⑧絵奈の部屋(二十歳の春)


 その日、夢を見た。

 いつもの公園で、私と柚子は小説を読んでいる。

 だけど今回は普段と違う、長編の大作だ。やはりラストのどんでん返しがすごい、序盤の伏線も素晴らしい。


 やっぱり才能あるよ、柚子。


 そう言いたいのになぜか、声が出なかった。

 面白い、最高だと思うのに言葉に出来なくて、柚子の表情はどんどん曇っていった。


「いいよ、絵奈。小説家としての私はもう、死んだから」


 その言葉を聞いてはっと、目が覚めた。

 薄暗い部屋の中、枕元に落ちている桜の花びらを指で摘む。

 あぁ、そうか……柚子が死んでもう、三ヶ月も経った。

 重い身体を無理に起こし、パソコンを置いたデスクの前に座る。


「長編小説……」


 卒業してから、私が柚子のサイトを見なくなってから二年。文庫本一冊くらい、書く時間はあったはずだ。

 パソコンを起動し、柚子の小説サイトを開いた。

 小説一覧をクリックしようとした時ふと、右上にある【ログイン】ボタンが目についた。

 いやいや、人のサイトを勝手に……パスワードだって……私達の出会いって、私が柚子のスマホのロックを解除して、勝手に中身見た事だった。


「1が、六つ」


 ごめんね、柚子。

 私は人のプライバシーを勝手にのぞき見ちゃう悪い子なの。わかってると思うけど……わかってて、私と友達になってくれたよね……ありがとう。

 ピコンとエラー音が鳴った。

 そりゃそうか、メールアドレスだって高校の時使ってたのだし、いくら柚子でもそんな単純な。


「高校の時使ってた、ペンネーム?」


 手が止まらなかった。

 パスワードにyuzuyuzu、1を六つ打ち込む。


「えっ、入れた!」


 大声で叫んでしまった。だってまさか、ログインできるなんて思わなくて……バカじゃん、柚子。

 パスワードはわかりにくいようにしろってあれほど言ったのに。


「ほんと、人の話聞かないんだから」


 ため息を吐いて、サイトの管理画面に目を向ける。

 その時、一通のメールが来ている事に気がついた。


【書籍化の打診】


 開いてみると、タイトルそのままの内容だった。

 柚野奈々が投稿している作品を本にしませんか、と。


「……うそ」


 言葉に詰まった。

 息が止まった。

 だって柚子は、小説がダメだからって諦めて、誰にも認められないから小説家をやめるって。

 人生すらも捨てて……


「私、この小説知らない」


 メールに記載されていた作品は、私の読んだことのないものだった。

 小説一覧に戻ると、柚子の小説は二つしかなかった。

 短編を詰め合わせた連載小説と、三十万字超えの長編小説。どちらも、未完結のまま四ヶ月以上放置されている。

 評価や感想などは一つもなく、ブックマークだけ片手で数える事のできる数。


「……ははっ、すごい」


 第一章を読み終えたとき、自然と声が漏れた。

 柚子の小説だ、柚野奈々が書いた物語だ。

 序盤つまらない描写から始まるけどそれがラストのどんでん返し、衝撃展開に繋がる。最後まで読まないとわからない、柚子にしか書けない才能溢れる小説。

 だけどそれは第三章、中途半端なところで終わる。中ボス戦の前に雑草を拾いに行って……みたいな意味のない、打ち切りにしても酷い終わり方。

 いや、終わらせる気はなかったのだろう。

 その証拠にまだ、【完結済】にはなっていない。


「ダメだよ、柚子。終わらせちゃダメだった……柚子は、小説家になるべきだった。柚野奈々の才能を、世間に公表すべきだった」


 答えは決まっていた。

 涙を堪えた私はすぐに、メール画面に戻ってキーボードを叩いた。

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