コスプレイヤー、江戸に行く

岡崎マサムネ

コスプレイヤー、江戸に行く

 ほろ酔いでキャリーを引きながら、夜の道を歩く。

 久しぶりのスタジオ撮影、もう死ぬほど楽しかった。


 衣装1着だからのんびりやれたし、何より今ハマっている殿様ランデブー——通称、殿らぶ。戦国時代から江戸時代まで、さまざまな時代の殿様がイケメン化されて登場するブラウザゲームだ——の主従合わせが出来たことが嬉しくて仕方ない。

 衣装死ぬほど大変だったけど、併せの相手が見つかって本当によかった。


 写真のデータも確認させてもらったけれど、撮れ高抜群、無加工でもバチバチに盛れていた。

 現像されたデータをもらうのが今から楽しみで仕方ない。

 アフターの萌え語りも最高超えてた。こういうとき、生きてるって感じがする。


 次の予定も立てたし、帰ったらさっそくウィッグをポチろう。

 秋にイベントで外ロケするのもいいな。紅葉とかすごく合いそう。

 殿ステの円盤見直して、カラコン何使ってるか調べておかなくちゃ。


「おっ!?」


 更衣室の利用時間がギリギリだったので無理矢理詰め込んだキャリーが、小石に乗り上げて大きくバランスを崩す。


 立ち止まって、キャリーを立て直した。危ない、前に一回中で除光液の蓋が空いてぐちゃぐちゃになったことがあった。

 あの二の舞はごめんである。布から徹夜で仕上げた衣装が一回で死んだらしばらく立ち直れない。


 ふっと顔を上げた。


 あれ。

 うちの最寄り駅、こんな感じだっけ?


 地面に視線を戻す。舗装されていない、土の道だ。

 再度顔を上げる。植木はあったと思うが、こんなに、何というかこう……自然が豊かだっただろうか。


 立ち上がって周りを見渡す。店もなければ標識も電柱も、街頭も自販機もない。

 やたらと月が明るいので視界に不自由はないが……見覚えのない景色に、首を傾げた。


 もしかして、酔って駅を間違えた? 一度乗り過ごして3つ先の駅で下りても気づかなかったことがあるけど、今日はそこまで飲んでいないはず。


「貴様! そこで何をしている!」


 突然大きな声がして、慌てて振り向く。


 目の前にいたのは、着物を着た男だった。

 しかも、頭はちょんまげだ。手には松明を持っている。


 え?

 着物?

 着物はまだしも、ちょんまげ?

 ていうか、令和に松明て。キャンプでしか見たことないわ。


 男は驚いたような、怯えたような顔で私を睨んでいた。

 そして、叫ぶ。


「おい! 曲者だ! 出合え、出合え!!」


 ◇ ◇ ◇


 時代劇でしか聞いたことのないセリフとともに、私は着物のちょんまげ集団に引っ捕らえられた。

 そのまま連行されて、超豪華な日本風のお城の中、大広間のようなところに通される。

 当然土禁だったので靴は脱いで、キャリーと一緒に抱えている。


 すごい、こんなとこ家の近くになかったはず。ていうかロケーションエグい。イベントで貸し切ったら殿らぶレイヤーで大賑わいだと思う。


「貴様、何者だ。どうやって城の警備を掻い潜った!」


 そう詰め寄られる。

 現実とは思えない光景に、呆然とするしかない。

 ほろ酔い程度のつもりだったのだが、相当酔っ払っているのだろうか。


 ふと思いついた。

 もしかして、ドッキリ?


 誕生日とかに、友達みんなが推しのコスして囲んでくれるみたいな、そういう系?

