第9話『早川希華という少女(後編)』

 無意識にも生まれて初めて外へ出た俺はこの時に怖いと微塵も感じていなかった。

 ただ彼女に早くこれを届けてあげたいの一心で、それに今日はお別れした彼女にもう一度会えるかもなんて思ったり。

 ふと胸が高鳴った、この時の俺にはその気持ちが何なのか今はわかっていなかった、しつこいと思われるが心は年相応の子供だったんだ。


 彼女の家がどこにあるかは少し前に聞いていた『あの赤い屋根がわたしのおうちなんだよーっ』とにこにこ話してたのを覚えてる、当時も今もまれちゃん凄く可愛い。

 走って1分もせず彼女の家へたどり着くが幼い子供には少し長い、息を切らしながらドア横のインターホンを押して少し待つ、俺を出迎えたのは早苗さんで俺を見ると彼女はものすごく驚いていた。

 

「えっ!? 恵斗くん!?」

「これ、まれちゃんがわすれていったから!」

「そ、それはわかるけど……」

「ママ~? けーくんきたの?」


 驚いてる早苗さんを尻目に奥からまれちゃんがやってきた。

 彼女に再び会えた喜びで俺は笑顔になり幸せな気持ちになる。

 この時また胸が高鳴った。

 

 しかし幸せな気持ちも束の間。


「や、やっとご尊顔が見られた……っ!! この子があの一ノ瀬恵斗君ね!!」

「カメラを早く! 貴重なシーンよ!」

「え、え!?」


 ペンやノート、カメラを持った諦めの悪い記者たち。

 よくもまぁ何年も待ち続けたと今の俺ならいえるし取材も受けたっていいよ、モテたいし。

 

 ただこの時は違う。


「この地区初めての男子の一ノ瀬恵斗君! 取材をさせてください!!」

「おほぉ……っ、カッコよさで眩しい」

「この記事は売れるわよ……っ!」

「あ、あぁ……っ」


 フラッシュバックするあの時の眼差し、忘れていたはずの嫌な思い出がよみがえってきて頭が真っ白になり言葉が出ない。

 集団の向こう側には母さんが走ってきている。

 

 ――あぁ、そうか俺は……馬鹿なことをしてしまったんだ。

 前と違って俺はもうこの世界の男女比が偏っていることはテレビや母さんを通して知っていた。

 だからあれほどまでに注目されていたのだと、この地区で初めて生まれた男の子だからいつか外に出るときは気をつけようねと言われたのを。


 記者に囲まれ質問攻めを受ける。記者たちの目はやや血走ってて怖い。カメラのフラッシュも多々あり目がやられそうになる。

 幼い子供にこの仕打ちは恐怖でしかなく涙が浮かんできた。

 あの時のように大泣きしそうになる……そんな時だった。

 

「けーくんをいじめるなっ!!」

「……まれちゃん」

「ちょ、ちょっと何よこの子……」


 両手を広げたまれちゃんが俺を守るように立っていた。


「けーくんをいじめたらゆるさないんだからっ!」

「わ、わたしたちはそんなんじゃ……っ」

「うるさーい! けーくんからはなれろぉっ!」


 自分よりも一回りも二回りも大きな大人に物怖じせず立ち向かうまれちゃん、記者たちもそんな彼女に圧倒されたのか後ずさる。

 ふと足元に目をやる、僅かながら震えてるのがわかった。

 自分だって大人相手に怖いのに、それなのに自分を顧みずに割って入る彼女を見て胸がバクバクとうるさいくらいに音を立てる。

 後ろのから見る彼女の姿は小さいけれど眩しくてとても美しかった――。


「あなたたち大事な子供たちに何するのよ!!」


 まれちゃんに押され記者たちが黙っている間に母さんが集団の間に入り込む、すかさず俺とまれちゃんを守るように抱きしめた。


 少しの間黙り込んでいた記者たちだったが待ちに待ったこのチャンス、なんとか記事にしようと『取材をさせて!』と声を張り上げる。

 けれどその圧は守ってくれている母さんと俺を安心させるかのように手をぎゅっと握るまれちゃんのおかげでこっちに届くことはない。


 やがて家の中に戻った早苗さんが警察に通報し、到着した警察官に記者たちは取り押さえられた。

 警察が来るのがやけに早くこれは後から知ったことだが男に関連する案件はこの世界の警察の最優先事項らしく、この場所で通報があった時点ですぐに出向く準備ができたそうな。



 あっという間の出来事だった。

 最初は彼女の忘れ物を届けに行っただけだったというのに、瞬く間に知らない人に囲まれてしまった。

 前の世界ではありえないような出来事、男の子がはじめて外に出て友達の忘れ物を届ける……はじめてのおつかいよりも簡単なことだ。

 問題は男の子が珍しい……それだけの事だった。


 この時俺はここが異世界だということをようやく実感することになり同時に怖くなってしまった。


 事情を警察に話す母さんと早苗さんをぼうッと見つめている。

 ふとその時後ろから人の気配を感じて振り向くと。


「けーくん、だいじょうぶ? こわかったよね?」


 心配した様子のまれちゃんが俺を覗き込んでいた。


「もうだいじょうぶだから! わるい人はいなくなったよ!」

「うん……、そうだね……」


 まれちゃんが声をかけてくれているが今の俺の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

 どうしてこんな恐ろしい世界に転生してしまったんだろう、あの時安易な気持ちで広告を押さなければ……っ、モテたい気持ちを思い出さなければ……っ、後悔が波のように押し寄せてくる。

 

 ――もう勘弁してくれ、俺が悪かった、俺にはこの世界で生きていける度胸なんてないんだ、モテたいなんてもう二度と願わない、一生独身で構わない、だから俺を元の世界に返してく――『けーくん』


 ぎゅっと抱きしめられる感触、小さいけれど俺を守ってくれて、優しくて柔らかくて、あたたかな腕が自身を包み込んだ。

 そして一言。


「よくがんばったね、えらいえらい……、ちゅっ」


 優しく頭をなでる手、甘くとろけそうな声、そして頬に感じる柔らかな感触。


「外、こわかったよね、わたしに会いにきてくれたんだね、こわかったのに……がんばったねけーくん」


 涙が抑えられなかった、怖くて怖くてしょうがなかった。この身体から見る大人が、女性があんなにも怖いとはじめて思った。けれどそれ以上に……。


「う、うぁぁぅ……っ」

「だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」

「うわぁぁーーっ!!」


 彼女の強さに、早川希華という女の子の強さに心を震わされて……俺はこの世界で二回目の大泣きをした。




「……あれ、それわたしの?」


 俺もやっと泣き止み彼女から離れるとまれちゃんは俺の手に持っている物に気づいた。

 記者に取り囲まれても手放さなかったお絵かき帳、そういえばこれを届けにきたんだったっけ。

 すっかり忘れていたけど彼女に無事手渡す、そして受け取った彼女は。


「えへへ、ありがとうけーくん」


 ――咲き誇れんばかりの笑顔を浮かべる

 

 ――その笑顔を見た時、俺は彼女に恋をしたのを自覚した。


 ――そして俺はこの日の事を生涯忘れないだろう。

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