私は華子

尾羽つばさ

私は華子

 門を開ければ、広がる緑。丹念に手入れされた庭。朝には鳥達の美しいさえずり声が聞こえる。英国のテューダー様式で建てられたこの館には、未亡人とその娘達が住んでいた。

 その娘達のなかに、華子と呼ばれる娘がいた。華子はとても美しい娘だった。

 しかし、華子は生まれつき動けない体であった。歩くことも、走ることも、立つことも、話すことも、自分で体を起こすこともできなかった。そのため、華子はほとんど自分の部屋から出たことがない。もちろん館から出たこともない。学校にも行っていない。

 だが、華子は自由な体の代わりに、誰よりも勝る美しさを持っていたのだ。雪のように白く、触り心地の良い肌。薔薇色の頬。桜色の爪。さくらんぼのように艶やかな唇。深い海のように青い瞳。丁寧に手入れされ、セットされた亜麻色の髪。華子は美しかった。まるで地上に舞い降りた天使のように。

 何故、彼女はこれほどまでに美しいのか。それは華子の母の入念な世話と、惜しみない愛情によって培われたものだった。

 母の友人や客達が館を訪れ、華子に会うたび、彼らは感嘆の声をあげるのだ。

「まあ……なんて美しいのでしょう!」

「まるで天使のようだわ」

「彼女は、私がここに来る毎に美しくなっている……」

 華子も、彼らの言葉に満足していた。

 そうよ、私は美しいの。私がこうして美しさを保っているのも、こうして幸せになったのも、すべてはお母様のおかげ──華子は決して動くことのない唇を動かすように、心の中で言った。

「華子、あなたは大事な私の娘よ」

 華子の母は、いつも彼女にそう語りかけてくれていた。だが華子は、自分が動けない体であることに苛立ちを感じていた。

 お母様、どうして私は動けないの? 歩けないの? 話すこともできないの? ──だが、華子の口からそれらの言葉が発せられることは無かった。

 一方、母にはもうひとり、君子という娘がいた。君子は華子とは違い、体を動かすことができた。歩くことも、走ることも、立つことも、話すこともできた。彼女は自由に歩き回ることができた。

 君子もじゅうぶん美しい娘だったのだが、華子には及ばなかった。客人達は君子よりも華子の美貌を褒めていた。

「君子よりも華子の方が奇麗だね」

「華子ほど美しい娘はいない」

「君子はじゅうぶんきれいなのに、華子と並ぶとまるでねずみのようだ」

 そのため、君子は華子を嫌っていた。ことあるごとに、華子に罵声を浴びせていた。華子はつらかった。どんなに汚い言葉で責められても、言い返すことも、その場から逃げることもできなかったのだ。

 どうして私が責められなくてはならないの? お母様、私の声を聞いて。誰か、私の体を治して──華子は心の中で泣いた。実際に泣くことができなかったからだ。その瞳から涙が零れることはなかったのだ。そう、なかったはずなのだ。

 あるとき、君子がいつものように華子に罵声を浴びせていると、決して変化を見せることのない華子の顔に変化が表れた。君子には、華子の頬が濡れているように見えた。

 君子は気が付いた。華子が泣いている。涙を流している!

「いやああああッ!」

 君子は叫び声をあげた。声を聞きつけて、母が駆けつけてきた。

「君子! どうしたの!」

「お母様! 気持ち悪い! 気持ち悪いわ!」

 その顔は、まるで幽霊を見たかのように青ざめていた。

「動いたのよ! あれが動いたの! 涙を流していたのよ!」

 君子は母に泣きながら訴えた。しかし、母は君子の主張を否定した。

「なに言ってるのよ、君子。アンティークドールが泣くわけないじゃない!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私は華子 尾羽つばさ @obane153

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る