未熟な英雄編

師の導き

「えっと・・・ここは一体・・・?」


寝ぼけ眼の目を擦り、眠気を振り払う。そしてその目でしっかりと辺りを見渡すが、やはり何故か己は訪れたことも見たこともない部屋のベッドにて、半身を起こしている。


はて、己は夢でも見ているのだろうか?


そう思い頬をつねるが、鋭い痛みが頬を刺激するだけで特別何が起きるなんて事はない。


「もしかして夢じゃなくて───現実?」


───いや、それでは現状の説明がつかない。


人攫いの可能性も考えたが、そのためにこのように広く秀麗な装飾を飾った豪華な部屋に、態々己のような奴隷を置くだろうか?


それに己の首には奴隷紋が刻んである。


一度奴隷として売られた奴隷は、元の買い主の許可がなければ再び売ることが出来ない。つまり商品にはならないのだ。


「とは言え、人攫いだと確定しているわけではないからなぁ・・・」


もし己をここまで連れてきた人物が人攫いなら、このまま逃げ出すのが先決だ。しかしそうではない場合、この部屋でじっとしていなければ、無遠慮に他人の家を歩き回るのは奴隷の己の立場なら避けておきたい。


それに正直、今現在の状況から考えると人攫いの可能性は低いのだ。

状況から見て、ここで待機する選択肢を取った方がいいだろう・・・しかし、最悪の事態は常に予想しておくべきだ、と己は考える。


だがこのままでは延々と終わらない問答を続けることになる。


───各なる上は。


ガチャリ、と花の模様が入っているドアノブを回す。


辺りに全く人の気配がないために安全ではあることは分かっているが、これが人攫いの場合なら警備が浅過ぎて逆に怪しく感じてしまう。罠の可能性もあるが、罠を用意するなんて遠回しな手口は用いずとも、直接的に出来たはずだ。

何せ己はすやすやと眠ってしまっていた訳なのだから。


そう考えるとやはり、人攫いの可能性は低いと見ていいだろう。だが、今さらベッドに飛び込む気持ちにはなれなかった。


「うわ、ひっろ・・・」


恐る恐るドアを開けると、そこには無限にあると思ってしまう程の廊下が続く。

壁には一目で高級品と分かるような装飾がこれでもかと飾られており、己が今いる場所が只の屋敷や館の類いでないことが伺い知れた。


ここで己の取れる選択肢は二つだ。

一つ目は先程と同様、この場所で動かずに誰かが来るのを待つ事。

そして二つ目は───。


「・・・行ってみるか」


人を見つけるまでここを探索することだ。

この選択は、今まで脳内にあった人攫いという線が潰えたからこそ、このように大胆な行動に出ることが出来るわけだが、好奇心は竜をも殺すと言うのだから一応警戒はしておいた方が良いだろう。


ガチャリ、とドアをしっかりと閉め、音をたてないようゆっくりと足を進めた。長い廊下は、奥に進めば進むほど高価な物の並びから実験用具のようなものに変わっていった。

それらは緑色の液体に浸された“ナニか”の臓器や、謎の物体で構成されている球体。そしてその他諸々も合わせて、今まで見たこともないようなモノばかりだ。


───あぁ、まずい。


人攫いの可能性は低いと思っていたが、この実験器具を見ると、己のような奴隷を拾って人体実験を繰り返すような闇医師キグルイの可能性も高まってきている。だがそれなのに己は、不用意に足を進めてしまっていた。


