買い物の【黒騎士】

 どん、という重々しい音。同時に、何か硬質なものが擦れ合うかちゃかちゃという音が、カウンターに置いた背嚢の中から響く。

 カウンターの向こう側に腰を下ろしていた中年の男性は、突然の【黒騎士】の来訪に呆然としていた意識を引き戻し、反射的に身を乗り出してカウンターの上の背嚢へと手を伸ばした。

 だが、背嚢は男性の想像よりもはるかに重く、思わず背嚢を取り落としてしまう。

 取り落とした背嚢が再びカウンターにぶつかり、中から硬質な音が再度響く。

「気をつけてくれ。折角入手してきた依頼の品だ。こんなつまらないことで割れたりでもしたら大変だからな」

「あ、は、はいっ、た、大変失礼しましたっ!!」

「もっとも、落とした程度では竜の鱗は割れたりはしないだろうがな。ははははは」

 【黒騎士】の兜の奥から聞こえた言葉に、ざわざわとざわめいていた建物内が、再びしんと静まり返った。

「お、おい……【黒騎士】の奴、今何て言った……?」

「お、俺の聞き間違いじゃなければ……りゅ、竜の鱗って……」

「あ、あいつまさか……一人で竜を……?」

 一旦は静まり返った建物内が、先程以上に騒ぎ出す。それ程までに、【黒騎士】の言葉には大きな衝撃があった。

 そんな周囲のざわめきを聞きながら、中年の男性は畏怖に染まった視線を目の前の【黒騎士】へと向けた。

「りゅ……竜の……う、鱗……?」

「その通り。あそこに依頼が貼り出してあるだろう」

 そう言いつつ、【黒騎士】が指差したのは建物内の壁。そこにはいくつもの羊皮紙が張り出されていた。

 羊皮紙に書かれているのは、組合に所属する者たちへと斡旋する各種の依頼である。組合員たちはこれらの依頼の中から自ら達成できそうなものを選び、一定の手続きを経てから依頼に取りかかるのだ。

「たまたま別件でルドラル山脈の黒竜に用があったのでな。竜の鱗を集める依頼があったことを以前ちらと見かけていたので、別件ついでに黒竜の塒に落ちていた鱗を集めてきた。事前に依頼を受けたわけではないが、竜の鱗を集めてきたことには変わりあるまい。今から手続きをして、正式な依頼としてもらえるだろうか?」

「ルドラル山脈の黒竜って……る、【ルドラルのくろおう】っ!?」

 中年の男性はルドラル山脈に巣食う黒竜の噂を思い出し、引き攣ったような声を上げた。



 確かに依頼を貼り出す壁には、竜の鱗を一定数集めるという依頼があるにはあった。

 竜の身体から得られる鱗や牙、そして爪などはすべからく最上級の素材である。

 それらの素材は武具や装飾品など、様々なものへと加工され、極めて高値で取引される。しかし、当然ながら竜の素材などそう易々と手に入るわけがない。

 竜がこの世界に君臨する最強の生物の一角であるのは、誰もが認めるところだろう。そんな最強の存在に挑んで勝利できる者など、たとえ勇者組合に所属する者といえども上位に君臨するほんの数名だけだ。そして、このナール支部には組合の上位に名を連ねる者は一人もいない。

 しばらく前からナール支部に姿を見せるようになった、目の前の【黒騎士】を除いて。

 そのためだろうか、壁に貼り出されている依頼を記した羊皮紙にも、「期限問わず」と明記されている。

 その他にも、「竜の種類を問わず」「鱗の状態を問わず」という条件が羊皮紙には記されていた。

 竜には様々な種類があり、その体色によって大まかに区別されている。とは言え、例えば同じ黒竜でもその能力には大きな隔たりがあり、あくまでも見た目で分類しているに過ぎない。

 そして、多少の傷や欠けがあろうとも、竜の鱗が強固なものなのは間違いない。竜の鱗と並ぶほど強固なものと言えば、魔銀鉱ミスリル金剛鉱アダマンタイト辺りが有名だろうか。

 この依頼はつい最近貼り出されたばかりのものであり、しかも依頼主はこの地方一帯を支配する領主だった。領主が何を思ってこのような依頼を勇者組合に出したのかは不明だが、依頼主が領主だけあって、そして対象が竜に関するものだけあって、その報酬は極めて高い。

