二十八着目「異文化コミュニケーション」

「世界三大紅茶は…ダージリン、ウバ…あと、なんだ……」

 単語カードなんて何十年振りだろうか?

 自宅からロビンズエッグブルーまでは、片道2時間半の道のりだ。


『ガタンゴトン、ガタンゴトン』

 電車が揺れる度に、乗客同士が、ぎゅうぎゅうと、押しつぶされそうになる。


「ハァ、ぐるしい……」

 通勤時間は、専ら紅茶勉強タイムなのだが……通勤ラッシュの激混みの中、単語カードをめくるのすら、ままならない。

 それに、勉強が進まず、なかなか紅茶の知識を覚えられないのは、通勤ラッシュのせいだけではない。

 家族の理解を得るのも骨が折れる。


「はあ……」

 つい、溜息も深くなってしまう。

 今日も朝一からケンカになってしまった……


 ――「アンタねぇ……ブラック企業に勤めるのは、もう嫌だとか、何とか言ってたクセに……こんなのどう見てもブラックじゃない!」

 いよいよ家族にも黙っていられないと思ったので、朝ごはんの時に、母親に執事喫茶に受かった事を告げたのだが、昨日の就職アドバイザーとほぼ同様のリアクションだった。

 いや、身内だけに容赦のない怒りをぶつけられてしまった……。


「いや……。好きな事すれば良いって言ってたじゃん?」

 昨日、就職アドバイザーの無礼な態度に大見得切ってしまったが、いざ冷静になって、身の振り方や将来の事を思うと、僕自身も自信が持てず歯切れが悪い自分がいる……。


「正社員で好きな事、見つけなさいよっ!」


「う~ん、正社員に魅力的な仕事はないし……。それに、バイトからで正社員を目指すし……」

 こんな事を場当たり的に言ってみたが、何の根拠も自信もない……。


「絶対なれるの?」


「知らん……それより、まず目の前のフットマン採用試験に受からないと……

 一カ月で白黒ハッキリするから……もしダメだったら、普通にサラリーマン目指す」


 バブル世代は、正社員という地位に絶対的な信頼感を持っているようで、リストラされた僕からしたら一種のカルト宗教のようにしか見えない。

 給料のベースアップよりも税金の徴収額の上昇の方が高かった時は、働くの止めようとすら思った。

 バブル世代に比べると、給料は上がらないし、退職金もボーナスも満足に出ないのに、責任や労働ばかり重くのしかかり、正社員と言うカタチに拘れば拘るほど、僕の心身は蝕まれていってしまったような気がする。

 リストラされた時点で、正社員信仰は薄れてしまっている。 

 それなのに、正社員教というカルト宗教から脱退したいのに、「年金ガー」「老後ガー」「安心ガー」と信者たちがなかなか脱退させてくれないのだ。


 リストラされて僕は思った。

 まだ遠い未来の老後の安心に備えて、若い時にガマンにガマンを重ねた所で、上の世代程の恩恵は受けられない。

 それに、体や精神の健康を損ねてしまったら、それこそ本末転倒なのでは?

 まず日々の健康と幸せを実感して生きられる選択をしようと思ったのだ。


 僕は、正社員信仰のおかげで不幸になった。

 だから、それを壊したいと思う。

 正社員という、形だけ取り繕っても、都合の良いように扱われるだけだ。

 世の中、そんな会社ばかりだ。


 ……と、ここまで考えたのは良いのだが、やはり執事喫茶の労働条件は、僕もブラックだと認めざる得ないので、母親に反論出来ずにいる。


「っで、時給はね?」


「研修期間中は、750円……」


「はっ……?」

 驚愕の安さにマミーは、絶句してしまったようだ。

 ちなみに、母親は、看護師でキャリアもあるので、その辺のサラリーマンよりも全然稼いでいる。


「アンタね……それじゃ、フルで働いても生活保護費よりも安いの知ってんの?」

(ええ、仰る通りでございます……)


「う~ん……そーなんだよね……。でも、この研修期間頑張ったら、フットマンになれたら、1000円……」

(ドヤッ!)


