結末を思い出し考えるのをやめる。

 スミスは自分の意志でゴールをしない。

 しかし、1分半程度たったところでやや息が苦しくなってきた。

 予想はしていたが心肺機能が先に限界に達する。

 空挺部隊やレンジャーのころはアホほどウェイトやフィジカル・トレーニングをやっていた。

 だがデルタに入ると歳をとったのもあるが要領良く生き残るため射撃や格闘、ナイフの訓練に時間を割いていた。

  

 ペースが極端に落ちる。もうジョギング程度。

 歩くのはまずい。

 気合を入れ直しペースを上げる。

 デルタ・サイコー、陸軍サイコー。俺は殺戮マシーンだ。PTフィジカルトレーニングPTフィジカルトレーニング

 ランナーズ・ハイか?。

 が、本当の限界が来る。心臓はバクバク鼓動し息が続かない。デザート・ブーツまで重く感じだした。左手にもっていたスマホを投げ出しそうになる。

 もう筋肉に乳酸が貯まりだしているのか?。

 スマホを投げ出しそうになったついでに今までの移動距離を確認する。

 1/3程度しか移動していない。

 

「嘘だろ」


 落胆は人を一番駄目にする要素だ。人はまず精神からやられる。

 歩きだしてしまった。

 それでも息が戻らない。

 とまった。

 腰をかがめ膝に手をつく。

 荒い息のままリダイヤル。


「こちら<アンヘル37>」

「こちら<アイ・ボール6>」

「辿り着けそうにない」

「敵対勢力か?どうぞ」

「違う。俺の身体能力が耐えられない。<フッカー35>にもう2分だけ待つように言ってくれ」

「<アイ・ボール6>コピー。掛け合ってみる」

「掛け合う?。マストmustだ。くそったれダァム・カント


 アコスタにとって人生最長クラスの長い数十秒。


「こちら<アイ・ボール6>了承された。繰り返す、<フッカー34>は2分長く待つ」

アウト通信終了


 アコスタは走り出す。良い休憩になった。んなわけはなかった。20秒もせずにさっきと同じ状態になる。

 ほぼジョギング程度の走り。

 このまま辿り着けずピック・アップされなかったときのことを考える。日が昇るとおそらくヘリでのピックアップも無理。

 この国にアコスタは居ないことになっている。外交官は護衛の海兵隊とともに何週間も前に退避しアコスタどころか工作員すら派遣していないことになっている。パスポートもビザも持たず国のど真ん中で国籍不明のヒスパニック系の男が9ミリの拳銃を持って歩いている。

 一番近いトルコ国境まで約120キロ。強行軍で4日。隠れながらだと6日。獣のように村々で食料を強奪するとしても、水は手に入らない。

 古代ローマの戦いから、食事なしはあれど水なしで勝った軍隊は居ない。

 おそらく一日も持たないだろう、日が高く登る前に民兵に捕まり捕虜になる。アコスタの国の政府は一切交渉に応じない。

 デルタの鉄則。

 捕虜は取らない、捕虜にならない。

 走るしかない。

 少しペースがあがる。

 日が昇る前に回収班の<フッカー34>と合流しないと待っているのは死のみだ。

 が、体が言うことを聞いてくれない。

 中距離は体の酸素を使い果たし借金する競技。長距離は酸素をうまくやりくりする競技。おれのヘモグロビンはどこに行った?。

 自分の心臓の音と荒い呼吸の音しか聞こえない。

 護身用のベレッタは自決用に使うことになりそうだ。

 あの小さな岩まで走ろう。

 いや、あの白い石まで走ろう。

 丁度東の方に向かって走っている。人生最後の朝日だけは見ようじゃないか。

 辺りはもうかなり明るい。

 一歩でも前に進もう。

 薄着のヒスパニックがスマホ片手に荒野をフラフラになりながら走る。


 突然、目の前に黒い楕円形が現れた。

 なんだこれは?。

 クレーターだ。

 爆撃で地表に出来たクレーター。

 もしくは何かを派手に爆破物でぶっ飛ばした跡だ。

 スマホで自身の位置を確認する。

 ここだ。

 ここがピック・アップ地点だ。

 <フッカー35>は、爆撃を受けたか、民兵のRPGで爆破されふっ飛ばされたのだ。


 終わった。


 アコスタは倒れるようにその場に膝を付き、ゴロンと仰向けになった。

 荒野は優しかった。

 寝転がるのがこれほど楽だ思ったことはなかった。

 空は青白く。夜が明けようとしていた。綺麗な空だ。

 満足だ。一応最後まで走った、いや努力はした。スミスと違いゴールもした。         

 <フッカー35>が居なかっただけだ。

 アコスタは背中のベレッタに手を伸ばした。

 そのときだ、クレーターから野太い声がした。


「よぉー<アンヘル37>か?」

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