6-1

 分厚く、太陽光を覆う雲、バケツをひっくり返したような雨、そんな日が続いた。

 全電力はソーラーパネルから太陽光と熱を利用して、供給されている。理想都市が依然使っていたものの、使いまわしだった。廃都市になった今では、予備電力はない。


「おい、それ消せ」


 ジガバチは、バーチャルアシスタントの電源を切るように言った。そんな事情も知らない温室育ちのアゲハは、電力は湧いて出てくると思っているのだろう。ぽかんとしていた。


≪ジガバチサマハ、シッカリモノデスネ。デンリョクノカンリハ、ワタシノツトメデス。ワルイヨウニハイタシマセン。オマカセクダサイ≫


 そう言うと、茶色いクマは小さくて短い腕で、敬礼のポーズをとった。バーチャルアシスタントのくせに、馬鹿にしたのか? と思わず顔が赤くなる。

 何か言い返そうと口を開きかけたが、間髪入れずに二次元テディベアは続けた。


≪アリガトウゴザイマス。アゲハヲ、タノミマス≫


「はァ?」


 意想外の言葉に、言い返す気力が削がれる。代わりに、胡散臭いその言葉に、真意を見出そうとして眉を顰めたほどだった。しかし、相手はロボットであることに気付き、ハッとする。

 その時ふふっと、笑い声が聞こえた。なぜか、アゲハが酷く照れくさそうに笑ったのだった。

 そのはにかんだ表情には、一、二センチほどの切り傷や擦り傷が無数にできていた。同じような傷は、顔だけではなく手足にもあった。



 その日も豪雨だった。


「私も、混ぜてもらえませんか」


 何を言っているのか、と、嘲ろうとした瞬間、彼女の表情を見て止めた。代わりに背後でハイエナが、「いいだろう」と低い声で答えた。


「ただし、一度でも弱音を吐けば、止めにする」


 彼女は本当に弱音を吐かなかった。

 ボコボコにされて、闘志を折られたジガバチは、ぬかるんだグランドにへたばった。体中が痛く、今晩のところはそろそろ止めにしたかった。

 だが、彼女は違った。泥に足を取られながらも、へこたれずに何度も向(むか)って行った。

 拳を身を捩って避けると、左足でハイエナの胴体を蹴り、間合いを作る。詰められないようにしているのだ。じっと相手を見つめ、彼が動くほんの数コマ前に反応してそれを避ける。

 しかし、ある時その均整が崩れた。ハイエナが身じろぎした瞬間、彼女は右に避けた。彼の手が空を掴む。同時に左手の拳を腕で遮る。だが、「うっ!」と鋭い呻き声を上げて、両手をついたのはアゲハだった。

 膝蹴りが胴部に入ったのだ。けほっけほっ、と咳きこむ。

 容赦ない目つきでそれを見下ろすと、「なるほど」とせせら笑った。


「攻撃を繰り出そうとする闘志や殺気を、“悪意”として感知しているのか。だが、感知して行動に移すまでのインターバルが長すぎる。フェイント、闘志や殺気のない攻撃には無意味だな」


 彼はそう言いながら、彼女の背部の服を掴み上げた。何をするか分かったジガバチは、重い腰を上げて滑走した。


「貴様が補完しろ。いつまで寝ている、ジガバチ」


 そして、アゲハをまるで積み荷か何かの様に放り投げたのだ。低く滑走し、そのまま滑り込む。すんでのところで抱きとめる。


「……っぶねェな!!」 


 青筋が出るほど怒鳴った。気づけば鎮火していたはずの敢闘精神に、再び火が付いていた。申し訳なさそうにしている彼女を降ろす。そして再び敵わぬ相手に打ちのめされに行く羽目となったのだ。



 本当に彼女は弱音を吐かなかった。例えば腹筋を百回やれ、と言われたとする。そしたらきっちりと百回、真面目にこなすのだ。


「別にサボってっからって、チクりゃしねーよ」


 あまりに馬鹿真面目にこなす彼女に、思わず冷笑を付す。


「甘やかさないでください。チクりますよ」


 額に汗を滲ませ、彼女は笑った。


(言うじゃねェか)