 確かにメインジャンルの殿らぶは、こういう世界観だけど。

 でもこんな、モブの侍だけで大型合わせの人数、サプライズで出来る規模じゃないような。


「奇怪な姿をしおって! どこの間者だ!」


 なりきりすご。

 目の前のちょんまげを眺める。

 すごい、ウィッグと肌の境目が肉眼で見ても全然わからない。

 素人製とは思えない仕上がりだ。どうやって作ってるんだろ。


「あの、その毛どこのですか?」

「は?」

「やっぱ医療用シリコンですか? でも全然継ぎ目なくて……もしかして時代劇とかのプロ仕様のやつ? ちょっと触っても……」

「動くな!」


 手を伸ばした私を、後ろにいたちょんまげ2が羽交い絞めにする。

 結構な勢いだったので、私のウィッグと眼鏡が吹っ飛んだ。


 髪のお直しシートを切らしていたために、今日は行き帰り用のファッションウィッグを被っていたのだ。

 ウィッグを外した後のぐちゃぐちゃになった髪で出歩く勇気は、私にはない。


 ついでにメイクを落とす時間もなかったので、ほぼほぼコスメイクのまま、伊達眼鏡で隠して帰ってきた。

 いや、今日割と控えめな茶コンだったからイケるかと思って。


 私の顔を見て、ちょんまげたちが息を呑む。


「ヒッ!? な、なんだその顔は」

「面妖な」

「この世のものとは思えぬ」


 ものすごく失礼なコメントをされた。

 確かに写真映え最重視だから、間近で直接見るとなかなかインパクトあるかもしれないけど。

 今日ダブルラインもがっつりだし。テーピングでもはや顔の形も変わってるし。


「いやこれ化粧ですよ、ほら」


 片目のつけまを外して見せると、ちょんまげたちが「ヒィッ」と悲鳴をあげて後ずさる。

 睫毛のついでに取れかけた二重テープも剥がしてしまうことにした。

 コスメイクのときはアイプチより二重テープの方が幅が作りやすくて汎用性が高い。


「べ、別人ではないか!」

「そんなこと言われても、コスプレだし」

「忽然と姿を表したことといい……もしや妖怪の類ではあるまいな……」

「普通のレイヤーですけど」

「れい……?」


 ちょんまげ1が怪訝そうな顔をした。なるほどね。外国語禁止ボーリングみたいなものか。


 でも、コスプレイヤーって日本語でなんて言うんだろう。

 仮装? でも仮装っていうとなんかハロウィンっぽくない?

 そこではたと、フォロワーがbio欄に書いていた文言を思い出した。


「インターネット珍装マン」

「は?」

「マンじゃ通じないか。えーと、珍装人? 珍装屋? こうやってメイクとウィッグ……化粧とかつら? でこう、本とかの登場人物になりきる、的な? なりきるっていうか、二次元を三次元に顕現させる? 的な?」


 私は何の説明をさせられているんだろう。概念からパンピに向けて説明したことあるコスプレイヤー、何人いるんだろうか。

 もはや拷問じゃない?


 正直ちょんまげ1〜nの皆さんの方が、私よりよっぽど珍装レベルが高そうなんだけど。

 ていうかよくよく見ても、私にこんな顔の知り合い、いなかったと思う。


 エキストラを集めてまでドッキリを仕掛けてもらえるほどの有名レイヤーというわけでもない。

 じゃあやっぱり、ドッキリじゃ……ない?


 もしかして、タイムスリップ?

 タイムマシンもタイム風呂敷も、トラックもデロリアンもないのに?