───失態だ。完全に固定観念に囚われていた。だが、かといってここから戻るという選択肢は取れない。何故なら奥に行けば行くほど、“人の気配が濃くなっているからだ”。

間違いなくこの先には人がいる、そう断言できる。


だがその人間の善し悪しなんてモノはわからない。

だから、このまま己の進んでいく先に魔が出るか妖精が出るか予想しかねるが、様子を伺うことくらいは可能なはずだ・・・た、多分。


「───ん、アレかな?」


少し先の通路には、今までの実験室的な雰囲気とは合わない質素な扉があった。それも近づいてよく見てみれば、埃が積もっているだけで、触った痕跡がない。


暫くの熟慮───果たして入ってみるべきだろうか。


この扉の奥は人間の気配がとても濃い。

そのため、己をここまで連れてきた人物がいるかもしれない。


とは言え、その人物が善人か悪人とと判断できる材料がないために、ドアノブを開けても大丈夫だという保証はない。


つまり、ここで開けるか開けないか、己を連れてきた人物が悪人か善人かによって己の結末が変わるのだ。


「良い人でありますように・・・」


そんな願いを込めながら、ドアノブに手を翳し、唾液を飲み込み───ゆっくりとドアノブを回していく。


不思議なことに、埃だらけにも関わらず音もたてずに滑らかに空いていくドアに、何処か『懐かしさ』を感じた“己自身”に驚く。そして次はまた別の要因で驚かされる羽目になった。


「───ッ!?こ、この・・・人かな?」


呆然と眺める己の視線の先には、机に伏し、柔らかな白髪を床に溢れさせた『女性』がいた。

その表情は実に穏やかで、とても無防備だ。


・・・てっきり男だと思っていたから女性と分かって驚いたのはまた別として、真に驚くべきはこの女性の美しさだろう。

奴隷の己では到底言い表せない程の美の化身。例えあらゆる美辞麗句を並べたとて、それは彼女の前では霞んでしまう───そう断言できる程だった。


「取り敢えず・・・起きるまで待つとしよう」


それ故に、溝で過ごし生きてきた己からすれば起こすことすら禁忌を犯す行為のようにに思えてならなかった。


(本当に綺麗な人だ・・・)


寝ている女性の横顔をしげしげと眺め、己との容姿の差にため息一つ、近くの椅子に音を立てないように腰をかけた。

───が、その努力もどうやら無駄に終わったようだ。


「───んっ・・・」


女性はぐっと伸びをして空色の瞳をごしごし擦ったかと思うと、ゆったりと欠伸を溢した。

それと同時にサラサラと光を反射する白髪が音をたて、豊満な体を包む服の役割を果たしていない布が擦れて、より艶やかさを増幅させていた。


・・・何だろう、この女性が女神と言われても信じてしまいそうである。


「・・・ってあれ、君起きてたのかい?」


少しの間を置き、己の存在を確認するやいなやそう問いかけてくる謎の女性。


「へっ?あ、は、はい!」


一瞬だが反応が遅れとても情けない返事を返してしまったが、女性はそれにふふっと軽く笑みを浮かべたまま続けて問う。


「体は?何か違和感とかあるかい?」


「い、いいえ。特には・・・あっ、ただ少し体が何時もより軽いように感じます」


「ふーん・・・なるほど。体がもう馴染んできているのかな」


「体が、馴染む・・・?」


───この女性、もしや己の体に何かを・・・?


「っておいおい、そんなに睨まなくても良いじゃないか。ボクは君に何もしていないよ」


「・・・ほ、本当ですか?」


「あぁ、寧ろ感謝して欲しいくらいさ。何せ、君のボロボロになった体を修復したのはこのボクだからね」


そう言うと、何やら褒めて欲しそうな顔で此方を伺う女性。

これが本当ならこのまま彼女に感謝を告げたいところだが、未だに彼女の言っていることへの把握が出来ずにいる。


そもそもボロボロになった体を修復とはどういうことだ?しかも己の?そもそも何故己の体を修復した?目的はなんだ?何故こんなところまで連れてきた?───考えれば考える程疑問が次から次に沸き出てくるのだ。


そう、例えば今こうして彼女の顔を眺めている間も───いや待て、そもそも己はこの場所に来る前に・・・一体何処にいた?


何をしていた?


「───っ」


咄嗟に窓を見れば、まだ外は明るかった。今までの経験からこの時間帯ならば、己は今頃部屋の掃除か買い物を仰せつかって───買い物?


「───ッ!?」


そうだそうだそうだ・・・ッ!己は買い物に行き、そして・・・『黒龍』を・・・己は見せられたのだ、あの『悪夢地獄』をッ!!!!