 いつの間にか、何も知らないお姫様だった面影が消えつつあったようだ。

 だが、歩きながら寝ていた姿には流石に度肝を抜いた。強奪した廃研究所への帰り道だった。彼女を背負うと、なぜここまでするようになったのか、いきさつを考えてみた。

 柄にもなくうだうだ考え込み、イライラして眠れなかいほどだった。向こうから言ってくるのを待とうと思ったが、「何があった?」と思わず聞いてしまった。


「ああ、言ってませんでしたっけ?」


 ひどくあっけらかんとした表情で、彼女は続けた。


「ヤブイヌさんはヒイラギのお父さんで、リンドウが私のお父さんなんですって」


 肩透かしを食らった気分だった。自分が一番、この事実に驚いているのではないかと思った。だが、彼女に対してのヤブイヌのきな臭い距離感と接し方に納得がいった。

 アゲハがリンドウを殺すための切り札だ、と言ったハイエナの言葉を思い出した。そちらも腑に落ちた。だが、アゲハはさらに続けた。


「リンドウは私をあの夜殺そうとしました。妹諸共です。母は、たぶんハイエナさんの口ぶり的にグルなんでしょう」


「……マジか」


「私が何か血迷ったことをしていたら、頼みますね」


 淡々と話す彼女に対し、気の利いた言葉を一つも紡ぎ出すことはできなかった。ただ一言、「おう」と返事をすると、背中を叩いた。それで十分だった。

 一方で、拮抗剤の研究もナナホシとヤブイヌの介入により、跳躍的に進んだ。


「ハイエナさまのためなら、一肌脱ぐわ」


 汎用スーパーコンピュータでは時間がかかって仕方がなかった。だが、彼女は創薬専用のスーパーコンピュータを作ったのだ。創薬と開発に使う演算はもちろんできる。そのうえ、分子レベルどころか、原子レベルのシミュレーションを行うことができた。

 そして、驚いたことにヤブイヌはエデン計画について知っていた。そして、オオゼリが追放されたことも知っていたのだ。

 イミューンシステムで、ヒューマノイドロボットの研究が行われていた頃から、エデン計画に加担していた。いわば、重要参考人だ。アゲハの憶測は、大方当たっているようだった。


「彼女は間違いなく濡れ衣を着せられたのだと、俺は思うよ」


 何の根拠があっての発言かは分からない。だが、確固たる自信があるようだった。しかし、彼女が誰に、なぜ嵌められたのか、と言うことは興味の対象外だった。

 たとえ彼が嵌めた張本人だったとしても、何も感じはしないだろう。



 こうして、アゲハは齢二十になった。拮抗剤も、ついに、臨床試験段階に入っていた。そして、アンティーターを襲撃する日取りの目途がついた。


「人の目が、気になるのですか」


 最後の“狩り”に向かうハイエナの背に向かって、彼女は言った。初めて会った時のことを思い出していた。


「目は口程に物を言う、そうだろう」


 彼の言葉に「なるほど」と、呟く。そして、封筒を差し出した。【蓚(スイバ)へ】と宛名書きされている、手紙だった。


「もし、余裕があれば構いません。これを、渡してほしい人がいるんです」


「期待はするな」 


 面倒くさそうに顔を顰め、彼はそれを受け取ったのだった。



 スイバは大学の大講義室で、深々と溜息をついた。一番後ろの席に座り、目頭を押さえ、頭を抱える。

 講義がつまらないわけではない。大学には行かず、花屋をそのまま次ぐ予定ではあった。しかし、材料工学の分野の授業は好きだった。彼の専攻分野でもある。

 そう、彼の心を搔き乱したのは、教鞭を熱心に揮う講師の話ではない。

 アゲハが書いた、と思われる、手紙だった。


 【


元気ですか? 私はいろいろあったけど、元気に暮らしています。

スイバのお姉ちゃんが作ってくれたカレーが、また食べたいくらいです。

突然ですが、二年後の私の誕生日、私はアンティーターを陥落させます。市民が全員死にます。でも、それは構わなし、何の未練もありません。ただ、スイバたちだけが、気がかりです。

嫌いになって構いません。ですが、私の言葉を信じて、壁の外に逃げてくれませんか。

ルートも同封しました。

そこから先はサポートします。不便なことも多いですが、私は気に入っています。

お父さんとお母さんにも、今までお世話になりましたと、心配しないでくださいと、お伝えください。



 凡そ、女性が書いたとは思いにくい、濃い筆圧と、豪傑とも言うべき癖字が連なる。間違いなく、彼女だった。



元気そうで何よりです。

父と母は、貴女が失踪した知らせを受けた翌日、貴女の母親を市警に通報しました。

しかし、その後、父と母、姉は家の火事に巻き込まれ、火災に巻き込まれ死亡。

僕は、ハイエナさんに助けられ、元気に過ごしています。今は名前を変え、素性を隠して

……



 そこまで書いて、はぁ、と、また溜息を吐くと、紙を握りつぶした。隣の学生が、怪訝そうな顔でこちらを見つめているのが分かる。

 結局、講義二コマ分使って捻り出した三年分の想いは、たった一言の殴り書きだった。

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