みそ汁とわたし

茉莉花 しろ

***

気付いたらここにいた。


こんな書き出した小説を幾度となく読んだ気がするけれど、はっきりとは思い出せない。その程度の記憶力と言われたら仕方なしかもしれないが、それ以前に自分に関する記憶が無いのだ。それならば仕方ないだろう。


(話したいけど、声は出ないのか)


動こうとしても動けないし、声を出そうとしても変わらない静かな空間を見て諦めた。これらの事が出来ない代わりに、見ることは出来る。視線は一定で動かす事は出来ないけれど、仕方ない。


ここからしか見ることの出来ない景色の中で分かった事はいくつかある。数週間前から意識を持った私にとってそれくらいしか出来る事がなかったのだ。


まず一つ目は、ここの家主はたまにしか帰って来ないと言うこと。普通、部屋を借りたりするのならほぼ毎日のように家に帰ってくるだろう。確かに時折部屋を借りて違うことに使っている人もいるけれど、彼はそうは見えない。


だって、この部屋の中には生活様式が揃っているから。


帰って来た時に使っているのを見ていると、外出するのが好きなのかもしれない。外で泊まったりしているのだろう。


二つ目は、何故か毎日のように洗濯機が回っていること。私の中での洗濯機と言うのは、大体三十分前後で止まるはず。しかし、この部屋に置かれている洗濯機は何故か家主が帰ってくるまでずっと止まらない。ゴウンゴウンと大きな音を立てながら回り続ける洗濯機は、いつか壊れてしまうのでは無いだろうか。他人事ながらも心配をしてしまう。


最後は、私は『みそ汁』と呼ばれていること。これは私が意識を持ち始めた時からこの名前で呼ばれている。私の隣にもいくつかの鍋が置いてあり、大小様々な中の一つが私だ。


『このみそ汁は、時間がかかりそうだなぁ』


じっと見つめて言った彼の言葉を聞いた時、(あ、私はみそ汁なんだ)と思った。帰って来る度に彼は私の様子を見に来る。蓋を手に取り、うっとりとした目で見つめてくるのだ。それはそれは嬉しそうな顔をしている彼に私は少し違和感を感じる。


(何故、動きもしない私を見ているのだろう)


みそ汁と呼ばれた私の中にきっと何かしら彼の好きな物が入っているに違いない。帰ってくるのは数日に一回だけれど、たまに会える彼に期待していたのは事実だ。


こんな毎日を過ごしていたら、いつの間にか数週間も経ってしまったのだ。ずっと家の中を見つめ続けるのは退屈だけれど、洗濯機の音があるから幾分かはマシだろう。



さて、今日は家主が帰ってくる日のはず。二日前に家を出て行ったきり、帰って来なかったのでもうそろそろだろうと考えていると、ガチャリと家の扉が開いた。


ズル、ズル、と聞こえてくる音はいつもと違う。今日は大荷物を抱えて帰宅したらしい。力がないらしい家主はそれを持って風呂場まで行った。今日も私のこと、見てくれるのかな。物なのにワクワクしている私の前世は人間だったのかもしれない。


ピッと音が聞こえて来たかと思うと、洗濯機の音が止まった。珍しい。今日はもう動かさないのかな。見えないので無い耳を澄ませていると、ガコン,ガコン、と何かを入れる音がする。そして、またピッと音が鳴ったかと思えばゴウンゴウンと動き始めた。


(今日もやっぱり、動かすのか)


大きな音を立てながら懸命に動いている洗濯機。すると、「ふぅ」とため息を吐いて家主が私の前に現れた。久しぶりの彼に心が躍り、こちらに来るかもと願っていると目が合った。


「あぁ、もうそんな時期か」


彼が零した意味は分からなかったけど、私に向ける視線であることに嬉しくなる。物には感情が無いと言うけれど、そんな事ない。こうして喜んだり、寂しがったりしているのだから。


「このみそ汁、捨てようかな」


近づいて来た彼は鍋の取っ手を持ち、ビニール袋を取り出す。あぁ、私は捨てられるのか。仕方ない、私は所詮ものだから。そう思っているとブワッと溢れ出すように流れて来た光景。




(あ、れ。もしかして、私……)




振り上げられた鉈。ギラリと鈍く光るねずみ色は私の体へ一直線。グシャリ。嫌な音がすると、私は声を出そうとする。しかし、そんな暇すら与えず繰り返し振り下ろされるねずみ色の物体。意識が遠のく中、私が最後に見たのは彼の笑顔。濡れた黒い目には私の姿が映し出されていた。



「じゃあね、ナオちゃん」



ビチャビチャビチャ。私が、捨てられたのだ。

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