5-6

 目の前のソレは、人の顔、体つき、人の声をしていた。朝日に煌めく小麦色の肌、キュッと結んだ淡い桃色の唇、ハーフアップの茶色い髪の毛の靡き方、それらはまるで人だった。

 だが、人は、ホバリングなんてしない。手首から肩にかけて、びっしりと羽が生えていたのだ。前腕から肘窩にかけて一旦途切れ、そこからまた肩へと繋がる。それを巧みに使い、風に乗り、ホバリングしていたのだ。

 そして、ぎろっと大きな眼(まなこ)で睨むそれは、不自然にぎらついていた。タペタム、所謂照膜があるのではないか。夜行性の鳥類が持つ、反射板のことだ。些細な光もここで凝集し、目を光らせる。そのため、真っ暗な闇の中でも狩りができるのだ。無論、人間にはない。


「ヒューマノイドロボットだ。お前は初めてだったな?」 


 頭上から目を離さず、ハイエナは言った。ヒューマノイドロボットは、アンドロイドの中で特に人に似せて造られたロボットの総称である。

 あまりの斜め上を行くヒューマノイドロボットの性能に、アゲハは瞠目した。こんなものが世に出回れば、それは大混乱を招くに違いない。アンティーターが突如製造を中止したのも頷ける。

 どこかの都市から逃げて来たか、あるいはまだ製造している理想都市がどこかにあるのかもしれない。


「質問に、答えろっ!! MOSQUITO(モスキート)の回し物か!?」


 彼女が殺気の籠った声で、降りかかった。右手が滑らかに形状を変化させていき、細長い刃になった。怒号と共に、彼に向かって刃を振り下ろす。

 ここまで全くと言っていいほど“悪意”を感じなかった。これほどまでに憎悪の籠った瞳で睨みつけ、覇気のある声で吠えているにもかかわらず、不気味なほどにアゲハの痛覚は何も捉えなかった。ここまで彼女が人の風貌(かたち)をしていても、機械であるという確固たる証拠だった。

 ワイヤーで剣を受けるたびにギンギンと嫌な音が響く。彼は隙を作っては横腹に蹴りを入れるが、ひらりとしなやかに躱される。

 彼のワイヤーには仕掛けがある。ピンと張れば、このように鋭利な刃でも切り抜くことができない。ワイヤーを作る細長い繊維が頑丈に横に並ぶからだ。しかし、弛むと細長い繊維はあちこちに散乱する。つまり縦からの衝撃に弱くなる。切れやすいのだ。ジガバチが言っていたことを思い出した。

 そして、彼女は何と、それを短時間で見切ったのだろう。高めに滑空し、フェイントの刃を振り下ろす。そして、彼が構えた瞬間、両腕を下から蹴り上げた。当然、鋼の糸は弛む。スパッと切れた時、アゲハは思わず息を呑んだ。無意味なのも忘れ、咄嗟に吹き筒を取り出そうとした。

 無理を言ってでも銃を持たせてもらえばよかったと思った。ハイエナとホウジャクの戦闘に高揚した彼女が、銃で悪ふざけをして以来、没収されていたのだ。

 人間相手なら、今回もまた、さぞ興奮したことであろう。しかし、苦戦しているように見えた。


「無駄だ」


 一瞬誰に言ったのか分からなかった。だが、胴を貫こうと繰り出した右腕は、ハイエナに抑えられていた。彼女のきつい目元が、さらにキッと吊り上がる。それを見たときようやく、自分に言ったのだと気付いた。

 そのまま胴に蹴りを入れると、そのまま背後に投げ飛ばした。ワイヤーも鋼だが、彼の蹴りもまた鋼の硬度を持っている。

 塀をボコッと壊しながら、彼女はもんどりを打った。まるで人であるかのように、呻くと、頭から赤い血を垂らした。白いよれたタンクトップからのぞく華奢な肩幅と、荒治療の後を思わせる包帯が、悲壮感を漂わせている。


「痛いのか? 機械のくせに」


 アゲハは彼の言葉に悪寒がした。“悪意”だった。嘲っているのだ。ヒューマノイドロボットすら、憎んでいるのであろうか。

 そう言いながら、しゃがみ込むと完膚なきまでに、その美しい顔面に拳を叩きつけた。人のように顔が腫れ、唇が切れた。本当に、痛そうに見えた。右腕を動かすが、踏まれていて動かない。フーフーという吐息は、まるで怒りと痛みで呻っているようだった。


「う、うあぁ!」


 バキッと言う音がして、ひと際大きな声で、彼女が啼いた。彼女の右足がひしゃげたように、折れ曲がっていた。


「ただの機械が、人間の真似事をするな。虫唾が走る」


 冷水を頭から被ったような、冷たい痛みが走る。もう片方の足に手を伸ばした時、アゲハは間合いに入った。これ以上はさすがに見ていられなかった。


「これ以上は、不必要な暴力です。左足だけでもう十分だと思います。あとは拘束して――」


「何を勘違いしている? 拘束などしない。ここで壊す」


 てっきり動けなくした上で拘束するのだ。そう思っていたアゲハは、愕然とした。では、悪逆無道な今までの振る舞いは、何だったというのだ。

 ここで初めて彼は目線を女型アンドロイドから外し、ぎろりとアゲハを睨む。タペタムはないはずの緋色の瞳が、まるで光を反射するように揺れた。冷たい痛みが一斉にこちらに向けられる。

