エピローグ.新島伊織の独白

 真実を告げた俺に、日村アリサはこれでもかと罵詈雑言を浴びせた。まぁ、それは仕方ない。そこは甘んじて受け入れよう。


「なんで今さら本当のこと言う気になったの?」


 落ち着いた頃投げかけられた疑問。俺が日村アリサと関係を絶ったのは秋の終わり。今はもう春も目前。その疑問は至極真っ当だと思えた。


「……自己満足」

「それって、正木さんへの罪滅ぼしじゃないの?」


 この問いかけには曖昧に微笑んで誤魔化すしかできない。それこそ今さらという話で、ましてこんなことで償えるはずなどないのだ。


「関わってるうちに本当に好きになったんでしょ?」

「俺が?まさか!……それに好きになってもどうにもできないだろ」

「まぁ……あの2人を見てたらね」


 日村アリサは正木沙耶香と瀬名和泉を思い浮かべているようだった。




 バレンタインの翌日、教室内で2人の世界に浸るアイツたちを見た他の生徒はギョッと眉を顰めた。ヨリを戻したならそれはそれでいいのだ(本当は別れてなどいなかったので、ヨリを戻すというのは間違っているが)。だけどこのイチャつき方はあまりにもあんまりではないか。目のやり場に困る。見ているこっちが照れる。そこは正しく2人の世界。

 さすがに、と思い「セナ、やり過ぎ」と注意をした俺の言葉にセナは「ひとときも離れたくないんだ」とうっそりと微笑んだ。




「わたし、正木さんに謝らなきゃ」


 日村アリサは自分の行いを後悔しているようだった。それを止めようと思った。いつかの正木沙耶香が「今さら謝られても許せる気がしない」と言っていたからだ。そうだと分かっていながら止めなかったのは、もしかしたらこれが正木沙耶香の目を覚ますきっかけになるかもと期待したから。どんな些細なことでもいい。彼女の瞳に再び光を宿してほしい。俺は自分勝手にも、あのどんよりとした仄暗い瞳を見ていたくなかったのだ。




 謝罪をした日村アリサを正木沙耶香はあっさりと許した。


「あぁ、そのこと?全然気にしてないよ。日村さんも気にしないで」


 笑い方まで似てくるのかと絶句した。全てを包み込むような聖母の微笑みは、しかし本質は少しもこちらに心を開いてはいない。セナとそっくりだ。

 そのことに気づかない日村アリサは、許されたことに安堵の息を漏らした。そして俺たちの元から去っていく正木沙耶香の背中を見つめ、「正木さん、最近雰囲気変わったよね」と嬉しそうに頬を緩めた。


「前みたいに"私が100%正しい"っていう威圧感がなくなったっていうか、」

「…………」

「全部を受け入れてくれそうな、そんな感じ」


 瀬名くんと良い付き合いが出来てるんだろうね、と呑気な言葉をこぼす。その言葉に、なんとも報われない女だな、と同情した。


「違うだろ……アレはセナ以外を全部棄てた目だ」

「え、なんて?」

「いや、……アイツが納得してるならそれが正しいんだよな」


 俺にできることはもう何もない。そもそも俺がアイツに何かをしてあげられたことなんて、一度だってなかったけれど。





 事務所で寛いでいると「伊織、お疲れ様」と声をかけられた。


「あ、あぁ、セナ。お前も撮影?」

「いや、俺は事務所に用があって。ウチ来る?」

「……え、なんで?」

「ん?別に?最近来てないだろ?」


 もうすぐ春休みも終わるなー、なんて定形分を並べた会話を交わしながらセナの家へと向かった。関わりがなくなった今、どうしてセナの誘いを受けたのか。それは考えるまでもなく正木沙耶香との関係を探りたかったからだ。