「ぅぐっ・・・アがッ!?」


瞬間、雪崩のように流れ込むあまりの情報量に、頭を鈍い痛みが走る。

それはガンガンと直接脳を揺さぶれるような激しい衝撃を伴い、立っていようとしても思わずその場に蹲ってしまう程の苦痛が体を襲う。


(頭が・・・割れてしまいそうだ・・・)


「あれ、記憶の混濁もある・・・か。完全に修復したと思ったけどどうやら、君の体を詳しく調べる必要がありそうだ」


「はぁッ、はぁッ、はぁッ・・・」


絶え間ない頭痛、鉛のように重い体、止まらない吐き気・・・今も意識を保つのに必死だ。

いっそこのまま気絶出来れば楽なのだが・・・まだ聞いていないことがたくさんある。


ここで気絶してしまうわけにはいかない。


「な、何が目的・・・なんですか?自分を助け・・・ても、貴方には何のメリットも・・・ない、はずだ・・・」


己には分からなかった。この女性の目的が。

一体何のために俺をここに連れてきたのか、そしてどうして“怪我が治っている”のか。


「んー、まぁ確かに、君の目線からすればそうかもしれないね。だけど、ボクからすればメリットはあるし君にもメリットがあるから、ボクは他の重傷者を置いてまで君をここまで連れてきたんだ」


「だ、だとしてもッ!一体自分に・・・なんの価値が」


「───『無価値な人間なんていない』・・・君はこの言葉をしっているかい?」


・・・知っている。あぁ、知っているとも。

己が否定し続け、そして心の奥底で信じ続けていたその言葉。

今なお己蝕み続ける・・・忘れるはずがないし、切り捨てられない悪魔の戯言だ。


「この言葉の通り、少なくともボクからすれば君は価値の塊なんだよ。まぁ、君からすればなんで?と思うかもしれないけどね」


それはそうだ。

いきなり価値があると言われても、長年薄暗く汚れた溝で生き、身を粉にして働いているのだ。


自らの命を首輪で縛り付けられ、半ば犬以下の扱いを受けながら・・・。


そんな自分に───価値が?


(ちゃんちゃらおかしい。反吐が出そうだ)


「ま、まぁまぁ・・・そこまで睨まなくても良いじゃないか、落ち着いてよ───ひとまず、その説明に入る前に幾つか聞きたいことがあるんだ」


そう言うと、徐に胸の谷間から何かが入っている包みを取り出した。


「これに見覚えはあるかい?」


「・・・ええ、自分が買った薬の包みによく似ています」


己がそう答えると、女性が浮かべていたおちゃらけた笑顔が消えた。

気のせいかもしれないが、部屋の温度が二度三度下がったような薄ら寒さを感じる。


「ふむ、その薬は何処で買ったんだい?」


「・・・裏路地に店を構えていた店主です」


「───なるほど、そこまでか・・・」


そう言う女性は、何処か興味深そうな表情で熟考している。

・・・やはり己が今まで買っていた薬には、何か人に有害なものでも含まれていたのだろうか?


否、とは否定できない。


何年も雇ってくれたからこそ分かることだが、己の飼い主は金というものに目が無い。

そんな人間が、このいかにも怪しい薬を幾つも買ってくるように頼むという行為に、何処か違和感を感じていた。

しかも、自ら買いに行くのではなく、己に向かわせるのである。


そうそれはまるで───例え己がこの薬を買った事がバレても、すぐに蜥蜴の尻尾切りが出来るように・・・そんな意図を、飼い主から犇々ひしひしと感じてならない。


このことから導きだされる薬の正体としては───順当に考えれば麻薬、もしくはそれに準じる何かではないだろうか?