「なりきる……影武者、ということか?」

「ちょっと違いますけど……あ、名刺見ます?」

「めいし」


 肩にかけていたトートバッグから名刺ファイルを取り出す。

 ぺらぺらとページをめくって、ちょんまげ1に見せた。


「ずいぶんと精巧な絵だな」

「絵っていうか、写真? あります? この時代に、写真」

「これが、全部お主だと申すか」

「そうです。あーこれとかもう懐かしい」


 昔のコス名刺を眺めていると、アルバムを眺めているような気分になる。


 これは前にハマっていた戦艦マスターのヤマトのコス。この頃は痩せてたから全然おへそも出せたけど、今はちょっと無理かもしれない。

 その隣はバスケの騎士様の波止場様、隣はカードコレクターももこの幸雄さん。最近やったのは呪々リオンの六条助だ。


 どれも数百枚から選んだ珠玉の一枚だけあって出来もいいし、思い出深い。


「全て別人にしか見えないが」

「だからそれがコスプレなんですって」


 そう言いつつも、全部別人に見えるというのはレイヤーにとっては誉め言葉でしかない。

 メイクも衣装もウィッグも、そのために頑張っている。

 まぁカメラマンさんの腕と加工の力も98%くらいあるけど。写真の人物は実在しません。


 この時はカメラさんだけではなくレフ板を併せの相手に持ってもらったなとか、ひらみ担当してもらったなとか、花びら投げてもらったなとか、白シャツ忘れて汗拭きシートで作ったなとか。写真の数だけ思い出がある。