 しかしいくら報酬が高くとも、モノがモノだけに達成するまでに相当長期化すると思われた一件であり、依頼主の了解の上で「期限問わず」とされていたのだ。

 その依頼が、まさか依頼票を貼り出して十日ほどで達成されるとは、正直言って勇者組合の職員の誰もが予想さえしていなかった。

「そ、それで……【ルドラルの黒魔王】を……た、倒されたので……?」

 無謀とも言えるこの依頼を達成した【黒騎士】を前にして、職員は表情を引き攣らせる。

「いや、確かに黒竜とは戦ったが、最終的には交渉に応じてくれてな。交渉のついでに塒のあちこちに落ちていた鱗をもらってもいいかと聞いてみたところ、そんなもので良ければ好きなだけ持っていけ、と言われたのでこうして持ってきたのだ。ははははは、最初こそ少々暴れたものの、ちょっと撫でてやったら随分と大人しくなったぞ。いや、なかなか話の分かるいいヤツだった」

 【黒騎士】はカウンターの上の背嚢をぽんぽんと叩きながら、朗らかに笑う。もっとも、その表情は頭部をすっぽりと覆い隠す兜で見えないが。

 上機嫌な【黒騎士】に対し、中年の職員の表情は引き攣ったまま。

 ルドラル山脈の黒竜──通称【ルドラルの黒魔王】と言えば、凶暴なことで知られている。実際、ルドラル山脈に巣くう黒竜に襲われ、灰塵へと帰した村や町は少なくはない。

 その【ルドラルの黒魔王】をして、「話の分かるいい竜」だと言いきる【黒騎士】。一体、どのような「交渉」が黒竜との間に行われたのか、職員は恐ろしすぎて聞くに聞けなかった。



 勇者組合の建物を後にした【黒騎士】は、背嚢を背負い直しながら再びナールの街の目抜き通りを歩く。

 空になったはずの背嚢は、再びずしりと重く【黒騎士】の肩にのしかかる。先程までは竜の鱗で一杯だった背嚢は、今度は金貨で一杯だ。もちろん、竜の鱗関連の依頼を達成したことによる報酬の金貨である。

 背嚢の中の金貨は千枚以上。当然ながらその重量はかなりのものになる。しかし、【黒騎士】はその重量をものともせずにナールの街中を歩いていく。

 先程と同じように人々が空ける道を通りながら、【黒騎士】は一軒の武具屋へと足を踏み入れた。

「邪魔するぞ」

「へい、いら……」

 来客に愛想のいい笑顔を浮かべていた武具屋の主人。しかし、【黒騎士】の姿を見た途端、その笑顔が引き攣った。

「く、【黒騎士】様……ほ、本日はどのようなご用件で……?」

「うむ、先日ここで購入したこのハルバードだが、少々痛んでしまってな。研ぎ直しと調整を頼みたい」

 【黒騎士】は手にしていた愛用のハルバードを、ごとりと武具屋のカウンターに立てかけた。

 丈夫な木製のカウンターが、ハルバードの重みにぎしりと悲鳴をあげる。

 店主は恐る恐るといった様子で、カウンターの奥から出てきてハルバードの様子を確かめた。

 赤黒い汚れの付着した巨大なハルバード。店主が様子を仔細に確かめてみれば、何カ所も盛大に刃が欠けているし、柄にも若干の損傷が見受けられる。

「こ、このハルバードは、私が知る限り最も腕のいい職人が鍛えたかなり頑丈な業物のはずですが……一体、何を斬りつけたらこのハルバードがここまで刃こぼれするんで……?」

「うむ、竜とちょっと……な。さすがは噂の【ルドラルの黒魔王】、予想よりもかなり頑丈だったぞ」

 何でもないような軽い口調で、とんでもないことを口にする【黒騎士】。その事実に、店主は盛大に目を見開いた。

「る、【ルドラルの黒魔王】……っ!?」

 どれほど業物といえども、鋼よりも硬いと言われる竜の体を斬りつければ刃こぼれするに決まっている。

 二の句が継げない様子の店主に得物の修理と調整を頼んだ【黒騎士】は、再びナールの街を歩いていく。そしてとある商店を見つけると、心持ち軽そうな足取りで──足音は重々しかったが──その店の店先に並べられていた商品の物色を始めた。

