誘拐された後、娘の様子がおかしい

エテンジオール

第1話

 娘が誘拐された。学校のお友達のお家に、お泊まり会に行ったその帰り、歩いて10分かそこらの空白の時間で、誘拐されてしまった。



 すぐ帰ってくるはずだった。これまでも何度か泊まったことのある子の家で、念の為母親同士が到着や帰宅の連絡をするくらいには、仲のいい相手だった。



 反抗期気味の娘が、父である私に対して屈託なく笑顔で話してくれる、お友達と遊んだ話。歳を追うごとに減っていくその些細なやり取りは、聞くことが出来ずに消えてしまった。





 話を聞くことを楽しみにしていたのに、その日、娘が、雪村ゆきむら優恵ゆえが帰ってくることは無かった。






 警察からはただの行方不明の可能性、つまりは家での可能性もあると言われた。拉致なんて大仰なものではなく、年頃の少女によくある自己表現の可能性もあると。



 そんな可能性を示唆されても、優恵の性格を踏まえた行動パターンからすれば、優恵が家出をする予兆なんてなかった。


 相手の親の話からわかる出立時間から20分、もしかしたら買い物でもしているんじゃないかと思って20分、心当たりのある場所を駆け回って、スマホにメッセージを入れて、“何か”が起きているんじゃないかと考えるまでに30分。



 普段、メッセージを送れば数分以内に返信してくれる娘の様子からすれば、それは異常な事だった。



 外にいる以上、起きているはずだった。いつもつけているはずの、位置情報がオフになっていた。


 にもかかわらず、連絡はつかないし、居場所もわからない。




 警察が可能性だけ示した家出なんて、有り得るはずもなかった。何の変哲もない事故によって命を落としたのなら、それが警察に届いていないはずがなかった。


 お友達の家から我が家に向かうまでに、事故が起こりそうな道もなかった。安全だけが取り柄のような町だった。



 だから、私たち夫婦は優恵の現状を拉致として考えたし、警察の人がどんな対応をとるかなんて関係なく、拉致事件として周囲に情報提供を求める。




 聞き込みからチラシ配り、納得できないながらも拉致と家出のどちらにも対応できるような聞き方を考え、少なくとも百軒には情報提供を頼んだ。




 けれど、有効な情報は一切手に入ることなく、月日は過ぎる。





 そして、一ヶ月後、我が最愛の娘優恵は、自らの足でひょっこりと帰ってきた。


 その間、身代金の要求などが全くなかったこともあって、受け入れがたく思いつつも、もう生きていないかもしれないとすら思っていた娘の突然の帰宅。



 考えるよりも先に、抱きしめて号泣していた。玄関のすぐそこで、妻と共に、小学生の娘を抱きしめながら、その無事を喜んで泣いた。あまりにも泣いて、おかしいと思ったご近所さんに通報された。




 そうしてやってきたお巡りさんに、わかる限りの情報を話してもらい、優恵を誘拐した犯人の話をしてもらった後、この日だけはどうしても目を離したくなくて、一緒の部屋で並んで寝た。







 一晩が過ぎて、変わらずそこにいてくれた優恵をおもわず抱きしめ、パパ苦しいよと言われたので弛める。


 やっと平和な日常が帰ってきたのだ。その喜びをかみしめながら、食事の用意をする。優恵が大好きなオムライスだ。


 朝から気合を入れすぎな気がしないでもないが、今日くらいはいいだろう。この後警察にも行かきゃならないのだし、少しでも今のうちに喜んで欲しかった。




 レンジで作ったデミグラスソースではなく、ケチャップをかけて食べ始めた優恵の姿に少し違和感を覚えつつも、嬉しそうにしているので気にしないことにして、家族3人食卓を囲う。




 和やかに過ぎる時間。いなくなっていた間に何があったのかは、怖くて私も妻も聞くことが出来なかった。もし、ショックなことがあったら、取り乱してしまうだろうから。



 少しして、落ち着いた頃に警察署へ向かう。優恵がどこにいたのかとか、どんなことがあったのかとか、そんなことを話して操作の役に立てるためだ。



 親に聞かれるのが辛い内容があるかもしれないということで入ってそうそう、優恵は優しそうな婦警さんに連れられて別室に移動する。少ししてから、残された私たちのところにやってきたのは、子供にこわがられそうな顔の大柄な警察官だった。



