十着目「不安のハープ」


力なく面接の帰り道をトボトボ歩いた。


「ハックシュン!ハックシュン!」

2回連続のくしゃみは、悪い噂。1回のくしゃみは良い噂らしいが、ほぼ2回連続のくしゃみしか、したことないのだが……


そう思いつつ、店頭でティッシュを配っている店員さんがいたので、手を差し出す。

しかし、全く気付かれず、自然と無視されてしまった。


『すみません、ティッシュ貰えますか?』なんて、みっともなくて言えない……


どちらにせよ、見放された。という事実には変わりないのだから。


ていうか、気付けよ!

気付いてくれよ……誰か僕に気づいてくれよ!……

じゃないと惨めじゃないか……


そっか、これが僕の存在感か……


ティッシュを貰えなかっただけで、ここまで落ち込むなんて……と、くすりと笑っちゃう程のほんの些細な事かもしれない。

でも、逆に些細な事の方が、身近なだけに余計に凹むこともあるわけで。


最近、いろんな所を擦りむいているから、心の擦り傷が、些細な事でヒリヒリと痛む。

この感覚は、当事者にしかわからない。


「……はぁ」

溜息を咎めてくれる人は、もういないんだな……

寂しいな……


たまには、上を向いて歩こうと、顔を上げてみたが、複雑に張り巡らされた電線と凸凹のビル群、都会の空は狭い。

そして、どんよりとした厚い雲で、先行きが見通せない。


上を見ても何も見えやしない……

なんだよ、まだ下を向いて歩いた方が楽じゃんか……


月並みの表現だが、僕の心模様と重なった。


たとえもし、就職出来たとしても、また同じことの繰り返しになってしまったらどうしよう……と考えると、不安で前に進めない。

でも、早く進まないと、さらに状況が悪化する。そう思えば思うほど、不安が倍増していく。

だから、やらなきゃいけない!前に進まなきゃいけないんだ!頑張ろう。

しかし、そこで、気持ちが元のスタート地点に戻ってしまう。

いやでも、就職できたとしても……

僕は、ずっとこのループで、思考を消耗している。


もう、普通に働くこと自体が怖くて堪らない。完全にトラウマだ。


平凡に満足していた僕の人生が、急になんやらよくわからない金融危機とやらで、職を失い、彼女も失った。

その過程で、僕は焦り、動揺した。

SNSで順風満帆な人生を送ってる顔も知らない人達に、嫉妬し人生躓けばいいのに……と、呪った。

これまでの僕の行動や発言、傍からみたら、ただ卑屈なだけの男に見えるかもしれない。

けど、僕からしてみれば、不条理な現実の泥沼にハマってしまって、抜け出し方がわからず、必死にもがいてるだけだ。

「クソ、人生なんてクソだな。生きるなんてクソだな」


卑屈な心は、現実を直視出来ない。いつだって妄想上の誰かと戦っている。

僕は、いつだって上の空、わざわざ上を向いて歩く必要なんてなかったよ。


『ガタンカタンコトン、キー、ガタンカタンコトン、キーンキー、ガタンカタンコトン』


規則性のある音の中に、重い金属同士が擦れる不規則な音、歪な軋轢音に心もすり潰されそうになる。頭に響くうるさく嫌な音。

やっと、ガード下に着いた。


そろそろ、気持ちを切り替えよう。


「ふーっ」

僕は、深呼吸した。

誰が何と言おうと、溜息じゃなくて、深呼吸だ。少しずつ、前向きに捉える練習だ。


面接も終わり、ひとまず、緊張感から解放されたのだ。そうだ、喜ぼう。

がしかし、緊張の糸が解け、安堵した矢先、体に異変が起きた。


「グッ……ぐるしい」

気持ちが落ち着いた途端、急に腹痛が襲ってきた。腸が過活動を起こし、内側からどんどん押し寄せて来る。


痛みと苦しさで、目の前が真っ白になりそう。


追い出し部屋に配属になった頃くらいから、この症状は、頻繁に起こっていた。

ストレスから自律神経が、ぶっ壊れてしまったのか、一度急激な腹痛に見舞われると、もう止まらない。

なるべく体に負担を掛けないよう、細心の注意を払い、ゆっくりと歩き、トイレを探す。


「あっ!あった。あと少しだ。体よ持ち堪えてくれ……」

さながら、ラスボスと戦っている主人公のように、苦悶しながら、力を一点に集中し、尚且つ周りには悟られないよう、なるべく平静な表情を作ってみせる。

『悪には負けない!お腹の平和を絶対に守ってみせる!!』心の中で自分自身を鼓舞する。

呼吸を浅くし、体を揺らさないように……


しかし、それは、唐突だった。


『ドンッ』

死角から何か大きな物がぶつかってきた。


「あっすみません」

一言謝り、足早に去っていくサラリーマン。


「えっ!?」

完全に一瞬、力が抜けてしまった……


『グォーングォーングォーングォーン』

特急列車が勢いよく通過する。

時を同じくして、僕の方にも“特急列車”が通過した。お腹の平和は守れなかった。


包み隠さずハッキリと言おう“漏らした”全滅だ。

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