6-4

「何を……、隠してるんですか?」


 躊躇いがちに、アゲハは言葉を発した。先ほどから、不自然に黙りこくるジガバチの顔を覗き込む。目が合った瞬間、紫黒の瞳はさっとそっぽを向いた。

 その瞬間に、彼女は確信した。彼に、何かあったのだ。昨晩、重傷を負ったハイエナに、何か恐ろしいことが起こっているに違いなかった。

 ギュッと掴まれた腕を振りほどくと、踵を返し、駆け出す。

 先ほどまで晴天だった空は、真っ黒な雲で覆いつくされる。遠雷の音がする。嫌な予感がした。


「行かせられっか!!」


 ドンと突き飛ばされ、地面に打ち付けられる。膝を地面に付いたせいで、擦りむける。

 もみくちゃになった。ここまでくると、もう明らかに異常事態だった。しとしとと、追い打ちをかけるように、冷たい雨が落ちて来た。

 ひと悶着起こすが、当然押し負ける。やがて、両手を地面に押さえつけられ、彼は馬乗りになった。


「痛い!! 放して!」


 半狂乱になって、叫んだ。息が上がり、声が上擦る。


「ダメだ!! それでも行くっつーンなら、手足引き千切ってでも止めてやる!」


「……出来るもんならやってみろ!! そんなことできっこ――」


 できっこないくせに……、と言う言葉を続けようとして口を噤んだ。いや、正確には痛みに声が出せなかったのだ。殺気と怒気の“悪意”が、アゲハの全身を焦がすようにうねりを上げたからだ。

 脅しではない、そう気づき、体が恐怖で硬直する。その様子を見たジガバチは、高らかに笑った。


「どうだ!? “悪意”が痛ェだろ!? そうさ、俺は、今までにないほどブチ切れてる。脅しなんかじゃねェさ!! やれるぜ? それでも、この俺に歯向かうかァ!?」


 猟奇的な笑みを浮かべ、叫ぶ。そして、彼女の手を捻じり、本来は曲がらない方向に力を加える。暴力と、“悪意”による痛みに呻く。いつの間にか、ザーザーと大きな音を立てて雨が本降りになっていた。

 そして、アゲハも大声で泣いていた。怖くて、悔しくて、悲しくて、痛くて、苦しくて、泣いた。


「……俺に、惨いことさせんな」


 ゆっくり力を解いていく。そしていつかのように、泣きじゃくる彼女に上着を投げてよこした。


「幸せのために、屍を越えて行け。何人でも、俺すらも! お前にはその価値がある」



 数日がたって、ようやくアゲハは手紙を読む決意がついた。


【お前がそう望むなら、復讐はやめる。妹も、お前が笑って生きることを望んでいた】


 ヒイラギとアゲハが、雪を投げ合って笑う写真の裏側にしたためてあった。明らかにこれは、当日書いたものではなかった。なぜなら、封筒の裏に、もう一つの殴り書きを見つけたからだ。【俺のことは忘れて、生きろ】と書いてあったのだ。

 ジガバチが渡してくれた封筒は、分厚かった。だが、その理由が分かった。他は全部、ヒイラギからの手紙だったのだ。一見すると、全て、三年前に渡されたものと同じ内容に見える。前半は、また全く同じような文章の羅列だった。

 しかし、後半部分が違っていた。アゲハは、妹を一瞬でも恨んだ自分を恥じた。

 ヒイラギの先見の明は、およそ一分後に起こることが分かるのではない。この先起こる事象Xに対して、行動A、行動B……、それぞれの行動をとった時の期待値が分かる、と言うものだったのだ。

 姉が幸せに生きる、という事象に通ずる、考えうる行動を全て挙げて、手紙を用意していたのだ。そして、自分が居なくなった時、状況に応じて彼女に渡すようにとハイエナに託していたのだろう。

 姉が死にたい、と絶望したとき。復讐してやる、と自暴自棄になったとき。あらゆる、場面が想定されていた。

 だが、最後の結びは、いつも、姉が生きて幸せになることで締められていたのである。

 やはり、腹を、決めた。それはきっと、ハイエナも、ヒイラギですらも、望んでいないかもしれないシナリオだった。だが、一つ言えることは、アゲハがこれまで生きて来て、唯一自分で描いたシナリオであった。



