EP3.瀬名くんに懐かれた

 夢だったかな?と思うたびに、開いたスマホのメッセージアプリに表示されるセナくんのアイコンが現実だよと教えてくれる。すごい、すごい。私、あのセナくんと付き合ってるんだ……。まだ夢心地な中、私は高校の文化祭に出席するために登校している。


「……おはよう」


 ボーッとしていたところに背後から急に声をかけられて、必要以上に驚いてしまった。私の跳ねた肩に「ごめんね」の言葉が落ちる。振り向かなくても分かる。数日前よりは聞こえるようになったが、まだまだ小さな声量でボソボソとした話し方。これは間違いなく「瀬名くん!」だ。


「おはよー!全然!私がめっちゃボケーっとしてたよ」

「……ごめんね。……あれ?何か良いことあった?」


 確信を得たように言い当てられてどきりとした。瀬名くんの言う通りとても幸せなことがあった。だけど口が裂けても言えない。それはもちろん有名人のセナくんが絡んでくることだからだ。事実、昨日セナくんにも「僕と付き合ってることは内緒にしててね」と念を押されたし。それにしても瀬名くんてばなかなか侮れないなと、彼の観察眼に驚いた。


「あっ、昨日瀬名くんが教えてくれたケーキ美味しかったよ!」


 我ながらなんて下手くそな誤魔化し方だろうと情けなく思う。だけど私は嘘をつくことになれていなかった。「良いことなんてなかったよ」と言うより、不自然でも誤魔化す方を選んだのだ。

 そんな取って付けたような話題の変え方を不可解に思っただろうに、瀬名くんはそれ以上追求することなく「良かった」と返事をした。




 冒頭で述べたように今日は文化祭。しかし登校する生徒が全く浮き足立っていないのは、この高校の文化祭があまりにも簡素なものだからだ。

 とてもいい高校だとは思う。部活動も盛んだし、先生は親身になってくれるし、一部荒れている生徒もいるが大半は穏やかで揉め事もない。だけど、この文化祭だけはどうしても評判が悪い。


 近隣の高校は飲食系の展示物を行うところばかりだし、なんなら高校の文化祭の醍醐味ってそれじゃないの?とさえ思う。

 しかしこの千種高校の文化祭は4月の始業式直後に行われ、内容がスピーチコンテストや文化部の作品展示のみなのだ。もちろん飲食系の展示物なんて夢のまた夢。この時期に行うのは一年生歓迎の意味合いが大きいのだろうが、文化祭中に中庭に座り時間を潰す生徒もいるぐらいには面白味がない。


 体育館での開会式は吹奏楽部のマーチング演奏で幕を開け、校長先生の挨拶の後、スピーチコンテストに移る。スピーチコンテストは3年生の各クラスの代表者がスピーチをし、先生と生徒会役員がそれを審査することになっていた。全校生徒の投票で決める『特別賞』なるものも存在するので、一応みんな聞いてはいるが、これが文化祭のメインイベントってどうなの?と不満を抱えていることは、傾聴の態度を見ても一目瞭然だ。


 このスピーチコンテストが終わった10時から文化祭終了の15時までは、文化部の展示と図書室開放のみなので、そりゃあ中庭で時間を潰す生徒が出てきてもおかしくはないだろう。先生も黙認しているのが良い証拠だ。


 そんな中、私は紗良と文化部の展示を見ていた。そしてふと廊下から中庭に目をやり、「あ、瀬名くん、新島くんに絡まれてる」と気づいた。


「ほんとだねぇ、揉めてるって感じじゃなさそうだけど」


 と、私の言葉に反応した紗良が同じように中庭に視線をやる。


「でも仲良くしてるってわけでもなさそうだよね?」

「……あー、まぁ。いつもの揶揄いって感じ?」

「私、止めに行ってくる!」


 紗良は「絶対言うと思ったぁ」と、私を引き止めることを既に諦めている。正しい判断だと思う。さすが親友。


「あ、待って待って!沙耶香!どっか連れてかれてる、瀬名くん!」


 駆け出し始めた足が紗良の焦った声に止まり、もう一度中庭を見れば紗良の言った通り、新島くんが瀬名くんの肩に腕を回して場所を変えようとしていだ。

 どこかに連れて行くなら絶対にあそこだ!と咄嗟に閃く。あそことは体育館裏の謎スペースで、本当に何のためのスペースなの?と不思議に思うほど、割と開けた場所なのだ。それなのにそこはなんの有効活用もされていない。文字通り"体育館裏"それだけの場所であった。

 そんな謎スペースに集まっているのが校内でも目立つグループ、つまり新島くんと彼の仲の良い友達や先輩たちなのだ。もしイジメをするなら絶対にそこだ、と根拠のない自信があった。しかも今日はもう体育館を使わないので、人が寄り付かない絶好の場所なわけだ。



 先生に注意されないように、目立たないように、だけど少しでも早く着くように、私は小走りで駆けつけた。

 体育館裏に着いて息を整える。すると微かに声が聞こえてきた。


「……あ?……聞こえねー」

「まじで声小さい」


 新島くんではない男子の声に混じって「きゃはは」と笑う高い女子生徒の声も聞こえる。元々体育館裏でサボっていた子たちだろう。瀬名くんの声は相変わらず聞こえなくて、俯いて恐怖に耐えていると思うと居ても立っても居られない。