 光源や表情づくり、ポーズからフォトショップに至るまで。こだわればこだわるほど撮影も楽しいし、何百枚もあるデータから奇跡の一枚を探し出すのも楽しい。


「ご家老」


 ちょんまげ3がちょんまげ1を呼ぶ。

 何やら2人でこそこそ話し出したが、漏れ聞こえる言葉が不穏だった。「怪しい」とか「処分」とか、「身代わり」とか。


 話が決まったらしく、ちょんまげ1が咳払いをして、話を切り出した。


「珍装屋とやら。本来なら貴様のような怪しい者は手打ちにするのだが」

「手打ち!?」

「それが嫌なら、役に立つところを見せてみよ」


 よく分からないまま頷いた。

 とにかく手打ちは嫌なので、何とかチャンスをもらいたい。

 世界史しか習ったことがないが、殿らぶ関連の狭くピンポイントで偏りのある知識でよければ役立つこともあるはずだ。


 私が乗り気なのを見て、ちょんまげ1と2が話を続ける。


「昨年、我が長田家の当主、昌信様が流行病でご逝去なされた」

「後継ぎの若様はまだ元服前で……本来は幕府に領地をお返ししなくてはならないのだが……」


 ちょんまげ1が神妙そうな顔で、言葉を切った。


「我々は思いついてしまったのだ。『黙っていたら気づかれないのでは?』と」

「は??」

「江戸からは遠く離れた土地ゆえ、幕府からの査察など滅多に来ない。現に、幕府への報告をすっかり失念していたにもかかわらず、半年近く全く気づかれなかったのだ」

「次の参勤交代までには若様も元服なさる。それまで隠し通せさえすれば、我らもこのまま変わらぬ生活を送ることができるのではと」

「え、えええええ」


 思わず声が漏れてしまった。

 それはつまり、幕府に対して「うちの殿はまだ生きてますよ」と嘘をついているということだ。

 いいのか、それは。武士道的なやつに反しているんじゃなかろうか。


「しかし、幕府から大目付様が査察に来ることになってしまってな」

「しかも前回の参勤交代の折、江戸で昌信様がお会いしたお方がわざわざ足を運ばれると言うのだ」

「下手な影武者では見破られる恐れがある」


 自業自得でしかないことを言っているちょんまげたち。

 手打ちにされるべきなのは私じゃなく、この人たちなんじゃないかと思う。


 だいたいおかしいと思ったのだ。ちょっと服装とかが怪しいかもしれないが、城の敷地内に現れただけの善良な一般市民をいきなり手打ちにするなど、武士の風上にも置けない。

 自分たちに後ろめたいところがあるからそういう思考回路になるのだ。


「珍装屋よ、貴様が見事昌信様に化けることが出来たなら、城に客人として迎え入れよう」

「……出来なかったら?」

「手打ちにするまでだ」


 一応聞き返してみたところ、ぴしゃりと言い切られた。

 そこに武士道はないらしい。武士道は死んだ。


「でも私、その昌信さんて人に会ったこともないんですけど」

「ここに絵姿がある」


 ちょんまげ1が指示をすると、ちょんまげnが何枚かの絵を持ってきた。

 昔の絵だから、歴史の教科書でよく見るようなタッチだが……ある程度、特徴は読み取れた。


 垂れ目、吊り眉。どちらかと言うと塩顔、奥二重。小鼻が小さくて、すっとした鼻筋。唇は薄くて、輪郭は割と細め。

 この時代の基準ではどうだか知らないが、結構イケメンの部類だと思う。


「昌信様はたいそう精悍で女子に人気でな、本人も女子に目がないものだからいつも奥方様を怒らせておったのだ」

「あの頃はよかった。いつも城に和気藹々とした声が響いていて」

「それが、昌信様が亡くなられてからというもの、奥方様もすっかりお気を落とされて……おいたわしや」


 絵を眺める。知らず知らずのうちに、頭の中でメイクの手順を組み立てていることに気が付いた。


 手打ちにされるかどうかの瀬戸際。私にはこのちょんまげたちに手を貸す義理もない。

 それでも……不思議とわくわくしている自分がいた。

 私というキャンバスの上に、この昌信さんとやらをどう表現するか。それを考えることが、楽しい。


「……私がちゃんと昌信さんになれたら、おもてなししてくれます?」

「約束しよう」

「一日三食一汁三菜昼寝付き?」

「一汁三菜食うつもりか」


 呆れた声を出された。

 推しでもないコスをするのだから、そのくらいの見返りがあったっていいはずだ。

 コスプレは愛情表現でやっているタイプなので、愛がない分は愛着の湧くような何かで補ってもらわなくては。


 しぶしぶ頷いたちょんまげ1を見て、私はパンと手を打った。


