第12話

 王族専用の浴場はプライベートを確保しながら一日の疲れを癒やす空間として技術と威厳の粋が極められている。


 床を掘ったような広く円形型の浴槽に満たされたお湯の温度は常に最適。壁や支柱でさえ彫刻めいた装飾がされ、ドーム状の天窓が安穏とした光を照らしている。


 権威と贅沢のためだけではない浴場が、ウィリアムにとってはありがたかった。これだけお湯に浸かるのが気持ちよいとおもったのは初めてかもしれない。


 本来なら王族は体を洗わせるのも着替えも専門の使用人にさせるのだが、如何せん彼は違った。特に浴場というプライベートすぎる空間とあれば。


 体にじんわりとした温かさが染みこんでいる。疲れが湯にほぐされて筋肉が緩んでいく。心までがふにゃふにゃとふやけて、油断すれば眠ってしまいそうになる。


「たく、あのやろう・・・・・・・・・」


 ウィリアムは筋肉痛が残っている太ももを擦りながら、エリスの鍛錬を振り返っていた。


 彼女の鍛錬は容赦がなかった。彼女からすれば児戯にも等しい。であってもウィリアムにしてみれば地獄だった。


 泣き言を許さない。休憩もない。ただひたすら彼女が定めた時間まで鍛錬をさせられた。


 ウィリアムが午後からしたのは、教わった姿勢と立ち方を維持したまま基本的な技、正拳をひたすら反復練習するというものだ。


 空突きと呼ばれる練習方法は、ただ正拳を打てばいいだけではなかった。拳に螺旋回転を加えながら目標に到達させる。引き手とした拳をどっしりとした腰の回転で切り返しつつ打つ。


一つ一つの部位の動作を把握しながら、瞬時に打たなければならない。まだ習いたてなのだから早さは求められていないが、それが体勢を維持しながらだから辛い。それだけでもウィリアムには厳しいかった。