 娘さんの事件を担当している藤目ですと、警察官は名乗る。娘さんが無事帰って来れてよかったと、深く響く声音。



 それから、即本題とばかりに語られたのは、この一日でわかったこと、推測を挟まずに、事実として確定したことだった。



 まず、犯人は既に死亡していること。その頭の中からは脳みそが消えていたため、別件として猟奇殺人の疑いがあること。同じように拉致されていた子供の遺体がいくつもあり、映像記録から何かしらの人体実験をしていたこと。




 ここまでは事実。これからは推測を含むとクッションを挟み、藤目さんは続ける。





 生活痕から、優恵達誘拐された子供は監禁されていた可能性が高いこと。死亡していた子供たちの状態から、犯人は脳に関することを調べていただろうこと。優恵も、何かしらの実験をされた可能性が高いこと。



 脳に異常があるかもしれないから、早いうちに病院で検査を受けるように言われ、一日過ごしておかしいことがなかったか尋ねられる。



 おかしかったことなど、私が思いつく限りだと大人しく一緒に寝てくれたことや、そこまで好きじゃないはずのケチャップをオムライスにかけたことくらいだ。



 あまりないと伝え、頭を下げると、あまり期待していなかったのだろう。そうですかと軽く流し、藤目さんは一枚の写真を見せる。



 一人の男の男が写っている写真だ。髪の毛がぼさっとしていて、目の隈が酷くって、痩せこけた男の写真。死亡した犯人なのですが、何かわかりますか?と聞く藤目さんは、知っていれば儲けものくらいの気持ちで聞いたのだろう。







 けれど、その写真は、突然告げられるものとしては、あまりにも衝撃的すぎた。かなり不健康になったように見えるが、間違いなく私の知っている顔だったのだ。



 男の名前は米内よない昭弘あきひろ。私の高校時代の後輩で、私のかつてのストーカーだった。









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 米内昭弘はかつて好青年だった。日々勉学に励み、クラスメイトと遊び、笑顔を絶やさないやつだった。私と同じ図書委員会の後輩で、何度かシフトが被ることがあり、その際に勉強を教えて少し仲良くなった。



 当時結構勉強ができる方だった私は、その後もテスト前などに頼られることが多くなり、あまり手のかからないことと、私たちの学年からも評判のいい米内に頼られているという、ある種の優越感からそれを断らなかった。


 次第に頼られることが多くなり、それとは関係なく遊びに行くことも増える。先輩後輩の関係であったが、それよりも友人としての色合いが強くなる。


 出かけては、なんにでも調味料を足すことをいじり、米内が好きなSF映画を見に行っては設定の甘いところを話し、互いの家に泊まっては夜通しゲームをする。






 楽しい日々だった。いつまでも続くと思っていた。けれど、それはあっけなく終わってしまったのだ。




 親友だと思っていた相手に、性的な目で見られていたという事実に、私は耐え着ることが出来なかった。


 もし米内が異性だったら、また話は違ったのかもしれない。けれども私にとって米内は友達で、後輩だった。


 普通に話すことは出来た。ただ、不意に触れられると怖くなった。出かけることは出来た。ただ、米内の前で寝ることは出来なかった。



 それまで普通にしていたことが、出来なくなった。普通を続けようとする米内が、怖くなった。怖かったから、距離をとった。



 最初、米内は驚いていた。距離を詰めようとして、そして諦めた。僕がいるとセンパイは辛いみたいだから、と言って、私の前から姿を消した。




 そして半年後、ストーカー規制法に抵触して捕まり、退学になっていった。








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 忘れたい過去だった。忘れられない過去だった。けれど、なにか関係があるかもしれないと言われたから、藤目さんに全て話した。私の娘以外誰も生き残っていない誘拐事件の犯人と、面識があって、因縁があったことは、事件がこう纏まったことと関係があるかもしれない、と言われたからだ。