「お、なかなかキレるね。そう、これは麻薬───いや、人を無理やり“魔に転じさせる”『魔薬』というべきかな」


「魔薬・・・って、ちょっと待ってください?貴女・・・心読めるんですか?」


「勿論、だって魔女だし」


「へぇ、魔女なんですか・・・ん?魔女?・・・魔女!?」


───己がこうして驚いてしまうのも仕方がないというモノだろう。

何せ魔女と言えば、選ばれた者だけ特別な才能・・・魔法や魔術が使える存在だ。

到底、己のような底辺奴隷が話せる者ではない。


英雄や勇者という程ではないが、それでも雲の上の存在であることに違いはないのである。


「・・・な、なんかむず痒いなぁ。もう、そんなんじゃ始まらないから話を戻すよ?」


「うっ、は、はい」


そう言われても未だ興奮冷めやらぬが、話を戻すとしよう。魔薬───は人を無理矢理魔に転じさせると魔女殿は言っていた。

これは己のように学のない奴隷でも知っている当たり前の内容だが、本来魔と人という存在は相容れないものだ。


例えば、龍や龍のように強大なモノもいれば、悪魔や吸血鬼のように人と酷似した姿を持つものもいる。

だがそれは“似ているだけ”で、本質的に人とはかなり異なるのだ。


故に人はそのように、姿は人と似ているものの根本的には全く違う者らの事を『亜人』と呼び忌み嫌い、それにすら属さない、姿すらも人とは似つかないモノらの事を『魔』と呼び恐れ畏怖している。


つまり、だ。

この薬を飲んでしまった人間は、亜人ですらない異形のバケモノへと変貌してしまうということになる。


そうなってしまったが最期、もはやその人間だったものは、無理矢理魔に変貌していく体と未だに人間を保つ精神の擦れにより果てしない苦痛を味わうことだろう。

結末は言うまでもない。


「まぁ、魔に転じさせると言っても、これ自体はそんなに大したものじゃないんだ・・・」


そう言って掌にのせた薬に魔力を込め始めた彼女は、再び説明を開始した。


「この薬には低度の魔力吸収エナジードレインの魔法が掛けられている。つまり、この薬に『魔』の魔力を込め、それを経口摂取することで無理やり魔に転じさせるっていう強引なやり方なんだけど、成功する確率は極めて低い筈だ。そしてそれがより強力な魔ならまぁ、当たり前だよね?」


「え、えぇ。無理やり魔に転じさせるんですから、成功率が低いでしょうね。ですが、それが何か・・・?」


そう説明されても結局意図が分からず思わず聞き返すが、彼女は肩を竦めやれやれと言いたげにかぶりを振ると、再び口を開いた。


「おいおい、君ってば頭はキレるのに察しが悪いなぁもう・・・ほらこれ、何か分かるかい?」


そう言って差し出されたのは、何かの魔力が込められたのか酷く黒ずんだ魔薬だ。

込められた魔力が多すぎるのか、皹が入っていて今にも砕けそうである。


だがそれが一体何か・・・いや、そうだ確か己は・・・。


「お、思い出したかい?事故かもしれないけど君、この薬───食べちゃったでしょ?」


思い出すのは記憶に新しい、あの黒龍との遭遇だ。

満身創痍に見えた黒龍から逃げようとしたが、黒龍の咆哮によって己は吹き飛ばされた。


その際、包みからこぼれ落ちた薬が爆風によって己の口元へ飛び込んできたはず。

そしてその後は、怪我と薬を飲み込んだ所為だろう、意識が朦朧としてそのまま・・・。


なぜ、なぜ己はこんな重要なことを忘れていたのだろうか?


「いやぁ凄いよねぇ。君、龍の魔力が込められた薬を飲み込んじゃったんだから・・・もう、半分人間じゃないかもね?もし、君の今の種族を名付けるなら半龍半人───『ドラゴノイド』かな!」


にこにこと穏やかな狂った笑みを携えながら、如何にも良いことのように話す彼女の姿は何処か凶器じみている。


だが今己の意識は別の言葉に傾いていた。


───彼女は今、なんと言った?


「今は人間の体を保ってるけど、ふとした拍子に龍になっちゃったりして?ふふふ───あぁ、これからどうなるのか興味がそそられるよ・・・ねぇ、半龍くん?」


「───己が人間じゃ・・・ない?・・・は、半龍?」


そ、そんな馬鹿な・・・悪い冗談はやめて欲しい。


己は・・・今も只の人間の筈だ・・・そうだ、その筈だ・・・なぜなら己の姿は何一つ変わっていない!