 2人が幸せならそれでいいじゃんと言い聞かせながら、あの光を失くした正木沙耶香の目が忘れられない。俺に出来ることは何もないと分かっていながら、少しでも足掻きたい。


 久しぶりに訪れたセナの家は相変わらず片付けられていた。しかし玄関に入った瞬間、微かに漏れ聞こえる声に不穏な空気を感じた。


「テレビ付けっぱなしじゃね?」

「んー?あぁ、声聞こえるね」


 我慢できないんだよねー、と何がおかしいのかくつくつとほくそ笑むセナに寒気を覚えた。


「いや、こえーんだけど」

「怖くないよ。伊織って、沙耶香ちゃんのこと好き?」

「……好きじゃねーって」

「だよね?!あー、良かった。でも沙耶香ちゃんはどーしても伊織を心の支えにしてるんだよ」


 読めない話の展開に顔が歪む。眉根を寄せながら「はぁ?」と声に出せば、「もう心は折ったはずなんだけどなぁ」と、セナは独り言をこぼした。


「だから身体かなぁって。伊織とのセックスが余程良かったとしか考えられないんだよね」

「お前、何言ってんの?」

「だからさぁ、どうやってセックスしてたのか教えてよ」


 足を進めるごとにどんどん大きくなる声。気づいた時にゾッとした。テレビの音じゃない。これは鳴き声にも似たあられもない嬌声。

 セナがゆっくりと開けた寝室の扉。そこに置かれたベッドの上で手足を縛られ、目隠しをされ、ヘッドホンを装着された正木沙耶香が、秘部に挿された玩具に身を捩っていた。

 むわりと漂う雌の香り。衝撃的な光景。それを視線に収めながら俺の頭の中は"どれだけの時間縛られてたんだろ、身体辛そうだな"なんて、どこか見当違いなことを考えた。


「沙耶香ちゃん、お待たせ、つらかったね」


 聞こえるはずもない言葉を囁きながら、セナは正木沙耶香を縛っている紐を外していく。それに気づいた正木沙耶香が「せ、瀬名くん、」と弱々しげな声で名前を呼んだ。


「んー?ただいまぁ」

「瀬名くんだよね?目隠しも耳のも取って」

「んー、それはダメー」

「あっ、んんっ、やっ、イクっ、イクっ」


 玩具を出し挿れされながら胸を弄られて、正木沙耶香は呆気なく俺の目の前で果てた。


「ね、めっちゃ簡単にイクんだけどさぁ?俺のセックスの何がいけないと思う?」

「し、知らねーよ、俺帰るわ」

「えー、待ってよ。せっかく来たんだから、セックスしてけば?」


 そんな「お茶飲んでけよ」みたいなノリで言われても。俺は顔を引き攣らせその誘いを全力で断った。その間も正木沙耶香は嬌声をあげながら気をやっている。頭がクラクラする。あり得ない状況に現実逃避したい気分だ。


「もうこういうのやめろよ」

「?なにが?」

「お前は正木をどうしたいわけ?」

「……俺だけのものにしたいの。頭から爪先まで、心も視線も感情も、ぜんぶ」


 それならとっくにお前のものだろ、という言葉が喉に詰まる。


「もっと簡単にいくと思ったんだけどなー」


 セナが苛立った声で不満を口にする。人ひとりの感情をコントロールして自分のものにできるとは到底思えない。それでもセナは正木沙耶香の全てを欲しいと言う。


「沙耶香ちゃんのこと助けたい?」

「……え?」


 正木沙耶香の下品な喘ぎ声が頭にこだまする。頭が痛い。今すぐにでも思考を放り投げてしまいたい。


「助けたいなら今すぐ沙耶香ちゃんを抱いてあげてよ。ほら、さっきから『挿れて、挿れて』って辛そう」


 ダメだ、これは罠だ。セナの口が歪な形の弧を描く。そこから一歩も動けない俺を急かすように、正木沙耶香のヘッドホンをずらしたセナが耳元で何かを囁いた。


「た、助けて、新島くん、」


 逃げられない。その声に導かれたのか、愚かにも助けたいと願ったのか、俺はゆっくりと一歩を踏み出した。セナの手のひらで踊らされていると理解しながら、俺は誘われるようにベッドへ体を乗せる。ぎしりと軋んだスプリングに正木沙耶香は体をこわばらせた。


「待って、瀬名くん、誰?!新島くんがいるの?」


 咄嗟に足を閉じようとした正木沙耶香の意思はセナの「ダメだよ、勝手に閉じちゃ」と言う柔らかな言葉によって封じられた。それは完全な服従に見えた。だけどセナは納得していない。いったいどれほど彼女の心を折れば満足するのだろうか。


「伊織が助けてくれるって」


 正木沙耶香の耳元で甘く囁いたセナは目隠しをゆるゆると外した。眩しさに目を細めながら、それでも彼女は俺の姿を確かに捉えた。

 あぁ、きっと俺も彼女と同じ表情をしているだろう。助けてと、意味もなく縋ってしまう。しかしここから助けてくれる人など現れるはずがないことも充分理解している。


「新島くん、」


 俺に裸を晒しておきながら、正木沙耶香は恥じらう素振りを見せなかった。もうそんな次元ではないのだ。彼女の中で最も重要なこと、それは瀬名和泉の意に従うこと。セナは恥じらうことなど望んでいない。彼が今最も望んでいることは、正木沙耶香が俺を受け入れること。そして絶望し、俺への期待を棄て去ること。


「お願い、助けて、」


 それは正木沙耶香の本音だったのだろうか。だけど俺には同じ地獄に堕ちる勇気など微塵もないのだ。


 俺は逃げた。俺へと伸ばされた正木沙耶香の懇願を叩きつけ、逃げた。背中でセナの「可哀想に、」と彼女を哀れむ声が聞こえた。

 音を立てて扉が閉まる。そこで世界は断絶された。俺は地獄の一歩手前で生還したのだ。俺と彼女たちの世界が交わることはこれから先、一生ないだろう。




 高校3年生の進級を機に俺はモデルの仕事を辞めた。本格的に、と声を掛けてもらっていたが、セナと関わりたくなかったのが本音だ。

 それからセナと正木沙耶香がどうなったのかは知らない。クラスが離れれば関わることもなくなった。表面だけを掬った噂で「ラブラブだね」と言われていることを聞いたりもしたが、それも卒業するまで。時折セナがモデルとしてニュースになることはあったが、2人がどうなったのかという情報が入ってくることはなかった。


 それでも俺は確信を得ている。きっと正木沙耶香は未だにセナのそばにいるだろう。最早そこが地獄だということさえ忘れて。

 セナもセナだ。正木沙耶香に出会ってさえいなければ、もっと真っ当で幸せな道を歩んでいただろう。


 それでも俺はたまに思うのだ。あの時、正木沙耶香の手を取っていたなら、と。あの顔を顰めてしまうような、胸焼けのするような、胃が痛くなるような重い愛の中、死んでいけたなら、それはそれで幸せなのじゃないかと。

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セナくんの愛に殺される!! 未唯子 @mi___ko

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