事故物件――この記事は一ヶ月後に削除します

六道イオリ/剣崎月

第1話:わたしが事故物件に住んだ二日間

 わたしたち夫婦が見つけた中古物件は、事故物件サイトには載ることはないが、事故物件と呼んで差し支えないものだった。


 当時わたしたちは、夫婦と幼い娘の三人で、メゾネットのアパートで暮らしていた。

 少々手狭だったところに、妻の妊娠が判明――一軒家に引っ越すことに決めた。

 建て売り新築か、中古住宅か。

 中古住宅の立地は、交通の便の良さ、小児科や耳鼻咽喉科の近さ、学校までの距離はもちろん、痒いところに手が届くほど充実した子育て支援施設の数々と、子育てに最適だった。


 ただ気になったのは、かなり安値だということ。

 普通は「今にして思えば」と言うだろうが、わたしたちはあらましを知り、身重の妻と幼い娘と共に引っ越しを終えて一息ついたとき「分からなくて当然だよね」と妻が笑い、わたしも笑うしかできなかった。


 そういう類いの幽霊譚だった。


 わたしたち夫婦が購入しようと考えていた中古住宅は築十五年ほどで、この地区の開発が始まる少し前に建てられたもの。

 築年数と注文住宅、リフォームをことを差し引いても、近隣に比べ随分と安いと感じた。

 内見をした分にはおかしな箇所はなく、夜中に周辺を車で流し確認したが、騒ぐような住民もいなどもいなく、まさに閑静という言葉が相応しい。


 不審なところがないことが気になると職場でこぼすと、同僚が「事故物件なんじゃないのか」と――仲介の不動産業者は何も言わなかったが、社員やアルバイトを使い、ロンダリングしていれば告知義務がないことは、わたしも知っている。


 アドバイスを受けて、有名な事故物件を掲載しているサイトで住宅とその周辺を確認し――何ごともなかったので、わたしたちは中古住宅を購入した。


 間取りは今でも覚えている。その中でも特に印象に残っているのは書斎。

 天井が高い作りで、二間続き。

 天窓から明かりが差し込み、三面に作り付けの本棚がある一間と、曲線の壁と大理石の床で作られたホールのような一間。その二間で構成されている書斎だった。

 あの当時は、施工主の趣味と理想が詰まった書斎に、素直に感心した――そうは。


 中古住宅にはインターホンがなかったので、防犯も考えて録画機能がついているテレビドアホンを設置した。

 駐車場は広く、日当たりもよく、ほどよい大きさの庭を、家族で手入れするのも楽しみだった。


 そんな希望は、引っ越し一日目で消えた。


 疲れたわたしたちは、早々にベッドに。すぐに眠りに落ち――誰かがドアホンを鳴らした。

 最初は静かな夜のことなので、隣近所の音が聞こえてきたのかと思ったが、二度目のドアホンが鳴り、我が家だと――

 わたしたちは顔を見合わせた。

 実家の両親にすら、まだ正確な住所は教えていなかった。

 会社へ提出する書類も同じ。

 だから、わたしたちの客ではないと――それは外れてはいなかった。


 ドアホンを鳴らしているの目的はなんだったのか? おそらくだったのだろう――そうだとわたしたちは思っている。


 今だから推測できるが、もちろんその時は分からなかった。

 三回目のドアホンが鳴ったとき、わたしは寝室においていた子機を手に取り「家をお間違いではありませんか」と声を掛けようとしたが、画面に映った男性に絶句した。

 玄関灯の明かりの下に立っている男性は、血まみれだった。

 再びドアホンを鳴らす血まみれの男性。

 「大丈夫ですか!」と声を掛けるわたしの後から、画面をのぞき込んだ妻は、小さな悲鳴を上げたが、すぐにスマホに手を伸ばし、119番通報をした。


 何度もなるドアホンの音に、娘も目を覚まし、ぐずりながらわたしたちの寝室へとやってきた。

 通報を終えた妻は娘をぎゅっと抱きしめる。



 あの時、玄関を開けなかったのは、気が動転していただけではない。幼い娘と身重の妻を守るのが最優先。血まみれの男性を招き入れるほど、わたしには余裕はなく――結果としてそれで良かった。



 徐々に近づいてくる救急車のサイレン。

 救急車がわたしたちの家の前に停車したとき、血まみれの男性の姿はドアホンのモニターに映っていなかった。


 救急車から降りてきた救急隊員がドアホンを鳴らし――娘と妻を残して、わたしは二階の寝室から出て、玄関へと向かった。

 血まみれの男性がたしかにいた、目を離した一瞬で消えたと彼らに告げる。

 わたしの話を聞いている救急隊員の一人が首を傾げてから「向かった方向、分かりませんか」と尋ねてきた。

 方向が分かれば、そちらを確認すると言われ――わたしはテレビドアホンの子機モニターを寝室から持ってきた


 娘は妻に抱きついたまま眠っていた。


 わたしは録画を再生する。

 画面に血まみれの男性が映し出され、わたしは「ほっと」した――負傷者が映っているのにほっとするというのもおかしいが、悪戯だと思われたくはなかった。

 子機を持っているわたしと、その両脇からのぞき込んでいる救急隊員。

 一人が首を傾げたような気がし、反対側の救急隊員は「え? え? ?」と声を上げる。

 「どうしたのですか?」と尋ねようとしたとき、モニター画面から救急車のサイレンの音が聞こえ――血まみれの男性は消えた。

 移動したのではなく、煙かなにかのように、まるでその場に居なかったかのように。

 あまりのことに、ぼうっとしていたわたしだが、救急隊員の「ご協力ありがとうございます」という声に、驚きながら正気を取り戻した。

 わたしは救急隊員たちに「みましたよね」と尋ねたかったが、かとって「みました」という返答は欲しくなかった。

 搬送する対象がので、救急隊員たちは署に戻るといい、次々に救急車に乗り込んだ。

 最後の一人――何度も首を傾げていた救急隊員が、もう一度子機の録画映像を見たいというので見せる。

 その救急隊員はまた首を傾げ、なにか言おうとしたようだが首を振ってから「ご協力ありがとうございました」とだけ言い残して去っていった。


 遠ざかっていく救急車の赤い回転灯の光に、心細さと恐怖が増した。


 身重の妻に、消えた血まみれの男性のことは言えなかった。何ごともなければ、言わないつもりだったのだが、翌日の夜にも同じことが起こり――血まみれの男性が我が家のドアホンを鳴らした。