「よし、やってみましょう!」

「本当か!」

「二次元を三次元にするのは、コスプレの真髄ですからね!」


 引っ張ってきたキャリーを開ける。


 見せてもらった絵の昌信さんは、当たり前と言うかなんというか、すべてちょんまげ姿だった。

 いきなりコスプレをしろと言われても、そんな都合よくちょんまげのヅラを持っている訳がない……と思いきや。

 キャリーの中には、潰れないように箱に入れたちょんまげのウィッグが鎮座していた。


 殿らぶレイヤーでよかった。

 推しは身を助く。ありがとう伊達政宗。


 奥州から遠く離れた(と思われる)地で推しに想いを馳せながら、キャリーから必要そうなものを取り出していく。


 最後にライト付きの三面鏡を取り出したらキャリーを閉めて、キャリーの上に鏡をスタンバイ。

 イベントの更衣室スタイルだ。


 ファッションウィッグがネットごと吹っ飛んだせいでぼさぼさになっていた地毛を軽く整え、二つに分けて結ぶ。毛先をヘアピンで頭に固定した。

 上から水泳帽をかぶって、地毛がはみ出ないようにすべて水泳帽の中に収納する。


 鏡を見ながら毛の偏りを直して、髪の厚みを均等にする。

 ちょんまげ付きとはいえ、ベースはスキンヘッドだ。ここで頭の形をいかに自然に整えるかで、前だけでなく左右、後ろから見た時の印象がまったく変わってしまう。


 さて、髪が邪魔にならないようにしたところで、メイクに取り掛かる。

 まずは今のメイクを落とさなければ。ばっちり二重のがっつりメイクは、昌信さんの塩顔には不似合いだ。


 残っていたもう片方のつけまと二重テープを剥がしてから、ジップロックに入れた液体のメイク落としに浸しておいたコットンを取り出した。

 目元を軽く押さえて馴染ませて、拭う。


 私の一挙手一投足をまじまじと見ていたちょんまげ1が、ぎゃあと悲鳴を上げた。


「か、顔が変わった!」

「化け物!!」

「いやまぁ眉毛ないと人権ないみたいなとこがありますけど」


 メイクを落とし終わったところで、化粧水と乳液で肌を整える。


 カバー力のある下地を塗って、CCクリームで顔面を更地に変えた。その上からリキッドファンデ、コンシーラーでシミやくまを消す。


 ついでに、唇もこの時点でコンシーラーを塗り、厚みを後から調整しやすくしておく。

 アイテープで再度二重を作成。どうせ後からダブルラインを引くので、ここでは幅を決める程度でよい。


 医療用の透明テープを適当な長さにして、頬のあたりから後頭部までぐるりとテーピングした。

 輪郭が細めなので、顎周りの肉を上げてラインをシャープにするためだ。


 目は垂れ目になるように、こめかみの辺りから軽く横に向かってテーピング。眉毛はもとから全剃りなので、後から吊り眉に描けばいい。


 軽くお粉を叩いて、下準備は完了だ。顔面が完全なるキャンバスになった。


「なんたる……やはり化け物ではないか」

「花魁でもそこまで塗りこめないぞ」

「失礼なことばっかり」


 笑わせないでほしい。塗ってすぐ笑うと口元のファンデがヨレる。


 今回は写真を残すわけではないので、普段より少し薄めを意識する。

 交流メインのイベントくらいの意識がちょうどいいのだろうか。


 いや、交流メインでも結局写真撮るし濃くなるわ。

 何なら写真アプリがホクロもダブルラインも皺シミ認定して消してくるからいつもより濃いくらいだわ。


 ベースを整えたところで、アイメイクに取り掛かる。

 アイホールをはみ出す勢いで明るい色を載せてトーンアップさせ、薄い色から順に重ねていく。


 手元に置いた昌信さんの絵を見つつ、タレ目具合を似せるよう注意しながら、アイラインを引いた。

 目尻側を下げるように、それでいて涼しげな印象になるように、目の幅よりも少しだけ長く。


 下睫毛に金髪用の眉マスカラを塗り、存在感を消す。

 上から白のハイライト用のアイシャドウを塗って、まるで白目がそこまであるように錯覚させるためだ。

 そしてバーガンディーのアイライナーで「白目の範囲はここまでですよ」という線を引く。


 黒のアイライナーで下瞼を強調し、下瞼との接続が自然になるようアイシャドウとバーガンディーのアイライナーで調整、ハイライトで薄く涙袋を作る。


 長さ重視タイプのマスカラをさっと一度塗りし、最後にブラウンのアイライナーで奥二重になるようにダブルラインを入れて、アイメイクは概ね完成だ。


 絵を参考に、眉を描く。眉が似るかでかなり出来栄えに差が出てしまうので、ここが一番の正念場だ。

