5-4

「ウゴクナッ!」


 ジガバチはパッと目を覚ますと同時に、こめかみに何かを当てられる。体は動かないし、首すら動かせない。だが、銃口を突きつけられている感覚がある。

 妙ちくりんな低い声が耳元で聞こえる。固まっていると、クスクスと笑い声が聞こえて来た。


「……はァ」


 フッと力を抜くと、大きなため息を吐く。声の主はアゲハである。


「すみません、一度やってみたかったんですよね」


 彼が寝ているソファの横に腰を下ろして、ニヤニヤしながら縁から顔をのぞかせている。


「銃で遊ぶな」


 横からハイエナが握っていた銃を取り上げるのが見える。当然だろう。


「……お前、ちゃんと弾抜いてたんだろうなァ」


「たぶん……」


 視線を斜め上に向けて、そう言いながら何度も頷いた。やはり、抜いていないのだ。

 はぁ、と大きめの溜息をついた。呆れすぎて熱が出そうだった。

 その時つんと鼻につく臭いが漂ってくる。ヤニ、油、カビ、埃……、異臭がするのだ。とっさにアゲハの額をピシャリと叩(はた)いた。明らかに臭いの元はコレだったのだ。


「くっさア! お前何してたんだ!?」


「え、嘘! お風呂入ったのに……」


 目を丸くしてギョッとした様子のアゲハは、半ば声を裏返らせる。そして、バタバタと洗面所の方に走って行った。


「アゲハに何させたんだ」


 彼女が慌ただしく去った後、銃を整備しているハイエナの背中に問いかけた。ショウジョウ一味から回収したものだと思われる。


「気になるくらいなら一々寝込むな」


 見向きせず、彼は答えた。もっともである。ぐうの音も出なかった。「ああ、そうだ」と、何かを思い出したように今度は振り返った。


「アゲハからの取って置きのアドバイスを貴様に伝えてやる。『カウンターアタックのために攻撃を食らうな、避けることを徹底しろ』だと」


 ぎくっとした。朱眼が思惑を孕んでぎらついている。また、試されているのだと感じた。いや、違う。これは、答え合わせに近い確信を持っているのではないか、とジガバチは推測を持った。

 たかだか一撃二撃で自分が倒れることはなかった。だから、いつもそれをむしろ利用していた。このことは相手にブラフを張るという効果もあった。強い奴は最初の攻撃を受ければ大体わかる。逃げる、という判断を下す材料にもしていた。

 だが、今はどうだろうか。一度目の攻撃を受けて、よし逃げよう、とできるだろうか。勝てたとして、負傷した後、治るまで休むということができるだろうか。


「至極当然な意見だな。小さな傷でも、蓄積し、重症になるだろう。受けないに越したことはない」


 彼が言わんとしていることが、目に見えるように分かった。自分と闘う時とは違って、彼女は無傷で帰ってきたのだ。


「クソッ……」


 奥歯を噛み締めただけのはずなのに、全身の傷がじくじくと痛んだ。知らぬ間に力んでいたようだった。


「それと、アゲハが貴様に大枚叩いて食料を買い込んでいたようだぞ」


 そう言って紙袋を顎でしゃくった。大枚、それは恐らくあの時分け与えた前金のことだろう。こんなことに使いやがって、と思うほかなかった。

 ジガバチは布団を頭までかぶり、何度も悪態を吐いた。何度も惨めな思いをしてきたが、これほどまでに自分が情けなく、見っともないと思ったのは初めてだった。



 丸二日眠っていたジガバチも、あれから一週間で動けるようになった。あまりにも目を覚まさないものだったため、アゲハは何度も口元に手を当てて呼吸を確認するほどだった。

 動けるようになるとすぐに、彼はハイエナと夜な夜なつるむようになった。傷もよく治っていない上、彼と言えば何度もジガバチを殺しかけた前科もあるのだ。アゲハは当初は気が気でなかった。


「クソッタレ!!」


 毎度毎度飽きもせず、帰って来るや否や壁に穴が開く勢いで叩き、悪態をつく。そして泥んこ、顔中に擦り傷と痣を付けてくるのだ。だがこの様子を見るに、心配はなさそうであった。ハイエナはいつもそれを見ながら、薄ら笑いを浮かべていた。

 何をしているかは大体想像できた。

 アゲハも、家事に掃除にジガバチの手当が加わる。しかし、それだけではだめだと感じた。タブレットのディスプレイ画面と睨めっこをする日々が続いた。

 武器、戦術、そして科学を司るのは発想力である。事実は小説より奇なりとはいうが、科学技術もまた、想像より奇なるものなのだ。


「失感情症(アレキシサイミア)の話なんてのは、一体どこで見つけたんだよ?」


 それからさらに数週間経った。肌寒いが、春の風が吹くパンゴリンにたどり着く。ジガバチを伴い、オオゼリのラボに来ていたのだ。

 彼は研究論集の束を撒き散らかしながら、根拠となるページを探っている手を止める。


「……お前まさか」


 アゲハはへらっと笑うと、目を泳がせた。そうだ、またしてもでまかせだったのだ。アゲハは医者ではない。ホウジャクの言葉を借りるならば、ただの医学オタクである。診断なんて出来るはずがない。まさか、本当に彼の症状からそれを当ててしまったなんて、と自分自身が一番驚いている。