 話すことを話して、考え込む藤目さんを待つ。藤目さんは少し席を外すと言い、10分くらいして戻ってきた。


 そして、また一週間後に優恵を連れてきて欲しいと言う。それまで、優恵から目を離さないように、優恵の違和感を見落とさないようにと言い聞かせて。





 帰宅し、見守る。帰りにお菓子や漫画なんかを買ってあげたこともあってか、普段より幾分かテンションが高かった。誘拐されて、開放されたばかりで、まだこわがっているのが当然なくらいなのに、テンションが高かった。


 お菓子を食べながら漫画を読んでいる姿を見守りながら、妻とメールを使って筆談する。目を離したくはないが、聞かれたくない話をしなくてはいけないからだ。


 これからの方針。どのように動くか、優恵に対してどう振る舞うか。腫れ物みたいな扱いはしたくないけれど、すぐにこれまでと全くおなじというわけにもいかない。




 話が決まる前に、優恵に呼ばれる。今読んでいる漫画を、最初から読み返したいけど、どこにあるのか思い出せないらしい。私は娘の部屋にほとんど入らないので、妻に任せる。



 ぎゅっと服の端を掴んでくる手を包み、引っ張られるままソファに座る。ぽふっと腿に感じた衝撃は、小さな頭が落ちてきたものだ。



 優恵のこと、まもってね、パパ。そんな言葉に、頭を撫でながら返す。もう、優恵を怖い目に遭わせたりしない。この先たとえ過保護と後ろ指を指されることになっても、一人で外を歩かせることはしない。



 二階の部屋から頼まれていた漫画を取ってきた妻と目配せして、ひとまず私が対応すると伝えた。









 それから一ヶ月して、だいぶ事件のことも落ち着いた頃、悲劇は起きた。



 ところどころ記憶が曖昧になりながら、以前とは違って私によく懐くようになった優恵に、母親として危機感を覚えたらしい妻が、ちょっとお節介なくらいにお世話をしようとして、突然パニックを起こした優恵に突き飛ばされ、打ちどころが悪く死亡した。




 ショックで、私は塞ぎ込んだ。面識のある警察官として事故後のケアなんかの担当になった藤目さんの言葉も耳に入らないほど絶望し、仕事も休んだ。


 何もする気になれなくて、その死を受け入れることが出来なくて、葬儀すら自分一人では用意できなかった。



 やっと帰ってきたはずの幸せは、すぐに失われた。




 優恵は、自分も母親を亡くして辛いはずなのに、私の心配をしてくれていた。自分はもう居なくならないから、パパとずっと一緒にいるからと、半泣きになりながら私を慰めてくれた。




 そのこともあって、娘に心配しかかけないような父親にはなりたくなくて、私は立ち直ることが出来た。藤目さんは、私たち親子の状態を共依存であり、健全ではないと言ったが、私が私でいるためには、それしか無かったのだ。





 失うのが怖くて、GPSで常に場所を確認できるようにした。消えてしまうのが怖くて、移動という移動に車を出した。目を覚ましたらいなくなってしまいそうで怖くて、毎日同じ部屋で寝るようになった。



 優恵はいい子だった。料理も、家事も、勉強もしっかりするし、私が不安定になった時はいつまでもそばにいてくれた。私が褒めれば嬉しそうに笑ってくれた。




 少し前まで、反抗期気味だった娘は、とても“いい子”になっていた。










 そんな日々を送って、少し経った頃、私の勤め先に一本の電話がくる。短い間に色々なことがあった私を特に心配してくれる上司に引き継いでもらい、自分の名前を告げる。




 深く響く心地いい声は、藤目さんのものだった。警察官としての、仕事の一環での電話。内容は、優恵の誘拐事件のその後について。




 上司の許可をとって少し席を外し、人のいない給湯室で話を聞く。


 内容は、誘拐犯の自宅から見つかった大量の脳みそのホルマリン漬けと、その持ち主の照合が終わったというもの。冷凍されていた子供の数と、米内を合わせたものと、ホルマリン漬けの数が一致したことから、被害者家族に届けるという話は聞いていたが、私にとって関係することではなかったはずだった。



 たったひとつの脳みそ以外のものは、全て一致。そこまで言って、すごく言いにくそうに、藤目さんは続ける。



『……最後の脳みそはDNA鑑定の結果、雪村優恵さんのものと判明しました』

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