insert chapter:SWARM(MOSQUITO編)

6-0

「なぜ、本当のことを言わない」


 押し黙るヤブイヌに対し、ハイエナは冷ややかに言った。顔を両手で覆い、項垂れている。何とも情けない姿だった。


「俺は、あの子に誇れるような父親じゃあないからだよ」


「そうか」


 彼はそれが質問とその答えがどういう因果関係を結ぶのか、分からなかった。だが、ヤブイヌは肯定してほしそうだったため、そう短く相槌を打った。


「追いかけてあげなさい」


「何だと?」


 耳を疑った。追いかけろ、と言ったのか? 彼女を? とハイエナは困惑した。追いかけたところで、どうしろというのだ。

 しかし、そんな彼にヤブイヌは「早く! 行け!」と急かす。

 彼はため息を吐くと、彼女を追って熱帯夜に繰り出した。



 青嵐を受けながら、ハイエナは走った。そして、とぼとぼと歩くアゲハに追いつく。肩は震えていた。いつか見た、夜空を見上げて泣いていた彼女を思い出す。いつからか、見なくなった光景だった。


「アゲハ」


 彼女を呼び、抱きすくめた。相当泣いたのだろう、酷く泣き腫らした目が驚いたようにこちらを向く。慌てて涙を拭おうとする小さな手を掴む。


「泣いていい」 


「す、すみません。でも……私――」


「構わん。話せ」


 鼻声でしどろもどろに喋る彼女を遮る。今晩は、酷く自分の声がぶっきらぼうに聞こえてならなかった。


「では、聞いてくれますか……。妹は、私にないものをたくさん持っていました。母からの寵愛、愛嬌、美貌……」


 ぽつぽつ、と、彼女は話し始めた。一体どうしたらいいのか、依然として分からなかった。だが、黙って聞いてあげることが、正解なような気がした。


「……アンティーターが必要としていたのも、申し子である妹。私は不用品なんです。でも、お父さんだけは、平等だって……そう思ってたのに……」


 そこまで言うと、彼女は再びさめざめと泣きだした。


「死者を恨むなんて、ダメですよね。分かってます。ハイエナさんだって、分かってるでしょう。ひーちゃんは悪い子じゃないんです……」


 返事を返すことができなかった。ヒイラギがどんな子なのか、なんてことはあまりよく知らない。なぜなら、ハイエナが十七年間追い続けて来たのは、妹のヒイラギではない。アゲハだったからだ。

 一方で、分かることもある。この姉妹の関係性である。二人がお互いを見る目つき、交わす表情、そして言葉、それらから分かることもあったのだ。

 だが、ハイエナはこれを伝える術が分からなかった。

 ぺらぺらと妹ヒイラギに対する妬み嫉みを吐いては、時折懺悔するように言い訳をする。その忙しなく捲し立てるこの唇にキスを落とせば、何かが変わる気がした。

 その先にある、見えない何かが分かる気がしたのだ。

 気付けば、アゲハの唇をキスで塞いでいた。ピタッとお喋りが止み、夜の静寂が訪れる。

 腫れぼったい彼女の目が、びっくりしたようにぱちぱちと瞬きする。瞳を通して、自分の表情が掴めそうだった。今は不思議と、瞳に映る自分の無機質な顔、忌々しい火傷も、清々しい気分で見つめ直すことができた。

 左腕をそっと腰に手を伸ばし、抱き寄せる。そこで、彼女は唇を離し、呟いた。


「何か……分かりましたか」


 ハッと我に返る。記憶にないが、口に出していたようだ。それにしても……、とハイエナは片微笑んだ。


「……妹と同じことを言う」


「なっ……! ひーちゃんにも、きっ、キスしたって言うんですか!?」


 ドンっと突き飛ばされる。真っ赤になった顔が、明るい月光の下で露わになる。その赤面は、羞恥からか、憤怒からか、またはそのどちらもか……、彼は想像しながらフッと微笑む。


