EP2.花笑みのセナくん

 始業式の翌日は離任式と対面式を行い、その後はクラスの委員会決めだ。兎にも角にも学級委員を決めなければ話は始まらないと、滝川先生が教卓の前に立った。


「立候補はいないかな?」


 滝川先生が言い終わったのと同時か、なんならその言葉に被っていたと思う。私は「はい」と元気良く手を挙げた。

 教室の張り詰めた空気が和らぐ。大多数の生徒が学級委員はやりたくないのが本音だろう。それを請け負ってくれる人がいることが本当に有難いという空気だ。


「正木さんありがとう。それじゃあ女子は正木さんに決定で、男子はいないかな?」


 先生が発言した後、教室はシンとした空気に包まれた。私の席は後ろなのでよく見えるが男子たちはほぼ俯いている。これは他者推薦になるかなぁ、と誰もが思った時であった。

 声もなく一人の生徒が手を挙げる。誰も気づかないだろうほど静かな挙手に、滝川先生の反応が遅れた。


「……瀬名くん?」

「……はい」

「瀬名くんがやってくれるの?」


 先生の声が不安そうに揺れている。クラスの視線が挙手をした瀬名くんに集まる。クラスメイトの"瀬名には絶対無理だろ!"という心の声が聞こえてきそうだ。


「いーじゃん!正木と瀬名、最高のコンビじゃん!」


 どうすんだよ……という、微妙な空気が漂う教室に新島くんの楽しげな声が響いた。

 それに我に返った先生が「他に立候補者がいないなら瀬名くんに決定します」と教室を見回したが、瀬名くん以外の手は挙がらない。こうして私たちのクラスの学級委員はめでたく決まった。


「それじゃあ他の委員も決めるので、瀬名くん、正木さん、進行をお願いします」


 椅子に座った滝川先生に代わり、私と瀬名くんが教卓の前に立った。どちらかが進行をし、どちらかが板書をするのだが、中学でも高一のクラスでも進行役は男子生徒というなんとなくの流れがあった。だけど瀬名くんは流石に……。


「私が進行するね?」

「……う、ん。じゃあ、僕が、」

「うん!板書お願いしていい?」


 ヒソヒソと打ち合わせをしている私たちに新島くんが「付き合ってんのかよ」と野次を飛ばす。しかしそんな程度の低い野次は無視だ。


 進行し始めた私の声に板書の音が重なる。チョークと黒板が擦れる独特な音。それに紛れて誰かの「瀬名くん、字うまっ!」という声が聞こえた。

 板書の進捗具合はどうかな、と確かめる意味合いで振り向いた私も、瀬名くんの字を見て驚いた。バランスの取れた文字の大きさと中心線からブレない真っ直ぐさに、お手本の様にきちんと書かれた"とめはねはらい"。

 

 瀬名くんってみんなが思っているより、ずっと器用で何でも出来る人なのかも知れないと、昨日の帰り道の饒舌な瀬名くんを思い出す。

 彼は予想外に多趣味なようで、スポーツもするし、漫画を読んだりアニメを観たり、ゲームもしたり、あとはギターを弾いたり、写真も撮ったりするようだった。

 その趣味の多様さを聞けば、幅広い友達が出来そうなのに。なんで学校では背を丸めて俯いて、みんなを寄せ付けないようにボソボソと話すんだろうと、とても不思議に思ったのだ。





 その日の放課後、私は「お疲れ様」と瀬名くんに声をかけた。


「あ、うん……お疲れ様」

「学級委員よろしくね、頑張ろうね」


 そう言って自席に座ったままの瀬名くんと視線を合わせようと、私は彼の机の前にしゃがみ込んだ。その途端、瀬名くんは咄嗟に俯き角度を深くする。

 全く視線が合わない。瀬名くんの顔を見たことある人っているのかな?と、本気で疑問に思うほどの鉄壁の防御だ。


「……正木さん、」

「ん?なーに?」

「今日も、一緒に帰ろ?」


 俯いたまま、自信に欠けたか細い声で、しかし瀬名くんは確実にそう告げた。


「うん!いいよ、帰ろ!」


 なんだか他の人には懐かない子供が私にだけ心を許してくれた時みたいな、そんな優越感。私の行動は間違ってなかったんだ、正しかったんだと教えてくれるその言葉に、私は自然と笑みをこぼした。


