第7話 白き肌のリースルと娘たち 2

マリア・テレジアは思う。


幸いにして、戦争にはポンコツであった、結婚相手『フランツ・シュテファン・フォン・ロートリンゲン』(みんな、名前長いわね!)は、経済に関しては、死後、国家予算以上の財産を、個人名義で積み上げていたことが発覚した『超』のつく経済の大天才である。


わたしだってカール6世にくらべれば、そこそこだけれど、まだ5歳だし、それにこの時代の女だし、何を言ってもまだダメね。


「マリアンナ、もう少しだけ我慢してなさい、そうしたら……」

「そうしたら?」

「クッキーなんて、部屋一杯に、あふれるほど、用意してあげるから!」

「お姉さま!」


そう言うと、マリア・テレジアは、今日から語学の勉強はいらないので、ジェズイット教団(イエズス会)の司祭に、もう今日からこなくてよいと伝えるように、『マミー』に言い、それから、プリンツ・オイゲン、オイゲン公を呼ぶように伝え、マリアンナを自分の部屋に帰すと、自室の奥に消えた。


あとから、その伝言を聞いた司祭は大いに驚き、大公女殿下に語学と神学の大切さを説かねばならぬと、いきまいていたが、「自分で勉強した方がはかどる」そうおっしゃっておりましたと『マミー』こと、フクス伯爵夫人に、冷たくそう伝えられ、あちらこちらの大使に大公女殿下の悪口を言っていたが、大使たちは顔を見合わせ、興味本位でわざと母国語で、マリア・テレジアに話しかけてみる。


すると大公女殿下は、それはもう、母国語であるかのように、流ちょうに何ヶ国語もあやつってみせるし、神学に関しては、カトリック、プロテスタント、各々各国の事情があり、お互いに、おおやけの場で触れるのは、タブーとされているものだから、司祭の悪口は、ただのくやしまぎれの年寄りの 世迷いごととされ、その賢さは、素早く各国や内外に知れ渡り、ウィーンっ子たちは、自分たちの大公女殿下に鼻高々であった。


「だって、どんな言葉だって分かる“ソロモンの指輪/改”が、わたくしには内蔵されているんですもの!」


種明かしをすると、マリア・テレジア(改)こと、弘子=弘徽殿女御は、神の恩寵か、悪魔のいたずらか、どんな言葉でも理解し、話すことができたのである。(もちろん鷹の言葉ですらも)


「オイゲン公がいらっしゃいました」


腹心の女官、エヴァの声が部屋の外で聞こえたので、マリア・テレジアは、さっき自分で着替えた『カール6世のご幼少の頃の乗馬服』で、さっそうと扉の外に出た。


上等ではあるが、どう見てもボロい男子用の乗馬服である。


「昨日送った手紙の通り、語学の授業を今日から取りやめたので、空いた時間でオイゲン公に、乗馬を教わりたいのです」

「……乗馬だけ、ですかな?」


いたずらっぽく乗馬服をながめながら、そう言うオイゲン公には、なんとなく自分の意思が、透けて見えているようであったが、彼はそれでも何も言わずに、それからというもの、マリア・テレジアのために、『女大公』になくてはならぬ、様々な知識を授けてくれていた。


ついでにといえば、オイゲン公は若き日に、一瞬、聖職者でもあったので、マリア・テレジアは、宗教的に押さえておくべきポイントも、無事に習得することができた。


一石二鳥どころか、三鳥、四鳥、マリア・テレジアは、自分の選択に満足していたし、芸術を愛する彼と、同じく美しい物を愛し、最初の最初、源氏物語の女御であった時は『おしゃれ番長』であり、次に現代に生まれてからも、芸術を愛していたマリア・テレジア(改)には、彼と過ごす時間は、計算だけではなく、心から楽しい時間だった。


「お姉さま、今日もあんな恰好で……」


そんなことを知らない妹のマリアンナは、乗馬服すら、お父さまのお下がりを着て、ねだることを遠慮する姉が、自分にクッキーの話をしたのは、きっと将来、姉が『女大公』になった時、妹を幸せにしてあげよう、そういう優しい気持ちだと思い、バルテンシュタイン男爵に、いつか仕返しをしてやろうと、涙ぐみながら決心をしていた。


そうして、何か考えのあるマリア・テレジアは、乗馬服の件で、若きエステルハージ侯爵と、ちょっとした出来事があり、彼から極上の『鷹』を送られたりしながら、着々と前倒しで『打倒、フリードリヒ2世計画』を進めていたのである。