 片方を先に仕上げるのではなく、左右交互に調整しながら太さを整えていく方が、仕上がりが左右対称で安定したものになる。


 つり眉を意識して、眉山の位置は目尻に寄せる。

 そこからすっと細く眉尻を描き、眉頭はペンシルとブラシを使って適度にぼかして自然な仕上がりに近づけた。

 もとの眉毛がないので、ここでは眉マスカラは使わない。


 目元が決まったところで、全体のバランスを見てシェーディングを濃くしていく。

 とはいえ目指すのが日本人らしい塩顔なので、大きなブラシを使ってさっと軽く乗せる程度だ。

 鼻筋は通っている印象なので、ハイライトの方はきっちり基本に忠実に。


 そしてここで秘密兵器、鼻プチの登場である。


「鼻に、何を?」

「これやると鼻が高くなるんですよ」

「高く?」


 鼻プチを装着して「ほら」と見せると「確かに変わった」「面妖な」とちょんまげがどよめいた。


「鼻の骨まで弄るとは……珍装屋というのはもしや、過酷な生業なのでは」


 骨を弄っているわけではないのだが、まぁ過酷といえば過酷かもしれない。


 ウィッグは蒸れるし、つけまは重いし、カラコンで目が乾くし、鼻プチだって違和感はある。

 それでも、やるとやらないではまったく違う。だからこそ、面白い。


 ウィッグを手に取って、頭に被る。

 ラバー部分を自分の肌の色に合わせて事前に染めてから髷部分を植毛しているので、正真正銘私専用のヅラである。

 完成までに3日かかったし、1日は徹夜した。


 しっかり深く被ったらばっちりくる箇所をミリ単位で探して位置を調整。

 そして額とウィッグのラバー部分段差が出ないように特殊メイク用のパテで埋めてからコンシーラーでぐりぐりと塗りつぶす。

 軽く粉を叩いてやれば、遠目には継ぎ目がほとんど目立たない。


 アイメイクやシェーディング、ハイライトの最終調整をして、最後に唇に薄くベージュのティントを塗った。

 昌信さんの唇の形を意識して、元の唇よりもかなり薄く、かつ色もつきすぎないようにティッシュでよく落としておく。


 私が顔を上げると、ちょんまげたちがおおっと歓声を上げた。


「これは……!」

「に、似ている!」

「昌信様!!」

「マジ? 似てます? 一汁三菜?」

「茶菓子もつけよう」

「やったー!」


 万歳する。

 これでとりあえず手打ちにされずに済みそうだ。


「昌信様の着物を」

「は」


 ちょんまげ1が指示すると、ちょんまげnが部屋を出て行き、着物を持って戻ってきた。


「しかし、女子おなごだけあって少々体つきが細いか」

「あ、肩パッドとBホルあるんで大丈夫です」

「びい……?」

「日本語だと……なんだろ。胸つぶしと、肩ガンダム?」


 キャリーからBホルと肩パッドを取り出す。ついでに安全ピンとアラビックヤマトも出しておいた。

 いや、いらないと思うけど。でもアラビックヤマトは神だから。


「その箱は、無限に物が入るのか?」

「いや、忘れ物怖すぎて全部入れとく、みたいな……あはは」


 レイヤーが集まっているところで、「○○持ってる?」って聞いたら大体持ってる説はある。

 今回ちょんまげだから要らないのに、柔軟剤混ぜた水入れたスプレーとかタングルティーザーとかも入ってる。ちょんまげなのに。


「何事じゃ、朝から騒がしい」


 着替え終えたところで、ぱしんと襖が開いた。


 振り向くと、豪華な着物姿の女性が立っている。

 横にばあや的な人やお付きの女性を従えていて、なんというかすごく、「大奥」という感じだ。


「千代様」

「ちよさま?」

「昌信様の奥方様だ」


 ちょんまげたちが頭を下げるので、私も一緒になって頭を下げた。

 昌信さん、奥さんがいたらしい。そういえばちょんまげたちがそんなことを言っていた、ような。


 俯いていても分かるくらい、千代さんの視線が私に突き刺さっていた。

 それはそうだ、死んだ夫の服を着た奴がいるんだから。


「そこな者は?」

「は。珍装屋にございます」

「珍装屋?」


 ちょんまげが千代さんに向かって、コスプレイヤーについて解説する。ものすごく奇妙な光景だった。

 俯きながら頬の内側を噛んで、なんとか吹き出すのを堪える。


「面をあげよ」


 千代さんの言葉に、私は笑いを飲み込んでから顔を上げた。

 千代さんの目が見開かれて、そして。


「まさのぶ、さま……」


 ぽつりとその唇からこぼれた言葉に、私は恥も外聞もなくガッツポーズをした。一日三食一汁三菜昼寝とおやつ付き、ゲットだぜ!


