どうか


ショウ



 翌朝、まさかと思いつつもしもに備えて面をつけ庭に出た。

 今日はハルが怖いと言った白い面をやめて鳥のように嘴が伸びているものにした。どうせ子供は動物が好きなんだろう。


 
しかし太陽が真上まで昇って、傾き始めてもハルは来ない。


 
あのまま放っていたが今いないということはちゃんと帰ったのか。もしかしたら私が出て来るまで居座っているかもしれないと思った。
 
 怪我は治っただろうか。服は持って帰っているな。



 いつもしていたはずなのに一人だと疲れる。案外役に立っていたようだ。彼が来たらまたこき使ってやろう。


 ハルに雑用をさせるつもりでいつもより時間をかけて作業したが、結局夕刻近くになっても来なかった。

 
そろそろ肥料を買い足したかったし、街に出るか。
確かここを降りてすぐの街に住んでいると言っていた。
 



 門を出る前ふと足を止めた。くるりと体の向きを城の方へ向き直す。


 
いつも通り買い物に出るだけだ。あの子がどこで野垂れ死のうが私には関係ない。


 自分に言い聞かせ城を出た。



 街は人が疎らでそれが反対に私を目立たせた。出店の店番をする夫人達が私を指差しヒソヒソと話した。




「これを一つ。それとお聞きしたいことがあるのですが、ハルという少年がどこにいるか御存知ですか?」
 



 耳に蓋をして噂話は聞こえない振りをした。代金を差し出しながら訊ねる。


 この店の主人はハルを知っているようだった。なんでも彼は愛想が良く頼めば店の手伝いをしてくれるらしい。近くで話を聞いていた人達もハルを褒めちぎった。


 彼はこんなに沢山の人から愛されている。私が気にかけてやらなくても生きていける。

 
感じたことのない気持ちになり胸に手を当てた。安心したような、心に小さな穴が空いたような。
 



 店の主人によるとつい先程見かけた、真っ直ぐ行った突き当たりの角を曲がって行ったはず、とのこと。


「ありがとうございます。私がここに来たこと、彼には秘密にして頂くようお願い致します」
 



 主人と街の人達に会釈をして教えてもらった方へ歩き出す。


 買い物の二の次。そのはずなのにどう抑えても早足になってしまう。

 

ズンズン突き進み、言われた角を曲がって一歩踏み出しすぐ踵を返した。本当に角を曲がったらすぐ見える所にハルがいたから。


 しかし一人ではなかった。

 恐らく私と同じ年代の男二人に囲まれ何か話をしているようだった。物影に隠れ壁の向こうから様子を伺う。



「お前珍しく良いの持ってんじゃん。どこで盗んだの?俺らにも教えて?」


 
ハルが大事そうに抱きしめる布を指差し一人の男が言った。それは私が昨日あげた服だった。
 



「これはもらったやつ。大事にするんだ」


「へぇ、じゃあそれ俺らに頂戴よ。大事な物なら高く売れるぞ。良かったなぁ」
 



 愛しそうに服を見つめるハルを男がケラケラと笑った。もう一人の男が服に手を伸ばし奪い取ろうとする。


「やだっ、やめろ!ショウくんの…っ、誰にもあげない!」
 



 ハルは服を守るように男達に背を向け体を丸めた。ぎゅうっと強く服を抱きしめる。




「うるせぇなあ、どうでも良いからとっとと寄越せよガキ」


「金ないなら物差し出すのが常識だろ」


 片方がハルを蹴飛ばしたのを合図に二人寄って集ってハルに暴力を振るった。
 



 止めなければ。早く、止めろ。
そう思えば思う程そこから動けなくなった。

 
もし止めに入って騒ぎが大きくなったら。もし巻き込まれ私も殴られ、その拍子に面が外れたら。


 皆に素顔を見られたら。


 
その光景に目を背け、踵を返した。後ろから別の男が止める声が聞こえる。


 
ハルは私があげた服を大切な物だと言った。それを身を呈して守った。

 
私はその光景を見ていた。にも関わらず己の保身の為逃げ出した。
汚いのは私だ。


*
 



 また朝が来た。


 昨晩は考え込んでしまい一睡もできなかった。
 


 あの後ハルは駆けつけた誰かに助けられただろう。服を守れたかは知らないが、一大事になるより余っ程良い。


 
城に帰ってから酷い自己嫌悪に陥った。強く自分を責めた。

 張り裂けそうな程ハルのことが心配になった。どうか無事でいてくれ。大した怪我もしていないでくれ。切に願った。


 
そして、ハルを守りたいと思った。


 しかし自分を守ることに必死な私が彼の為にできることはない。強いて言うなら二つだけだろうか。


 
私の持つ全ての知識と技術をハルに教え花で生計を立てる術を伝えること。


 そして、高く売れる花を作ること。


 ああやって物を与えるだけではまた危険な目に遭う。素顔も見せられない弱い私にハルは救えない。



 それならせめて。
 


 私は願うようにハルを待った。剪定鋏を動かす手が覚束無い。もう時期開花予定の花を眺めるより待ち遠しいと思った。


「ショウくん!」
 



 晴れやかな声が後ろから飛んできた。振り向くと門の間から顔を覗かせたハルがいた。


 夏の朝に似た笑顔を見せる。風がふわりとそよいでハルの長い髪を浮かせた。

 
春の日差しも相まって煌めく景色は浮世絵の中に飛び込んだみたいだ。たったの一秒が一生のように感じる。
 



「…ちょっと。俺のこと嫌いなの?」
 



 私が振り向き目が合うなりハルはじとりと分かりやすく嫌な顔をした。寧ろその反対なのだが。


 ちゃんと話を聞くとこの仮面が気に食わないらしい。前に怖いと言っていた白い物より不気味だと。
色も白と対の黒にしたし、子供は皆動物が好きなんじゃないのか?彼の感性はイマイチ分からない。
 



 あんまりグチグチ文句を言うもんだから城にある他の面も見せ直接選ばせた。

 花の絵が描かれた狐の面も嫌だと却下される。一番可愛らしく子供向けだと思っていたのに…。


 結局ハルが選んだのは黒地に金色の西洋的な模様が印象的な物だった。

 覆うのは鼻先までで口元がよく見えるデザイン。私はあまり好まない。人前で肌を出しているのが落ち着かない。


 しかしハルはそれが良いんだと言った。少しでも私の顔が見たいと言う。



「君も物好きだな」


 ふっと小さく笑う。春の風が肌に直接吹いて心地好い。


「…見過ぎだ」
 



 口を半開きにして呆然とするハルに言う。ハルはハッと意識を取り戻してから、じわり、じわりと顔を赤く染めた。


 
初めて春を暖かいと感じた。私は、こんなに満たされてしまって良いのだろうか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る