 同じように商品を選んでいた他の客たちが驚いて逃げ惑う中、どことなく嬉しそうに商品の品定めをする【黒騎士】。

 並んでいた商品の中から目についた物を手に取ると、嬉々とした様子で自分の体に当ててみたり。

 その様子を、一旦は逃げ出した他の客や、店員や店主が不気味そうに眺めている。

 そう。ここは古着を扱う古着屋だ。しかも、【黒騎士】が妙に嬉しそうな雰囲気で自分の体に当てているのは、なぜか全て婦人用の古着ばかりだった。

 禍々しい雰囲気を纏わり付かせた漆黒の全身鎧の巨漢が、婦人物の古着を楽しそうに物色しているのだ。誰もが不気味に思って当然だろう。

 そんな熱心に古着を吟味する【黒騎士】に対して、勇気を振り絞った古着屋の店主が恐る恐る声をかける。

 店員や自分の奥さんに何とかしろと言われて、店主は膝を震わせながらも不気味な【黒騎士】へと近づいた。目の前の【黒騎士】は確かにおっかないが、店主の奥さんは彼にとっては更におっかないのだ。

「あ、あの……き、騎士様……? どなた様かへの贈り物……でしょうか?」

 引き攣りながらも何とか愛想笑いを浮かべ、店主が【黒騎士】に声をかける。こんな恐ろしげな人物に声をかけた自分の勇気を、声を大にして誇りたい。

「う、うむ……ま、まあ、そんなところだ……」

 なぜか言葉を濁しながら、【黒騎士】は数点の古着を選び、店主に会計を求める。

「お、お買い上げ、ありがとうございました……」

「うむ、いい買い物をさせてもらった。機会があれば、またこの店を利用させてもらおうか」

「へ、へい、ぜ、是非ご贔屓に……」

 内心では二度と来るなと思いつつも、店主は遠ざかっていく【黒騎士】の背中を見送った。



 古着屋で買い物を楽しんだ【黒騎士】は、次にとある宿屋へと向かった。

 〔星降る夜空亭〕という看板の掲げられたその宿屋は、【黒騎士】がこのナールの街に来て以来、ずっと常宿として使っている宿屋だ。

 やや古ぼけてはいるものの、よく手入れされた入り口の扉を押し開き、【黒騎士】は宿の中に入る。

 屋内に足を踏み入れると、店奥の受付にいた中年の男性が立ち上がり、慇懃な態度で深々と腰を折った。

「お帰りなさいませ、【黒騎士】様。無事のご帰還、何よりでございます」

「また、世話になるぞ、主人」

「はい。我が家と思ってごゆるりとお寛ぎください」

 この宿屋はナールの街でも一、二を争うほど高級な宿屋だ。これぐらいの格式のある宿屋だと、【黒騎士】を相手にしても怯える素振りは全く見えない。

 たとえ内心でどう思っていようとも、それをおもてに出すようなことはしないのだ。

「食事は以前のように部屋へ運んでくれ。それと、湯を用意してもらえるとありがたい」

「は、畏まりました」

 店員に先導され、【黒騎士】は最上階の部屋へと案内される。

 その部屋はこの〔星降る夜空亭〕の中でも最も値の張る部屋だが、【黒騎士】の懐事情はこの程度の部屋代ぐらいでは揺るぎもしない。

 丁寧な仕草で店員が退出した後、【黒騎士】は背嚢や腰の周りに提げた幾つもの小袋、そして予備の武器として装備していた剣などを寝台の上に放り投げ、身一つの身軽な格好になる。もっとも、相変わらず全身を覆う漆黒の鎧姿のままだが。

 そして窓の鎧戸をぴたりと閉め、出入り口の扉にもしっかりと鍵をかける。

 薄暗くなった部屋の中、鎧戸の隙間から洩れる僅かな明りを頼りに、【黒騎士】は寝台の上に置いた小袋から、大人の握り拳ほどの水晶のような鉱石を取り出して「鍵となる言葉」を唱えた。

 途端、それまで部屋の中を支配していた闇が駆逐され、光が満ちる。【黒騎士】が用いたのは『こうせき』と呼ばれる照明用の魔封具である。

 青白い光で満たされた部屋の中で、【黒騎士】はゆっくりと部屋の中を見回す。そして自分以外に誰も存在しないことを改めて確かめると、再び「鍵となる言葉」を口にする。

「〈開門せよ。堅牢不落なる神の城〉」

 「鍵となる言葉」が終わると同時に、光輝石の青白い光の中に赤味を帯びた光が一瞬だけ迸る。そしてその光が消えると同時に、【黒騎士】の存在もまた消え失せていた。

 しかし、漆黒の巨漢は確かに消えたが、部屋の中には別の人影が存在した。

 先程まで存在した漆黒とは対をなすような純白の肌。透き通るほどに白いその肌の上に、黄金の髪が滝のように流れ落ちた。

 【黒騎士】の代わりに部屋の中に現れた者。

 それは一糸纏わぬ姿を惜し気もなくさらけ出した、まだ年若い──二十歳に満たない──女性だった。



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