 


 2人で下校していると、話題は何がきっかけか、気がつけば恋愛話へと移っていた。


「その、正木さんはどんな人がタイプなの?」

「タイプ?一途な人がいい!絶対!」


 自慢ではないが私の恋愛経験はほぼゼロに等しい。話しやすいなと感じる男子はいたものの、それが恋かと聞かれれば疑問が残る。

 告白はしたこともされたこともないし、仲の良い男友達もいない。そりゃ恋に憧れはあるけれど、私って誰かのこと好きになれるのかな?、と大真面目に不安になるほど恋愛はからっきしなのだ。

 そんな私の上っ面のタイプを聞いた和泉くんは「一途かぁ、」と繰り返した。


「見た目は?」


 考えたこともなかった質問に思わず眉間に皺が寄る。見た目、見た目、うーん、と声に出るほど悩んで頭の中に浮かんだのは、一人の男の子だった。


「あの人の顔が好き!」

「?あの人?」

「そうそう、なんだっけ。最近めっちゃ人気の、モデル!」


 芸能系にも疎い私は、タイプな見た目の彼の名前もすぐに出てこない。顔は出てるのに、と頭の中の彼の特徴を列挙する。


「目つきが色っぽくて、鼻もちゅんて高くて、口角もきゅって上がってる、黒髪の人!」


 言いながら抽象的すぎて、これじゃあ誰だか分からないよ、と思わず苦笑いを浮かべてしまう。しかし意外や意外、瀬名くんは閃いたのか、それとも元々当たりをつけていたのか「もしかして」と口を開いた。


「"セナ"、かな?」

「!そうそう!今人気だよねぇ」

「みたいだね。あの人の顔が好きなの?」

「ん?うん!かっこいいなって思う」


 とは言え、顔で誰かを好きになるわけではないけれど。しかしなんだか瀬名くんが心なしか嬉しそうだ。もしかして、瀬名くんって彼のファンなのだろうか。自分が好きな人が褒められるって嬉しいよね。分かる。


「そっかぁ、そっかー、好きなのかぁ」


 噛み締めるように繰り返す瀬名くんを見ていて、今度は私が閃いた。


「あ、瀬名くんの名前と一緒だね!"セナ"」

「…………ほんとだね」

「でも彼は名字じゃなくて名前か!」


 あはは、と笑った私に、瀬名くんはまた口角を上げる。彼の上唇のぷくりとした山になぜだかどきんとする。これはきっとレアな笑顔ーー口元だけだがーーを見たからだと、私は誰にあてたか分からない言い訳を心の中で繰り返した。





 瀬名くんと別れた私は近所のコンビニに寄ることにした。最近発売されたケーキがとびっきり美味しい、と瀬名くんが教えてくれたからだ。人気のコンビニスイーツはタイミングが悪ければ売り切れているので、あるかなぁあればいいなぁ、と入店した。

 今日はどうやらタイミングが良かったみたい。入荷したばかりなのか在庫も多い。商品ポップの大きさと派手さが、このケーキへの期待値を引き上げる。すごく美味しそうだ。


 それを購入してルンルンと店外へと出た瞬間、勢いよく入店してきた人とぶつかってしまった。先程買ったばかりのケーキが私の手から転がり落ち、地面へと打ち付けられた。透明なケースに美しい層を作っていたケーキがぐしゃりと潰れた瞬間をこの目に捉え、「あ……」と悲しみに濡れた声が思わず口をついて出た。