「それは、嫉妬か?」


 彼女は答えない。ただ、頬をムッと膨らませ、睨みつけるだけだった。


「……していないさ。お前にしていたのを見られただけだ」 



「王子様、どうかねえちゃんを助けてあげてください。私は今日、ようやくわかりました。なぜお母さんが姉ちゃんにだけ辛く当たり、厳しくするのか」


 あの日、彼はヒイラギを殺すつもりだった。しかし、結局は殺す必要はないと判断した。二人の関係を見れば、殺すことはできなかった、と言った方が正しいのかもしれない。

 なぜならヒイラギという健気な妹は、来るべき時に、アゲハのために正しい選択をするだろうと解釈したからだ。そして、その通りになった。


「姉ちゃんのこと好きですよね? 初めてあなたを見たのは、寝ている姉ちゃんにキスをする姿でした」


 ヒイラギは初めて出会ったはずだったが、彼のことを知っていたのだ。何度も出入りしていた。予知能力に近いものを持つ彼女なら、ありえない話ではなかった。


「ちなみに姉ちゃんは、あれが初めてのキスです」


 彼女はそう言うと、幼気な笑みを浮かべた。くすくすと声を立てる。


「口づけをしたら、分かる気がした」


 気付けば、そう呟いていた。懺悔か、あるいは言い訳か、何のつもりで口走ったのかはわからない。だが、そんな彼に、ヒイラギは真剣な眼差しを向けた。


「何か、分かりましたか?」


 ちょうど、姉と同じ言葉を投げかけたのである。


「……分からない」


「貴方はお城で幽閉されているお姫さまを攫う、王子様です。だから、姉ちゃんをこの牢獄から攫って欲しい。そうすれば、貴方は大切な気持ちに気付くと思います」


「お前は何者なんだ?」


「未来が見える、中学生(がきんちょ)ですよ」


 そう言って、アゲハがはにかむ時と同じ、笑顔を向けたのだった。



 そうだ、と、そこで彼は思い出した。答えは分からなかった。だが、初めて彼女に口づけをした感覚と、今の子の感覚は同じなのだということに。

 ちょうど真っ黒なタール色の空に月明りが差し込むような、ちょうど空が白んでいく朝焼けのような、そんな感覚だ。


「お前は、説明できるか? この、心が何かを」


「えぇ!?」


 いきなり突拍子のない話題を振られ、ひどく驚いたのだろう。声が裏返っているのが分かる。


「す……、す、好きって言う心なんじゃあないでしょうか……」


 ヘンテコなイントネーションをつけて、彼女は言った。


「じゃあ、俺もそうだ」


 そう言って再び、唇を重ねた。そうしているうちに、月が出て、そして夜が明ける気がしたのだ。何かで、どこかが満たされる、そんな感覚があった。

 そうして、何度も、何度も、まるで心の空(うろ)を埋めるようにキスを重ねたのだった。



 アゲハは明朝、ナナホシの元へ向かっていた。昨日の今日である。ヤブイヌは夜行性だった。そのため、彼を避けるようにして、彼女の元に出向いた。


「めんっどくさー……」


「後生ですから!」


 思いっきり皺を鼻の上に乗せて、嫌がる彼女に、両手を擦り合わせる。泣き落としは無理そうだった。


「あっそ。無理なら仕方ないね」


 つれない態度でそう言うと、腰を上げる。ちらっと彼女の方を盗み見ると、予想していた通りの表情を浮かべていた。顔には少しも出さないが、内心ほくそ笑んだ。


「無理、とは、言ってない!!」 


 まるで嚙み付かんばかりに凄むと、ひときわ大きなスーパーコンピュータに飛んでいく。


「戸籍関係なら、何でもできるに決まってんでしょう!? 架空の人物だって作れるし、他人の戸籍もいじれるわよ! アンタの戸籍上の父親を捜すなんて、おちゃのこさいさいなのよ!!」


「ありがと!」


 アゲハは再び座り直すと、彼女の背にお礼を言う。いつにも増して大きな音でキーボードを叩いている。気合は十分、と言うわけだ。


「……、でもさ、アゲハ。一つ、都落ちの先輩として言っとくけど」


 そう言うと、手を止めて、向き直った。


「親なんて、戸籍を埋めるための飾りよ。親はただの親。血がつながっている人間。それ以上でも以下でもないのよ」


「うん。分かってる」


「あっそ」


 ナナホシの言葉を、アゲハは何度も心の中で咀嚼した。そうだ、親に対してどんな感情を持っても、ここでは自由なのだ。肯定することはあれど、誰も咎めはしないし、糾弾したりしない。

 ほどなくして、ナナホシが大きく叫んで手招きした。


「アゲハ、覚悟はオーケー?」


 画面を手で覆い、ディスプレイの前に立たせる。コクコクと頷いた。

 ばっと両手を外す。

 そして、彼女の手元から出てきたのは【竜胆(リンドウ)】という文字だったのだ。

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