呪いの【黒騎士】

 〔星降る夜空亭〕の最高級の部屋の中。

 窓や扉を完全に閉めきり、魔封具の青白い光が満たす部屋の中央に佇むのは、全裸の年若い女性。

 身長は同年代の女性と比べると、やや高い方で、165センチを超えているだろう。だが、先程までこの部屋の中にいた【黒騎士】と比べれば、随分と小柄に感じてしまう。

 他に誰もいないとはいえ、一糸纏わぬままさらけ出された素肌を隠す素振りも見せず、彼女は寝台の上に置かれた小袋から、先程の光輝石と同じぐらいの大きさの水晶玉を取り出した。

 蛇を形取った精緻な装飾の施された台座に鎮座したその水晶玉を、白く華奢な手が目の高さまで持ち上げる。

 水晶玉を見る彼女の双眸──緑柱石エメラルドのような澄んだ緑色──が嬉しげに細められた。

 それに合わせて、頭上から流れ落ちるやや赤味のかかった黄金の髪が、極上の金糸のようにさらりと揺れる。

 その長さは彼女の腰ほどまで。女性ならば誰もが羨むだろう美しい金髪は、真っ直ぐで全く癖などは見受けられない。とてもではないが、漆黒の全身鎧の内側にあったとは思えないほどだ。

 そう。

 彼女こそが、あの禍々しい雰囲気を振り撒く、魔神めいた漆黒の全身鎧の中身なのである。

 先程までの鬼気をまき散らすような雰囲気とは真逆の、大人しくて落ち着いた様子の女性。

 その容貌は繊細な細工物のように整っており、見た者は誰もが目を奪われるに違いない。

 もしも彼女が今のように全裸ではなくドレスなどでその身を飾れば、その美しい容貌も合わせて誰もが貴族の令嬢と疑うこともなく、そして己の伴侶へと求める男性が続出するだろう。

 いや全裸の今だって、男ならば誰もが彼女の裸身から目を離せなくなるに違いない。

 太りすぎず痩せすぎずの程よく柔らかそうなその肢体。手足はすらりと長く、胸に存在する双丘は、さほど派手ではないものの十分に自己主張している。

 その胸から腰へと続くくびれ、そしてそのまま臀部、脚部へと流れるような曲線は、まさに理想を現実化したような絶妙な美しさを見る者に魅せつけていた。

 その女性は、手で掲げるように持った水晶玉を見つめ、そして感極まったような声でそっと呟く。

しんの宝珠……この神器ならば、この身を縛り付ける呪いを解くことができるはず……」

 神癒の宝珠。それは強力な治癒の力を秘めた魔封具である。

 どのような怪我でも、たとえ肉体的な欠損であろうともたちどころに癒し、あらゆる病気や呪いさえも祓うことできると言われる、最上位の治癒系魔封具。

 ちなみに、神癒の宝珠のような最上位の魔封具は、現在では作り出すことができない。そのためこれら最上位の魔封具は神々によって作られたと考えられており、それらを総称して「神器」と呼ぶ。

 この神癒の宝珠を手に入れるため、彼女はこのナールの町に一時的に腰を落ち着け、ルドラル山脈の黒竜の元を訪れたのだ。

 彼女に黒竜を倒す意思は初めからなかった。彼女は交渉でもって、黒竜が所有すると言われる神癒の宝珠を手に入れようと考えていた。



 とある筋より入手した確度の高い情報によれば、彼女が長い間探し求めていた神癒の宝珠を、【ルドラルの黒魔王】が所有しているという。

 そこで、彼女は早速【ルドラルの黒魔王】に会いにいくことにした。

 宝珠を譲ってもらうため、代わりに差し出す神癒の宝珠と同価値の神器を幾つか用意して。

 竜には財宝を集める習性がある。特に強力な魔力を帯びた魔封具の類を、竜は好んで集める。他にも金銀財宝にも目がなく、竜たちはどこからともなくこれらの財宝を集めてきては塒に積み上げ、その財宝を寝台にして眠るのだ。

 なぜ竜にこのような習性があるのか、正確には分かっていない。とある識者は、竜はその体の中で最も柔らかい腹部を、財宝を寝台にすることで守っているのではないか、と唱えている。