「私は、どうしたらいいんだろう」


≪アゲハ、アナタハドウシタイノデスカ≫


 ディスプレイの前で、膝を抱える。たくさん考えたが、わからなかった。今まで、散々色んな人や現実に振り回されて、突然それが無くなったのである。復讐なんてすれば、また誰かが死ぬことが目に見えていた。それは自分かもしれないのだ。


≪……コレハイウベキカ、マヨッタノデスガ……≫


 ベアちゃんは、ディスプレイの中で、両手をモジモジと擦り合わせた。


≪ハイエナサマハ、イキテイマス。イケドリニ、コダワッテイマシタ≫


「えっ……?」


 画面の前に、思わず嚙り付く。


≪リンドウガ、キタノデス≫



 兄妹と、ヤブイヌに協力を求めに来ていたアゲハは、ギュッと目を閉じた。廊下の床をどんどんと大きく踏む音が、近づいてくる。

 乱暴に扉が開かれ、つかつかと足音を立てて誰かが入って来た。


「……ふざけんな!!」


 ナナホシだった。アゲハと顔を見合わすと、叫んだ。そして、手元に散らばる手紙を見て、顔を真っ赤にした。


「アンタのせいよ!! 私、言ったわよね!? あの時!! 中途半端な気持ちなら、止めろって! 警告、したわよね!!」


 首根っこを掴まれ、凄まれる。ビシビシと、“悪意”を感じた。たぶん、顔面を殴られる、そう思った。だが、それでもいいと思った。むしろ、そうされたい気分だったのだ。


「……ごめん」


「ハイエナさまが死んだら、アンタのせいだから!! 責任取って何とかしなさいよ!! ねぇってば!!」

 

 平謝りする彼女に、ナナホシは怒りの“悪意”をぶつけた。泣き叫んでいた。そう言えば、最初から目が真っ赤に腫れていたような気もした。

 鋭い痛みと共に、やはり、顔面をぶっ叩かれた。それも、拳だった。視界が一瞬ホワイトアウトし、金臭いような臭い、痛みが鼻腔を突き抜けた。


「何の強みも、武器も持ってないくせに! 何もできないくせに! 何でアンタが生きてんのよ!! 何でこんな奴のためのあの人は――」


 彼女が最後まで言い終える間に、黒い大きな影が飛び込んできた。そして、ナナホシを引き離すと彼女がしたのと同じように、顔面に拳を打ち付けた。


「てめェ! なんつった!? あァ!?」


 ジガバチが、胸倉を掴んで青筋を立てて怒鳴りつけたのだ。


「落ち着いて! どうしたんだ!!」


 騒ぎを聞きつけて止めに入ったヤブイヌを突き飛ばし、「うるせェ!!」と叫ぶ。ホウジャクが扉の傍で、固まって見つめていた。

 いつもだったら、アゲハも止めに入っていたかもしれない。だが、そうしなかった。


「アゲハを振り回すのも大概にしろ、クソ共! これからは、俺らの番だ。キッチリ落とし前はつけてもらう」


 ヒックヒックとしゃっくりを上げるナナホシを押さえつけ、ヤブイヌの制止を振りほどく。蟠(わだかま)りがスッと消えていくような感覚がし、白い霧が晴れるような気持ちがした。


「いいか? 俺たち従うか、死ぬかだ。どうする?」


 ヤブイヌが、頑として反対していたのを思い出す。面倒だ、と思った矢先だった。

 だが、この時は両手を上げ、「分かった」降参の姿勢を示した。「てめェもだよ」と言って、ホウジャクの方向を睨む。彼もそれに倣った。

 二人の意志を確認すると、ナナホシを打ち捨てるように解放した。 

 ナナホシからの批判は正しかった。耳が痛いほど、心がえぐられるほど、正論だったと彼女は思った。だが、一つ異論を唱えるとすれば、彼女にとっての武器についての言及に対してだろう。


「気色悪い面(つら)して、何考えてんだよ」


 ハッとして顔を上げる。差し出された右手を掴み、起き上がった。 

 ナナホシやホタルの強さを知ったあの日から、ずっと考えていた。自分の強み、武器は何なのかと言うことを。答えは依然として出なかった。でも、分かった。それは、ずっと前から傍にあったのだ。

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