7‐1

「……な、何しに来た。報復、か?」


「感動の再会なのに、相変わらず冷たいんだなぁ。そうだ、あの時ハッキングしたのは本気で僕だって、勘違いしてたほど、子供に無関心だったもんねぇ。僕のこと、邪魔で邪魔で仕方なかったっしょー……。だって、アンタあの時――」


「い、言ったのか? 本人に」


 遮るように、叫んだ。あまりの必死さに、笑えて来る。無様だった。ククク、と喉を鳴らして笑った。だが同じように、無様なのは自分も同じだった。血は争えないのだ。

 肉親に、血を分けた女に、“欲情する異常さ”に、彼もまた抗えなかったのだ。


「あはは! 言うわけないでしょ。キモチワルイ」


「お前だって――」


 わなわなと震えながら、非難するような視線を浴びせる。


「ふざけるな。アンタの気持ち悪い下劣な感情と一緒にするな」


 ナナホシの名前を呼びながら肉棒を摩るこの男、彼女の下着を屠るこの男、コイツと自分は違う。そう言い聞かせて来たホウジャクは、冷酷に言い放った。


「お前も、同じ穴の狢だろ――」


「違う!!」


 怒りに任せ、怒鳴った。ここで、ハッとした。廊下で物音がし、「喧嘩ぁー?」と寝起きのような子共の声が聞こえて来たからだ。


「来ちゃだめだ! 寝てなさい!」


「新しい家族は“幸せにしてあげた”んだね」


 ホウジャクは、「ふぇ?」と首を傾げる幼い子に向かって、何のためらいもなく引き金を引いた。


「俺の家族に、何をするつもりだ!」


 “その子の父親”は怒鳴ったが、もう遅い。ホウジャクは、飛び掛かるようにして距離を詰めると写真を、突き付けた。真っ白な二つの肢体が、艶めかしくベッドで絡み合う。その男の息子と娘の情事を思わすワンシーンだ。ホウジャクの手を握り、眠るその横顔は天使のように美しかった。


「見ろ、ナナホシは僕のものだ。目に焼き付けて、死ね」


 びたびたと、兄妹とよく似た目元から、血が滴り落ちる。そして、父親は絶命した。

 兄妹の復讐を、成し遂げた記念すべき日となった。と言うのは建前だ。本当はそうではない。これは、もっとひどい感情だ。

 醜く歪んだ嫉妬心、それをようやく殺した日、と言った方がいいだろう。

 カーテンから、真っ白な月が覗いていた。愚兄による愚かな感情と、愚かな行動は、月だけしか見ていない。



『大丈夫だってアゲハ。あの大男が死ぬのをまるで想像できないわ』


「うん! わかってる!!」


 恐らく、通信していた機材が破損した。手首のデバイスの小さな画面をちらっと見る。ホウジャクは高級住宅街の北ブロック、ジガバチはリラのビルから出て、双子葉製薬の研究施設に入っていた。彼らしい、妙案だと思った。

 イミューンシステムを担うだけあって、保衛官がここには多すぎた。ナナホシは、途中階を含むあらゆる連絡通路と出口を塞ぎ、保衛官をここに閉じ込めたのだ。適宜、拮抗剤を撒き、武装勢力を鎮圧するのである。

 ここで、ホウジャクと合流し、ハイエナを奪還する、という作戦に切り替えた。

 だが、無人の捕虜収容所を見てアゲハは内心落胆した。


(……ホタル、生きてたりしないのかな)


 彼女は頭を振った。下手に考え休むに似たり、だ。今は止そう、集中しよう。


「いいかい、アゲハちゃん。分かってると思うけど、こっからは絶対に闘おうとしないことだ。ジガバチくんやホウジャク――」


「はい! 逃げに徹する、ですよね」


 このシチュエーションについて、何度も言われてきたことだった。ジガバチやホウジャクがいない場合、自分を置いて、逃げろと言う話である。


「追加で、たとえ、君の父親や母親に出会ったとしても、だよ。特に彼女は鼻持ちならない女だ」


 そういうと、顔を強張らせた。冗談のつもりなのだろうか、本気で言っているのだろうか。分からなかった。普通なら、言い返すところなのだろう。だが、酷く的を射ていたため、彼女はくすっと笑ってしまった。


「もちろんです」


 大きく頷いた彼女を見ると、安心したように、彼も笑った。



 地上階に通ずる階段の手前で、ヤブイヌは足を止め、後ずさりした。唇に手を当てるとシーっと言うジェスチャーをする。誰か来るのだ。

 彼は鋭い目つきで頭上を見上げた。視線の先にはダクトに通ずる穴だ。このパターンはまさか、とアゲハは思った。


『アリかもね。そのまま、ダクト内を通れば、安全に上下左右に移動できるわ。アンタと、兄さんくらいしか通れないけど』


 過去一番に綺麗なダクト内だった。アゲハは、ヤブイヌがうまく切り抜けられたことを願い、這って進んだ。


「……で、収容施設の居心地はどうだった」


「悪くはなかったけれど、もう二度とはやりたくないわ」


「怒らないでくれ。もう二度はない。……は、手元に戻って来た。君の安全を脅かすものはないだろう」


 男女の二人組だった。一人は男、声は低くくぐもっていて、聞き取れない部分がある。そして、もう一人は女だ。そして、アゲハの心臓がバクバクした。よく透き通る声、語尾がつっけんどんな物言い、高圧的な口調に聞き覚えがあった。