あぁそうだ!己は化け物ではない!人に仇なすような化け物では決してない筈だ!そうだろう?・・・きっと、きっとそうだ・・・。


(あぁそうさ!神は理不尽で意地悪なんだ!だからこの夢も・・・きっと)


そうだ、忘れていた。神はいつだって意地悪だということに。


だからそう、己がそんなバケモノに変わってしまうなんて、たちの悪い夢なんだ───。


「あ、1つ言っておくけど、その姿で人って言われても無理があるから隠しときなよ───特にその『緋色の目』と『黒い翼』はね」


「・・・え?」


何を・・・何を言っているんだこの人は。


緋色の目?黒い翼?誰が?・・・まさか己が?あり得ないだろう。


心を埋め尽くす不安と猜疑を押し込み、縋るように部屋のすみにポツンと置かれてあった姿見に目を移す。


あぁ、ほら。良かった、変わってない・・・変わってないではないか。

安堵とともに、不安だった心がため息として溢れる。そして、もう一度鏡見れば、やはり何も変わらない己が・・・己が・・・?


「───な、なんだ・・・コレ?何で首に鱗が・・・?何で角が生えてっ!?ひ、緋色の目も、黒い翼も、尖った爪も、太い尾もッ!!なんで・・・なんでこんなッ!?こんなんじゃ・・・こんなんじゃ英雄にはッ!!!」


何処を見ても何もかも、何もかもが己と違うバケモノがそこにはいた。何度目を凝らそうと、何度その現実を逃避しようと、鏡はやはり真実ウソを写す。


あぁ、どうして己はこんなにも醜いのか?

あぁ、どうして己はこんな化け物になってしまったのか?


神は───神はやはり理不尽だ。


首を振り、否定する。

違うんだ、己がなりたいのはこんな化け物じゃ───。


(違う嘘だそんなまさかあり得ない嫌だこんな化け物に己が一体どうなって理不尽だ醜いおかしいおかしいおかしいおかしいおかしい)


鏡の前の己は意地汚く無知蒙昧な生き物でしかないはずなのに、映る自分は酷く醜く恐ろしい。


(あぁ、このまま化け物として生きるなら、いっそのこと・・・)


ふと、掌を見つめる。

そこには禍々しくも鋭い凶爪が、己の黒い鱗に埋もれた指先から生えていた。


(これを・・・頸に突き刺せば)


そんな考えに支配され、腕を振り上げた時だった。


「───もう、そんなに思い詰める必要はないだろうに」


瞬間、己が抱き締められた感覚とともに、鼻腔を擽る甘い花の香りに意識が覚醒する。


「ごめんね。少し、君を怖がらせ過ぎたのかもしれない。大丈夫さ、君は化け物なんかじゃない。ほら、鏡をもう一度見てごらんよ?綺麗な顔した君がいるだけさ、ほら」


そう言って、己の緋色に染まっているだろつ瞳をゆっくりと覗き込む彼女。

己とは真反対の空色の瞳が反射して、今の己の情けのない顔を移す。


相変わらずその姿は人間になりそこなったバケモノだったが、それでもこれが己なのだ。


「・・・ははっ、貴女みたいな綺麗な人に言われるのは嬉しいかも、ですね」


そうだ、己はどうせ溝の中でしか生きられないような存在だ。ならば今更化け物になろうと関係ないではないか。


「───お、おいおい。貴女みたいな綺麗な人って君・・・もしかして意外と元気なんじゃないかい?・・・ま、まぁいいさ」


コホン、と少し困ったように笑いながらも仕切り直す


「今は感情が昂っているから体が龍のように変質しているだけで、落ち着けば元に戻ると思うよ・・・ほら」


「ッ!?か、体が・・・」


そう言われてふと手を見れば、部分的に覆われていた鱗は消え、血流が流れている肌色がそこにあった。


長い鋭利な爪も何もなかったようになくなり、首を触れば、やはり手にあった鱗同様に消えていた。

あるのは触りなれた奴隷の首枷だけだ。


・・・彼女の言っていたように、感情によって己の龍の部分は出てきてしまうのだろうか?