「たったの1000円!?」

(あっ、ダメか……)


「交通費は?」


「っで出るよ……片道のみ……」


「はぁっ!?それじゃ働いてもほとんど残らないじゃない!!アンタ、気でも狂ったの?」


「でも、一カ月間だけだから、どうせダメだと思うし……」

(こんなテンション下げさせて、落ちたらマジ恨むわ……)


「っで……もし、受かったらどうするのよ?」


「えっ?受かったら、続ければいいじゃん?」


「はあ……」

 深くため息をつく母親


「アンタねぇ……こんな仕事してたら、結婚できないじゃないのよっ!!」

 この言葉は、あみちゃんとの別れをまだ引きずっている僕の心の傷を、グサリッと抉ってきた。

(どうして、うちの親は、ズケズケと人の心に入り込んで、心の傷をピンポイントで抉ってくるんだ……)


「けっ……結婚なんて…… リストラされた時点で、もう、結婚なんて出来るワケないだろっ!」

(フンッ!キレイ事で愛だの恋だの言っておきながら、どうせ所詮、世間はカネなんだろっ!!)


 ――現実は、どうしてこうも息苦しいのか、現実に向き合う時、何よりも卑屈な自分に向き合うのが、もう辛い……。

 でも、お屋敷の中に入ってしまえば、少し現実から距離を置くことが出来、卑屈な自分から逃げられるような気がした。

 結局、僕は、僕自身から逃げたかったんだと思う……


 僕は、無意識に自分の指先で「ほっぺツン」をしていた。

 あの憎たらしい一縷さんの無邪気な笑顔を思い出していた。

 ムカつく、先輩フットマン達を思い出していた。

 ダサいケサランパサランの格好して、歯ナシ坊主の洗い場の元へ行かなければ!と思っていた。

 そんな思いが言葉となった……


「それに……

 まだ、異文化交流出来てないからっ!

 宇宙人達とトモダチになれてないからっ!」


「はっ?」

 母親は、ポカーンとした顔をしてたので、その間に逃げるようにして家を出た。


「ちょっとー、そこまで言うんだったら、家にお金だけはちゃんと入れなさいよ!!」

(やめろっ!ご近所さんに聞こえる……恥ずかしいだろっ!)


「あー、もうわかったよ。うっせーな!」

 っと、強がってみたものの……。


「赤字確定。シュン……」

(うっ……確かに、筋は通ってる言い分だけに、反論出来ない)


 ――営業日報――


【 研修内容 】


 今日も、今日とて「アン・ドウ・トロワ」は上手くできず、吉野執事に「ノン・エレガント」の烙印を押されてしまった。


【 洗い場 】


 リョーマ君は、洗い場の青年に対して、かなり見下した態度で接している。

 どうやら彼は、フットマンや執事には、ゴマをすり、おべっか使うくせに、自分より下の人間と見ると、かなり高圧的になるようだ。

 でも、案外こういう人間の方が出世したりするから、世の中理不尽だとも思う。


 あっ!ちなみに、洗い場の青年の名前は、「白金しろがね君」というらしい。

 いや、絶対違うだろ!?と笑ったが、レンタルビデオ屋のカードを見せて貰ったら、「白金君」だった。

 いや……免許持ってないのか?……身分証明書がレンタルビデオのカードって初体験だぞっ。


 白金君に、「名前、『』の間違えじゃないの?」と聞いてみたら、イマイチ意図を分かって貰えず「違います」と普通に返されてしまった……。

 歯ナシ坊主のなんて、見たことも聞いたこともないぞっ。

 さらに、白金君に「やっぱり、ブリジストンのサドルみたら、欲しくなる?」って聞いてみたら、「俺を足立区民扱いするの止めて下さいw」とツッコミを入れくれたので嬉しかった。


 んっ?待て、リョーマ君より性格悪くないか自分??


【 その他特記事項 】


 今日も、先輩フットマンは、横柄な人達で、ムカついた。


 相変わらず、忙しい時ほど、「トントンほっぺツン」してくる一縷さんに、さすがにムカついたので、「あんまり、E.Tのマネばっかりしてると、自転車のカゴに乗せて宇宙に送り返しますよ!」と怒ったら、デシャップ担当の野球少年が「クスクス」笑ってた。

 その野球少年の顔をみて、一縷さんは苦々しい顔して、パントリーから出てってしまった。「早くどっかいけ!」とスカッとした。


 彦摩呂(久我さん)は、今日はフットマンだった。

 コーヒーのオーダーが入り、パントリー内に心地よいコーヒーのアロマが充分に広がった所で、運悪く彦摩呂パントリーに到着。

 彦摩呂が、に気付くや否や、顔を歪め「オエッ」と、吐きそうな表情をするのを見れて、僕は一時の疲れも癒された。

 その表情を例えると、ハムスターが狭い通路で後戻りする時のくしゅくしゅの顔にそっくりなのだ。

 きっと、アレが萌えってやつだな。

 いまの僕なら、わかるぜっ、アキバ文化ってやつが。


 フットマン採用試験まで、あと26日

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