いなくとも。


ショウ



 翌朝重い体を起こし庭に出た。

 昨晩の事が不慣れで夢を見ていた気でいたが塀についた乾いた足跡に現実かと実感する。


 
いつも通り花に水をやったり土の手入れをしたり一つ一つ丁寧に世話をする。これだけ沢山の花を一人で育てるとなればかなりの労力を使う。

 庭師を呼んだこともあるが変に知識がある奴が来ると自分の拘りを押し付けてくるからもうやめた。幼い頃から私に仕えている使用人ももう老体で最近は腰が悪いと言う。今は必要最低限の食料の買い出しだけ頼んでいる。


 仕方ない。今育てている花達が朽ちたら数を減らしてしまうか。昨晩つけられた足跡を擦りながらそんなことを考えた。

 勿論門は閉めたまま。どうせ彼が勉学に励める程裕福な訳がない。


 あんな字も読めなさそうな子供が研究なんて、事実ならこの国も終わりだ。

 それに盗みがバレていたと分かりわざわざ来るようなことは…


「なんで!?開いてない!!開けてー!!」
 



 音がする方を振り返ると門がガシャガシャと揺さぶられていた。


 まさか。いやでもこんなところに来客なんて。それにこんな無礼な態度。
 



「やめろ!乱暴に扱うな!門が壊れる」
 



 今開けるから少し待て。そう声をかけるとやっと音が止まる。急いで面を取りに戻り門を解錠した。

 錆びた門をギイと引く。目の前にはやはり二度と会わないはずの彼が立っていた。




「うわっ!びっくりしたぁ」
 



 私の顔を見るなり目を丸めた。驚いたのはこちらの方だ。



「何故また来た」


「え、昼ならいいって言ったから」




 言葉のあやだ。双方に解釈の違いがある。今すぐ出て行け。

 と言いたいところだが言質を取られるような言い方をしてしまったのは私だ。今日のところは招き入れてやる。


「わぁ、すごい…!これ全部一人で育ててるの?」
 



 庭をぐるりと一周見渡し彼が感嘆の溜息をついた。こんな彼からでも手間暇かけたものを褒められたら悪い気はしないな。


「ああそうだ。綺麗だろう」


「うん!俺もする!教えて!」

「…何故?」


.


 子供は苦手だ。
すぐただを捏ねるし、透き通る程の無邪気さには嫌悪する。


 
結局彼に根負けして庭仕事の手伝いをさせることにした。理解力に乏しい彼は何度も同じことを聞いてくるし言葉を知らないから説明するだけで疲れる。薬の研究は嘘だということだけが確信に近づく。


 
しかし彼はそこらの無駄な知識を蓄えた庭師と違って勝手なことはしない。頼んだこちらが申し訳なくなるような老体の使用人とは違いいつまでも元気に動き回る。

 
だからと言って彼を雇うつもりは毛頭ない。そもそも彼は泥棒だ。有り得ない。
 



「ショウ!水くんできたよー」


 両手で銅製の如雨露を重たそうに持ちながら彼が駆け寄る。


 彼の名前はハルと言うらしい。案外綺麗な名前を貰っているようだ。



「ねぇ、ショウはいくつ?俺は17!ずっとここに住んでるの?大きな家だね。一人?寂しくない?なんでお面つけてるの?それ怖いってよく言われるでしょ?」


 ハルは私の隣に座り込みペラペラと喋り倒した。馴れ馴れしくて無礼。教養の無さが露呈している。

 自分は嘘をついて隠すくせに人には質問責めか。ズカズカと土足で入り込んで来る彼に苛立ちを覚えた。



「私は27歳だ。君の十も上。馴れ馴れしく呼び捨てにするな。
ここにはたまに使用人が来るが基本的にはずっと一人でいる。それも面も人に顔を見せたくないからだ。私は他人が嫌いなんだ。特に君のような頭の悪い子供は」


 早口で捲し立てるように返事をした。ぺちゃくちゃ煩かったその場がしんと静まり返る。


 
少し言い過ぎたか。しかし嘘でも何でもなく私は人と関わりを持ちたくない。これでハルが私を嫌えば万々歳だろう。




「そうなんだ。ねぇ、ショウくん。この花はなんて名前?」


 ハルはあっけらかんとした声で言った。こちらが腰を抜かしてしまいそうになる。


 
こんな酷い言い方されても尚、何故ここに留まるのか私には理解ができなかった。また自分が攻撃されるかもしれないのに、何故。


 それからハルは何事もなかったかのようにせっせと働いた。私だけが呆気にとられたまま時間が過ぎた。


 
動き回って土汚れがついただろうと彼に行水をさせる。本当は門の前で一度頭の上でバケツをひっくり返してから入れたいくらいだったが、流石にやり過ぎな気がしてできなかった。


 
ハルを待つ間彼が着てきたボロ雑巾のような服を洗う。今すぐにでも捨てれば良いのに。こんなになるまで使い古す程生活に困っていることが伺える。


 彼に帰る家はあるのだろうか。
 



「この服すごい、ピカピカしてる」


 
渡した服に着替えたハルが戻って来た。伸びきった髪から水滴を垂らしながら服を眺めた。


 
君の物に比べれば全て綺麗に決まっている。実際もう要らない物だったので君にやると言うと跳んで喜んだ。大切にする!そうはしゃぐ。


 そんな物を…。いや、彼にすれば何もかもが貴重な物だ。
どうせ他人との関わりを絶っている身。これくらいの人助け、一度くらいはしても良いだろう。


「今日すっごい楽しかった!」

「そうか」


 
ハルの濡れた髪をガシガシと拭きながら雑な相槌を打つ。毛むくじゃらの犬みたいだ。


 
まだ乾いていない服をどうするか聞くとそのまま持って帰ると言った。帰ってから乾かす。どうせ濡れていても着てるうちに乾くだろうと。



「君はもう少し身なりに気を使った方が良いんじゃないか」


 
私には関係のないことだが折角痣のない綺麗な顔に生まれておいて、と思った。


 
どうせこの子は気にしないだろうが。ハルの顔を見上げると、意外にも赤くなって俯いていた。

 一応気にはしていたのか。少し悪いことをしたな。


「すまない。失礼なことを言った」


「ううん、平気。ショウくんは優しいね」
 



 ハルは私の手を掴んで頭から下ろした。体の前でぎゅっとしっかり握り直す。私はその手の動線を見守るしかできなかった。
 



 ただ、怖くて。
 



 知らない体温を遠ざけるように手を払い除ける。



「ショウくん?」

「今日はもう帰りなさい。直に暗くなる」
 



 それだけ言い残し城に戻った。私の名前を呼ぶ声も全て無視した。


 
中に入った瞬間扉にもたれずるずると滑るように座り込んだ。顔の皮を覆う全面の白い面を外してぼうっと見つめる。


 
面はこんなに冷たくて安心できるのに、人はああも温かく心許ないのか。


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