 二日連続、同じ恰好の血まみれの男性がドアホンをひっきりなしに鳴らす。


 わたしたちは心霊現象を信じるほうではないが、は幽霊だと自分に言い聞かせた。

 幽霊でなければ、生きている人間が連夜、血まみれでドアホンを鳴らしている――そちらのほうがよほど怖ろしい。

 わたしは焦りで震える手で、子機のバッテリーをなんとか取り外した。

 だがモニターには血まみれの男性が映り続けた。ドアホンも鳴り続ける。怖かったが、同時に「ああ、幽霊なんだ」と思い、少しだけ安心した。


 本体の電源を切ったが、音は止まず、画面も映り続け――「幽霊だからあたりまえ、幽霊だから」と思いながら、夜が明けるのを待った。


 疲れきった朝、娘にはホットミルク、妻にはコーヒーを淹れる。

 妻はカップに口をつけ、一息ついてから「幽霊よね」と――救急車を呼んだ翌日、妻は玄関が血で汚れているだろうから掃除しようとしたのだが、玄関にもドアホンにも血は一滴もついていなかったことに気付き、が生きている人間ではないと思ったのだそうだ。

 そして昨晩現れた

 妻はモニター画面を注視し、の両手が下ろされたままなことに気付いた。

 はドアホンを押してはいなかった。

 おそらく初日もそうだったのだろう。昨晩もきっと録画されているだろう――だが、確かめる気にはなれなかった。


 わたしたちはその日のうちにウィークリーマンションを借り、不動産業者の担当を家のことで大事な話があると呼び出し、神社のホームページからお祓いも依頼した。


 引っ越して三日目、ウィークリーマンションに来てから一日目。ドアホンが鳴らない夜、久しぶりにぐっすりと眠ることができた。


 爽やかな目覚めとまでは言わないが、久しぶりの睡眠。

 家族でモーニングを食べていると、神社からメールが届き「力不足でお役に立てません」――断りのメールだった。

 わたしは妻と娘を残して自宅へ戻り、やってきた不動産会社の担当に、まずはお祓いを断られたメールを見せてから、ドアホンの録画を見せた。

 全てを見た担当は顔色を失うも「この備考って……」そう呟きながら、この家に関する書類を取り出した。

 担当が隠していた書類ではない。

 わたしも見た覚えがある――備考欄に書かれていたのは「玄関インターホン、ドアホンはなし」

 わたしたちは、家にインターホンがついていないという意味で捉えたが、これは「つけてはいけない」という意味だったのでは? ――わたしと担当は顔を見合わせた。

 担当は他の社員を二人ほど連れてきて、一晩泊まって確認したいと言ってきたので、わたしも泊まり込むことになった。


 そしては現れた。


 担当は「申し訳ない。事実確認をする」と頭を下げ、他の社員とともに社用車に乗って帰っていった。


 頭を下げられようが、事実が分かろうが――わたしはコンビニで朝食のパンとコーヒーを買って、呪われた家へと戻ってきた。

 すると家の前に一人の男性が立っていた。

 一瞬が朝から現れたのかと身構えたが、男性は腕を持ち上げドアホンを鳴らそう……としたところで、手を止めてドアをノックしはじめた。

 わたしが声を掛けると、男性が振り返った。

 男性には見覚えがあったが、名前は分からなかった。

 彼は軽く頭を下げてから「四日前に救急車でうかがったものです」と――首を何度も傾げていた男性だった。

 彼はわたしにメモを一枚差し出した。

 思わず受け取ったわたしは、メモに目を落とす――ブログのアドレスとパスワードが書かれていた。

 これは? と尋ねると「わたしがこの家について知っていることです」と返事が返ってきた。

 そして「守秘義務があるので」――読まなくても構わないし、だから名乗らないと言って去った。


 メモは手書きではなく、プリントしたものだった。


 わたしはメモを手に家に入り、スマホにアドレスを打ち込み、パスワードを入力した。

 現れたのは素っ気ないブログ。

 そのブログの記事は一つだけ。

 タイトルは「私が駆け出しだった頃」で日付は昨日――あの救急隊員がわたしたちの為に、この記事を書いてくれたことが分かった。


 そのブログを読んで――妻にも読んでもらい、引っ越すほうに心が傾いた。

 三日後には担当も、救急隊員ほどの詳細は掴めなかったようだが、同じ話をしてくれたので、わたしたちは早々に引っ越した。


 長々と話したが、要は知らないうちに、なんとも言い難い事故物件を掴んでしまった……ということだ。


 いまでも回避のしようは、なかったと思っている。

 新興住宅地ということもあって、昔を知っている人はほとんどいなかった。

 知っていたとしても、あの家で起こった惨劇ではないから、思い当たる人もいないだろう。

 厳密にいえば事故物件ではないかもしれないし、決して事故物件を取り扱うサイトには載らないけれど、わたしたちにとっては事故物件だ。

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