第10話

「それが今の隊長の原点なんっすね。やっぱ隊長は格好いいっす。俺一生付いていきます! けど!! 肝心のレイブンさんとはどうなったんすか!? レイブンさんとは!?」


 痺れを切らせてテーブルを叩くニックを見て、カーズ以下の隊員たちは堪えきれず吹き出した。


「レイブンさんならな、目の前にいるんだよ」

「はあっ!?」


 からかわれているのかと思ったのだろう。腑に落ちない顔のニックがぐるりと酒場を見渡した。

 夜更けというよりも夜明け前の酒場は、第二部隊の面々で貸し切り状態。いくら見渡せども、笑い転げている第二部隊隊員たちと、酒場の店主以外は誰もいない。


「……まさか」


 きょろきょろと動かしていたニックの視線が止まる。笑って自分を見つめている店主を凝視した。


 やれやれ、やっと気づいたらしい。

 カーズは鼻から息を吐いた。

 カーズと親しげな態度、店主の不自由な左足。昔話の中で左足を切断したレイブン。ヒントはあちこちで与えていたのだが。


「そのまさかだよ。そういえば俺の名前を知らないのは、新人の君だけだったね」


 そう言って店主が捲ったズボンの下は、無骨な義足だった。


「はあ!? ってことはレイブンさんとはとっくに和解してたってことっすか?」

「でなきゃ、俺がこんなに普通に話すかよ。もっと暗く落ち込んで話すさ」


 歳が一番下だというのもあるが、からかい甲斐のある男だ。


「あとな、お前の足りないおつむでよーく思い出してみろよ。今の第二部隊の規定で退役者はどうなってる?」


 ウィークラーがニックの額をごつい指で小突ついた。


「いでっ! ええーっと。確か任務で負った傷での退役の場合は退職金が上乗せされる……ってあれ?」


 現在の規定ではレイブンのように、任務で負った傷によって退役せざるを得なかった場合、かなりの額の退職金が支払われる。


「お前が入ったときはもうあった規定だから知らないだろうが、隊長が就任してから出来たんだよ。ギルバート前隊長との約束通り、隊長が上と掛け合って規定を変えたのさ」


 首を捻るニックへウィークラーが教えてやる。


「俺が、じゃないさ。ギルバート隊長がレールを敷いてくれてたから実現したんだ。残念ながらレイブンの時には間に合わなかったがな」


 カーズ自身は何も出来なかった。とっくに退役し、もうこの世にいないギルバート隊長。カーズは彼と、様々な人間の思惑が作ったレールの上を走った。ただそれだけだ。


「馬鹿を言わない。俺は君に感謝してもしきれないんだから」


 柔らかく微笑んだレイブンが、カーズに頭を振った。


 退役してからしばらくして、レイブンがカーズの元へ謝りに来た。ぶつけどころのない怒りをカーズへぶつけてしまったことを、ずっと後悔していたのだと頭を下げた。


「君たちの隊長は謝った俺を許しただけじゃなく、自分の給料を俺の借金の返済に当てたんだ」

「えっ? まじっすか? 俺だったら絶対無理っすね!」


 信じられないという顔でぶんぶんと手を振ったニックのこめかみを、ウィークラーが両拳で挟み込みぐりぐりと押した。


「お前は全部すっちまうからだろうが! ちょっとは隊長を見習え!」

「いだだだだだ! 暴力反対っす!!」


 じゃれ合う二人に昔の自分とギルバートが重なって、カーズは目を細めた。

 不愛想で反発ばかりしていた自分を、豪快に笑い飛ばして構ってくれたギルバート。彼もまた宿主となり、カーズ自身が終わらせた。


「やー。やっぱ隊長はすごいっすねー! 俺、難しいことは分かんないっすけど、規定とか規則とかって、変えるの大変じゃないっすか! それやってのけた隊長はすごいっす」

「すごくなどないさ。俺は何一つ上手くやれていない。失敗と後悔だらけだ」


 ウィークラーの拳から逃れて無邪気に笑うニックに、カーズは頭を振った。


「お前の言う通り、規定を変えるのは並大抵じゃない。俺のような教養のない凡人には特にな。それでも俺はなんとかしたかった。レイブンのような奴を減らしたかった。ギルバート隊長との約束を果たしたかった」


 ニックを放したウィークラーが姿勢を正した。いかつい顔を曇らせる。


「表向き、ギルバート前隊長は怪我による退役でしたよね」


 ウィークラーは当時、ニックと同じ立場で隊長直下分隊にいた。だからこの先を知っている。


「ああ。退役だ。中級妖魔との戦闘で背骨を強打、脊椎を損傷して右半身麻痺になった」


 手の中で、半分以下になった酒に、溶けた氷がゆっくりと混ざっていく。ギルバートが、荷物を纏めて庁舎から去る時の光景が脳裏に蘇った。


『お、俺ぁ、しにゅまでた、戦ぁいたかったあぁ。あと、はぁ、たのんどぁあ、ぞ』


 麻痺で呂律の回らない、聞き取りにくい声。引きずる片足。丸まった背中。

 いつも不敵に笑い、隊員たちをからかい、戦場での柱だったあのギルバートが、元々小さな体躯をさらに小さくして去った。


「戦いが生きがいの人だったから。俺たち以上にショックだったろうな。その後、見る影もなく酒に溺れた」


 第二部隊は死亡率が高く、体力のいる任務内容だ。他の隊と違い、隊長ですら職業的な寿命は短く他の隊員と変わらない。長くても三十代半ばまでに退役が普通だ。

 当時のギルバートは四十六歳。とっくに退役をしていてもおかしくない歳だったが、ギルバートは自分の居場所は戦場だと言い、生涯現役を目指した。


「ほどほどにして、残りの人生を穏やかに過ごしてほしかったけどね」

「そうだな」


 寂しそうに笑ったレイブンに同意して、ぐい、と酒を飲み干す。レイブンがまた、新しいグラスに酒を注いだ。


「ここまで上がってこいと言われて、必ずと誓ったが、あんな形での隊長就任なんか望んでいなかった。だからせめてもう一つの誓い、『消耗品』扱いだけは撤廃させたかったが、少しも上手くいかなかったよ」


 注いだばかりの酒を口に含むと、強いアルコールと辛味が広がった。




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