「瀬名くん!」


 私が彼を呼んだのと、彼が私を見つめたのはほぼ同時であった。地面にお尻をつきうずくまっていた瀬名くんが、思わずといった様子で顔を上げた。

 技術が発達した現代にもこんな分厚いレンズってあるの?と思ってしまうほどの瓶底眼鏡。今日も相変わらずのノーセットのボサボサの髪がその眼鏡を隠している。可哀想だ。彼の全てが同情を誘う。


「出たぁ〜!正木さん!」


 私の姿を捉えた新島くんは揶揄するようにゲラゲラと笑って、瀬名くんの肩を叩いた。


「ほら、お前の王子様が来たぞ」


 新島くんは瀬名くんではなく私を挑発しているらしい。その証拠に私に向けて腹黒そうな笑顔を作っている。

 新島くんにピッタリと寄り添っていた女子生徒が、甘えるように「この子だれ〜?」と頬を擦り寄せた。胸ポケットの刺繍のカラーを見るに三年生のようだ。


「こいつ?うっざい正義感女」


 私のことを吐き捨てるように端的に表した新島くんは、瀬名くんの近くにしゃがみ込みコソコソと何かを耳打ちした。


「ちょっと、サボってなにしてるの?どうせまた瀬名くんのことイジメてたんでしょ?!」


 きつい口調で「ありえない!」と新島くんを責め立てた私に向かって、女子生徒が「うわ、まじでうざいじゃん」と嫌悪感を露わにした。

 しかしそれは私の感情だ。イジメの現場に立ち会っていたながらそれを止めもしない彼女たちは、新島くんと同罪である。

 そこにいる全員をキッと睨みながら瀬名くんの腕を掴んで立たせれば、どこからか「こわ〜」と揶揄う声が聞こえた。


「瀬名くん、行こう?」


 私の声に瀬名くんが静かに頷く。その場を離れようと踵を返した私の背中に向かって、新島くんの「面白くなってきたねぇ」という言葉が投げつけられた。




 2人で中庭に戻り、「殴られたりしてない?」と伺えば、瀬名くんはこくんと肯首した。その小さな頷きが私の同情心と庇護欲をくすぐり、新島くんへの怒りが増幅していく。


「新島くんたち弱い者イジメなんて本当に卑怯で陰険だね?!瀬名くんが可哀想だよ」


 憤りの溜息と共に気持ちを吐き出せば、瀬名くんは不自然に体の動きを止めた。


「僕って可哀想なの?」

「うん、ほんとに可哀想。でも私がいつでも助けてあげるからね」


 鼻息荒く宣言をした私に、瀬名くんは「ふっ」と鼻から息を漏らす。安心してくれたのかな?


「じゃあ、僕と代わってくれる?」

「……え?」


 それってつまり、瀬名くんの代わりに新島くんにイジメられろってこと?まさかね、私の思い違いだ。大人しくて良い子の瀬名くんがそんなこと言うはずないもん。


「なーんて、冗談」


 微妙な空気を察した瀬名くんがいつもより明るい声を出した。瀬名くんて冗談言うんだ。


「冗談きついよー!」


 しかも全然面白くないし。冗談のセンスがなさすぎる、と思ったけれど、それは心の中にしまった。


「……ごめん。ねぇ、これからも僕のこと守ってくれる?」

「うん?もちろん!当たり前だよ!」


 イジメなんていう極悪非道な行為は私が許さない。ひとりぼっちで怖くて不安でたまらなくて、誰にも頼れない、誰にも助けてって言えない、言っても助けてもらえない可哀想な瀬名くん。そんなの悲しすぎる。私が絶対に助けてあげるからね。


「正木さんって、本当に強くて芯がある素晴らしい人だね」

「えっ、やだ、照れる……だけどありがとう!とっても嬉しい」


 隠しきれない喜びが頬を緩める。そんな私をちらりと見た瀬名くんは、もじもじと指先同士を擦り合わせ出した。そして何かを言い淀むように短い息を数回吐く。なんだろ、突然どうしたんだろう。瀬名くんの緊張が私にまで伝わってきて、ソワソワと落ち着かない。


「あ、の……その、僕、正木さんのことが好き、なんだ」

「…………?」

「つ、付き合ってほしい……です、」

「…………えっ!!?」


 突然の告白を噛み砕くのに時間を要した。理解した途端、驚きに声を上げれば、近くにいた数名の生徒が何事かとこちらに視線をやった。

 そもそも瀬名くんはその異様な見た目のせいで目立つのに。それに私の大声が合わさったもんだから、ジロジロ見られるのは当たり前というものだ。


「ごめん、無理だよ」

「……どうして?」

「瀬名くんのこと恋愛対象に見られない」


 彼の気持ちをバッサリと拒絶した私に、瀬名くんは「正木さんのタイプって"セナ"だもんね」と力無く笑った。


「僕じゃ足元にも及ばないか……」


 本当は"そんなことないよ"と。"顔で人を好きになるんじゃないから"と、励ましてあげなきゃいけないのに。それなのに私は瀬名くんの言葉を否定できなかった。もちろん私の彼氏が、引き合いに出された人物の"セナくん"本人だということも大いに関係しているけれど。

 それだけじゃなくて。もし私がセナくんと付き合ってなくても、この告白はキッパリと断っていた。だって付き合うってことは、瀬名くんと街中をデートしたり、キスとか、その先のこともするんだよね?……絶対無理。絶対できない。想像するのも無理。私はぶるりと身を震わせた。


「……ごめんね?」

「……気にしないで。それでも僕は正木さんのことが好きだから……」


 そう囁いた熱っぽい瀬名くんの声に、私の背筋がぞわりと冷える。……ストーカーとかになんないよね?と不安に思ってしまうのは、さすがに瀬名くんに失礼だろうか。




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