 この説が正しいかはともかく、竜が財宝を集めることは事実だ。そして【ルドラルの黒魔王】が集めた財宝の中に、彼女が探し求めていた神癒の宝珠もあるというわけだった。

 そうしてルドラル山脈を訪れた彼女は山脈の主である黒竜と邂逅し、その結果どうなったのかは……今更説明するまでもないだろう。

「折角、神癒の宝珠の代わりとなる神器を用意しておきましたが、不要になっちゃいましたね。本当にあの黒竜は無欲ないい竜でした」

 【黒騎士】の時の聞く者に恐怖を抱かせるような低い声ではなく、鈴が鳴るような耳に心地良い澄んだ声で、彼女は誰に聞かせるでもなく呟いた。

 実際は【黒騎士】の存在に恐怖した黒竜が、「欲しいものは何でも差し上げますから、早く帰ってください」と人間であれば涙ながらに懇願していたのだが、生憎と──黒竜にとっては幸いなことに──竜の表情は人間には判断しづらく、彼女は黒竜が本当にいい竜だと思っていた。



「では……神癒の宝珠を……」

 神癒の宝珠に関して、前もって彼女は様々な文献などで入念に調べてある。その起動方法もしっかりと頭の中だ。

 正式な手順で宝珠を起動させると、宝珠から淡い光が溢れ出す。心を落ち着かせる優しい輝きは、まるで染み込むように何も身に着けていない彼女の身体にゆっくりと同化していく。

 彼女は身体の内側に温かな熱のようなものを感じ取る。その熱が全身にじわじわと広がると同時に擽ったいような感覚が襲い、彼女は目を閉じてそれにじっと耐える。

 やがて宝珠から輝きが失せ、彼女の身体の中からも熱が消え失せた。

 改めて目を開けた彼女は、自分の身体を見下ろしながらあちこちに触れてみる。特に変わった所は見受けられないが、果たして宝珠は彼女を縛り付ける呪いを解いてくれたのだろうか。