 だが、そんなはずはない。娘二人が私刑になろうともいう女が、ここにいるはずがないのである。さっきのヤブイヌの言葉は、冗談のはずだ。

 彼女は息を潜めて、真下を歩く二人の声をやり過ごすと、再び進み始めたのだった。



 いけ好かない女と、忌々しいほどに憎い男が、身を隠した部屋に入って来た。


「今日中に、被験体をこちらの施設に戻そう」


「そうね」


 彼女の位置を確認する。十分に離れたことを確認すると、二人の前に飛び出した。

 

「久しぶりだな、ユズリハ」


 銃を構え、ニヤリと笑う。二人の顔が、驚愕に歪んだのを満足げに眺める。リンドウがいたのは計算外だったが、ヤブイヌにとって待ちわびていた瞬間だった、のかもしれない。


「……どう、して……」


 絞り出すようにユズリハは声を発した。驚いているのだ、夫のリンドウが追放したはずの男が、地獄から這い上がって来たからだ。

 

「そりゃあ、驚くだろうね。俺は当時、イミューンシステムの最高責任者だったわけだ。だから、心臓にチップも入ってる。追放は、死を意味する」


「何をしに来た」


 リンドウは一瞬で落ち着きを取り戻すと、彼女の前に出て、銃を構える。


「お前らに説教をするために、はるばる地獄から舞い戻って来たのさ」


「アゲハのこと? そっちにいるのね?」


 “鼻持ちならない女”は、目元の皺をフッと消すと、食いついてきた。同時に、隣のリンドウの腕を下げ、銃口を下に向けさせる。母親であると心は、どうやらいくらかは持っているらしい。

 両手で顔を覆うと、良かった、と言って泣いた。だが、それに反して、隣の男はどんどんと顔を強張らせる。やはりそうか、この男は昔から、油断も隙もない狡猾で頭のネジが何本も狂っていたことを思い出す。

 ユズリハは何も知らされていないのだ。哀れな女だ、と心の中で蔑む。


「ここに来てる。だから、お前に少しでも人としての血が通っているなら、“母親”として行動しろ」


「もちろん、分かってる」


「隣のソイツの手綱をしっかり引いておくんだ。いいか、お前にしかできない」


 愛娘の面影を宿した顔で、涙ぐむ彼女にチクリと心が痛む。この女とは、一度寝ただけの、愛のない関係であるはずなのに、アゲハの顔がチラついて仕方がなかった。むかつく出来の悪い部下への腹いせに性欲を叩きつけた、最悪な一晩だった。ブレインがカーディアックシステムを通して、相性が悪いと判断した二人だったのだ。

 万一出来てもおろすと思っていた。産んだとしても、恐らくシステムによって処分されているはずだった。

 だが、産むことを決断し、それに加担したリンドウにはさらに驚いた。アゲハを産んだこと、育ったこと、そして、最期に出会えたこと、それは奇跡中の奇跡、まさに天文学的な数値だった。

 ヤブイヌはツイていた。ハイエナを掌握できたことも、娘の成長を見守れたことも。唯一ツキがなかったとすれば、ここにリンドウがいたことだ。彼は、ヤブイヌを今度こそは逃がさないだろう。加えて、ヤブイヌにユズリハを撃つことはできない。

 だが、一矢報いるつもりだった。ハイエナと、アゲハのための、報いは必ず受けさせる。


「ヒイラギは――」


 パンパンッ!


 銃声がし、腹部の柔らかい部分に二発、弾が当たる。死ぬ、致命傷だ。「きゃあ!!」と、ユズリハの断末魔のような叫び声が遠くに聞こえる。

 

(黙れ、傷と頭に響く。アゲハを思い出しながら、死にたいのだ)


 心の中で、悪態を吐く。倒れなかった。


「お前が殺したんだ!! リンドウ!!」


 力の限り、叫んだ。口から血反吐が噴き出る。その血しぶきの向こうに、リンドウの、願っていた表情が浮かんでいる。


(……いい顔だ)


 そして、がっくりと膝から崩れ落ちる。最期に考えたのは、可愛そうなアゲハの身の上だった。こんな狂った二人の副産物として、きっと数奇な運命だったの違いない。

 自分もユズリハに教鞭を垂れるような、そんな親ではなかったことはよくわかっていた。

 親らしいことを、彼女にできただろうか。父親である身分を隠したこと、ユズリハを撃たなかったこと、それは正しかったのだろうか。分からない。だが、嬉しそうな顔で、ピアスを受け取り、耳に着ける姿は愛おしかった。

 その姿を目の裏に焼き付けよう、と瞳を閉じた。


「どうして! ? どういうことなの!!」


「違う!! 私じゃない、信じてくれ。違うんだ、私は助けようとしたんだ。だが――」


 五月蠅い、だが、大いに満足。薄笑いを浮かべ、ヤブイヌは意識を手放した。

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