 そして、隙ができた。彼女は最後の力を振り絞り、拘束を振り切る。そして宙に舞い上がったのだ。

 すかさず彼は足を目掛けてワイヤーを放つ。躱そうとするが、ある程度の追尾能力が備わった先端は潰れていない方の足首に巻き付いた。ギュッと引っ張られ、強くワイヤーが張られた。

 アゲハは息を呑んだ。なぜか、完全にそのアンドロイドに肩入れしてしまっていたのだ。

 だが、思いもよらないことが起こった。その鳥は、見苦しく暴れたり、醜く抵抗したりしなかった。

 ただ、一寸の迷いもなく、足首を切り落としたのだ。そして、孤高な鳥のように高く舞い上がり、消えて行った。

 敵ながら天晴、とはまさにこのことだった。


「また同情して、殺すことを躊躇したのか!? 機械にまで同情するのか!?」


 案の定、ハイエナは例の如く“悪意”を迸らせ、アゲハの胸倉を掴んだ。


「そうじゃありません!!」


 思わず叫んだ。“悪意”による苦痛で、顔を歪める。だが、怯まなかった。この感情を“同情”などと薄っぺらい感情と一括りにされては困る。いや、彼女にとっては心外だった。心のないものを馬鹿にする、彼が許せなかったのだ。

 その態度に、憤りすら覚えている。


「じゃあなんだ!? お前には、アレの、気持ちが分かるというのか!? ありもしないものに、情けを掛けたのか!?」


 だが、当然、ハイエナも烈火の如く怒っていたように見える。普段は無表情、無機質な顔が、強張っていた。憎き敵機を破壊することも、情報を聞き出すこともできなかったのである。

 このように怒鳴りつけられたのは、初めてである。今までの彼の怒りとはまるで、青白い炎のようなものだった。無表情で、静かに怒りを振り下ろす。しかし、今日に限っては、怒りを爆発させていた。瞳に映る赤い劫火のように燃え盛っていた。


「違う! 同情とか情けとかじゃありません。私だって、他人の気持ちなんてわかりませんよ。だから、想像するんです。同じ立場に立ってみたり、表情や言動から予想するんです。同情じゃなくて、共感するんです。それが心でしょう!?」


 瞳の業火が、微かに揺れた。アゲハを掴む手が、静かに緩む。赤い炎が酸素を取り込んで、青い炎に変わるように、彼の感情に静けさが戻る。


「私たちには心がある。だからって、彼らには心がないって決めつけちゃだめです……」


 苛立ったように、勢いよくドサッと地面に打ち捨てられる。その拍子に、尻もちをつき、呻いた。

 間違ったことは一つも言っていないはずだ、という自負があった。今までだったら、きっと、こんなに息せき切って反論することはなかっただろう。

 どっと疲れたが、満足だった。心が満たされたような、そんな感じがした。

 結局その日、謎のモスキートという言葉の意味は分からず、エデナゾシンも見つからなかった。あの鳥人間が回収したのか、あるいは別の者が既に回収したのか、分からず仕舞いだった。

 無論、逃亡を赦したアゲハのせいである。だが、いつものように過ちを咎めれられることはなかった。



「……九……これで十かァ!?」


 後ろのスーツの男に蹴りを入れ、同時に目の前の顔に肘打ちを食らわす。すかさず半回転しながら、胴体を毒爪で掻っ捌いた。繰り出される警棒を全て避けながら、数歩先を進むハイエナの元へ向かう。

 製薬会社の研究施設と思われる、廃ビルの一端で、ジガバチは十まで数えた。自分が薙ぎ倒した護衛の数である。武装していない者は入れていない。

 ウシアブの一派の連中は狭い廃ビルの廊下を活かし、妙な青い閃光と音を放つ警棒で襲い掛かってきたのだ。スーツは、妙な肌触りだった。おそらく断電性がある、ゴム素材のものだ。

 つまり、警棒は電気を帯びている。当たればどうなるかは分からなかった。ここで、アゲハの教訓が発揮されたというわけだ。


「やはり少ないな、これで最後か」


 ハイエナは護衛の首を締め上げ、肉壁を作りながら、阻む敵を銃殺していった。乾いた音が狭い廊下に反響し、鼓膜が揺れるようだった。

 だらんと垂れた肉壁の舌から、ショウジョウの一派とよく似た蠅のタトゥーが見える。だが、複眼部分が緑色で、頭頂部から尾部までまっすぐな軸が入っていた。

 

『……アゲハです。見つけました。私の真下の部屋にいると思います。場所は……』 


 耳元でアゲハの声がした。ウシアブの居場所を見つけたようだった。二人で護衛を捌く間に、彼女はダクトを通って、目ぼしい部屋を洗い出すという算段だったのだ。


「分かった。一分で着く。そこを動くな」


 彼女の声に、苛立っているようだった。ここ数日、二人はかなりギスギスしていたのだ。


『はい』


 応の意志を確認すると、二人は足早にその場所に向かった。

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