となるとやはり、安静にすれば己の化け物の部分も収まるのでは?───いや、限度がある。

何せ汎用な己では扱いきれないような力だ・・・どうすれば。


「うん、どうやら完全にもとの姿に戻ったようだね!本当に良かったよ」


満面の笑顔で嬉しそうに、へたりこんだ己の頭を撫でる彼女の行動に少し面食らう。


「え、えぇ。ただ己では到底扱いきれるような代物では・・・」


先は体が龍に変質していく恐ろしさに意識なんてしていなかったが、この力は本当に不味い。

力の一端とは言え、腐っても龍の力なのだと認識せずにはいられない。


何せこうしてへたりこんでいるだけで、体の調子が良くなっていくのを感じるし、五感も先程よりも段々と鋭くなっている。

恐らく身体能力も同様だろう。


「諦めるの早いくないかい!?───ほらほら、君の目の前の美しくて可愛らしい人物に師事を頼むとかさ?もっとあるんじゃないかい?」


「貴女に・・・ですか?」


己の目の前の、自称美しくて可愛らしい女性をしみじみと観察する。


半龍になったからか、自分と彼女の実力差が分かるようになった。

その影響だろうか、彼女の体から延々と沸き出る魔力らしきモノが、まるで荒れ狂う暴風雨のように渦巻いていた。


今ならはっきりと分かる。己が何百何千といようと彼女からすれば相手にならないだろう。

挑もうものなら、まるで蟻を踏み潰すようにいとも簡単に殺される。


あぁ、確かにこの人なら───。


「───己には、幼い頃からの夢があるんです。『秀で覇出たる者』という絵本に描かれている、誰もが憧れ、誰もが羨むような・・・そんな『英雄』になってみたいっていう、馬鹿げた夢が」


幼い頃から恋い焦がれ、やがて諦めた己のたった一つの夢。

身の程知らずな奴隷が夢見た、憧れの存在。だがそれでも、一度も忘れたことはない。

一度も考えなかった日はない、そんな夢だ。


「ですが己は今、貴女の言う半龍半人ドラゴノイドという化け物になってしまいました。それが知られれば、きっと『半龍』と呼ばれ蔑まれるでしょう」


「けれど、それでも己はなりたいと思っています───なれるでしょうか、こんな己が。あの憧れの英雄に」


きっと己は期待していていた。

君ならなれるよ、という言葉にだ。


このような凄い女性に認められれば自信がつくし、何より今までの自分の存在証明アイデンティティが認められると、そう思っていた。


「英雄か・・・“今”の君じゃ無理だね」


だが、彼女が返した返事は予想と反して、酷く現実的なモノだった。


(あぁ、やはり・・・己では駄目なのだろうか?)


「あ、勘違いしないでおくれ。英雄になりたいと思っている今の君じゃ無理ってだけさ」


今の己では無理?いや、それは分かっているが・・・。


「どういう、ことでしょうか?」


己が答えを求めるように訪ねると、彼女は得意気な顔で意気揚々と語りだした。


「いいかい?英雄っていうのは、決してなろうとしてなるものじゃない───」


彼女はそう言うと一呼吸を置き、己に答え合わせをするように向き直る。


「───とある高みに至った者だ。とある偉業を成し遂げた者だ。だから所詮英雄っていうのは、その者がとある事を凡人以上にやり遂げた結果の称号に過ぎないんだ。だから、最初から英雄になろうとしてなれるものはいない」


「・・・やり遂げた、結果の称号」


考えた事もなかった。

己は英雄になりたいとしか思っていなかった。


だがどうだ、英雄とは偉業を成し遂げた結果の副産物に過ぎない・・・只の称号に過ぎないと。


流石は英雄と呼ばれる者達だ。己のような凡人とはやはり考え方がまるで違う。


「おいおい、そう残念がらなくてもいいよ。ボクがいるのは何のためだい?」


どうやら残念そうな顔を浮かべてしまっていたようだ。少し反省しよう。


「・・・?」


しかし、彼女のいう意図が分からず困惑してしまう。


「───もう、本当に察しが悪いな君は!このボク───『サリス=フォルクス』が君を英雄に導いてあげるって言ってるんだよ!」


頬を赤く染め、少し恥ずかしそうに、そんなセリフボクに言わせないでくれよとボソッと呟く彼女───いや、サリス。


あぁ、今まで幸運とは口が裂けても言えない人生を送ってきたが、どうやらそれは今日というこの日のためにあったのだろう。


彼女なら大丈夫だ。不思議と、そう思ってしまった。


「えぇ・・・よろしくお願いします」


ならば己はこの幸運に全力で乗っかろうではないか。

それが己の、数少ない残された道ならば。


「あぁ!頑張りたまえよ弟子君!なにせ・・・ボクの導きはちょっと手荒いよ?」


それが己の醜き野望なのだから。


「望むところです」

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