③公園(夏・夜)


 七瀬柚子と友達になって三ヶ月、夏休み前。彼女を『柚子』と下の名前で呼ぶようになった。そんなに交流があるわけではない、学校の外で偶に会うだけの関係。

 距離感がおかしいと時々言われるけれど、遠慮も会釈もない自分の性格は嫌いじゃない。

 塾の帰り。いつものように私たちは、高校のすぐ側にある公園に集まった。

 約束のベンチに行くと既に柚子が座っていて、膝の上にはクリアファイルに入ったA4サイズのプリント。


「お待たせ、柚子」

「遅いよ、本当に待った」

「塾のテスト悪くて居残りさせられちゃって」

「また? あと半年で受験だけど大丈夫なの?」

「まぁ、なるようになるんじゃない? それより、持ってきた?」


 私がベンチに座ると同時、柚子がクリアファイルから五枚の紙を出した。


「お願いします」


 ぴしっと背筋を伸ばし、私に小説を差し出す柚子。

 軽く笑いながら、それを受け取る。


「なにそれ、私は担当編集かなにか?」

「読者第一号です」

「そだね。ありがと」


 背もたれに身を預け、小説に目を落とす。

 小説を完成させるたび、柚子と私はこうして公園で会っていた。学校の廊下ですれ違い様に『できた』の声、『了解、塾の帰りに寄る』の返事は私。

 集合するのはこれで四回目、つまり四作品目。

 全て五千字もない短編小説だけど。


「よ、読んだ?」


 空気を読めない柚子が、読書中の私に話しかけてくる。

 タイミング早すぎでしょ。読むスピードが速いとは言われるけど、さすがにこれは早すぎ。


「ちょっと待って」

「て、ていうかネットで見てよね。どうして私が毎回印刷して……」


 ぶつぶつと、柚子が愚痴る。面倒くさいけど放っておくとうるさい、もっと面倒なので弁解する。


「前にも言ったけどうち、スマホの使用制限うるさいの。すぐ遠隔ロックかかる」

「き、厳しいんだね」

「高三にもなってね、勘弁して欲しいよね。まぁ、いいんだけどね、柚子の小説は紙で読みたいし」

「え? それってどういう」

 さすがにうるさくて、「読んでるから」と声をかけて話を中断した。

「ごめんなさいっ!」と縮こまった柚子だが、次の瞬間、「よ、読んだ?」

 再び声をかけてきた。

 だから、早すぎるって。面倒くさいので、今度は無視する。

 終盤まで読んで、最初のページに戻った。あ、伏線……伏線だったんだ、ここ。最初のほうに出てきた描写が、ラストに繋がった。

 すごい、面白い。


「読んだっ!」


 小説の紙を掲げて叫ぶ私の声に、柚子の体が跳ねた。


「面白かった、今日のやつ!」

「ほ、本当?」

「特に最後、王子様と王女様が同一人物だったって種明かし! 結末知れば確かにってなるんだけど全然気付かなくて、最初から読み返しちゃった」

「あ、だからページ戻ってたんだ……」

「でも、序盤はつまんないよね」

「……え?」


 視線を柚子から、小説に戻す。ページをめくって最初の部分、序盤の文章を指差しながら私はその小説の問題点を指摘した。

 端的にいうと、最初のほうだけでは何の話かわからず、キャラクターもぼんやりして印象に残らない。結果としてそれが全て伏線で、ラストの衝撃展開に繋がるけど。

 物語を最初から最後まで全て読まないと、魅力が伝わらない。


「でも、物語って、そういうものでしょ?」


 私の指摘に、柚子が反論を始めた。

 恐る恐るといった風、弱々しい声で。


「物語っていうのは、ラストまで含めて一つの作品なんだから」

「どーかなぁ? 面白くないと見ないんじゃない? ドラマだってそうじゃん?」

「ま、漫才とか……」

「漫才? あれば身振り手振りあるし、面白いオチがくるのわかってるでしょ。柚子の小説は悪い意味で先が見えないんだよね」

「……ないくせに」


 小さく呟いた柚子の声は、蝉の鳴き声に消された。

 聞き返したが柚子は答えず、作り笑顔を浮かべるだけだった。


「次の作品は月野さんのアドバイスに従ってみる」


 他人行儀な笑顔、呼び方。

 友達になって三ヶ月近く経つのに。

 だからちょっと、イジワルをしてやった。


「苗字じゃなくて名前で、絵奈って呼んでって言ってるでしょ? じゃないと明日学校で、柚子のこと柚野さんって呼ぶからね」

「柚野……えっ?」

「ペンネーム変えたんだね。ゆずゆずってダサかったから、いい選択だと思うよ」

「ど、どうして私のペンネーム……」

「タイトルのすぐ下に書いてるじゃん。今までゆずゆずだったのに、今日は柚野奈々になってる」

「しま、……しまったぁ」

「柚野は柚子の名前からでしょ? 奈々ってのは、柚子の苗字が七瀬だから?」


 印字されている柚野奈々の文字を指差しながら、ニヤニヤ笑みを浮かべる。

 イジワルな女の子だと思われたならそれでもいい。

 絵奈って呼んでくれない柚子が悪い。


「それもあるけど、月野さん繋がりでもある」

「ん? ……え?」

「私の『柚』と月野さんの『野』で、柚野。奈々は絵奈の『奈』をとって……柚野奈々は私と月野のさん、二人のペンネーム」


 柚子が何を言っているのか、すぐには理解出来なかった。

 しばらくして、その言葉の意味を理解して、カッと顔が熱くなった。


「なにそれ! どうして私?」


 恥ずかしさで声がうわずってしまった。

 同じように顔を真っ赤にした柚子が、上目づかいで私を見上げる。


「読者第一号だから……絵奈は」

「……ありがとっ!」


 わけがわからなくなって出てきたのは、お礼の言葉だった。柚子も混乱しているようで、「な、なんでお礼……」と動揺する仕草を見せた。

 取り繕うように、精一杯の笑みを浮かべて、元気な私のイメージを壊さないように明るい声を出す。


「ペンネームに私を入れてくれた事と、絵奈って呼んでくれた事!」


 柚子の顔が、ふっと綻んだ。

 心臓がバクバク鳴ってるけどこれ、間違いじゃないよね?

 柚子は喜んでる、私の言葉は間違いじゃなかったよね?


「また小説、読んでくれる?」


 柚子が言った。遠慮がちに、窺うように。

 答えなんて決まってる。

 だって私はいま、こんなに嬉しいっ!


「もちろん! 読者第一号だもん!」


 私の言葉に、柚子だけでなく私自身も、嬉しくて大笑いした。

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