「わっ、ごめんなさい、前見てなくて!」

「……!大丈夫です!私も見てなかったので」


 目深に帽子を被った男の人の声にハッとなり、何度も謝罪をする彼に「気にしないでください」と繰り返した。


「僕に新しい物買わせてください」

「いいですいいです!これまだ食べられるので」


 と、地面から拾い上げたぐしゃぐしゃのケーキに目をやる。ぶつかったその人もケーキに視線を移しながら「それは僕が食べるので」と、私の手からケーキをひょいと取り上げた。


 宣言通り新しいケーキを買ってきた彼は、お詫びのドリンクを添えて「本当にごめんなさい」と再び頭を下げた。


「本当に気にしないでください!飲み物まで……ありがとうこざいます」

「ほんの気持ちなので!好みだったらいいんだけど。僕が勝手に選んじゃったから……」


 彼が私に選んでくれた飲み物は、コンビニドリンクの中でも割とお高めな有名カフェのカフェオレだった。お小遣い制の私が常飲するには恐れ多い、ここぞと言うときしか口にできないカフェオレ。それは素直に嬉しく、「私これ、大好きなんです」と喜べば、彼は安心したように「良かった」と笑顔を見せた。

 帽子を目深に被っているはずの彼の笑顔が見えたのは、その直前に彼が浅く被り直したからだ。


「えっ……」


 息が止まるかと思った。勘違いかもしれない。だけど私の短な声に反応し、「ん?」と小首を傾げた彼は、やはりどう見ても人気モデルの"セナ"であった。そもそもこんなイケメンがこの世に2人も存在していいわけがない。

 彼の黒目がちな瞳が細められ、キュッと上がった口角が私を誘うようにさらに持ち上げられた。


「あ、の、もしかして……」


 その言葉の続きを彼の「シーっ」という甘い囁きが遮る。それは遠回し、いや、直接的な肯定であった。

 きっと私、顔が赤い。鏡を見なくても分かるのは確かに頬に熱を感じるからで、まだまだ暑いとは言い難い季節にパタパタと手で風を送った。



 

 コンビニから少し離れた道で、「僕のこと知ってたんだ」と彼は恥ずかしそうに頬を掻いた。そんなのもちろんだ。高校生で彼のことを知らない人なんているのかな、と思ってしまうほど、モデル"セナ"の人気は高い。

 人気メンズ雑誌の専属モデル。現役高校生という最強の肩書きを手にしている彼は、紙面に出る度に有名になった。造形が整った顔はもちろんのこと、彼の人気を高めた理由はその魅惑的な表情にある。

 彼の射るような視線に見つめられたら己の全てを捧げてしまいたくなる。この命が彼のために使われることこそ至上の幸福だと、跪いて足先に口づけを落としたい。媒体越しでもそんなトチ狂った感覚を植え付けらるのだ。それが生!今私の目の前で微笑んでいるのだから、クラクラと目眩を覚えることはなんら不思議ではない。

 しかし現実の彼は、誌面で見ていた彼よりずっと年相応の男の子であった。「なんか恥ずかしいな」と整った白い歯を見せてはにかむ彼も、「名前教えてほしい」と真剣な瞳で訴えてくる彼も、「僕、沙耶香ちゃんに一目惚れしちゃったかも」と照れて俯く彼も。私と少しも変わらない純真な男の子だ。……ん?……ん?今なんて?


「え、なに?よく聞こえなかった」


 嘘だ。はっきりと聞こえた。だけどあまりにも信じ難い告白に己の耳を疑ったのだ。


「ん?あぁ、僕、沙耶香ちゃんに一目惚れしたんだ。僕と付き合って?後悔はさせないから」


 しかし彼は微塵の躊躇いもなくその言葉を再び口にした。

 めちゃくちゃタイプの顔面を持った、誰もが羨むような有名人にそう言われて断れる人がいるなら教えてほしい。

 自然と肯首した私を見たセナくんは花が咲くように微笑んだ。

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