「大公女殿下には、かないませんね、そう可愛らしい笑顔を見せられると、くやしさも忘れて、何も断れなくなってしまいます」

「それなら、もうひとつだけ、お願いしても?」

「え?」


それが、実は賭けに負けて、鷹を送ったエステルハージ侯爵と、マリア・テレジアが交わしていた会話で、横で聞いていたオイゲン公は知らぬ顔をしていた。



〈時系列は、フランツとマリア・テレジアの出会いのあとに戻る〉


カール6世の最愛の皇后、エリザベート・クリスティーネ、オーストリア大公妃は、ふたりの初めての出会いのあと、部屋に下がろうとしていたマリア・テレジアと、妹のマリアンナを呼ぶと、自分の部屋でゆっくりくつろいで、楽しいお話でもしようと誘い、美しいドレスを着た三人は、うれしそうに皇后の部屋へと歩いて行った。


厳格で冷たい王侯貴族の家族関係が多い中、この母、エリザベート・クリスティーネのお陰で、オーストリアは、実に暖かで家庭的な関係であった。


まだ26歳のこの皇后は、カール6世が『白き肌のリースル』と呼ぶように、まるで降り積もる新雪のように、きめ細やかで美しい肌を持つ、欧州一の美貌と名高い皇后で、もちろん、マリア・テレジアの美貌は言うには及ばず、金色の髪や、青い瞳、美しく白い肌も母譲りである。


皇后の自室に3人で帰り、くつろいでいると、コーヒーやホットミルク、それに粉砂糖をまぶしたクッキーが、珍しくたっぷりと用意され、皇后は視線ひとつで、侍女や女官たちをさがらせ、実にくつろいだ、母と娘たちだけの時間が生まれる。


「フランツはどうでした? マリア・テレジア? 家格は落ちるとはいえ、見たところ、素晴らしいお相手だと、わたくしは思いましたけれど?」

「……そうですね」


皇后が軽く聞いてみれば、てっきり、あの欠けるところのない青年に、一目ぼれしたと思っていた娘は、なんだか浮かない顔をしている。彼に何か問題があるのだろうか?


「どうしたの? 彼に何か気にかかるところがあったの? すぐにお父様に言って……」

「あ、いえ、フランツに問題など、ある訳はありませんわ! わたくし彼に一目ぼれしましたのよ!」


慌ててそう言ってから、娘のマリア・テレジアは、憂鬱そうな顔をする。


「実は、悩みは、お母さまのことですの……」

「え? わたくしのことで? 何が問題なの?」


首をかしげる皇后に、マリア・テレジアは、思い切ったように口を開く。


「このお出迎えの祝宴で、お母さまが、次に叔母さまたちに会う時の新しいドレスが、ついに1枚もなくなってしまいましたわ!」


この世の終わり、そんな風にマリア・テレジアは訴えた。叔母さまというのは、カール6世の実妹、バイエルン選帝侯夫人と、カール6世の兄の未亡人である。


機は熟した。いまここで、バルテンシュタインを追い払い、財政を立て直すのだ。マリア・テレジアは思う。


『目指せ、財政健全化! ハプスブルク帝国、早期黒字化計画!』


地味ね、どこかの会社の壁に大きく貼ってありそう。


しかし、しかたがないのである。ない袖、いや、ない軍資金で、戦争はできないのである。将来自分はフリードリヒ2世はもちろん、最悪の場合、(多分そうなるのだろうけれど)ヨーロッパ中の国を相手に、大戦争をしなくてはならないのである。


そんなことは知らない、姉に口止めをされていた、純真なマリアンナは、もう我慢の限界だと大声で訴える。


「あんまりですわ! お母さまは、神聖ローマ帝国の皇后なのに! 全部、バルテンシュタインのせいよ! なによ! お金がないから節約、節約って! この間なんて、宰相の妻の方が、神聖な皇后陛下であるお母さまよりも、すっと豪華なドレスを着ていたわ!」

「マリアンナ、そんな、わがままを言っては……世の中には、沢山の大変な人々が……」


「ああもう! お母さまはご存じないでしょうけれど、お姉さまなんて、お父さまのお下がりで、乗馬のレッスンをなさっていらっしゃるのよ?! ハプスブルク帝国の跡取り娘のお姉さまが! 全部、バルテンシュタインのせいですわ!  きっと、何か悪いことをして、我が家のお金を盗んでいるのよ!」

「え? そ、そんな……マリア・テレジアが、誰よりも大切な、わたくしの宝石が、陛下のお下がりで乗馬のレッスン……なんてこと! 陛下の寵愛をよいことに……たかが、たかが男爵ふぜいが……」


母のエリザベート・クリスティーネは、しごく優しい性格であり、敬虔なカトリック信者であったので、たまに夫の姉妹に嫌味を言われることや、自分がつつましく生活することには、まったく頓着していなかったが、娘のこととなれば、話はまるで違った。


彼女は怒りのあまり、血がにじみ出るほど、美しい白い手を握りしめている。


『ナイスアシスト!』


その時、マリア・テレジアは、妹にそう思っていた。思っていた方向へと話は、転がって行くように思え、彼女は満足していた。

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