「以前本で読んだことがあって、それに似ているなと思って……。勢いでそれっぽいことを言ってみました」


「バレたらやべーぞ、それ……」


 そう言うと、険しい顔をして頭を抱えて唸った。それを差し引いても、余りあるメリットが拮抗剤を創ることにあった。ハイエナを見て分かった。

 保衛官の洗脳を解けば、恐らく暴動や混乱が起こるだろう。彼らは凡そ、人としての扱いは受けていない。さらに廃都市の人間を使っているとあれば、市民の被害への躊躇もない。拮抗剤を製造は勝つか負けるか、大きなカギを握っていた。


「でも、それ以外は事実ですよ。彼に全くメリットがないわけではありません。でも、万が一のことを想定して、それまでに二人で、ハイエナさんを戦闘力で凌駕できるようになりましょう」


 唖然としている彼に、アゲハは真顔で言った。本気だったからだ。味方、と言うのは何とも不思議なものだ。二人で力を合わせれば、何でもできそうな気がしたのだ。


「そのために夜な夜な鍛錬してるんじゃないんですか?」


「そこまでは――」


 ジガバチはいつになく言い淀み、目を伏せた。しかし、言葉半ばで口を噤むとキッと目を上げた。紫黒色(しこくしょく)の瞳に、いつものような強気が漲(みなぎ)った。


「いや、やってやるよ。待ってろ」


 その言葉を聞くと、アゲハは再び書類の山に目を通し始めた。

 エデナゾシンの拮抗剤は完成間際で間違いなかった。だが、問題もあった。オオゼリが研究を進めていた拮抗剤は、経口投与、または静脈・筋肉・皮下などに注射で投与するものだった。

 それは保衛官を無力化する際に、効率が悪かった。


「大勢に薬を同時に散布したいときって、ジガバチならどうしますか」


「鼻の粘膜か肺に入れてェから、ガス状にして吸入させるな。それか、液体に混ぜて経皮投与させる」


 なるほど、と呟いて、再び考え込んだ。


「そうなると、かなりの量が必要になるぜ。この設備では厳しいだろ」


 そう言うと、腕をまくり、慣れた手つきで駆血帯を左側の二の腕に回した。穿刺痕に胸がドキドキする。こんなに打ちこんでは、静脈は潰れるのではないだろうか。


「けど、悪くねーな。その方向でやろうぜ」


 彼は壁に背を預けて座り込む。


「ウシアブがラボを持っているそうですし、そこの設備に賭けたいですね」


 そう、あの間者がウシアブは少数精鋭で、麻薬の斡旋をしているスワームであると吐いたのだ。


「いいか? エデナゾシンは貴重だ。これだけ高度なナノマシンを作製できるエンジニアはここにはいねェ」


 そう言いながら、静脈をずっと探っている。やはり浮き出てきにくいのだろう。そればかりではない。注射を握る手は、ほんの少し震えていた。それはそうだ、この量を静注するのだ。きっとトラウマもあるのかもしれない。恐ろしくて当然だった。


「私がやりま――」


「いい!! 俺がやる!」


 彼女の申し出を怒鳴りつけて黙らせると、前腕の肘窩(ちゅうか)を通る静脈に突き刺した。あまりの覇気にびくっと背筋が伸びる。


「……お前がいるからヘーキ。そうだろ?」


 アゲハは何度も頷いた。パルスオキシメーターという動脈血の酸素飽和度と心拍数を測る装置と、体温計などのプローブを指に手早くはめた。エデナゾシンは貴重、と言う言葉が突き刺さる。一回一回のデータ測定や臨床試験を大切にしなくてはいけない。


「死んだりしませんよね?」


 そう言いながら、横に自分も腰を下ろす。


「というか、エデナゾシンは利くんですね?」


 彼は目を閉じていたコクリと頷くと、パッと目を開けた。何かを言いかけたように、息を呑む。すかさず、「どうしました?」と声を掛けた。


「いや、大したことないことだから別に――」


「何でもいいから、言ってください!」


 そう凄むと、メモを取る構えをとった。必死に形相だっただろう。思い違い、とるに足らない、ふとした思い付き、何でもいいから知りたかった。どんな情報でも、今は欲しかった。


「……ヤママユに犯される前、変な薬を盛られた。媚薬かと思ったが、アレは作用機序的に効かねーはず。それなのに、変に気持ちよかった。そン時の感覚が妙で、ガキの頃を思い出した。それで、今確信した。やっぱり似てんだよ……」


 ふと、ハイエナが以前、保衛官と癒着しているスワームがいると言っていたのを思い出した。エデナゾシンは使い方次第では、快楽を引き起こす高価な麻薬、喧嘩賭博を面白くさせる興奮剤、そして夜の街では媚薬……、何にでも応用の利く魔法の薬になる。被験体とエデナゾシンを取引していたとしたら? あり得る話だった。

 数分経過し、変化が見られた。

 酸素飽和度、血圧、体温ともに正常値だった。しかし、あの時と同じ、流涎症状が始まった。瞳孔を覗いた。あの時も、同行が開ききって、目が虚ろだった。

 目に光を当ててみる。濃い紫色の瞳が薄い紫色になるほど光を当てても、瞳孔反射が起こらなかった。

 さらに、右足を伸ばし、手で持ち上げたまま、腱を叩いた。本来なら膝が曲がるはずである、膝蓋腱(しつがいけん)反射が起こらない。

 最後に、手の甲を強くひねった。爪の痕が残り、皮膚が赤くなるほどつねるが、この痛みを回避する方向に屈筋が収縮する屈曲反射が起こらなかったのだ。

 

「……ヤママユの身元をもう一度調べましょう」


 もう一度、ジガバチの隣に座り直すと、ポツリと溢した。その声は届かないと知っていても、そう呟かずにはいられなかったのだ。

 エデナゾシンが大量に手に入れば、かなり開発は好転する。調べてみる価値は十分にあった。

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