「……とりあえず、試してみればはっきりしますね」

 再びそう呟いた彼女は、寝台の上に放り出されていた荷物へとたび手を伸ばす。そうして彼女が取り上げたのは、先程古着屋で買い求めた衣服だ。

 数着買い込んだ古着の中の一着を、緊張した面持ちで彼女は身に着けていく。

 下着の類は身に着けず、ワンピース型の古着に袖を通し、身体の前で閉め紐を用いて固定する。

 一回、三回、十回、三十回。ゆっくりと呼吸の数を数えながら、彼女はその場に立ち尽くす。

「…………変化は見られない……そ、それじゃあ、私の身にかかっていた呪いは……っ!!」

 嬉しさの余り、その場で飛び跳ねようとした時。

 彼女の耳にぴりっという小さな音が聞こえてきた。

「………………え?」

 その小さな音に、彼女の顔にさっと不安という名の影が降りる。同時に、布の破れる音が部屋の中に響く。

 はっとした彼女が我が身を見下ろせば、そこには先程着込んだ古着は見当たらず、再び彼女の裸身が露になっていた。

 そして、彼女の周囲にはびりびりに破れた布が散乱している。この破れた布こそが、先程彼女が着た古着の末路だった。

「ああ…………ま、また私にかかっている呪いを祓うことはできませんでした……」

 全裸のまま、ぺたんと床に座り込む女性。その頬の上を透明な雫がいくつも滑り落ちていった。

 彼女の身体を縛る呪いとは、先程まで着ていた漆黒の騎士甲冑以外の鎧や衣服、果ては下着に至るまで、ありとあらゆる「着る物」を身に纏うことができないというもの。

 騎士甲冑以外の鎧を着ればその鎧はぼろぼろに破壊され、衣服を着ればその衣服は破れ果てる。

 今の彼女が「着る」ことができるのは、件の漆黒の騎士甲冑のみ。そして、その漆黒の騎士甲冑こそがそのような呪いをかけた元凶なのであった。



 神癒の宝珠でさえ、【黒騎士】の身を縛る呪いを祓うことができないと判明した翌朝。

 勇者組合ナール支部に、再び漆黒の鎧を着た巨漢が姿を見せていた。

 建物の中にいた者たち全ての視線を集めながら、黒鎧の巨漢──【黒騎士】は昨日と同様に受付に座る中年男性の顔を引き攣らせる。

「は……? この辺りに賢者と呼ばれる者がいるかどうか……ですか?」

「そうだ。賢者とまでいかなくとも、物知りな古老などでもいい。とにかく、このナールの町周辺で、知識や知恵のあることで有名な者はいないだろうか?」

 彼……いや、彼女の目的は、自分を縛る呪いを祓う手掛かりを得ること。

 これまでに彼女は、ガルラド王国でも高名な聖職者や賢者などから、呪いを祓うための祈祷や儀式を何度も受けてきた。だが、どれだけ徳が高いと評判の聖職者でも、どれだけ高名な賢者でも、彼女を縛る呪いを祓うことはできなかった。

 時には少々胡散臭い路地裏の呪い師なども頼ったが、結果はやはり同じ。

 聖職者や賢者の祈祷や儀式では呪いを祓えないと考えた【黒騎士】は、とある者からの助言もあり、古代の遺跡などから発掘される遺産に目をつけた。

 かつて──遥か神話の時代、天空に座す神々を二分する戦いがあった、と識者や神殿の神官たちは説く。

 天空の彼方で起きた神々の争いは、やがてこの地上にも波及した。地上に生きる全ての者たちは、二分した神々のどちらかの勢力に与して争ったと言われている。

 その大いなる争いを、現代では「かんづきの闘争の時代」と呼んでおり、その時代に地上のあちこちには砦や何らかの施設が幾つも建造された。

 それらのほとんどは歳月と共に朽ち果てたものの、中には現在まで残っているものもある。そのような古代建築物は現代において総称して「遺跡」と呼ばれている。

 遺跡では時折今の時代では到底再現不可能な、強力な魔封具が見つかることがあり、それら魔封具は「遺産」と呼ばれる。

 遺産は邪神悪神さえをも退ける聖剣であったり、町ひとつを消滅させる破壊の力を秘めた宝珠であったり。もちろん、中には神癒の宝珠のような聖なる力を秘めた物もあるのだ。

 それら遺産の中でも特に強力な魔封具を、特別に「神器」と呼ぶ。

 神器は文字通り神々もしくはその眷属によって作られたと考えられており、人の力では及ばないような奇蹟的な力を秘めている。

 神癒の宝珠もまた神器に分類されるが、神器の中では比較的低位と言っていいだろう。神器の中には、人間を神へと導くような強力な力を秘めているものもあると言われているのだから。

「賢者や古老であれば、この近辺に存在する遺産や神器、もしくは遺跡などに関して何か知っているではないかと思ったのだが……そのような者は存在しないだろうか?」

 勇者組合には、様々な人たちが集まる。

 それは組合に仕事を依頼する者であったり、その仕事を請ける者たちであったり。また、勇者組合には食堂や酒場、宿屋などが併設されている場合も多いので、それらを利用する者たちも訪れる。

 そして、人が集まる所には情報も集まるものだ。

 集まる様々な情報を記録し、情報を求める「組合の勇者」に無料で──時には有料で──で開示することもまた、勇者組合の仕事の一つなのである。

 だから【黒騎士】は、こうして組合の窓口で賢者や識者、古老などの情報を得ようとしているのだった。

「く、【黒騎士】様もご存知の通り、このナールの街は大きな町です。たくさんの人や物が集まり、その中には実に様々な情報も含まれます。当然、【黒騎士】様がお望みになられる賢者や識者に関する情報もここにはございますとも」

 【黒騎士】から発せられる、鬼気とも殺気とも取れる異様な雰囲気に顔を引き攣らせながらも、何とかそれだけを口にする中年男性。彼はこの異様な巨漢を前にそれができた自分を、「職員とはいえ、自分もまたこの組合に所属する勇者だよな!」と、心の中で自画自賛した。

「では、この辺りで高名な賢者は?」

「は、はい、調べて参りますので、少々お待ちいただけますか?」

 そう言いながら、中年男性は建物の奥へと早足で駆け込んだ。

 「たとえ勇者であろうとも、やっぱり恐いものは恐いんだよ!」と心の中で涙を流しながら。


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