第16話「今日からスタート」

「じゃあ、行ってくるよ」


「おい、待て、優」


 出かけようとして玄関に立つ僕のことをママンが引き止める。


「なんだよ?」


「お前、なんで頭巾なんか被ってんだよ」


「なんでって、今日はカースト順位が決まる勝負の一日だから、憧れの上杉謙信公うえすぎけんしんこうにあやかって、白頭巾を……」


「んなもん被って行ったら、何をどうしてもカースト最下位だ! 取れ! 取れ!!」


 僕が玄関で気合いを入れて巻いた白頭巾を、ママンは無情にもはぎ取る。


 取り返そうとしても、ママンは背が高く、動きも俊敏で取り返せず、諦めざるを得なかった。


 仕方がない……


「じゃあ、改めて、行ってくるよ」


「待て! 待て!! 待て!!! 何持ってんだ!? お前は」


「何って? 上杉軍の『』の旗じゃないのよ。カースト順位が決まる今日は、僕にとって勝負の一日。事実上の合戦に等しく、旗指物はたさしものぐらいは装着しないと……」


「没収だ!」


「なんで!?」


「こんなもん持っていったら、カースト最下位確定だからだ!! そんなことよりさっさと行け!! 遅刻するぞ!!」


 たしかに時間が迫っていたので、僕は諦めて、白頭巾も旗も持たずに家を出た。


 まったくもって、ママンはわかっちゃいない、僕にとって白頭巾と旗は大事なものだというのに……


「あらー、優くん、おはよう」


 アパートの階段を降りる僕に話しかけてきたのは他ならぬ、葵アズミのお母さん、葵聡美あおいさとみさんだった。


「おはようございます、聡美さん。夜勤明けですか?」


「そうなのよー」


 聡美さんは看護師なので、週に何日かは夜勤があるらしく、朝、出かける時に偶然すれ違うことは珍しいことではなかった。


 もちろん、アズミだけでなく、聡美さんとも子供の頃からの付き合いなので、親しく会話をすることができる間柄である。


「お疲れ様です」


「ありがとう」


 聡美さん、顔は娘にそっくりだけど、娘よりは髪が長くて肩ぐらいまであったし、娘ほど胸は大きくなかった。


 とても細くて華奢だけど、女手ひとつでアズミを育てている立派なお母さんだった、まあ、うちのママンも女手ひとつで僕のことを育ててくれているわけだけれども。


 聡美さんが何歳なのかまでは知らないが、うちのママン(34歳)よりは年上のはずである、さすがに看護学校在学中に子供は生まないだろうから。


「ところでうちのアズミはまだ準備してるのかしら? 高校の入学式の日だってのにねぇ……早く出かけるように言わないと。それじゃあ優くん、いってらっしゃい」


「はい、いってきます」


「あ、そうだ、優くん」


「なんですか?」


「新しい制服、似合ってるわよ」


「ありがとうございます」


 聡美さんの、娘にそっくりな笑顔を見て、僕は内心ドキドキしていたが、気取られないように平静を装った。


 聡美さんは娘よりもおっとりした性格で、とても優しい人だけれども、娘が同性愛者だということは知らないのだろう、アズミは「お母さんにもまだ言ってない」とか言ってたし。


 実の母にも言っていないことを僕に先に言うとはいったいどういうことなのか?


 僕にはアズミの真意ははかりかねた。


 はかりかねたから、考えるのをやめて、今日から通う高校へ向かって歩き始めた。


 今日から通う高校は家から近く、徒歩通学である、本当は自転車通学がよかったが、ギリギリ認められない距離だった。


「おはよう、赤井くん」


 途中で緑井朱里みどりいあかりが話しかけてきたから、一緒に登校することにした。


 緑井とは中学3年間、同じクラスだったし、今日から通う高校も同じなので、まさに腐れ縁だ。


 そんな緑井が具体的にどこに住んでいるのかは知らないが、中学時代からずっと、登校中に偶然出会って、一緒に登校することが多いから、多分、この辺に住んでいるのだろう。


 ちなみに、隣の部屋に住んでいるからと言って、アズミと一緒に登校することはない。


 別に「一緒に登校して、友達にうわさとかされると恥ずかしい」から一緒に登校しないというわけではない。


 女子力の高いアズミは、出かける準備にめちゃくちゃ時間がかかり、一緒に登校しようと思ったら、いつも遅刻すれすれの時間に教室に入ることになってしまうからだ。


 いくらアズミのことが好きでも、そんなスリルを毎日味わいたくない。


 だから僕はいつもアズミを置き去りにして、ひとりで……いや、だいたいは途中で偶然出会う緑井とふたりで登校しているのだ。


 まったく、アズミは髪が短いのに、なんであんなに出かける準備に時間がかるのだろうか、まあ、多分、前髪とかにこだわりがあるんだろう、僕にはよくわからないけれども……


「その制服、似合ってるね、赤井くん」


「そうかー? こんな緑色のブレザー、似合ってるかな?」


「似合ってるよ。それとも赤井くんは学ランの方がよかったのかい?」


「いや、学ランよりはこっちの方がいいけれども……」


「ども?」


「ここまで真緑だと、別にマスターズを勝ったわけじゃないのに着ちゃっていいのかなって思っちゃうよね」


「アハハハハ」


 中学時代はよくある真っ黒な学ランだったが、今日から通う高校の制服は緑一色のブレザーで、本当にマスターズのグリーンジャケットみたいだった。


 僕がそう言ったのに対し「マスターズって何?」と問い返してくることもなく、普通に理解して笑ってくれる緑井と会話するのは楽しかった。


 もちろん、女子の制服も緑色のブレザー、中学時代はセーラー服だったけど。


「ねえ、赤井くん」


「何?」


「ボクもブレザー似合ってるかな?」


「似合ってるに決まってるよ」


「ホント?」


「だって名字が緑井だろ、緑色が似合わなくてどうするよ」


「え? そういう理由?」


「冗談だよ、ちゃんと似合ってるよ」


「あ……ありがとう」


 本音を言えば、背の小さい緑井にはあんまり似合っていないなとか思っていたのだが、僕はジェントルマンだからそんなことは言わないのさ、ジェンティルドンナだから。


 そんな緑井と一緒に歩いてたどり着いたのは、僕が今日から通う高校、その名も「菅原東洋学園すがわらとうようがくえん」だった。

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