 私の様子に、千代さんははっと我に返ったようだ。

 ごほんと咳払いをして、言う。


「確かに似ておるな。これであれば大目付様も欺けるであろう」

「そうでしょう」

「だが……よく見ると、やはり違うところもあるの」

「え、どのへんですか」


 思わず疑問が口をついて出た。直せるところならすぐに直したい。そのあたり、結構こだわるタイプなのだ。

 千代さんは一瞬意外そうに目を瞬いたが、すぐにくしゃりと相好を崩した。


「昌信様より男前じゃ」

「……あはっ」


 つられて笑ってしまった。

 どうもちょっと美化しすぎたらしい。


 だけどその口ぶりから……千代さんは本当に、昌信さんのことが好きだったんだろうな、というのが伝わってきた気がした。

 普通死んだ人の方が美化されると思うのに……そうじゃないときの昌信さんのことも、よく覚えているということだろう。


 こんなに綺麗な奥さんを残して、若くして死んでしまうなんて。昌信さんもお気の毒に。

 会ったこともない昌信さんの冥福を勝手に祈ってしまった。


 ふと、外がもう明るくなっているのに気づく。

 徹夜でメイクしてた。お肌によくない。

 早く落としたいが……その前に。


 私はスマートフォンを取り出すと、一番明るそうな窓際まで行ってカメラアプリを起動した。

 せっかくコスしたんだから、自撮りしとかないとね!


「ヤバい自然光超盛れる」

「珍装屋殿! それはいいから! 早く!!」


 自撮りしている私の腕を、ちょんまげ1が掴んで揺さぶる。

 待って、ブレる。ブレるから。


「おそくほ……あ、圏外。そりゃそうか」

「ああもう、大目付様が来てしまう! 早く準備を」

「え、いつ来るんですか?」

「今日だ!」

「今日!?」


 開いた口が塞がらない。

 ちょんまげたちに担ぎ出されながら、もしかして私を執拗に手打ちにしようとしていたのは、くせ者騒ぎで大目付様をうやむやに誤魔化そうとしたからでは、と勘繰ってしまった。


 ◇ ◇ ◇


 結局そのまま大目付様との面談に駆り出されてしまったものの、ちょんまげたちと千代さんのフォローもあって、何とかその場を切り抜けることができた。


 その後は約束通り、一日三食一汁三菜昼寝とおやつ付きの優雅な生活を送らせてもらっている。

 悩みと言えば、どうやったら令和に戻れるかが分からないことだけだ。


「珍装屋殿! 珍装屋殿!!」

「ふぁい?」


 朝ご飯のお味噌汁を啜っていると、ちょんまげ1が飛び込んできた。

 今日のお味噌汁は、フキが入っていておいしい。


「出番です、珍装屋殿!」

「はぁ」

「実はこの近隣唯一の花街の、売れっ子花魁が足抜けしてしまい……太客との約束もあるというのに、このままでは廃業の危機だと」

「へぇ」


 糠漬けを齧る。ちょうど良い浸かり具合で、ご飯が進む。

 興味のなさそうな私に焦れたのか、ちょんまげ1がばしばしと畳を叩いた。


「あの店が潰れたら儂の憩いの場がなくなってしまいます!」

「知りませんけど」


 心底知りませんけど。


 ていうかちょんまげ1、相当なお年に見えるのだが……生涯現役なのだろうか。

 ちょんまげ1が、大袈裟なほどにがばりと頭を下げる。


「珍装屋殿! どうか花魁の珍装でこの場をやり過ごしてください!」

「えええ!?」


 あまりの無茶振りに箸を取り落とした。

 殿様から花魁って。振り幅がデカすぎて温度差で風邪ひくわ。


「いや無理ですって! 女装とか年単位でやってないんで! 」

「お願いします! 近隣の武士と商人たちの夢が珍装屋殿にかかっているんです!」

「変なものをかけないでください!」

「白塗りだから簡単でしょう!?」

「逆に難易度高いですって!!」


 抵抗も虚しく、私はちょんまげ1に連行されてしまった。

 一日三食一汁三菜、昼寝とおやつ付き、時々コスプレの生活は、しばらく続きそうだ。


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