 ほんの少しでも体勢が崩れると、エリスは叱咤した。おかげで股関節と足の負担が凄まじくてプルプルと生まれたての馬のように頼りない足どりを晒したし、政務にも障った。


 それでも、食事が格段に美味しかった。


「けど、あれが毎日かぁ」


 エリスがいうには、『ローガン流格闘術』は基本として五つの型がある。


 一つは攻めと防御のバランスがいい型。

 二つ目は攻めに特化した、エリスがよく使う型。

 三つ目は相手を掴み、押さえ、相手の関節を封じながらダメージを与える型。

 四つ目は防ぐことに特化した型。

 五つ目は四つの型を取り入れながらより習得が難しい型。


 ウィリアムはまだどの型も学べていない。いや、学べるようになるのかという途方のなさだ。


 変わりたい。変われるんじゃないか。変われるのか? 変われないんじゃないか? とめどない悪い方向へと進んでしまい、悩みに悩んだ。結局はいつもの自分に戻ろうとした。


 それでも一歩を踏みだせたのは、夜何気なしにバルコニーから鍛錬に励むエリスを目撃したからだ。


 虚空を飛び跳ねて華麗に技を繋げているエリスが、かっこいいとおもった。エリスの姿がウィリアムの中で残っていたエリスの言葉を谺させて、ウィリアムの勇気を促した。


 かっこよかった。


 けど、さすがにもう少しお手柔らかにお願いしたい。


「うわああ、すっごい広いなぁ!」

「っ!?」


 浴場内に突如としてエリスの声が響き渡る。上半身を勢いよく湯船に沈める。


「あれ? 誰かいるの?」

「おまおまおまおまおまおまおまおまああああああああああ!!」


 エリスは隠すこともなく、すっぽんぽんの裸で走ろうとした。濡れている床に足をとられそうになったけど、それもエリスには愉快らし。く絶妙なバランスで滑っている。


「お前なにやってんだああああああああああああああ!!」

「お風呂入りに来たんだよ」

「おまええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」


あっけらかんとしたエリスに、ウィリアムは冷静でいられなかった。以前はレイチェルがエリスの裸体を見せないよう遮ってくれた。けど今は二人きりだ。


 しかも密室。


 理性で己を律せるには、ウィリアムは未熟で、年頃すぎた。


 異性に興味津々なことに、身分も性格も過去も関係ないのだ。


 だからエリスが石鹸で奇麗に鳴って自分と同じ浴槽に入りバシャバシャと泳ぎまくるまで彼女の裸体をまじまじと瞳に焼きつけてしまった。


「お前はここ使っちゃだめだろ!!」


 うっすらと透けているお湯の水面の奥に、エリスの大事なところがチラリと見えるたび、エリスが犬かきでお尻を浮かべるたび、背泳ぎで小さな胸とぷっくりとした先端が露出するたび、即座に目を背け視線だけ戻し目を背けまた戻してと挙動不審な行動をしてしまう。


「迷って場所わかんなくなっちゃったんだ」


 本来使用人やそれに類する者は別に浴場がある。説明もきちんとされているし、珍しいところにあるわけではないのだが、まだ王宮に住んで日が浅いエリスには難しかった。


「まぁいいじゃないか。僕君の護衛だし。お風呂の中にいると襲いやすいって師匠もおっしゃってたし」

「俺のプライベートとか一人を満喫する時間も守れよ!」

「ぷら? なに?」


 完全に湯船から出るタイミングを逸してしまった。エリスはまだ上がる気配はないし、かといって自分が上がるとそのとき、自分の恥ずかしい部分をエリスに見られるかもしれない。


「お前は・・・・・・・・・本当に・・・・・・・・・」


 ウィリアムにできることはエリスに背中をむけてエリスが上がるまで我慢することだけだった。けど、バクバクと爆発しそうな心臓と羞恥、なによりお湯のせいで意識が朦朧とする。


「お前は、恥ずかしくないのかよ・・・・・・・・・」

「え? なにが?」

「男と一緒に風呂に入るのがだ!」

「なんで? 師匠と一緒に暮らしていたときはよく入っていたし、門弟達ともよく川で水浴びしたり稽古終わりに裸で汗拭いてたよ?」

「くそっっっ! お前の師匠達に文句言いてぇよ!」

「そんなことよりウィリアム。どうだった?」

「なにがだ!?」

「鍛錬だよ。楽しかった?」

「・・・・・・・・・・・・楽しくはねぇ」

「そっかぁ。でも大丈夫だよ。何度もするうちに慣れてくるし、逆に物足りなくなってくるって!」

「・・・・・・・・・お前みたいにか?」

「君次第だけどねー。ハハハ!」

「よくそんな笑ってられるな」

「だって嬉しいんだ。ウィリアムが僕と一緒に鍛錬してくれて」

「あ?」


 背中に、エリスが自分の背中をくっつけてきた。ビクッとウィリアムは痙攣し緊張が最高潮にまで達する。


「一緒に強くなれる人がいると、なんていうのかな。励みになるっていうのかな。僕だけじゃない、一緒に頑張れる人がいるって。やる気が出るんだよ。不思議だね」

「・・・・・・・・・」

「だから、ありがとうウィリアム」


 ずるい、とエリスを恨んだ。そんな殊勝なことをこんな近くで言われたら、怒りが消えてしまう。頑張りたいとおもってしまうし、どうにかなってしまいそうで。おかしくなってしまいそうで。


 こっちだってお礼を言いたくなってしまう。


「あ、そうだ!」


 いきなり立ち上がったエリスがウィリアムの前まできて至近距離で股間部が視界に入る。


そのまま無理やり引っ張り起こされて床に座らされる。なんとか手拭いで股間を隠すことは成功したけど、背中を押されながらエリスは乗っかってくる。


「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?」


 エリスの柔らかい二つの膨らみがふにゅっとした感触で潰れて、すべすべのお腹が当たって一定のリズムでエリスの口から漏れるくぐもった声が耳たぶにかかって

「ストレッチしてなかっただろ? ストレッチしないと明日の朝とんでもないことになるんだ。下手すると神経とかにも悪影響が――――」

「あ・・・・・・・・・」


 クラクラした眩暈が周囲の情景を歪めて、輪郭が崩れていく。意識が遠くなっていって暗くなっていく。


「あれ? ウィリアム? お~~~い?」

「この・・・・・・・・・あほ・・・・・・・・・」


 エリスの無邪気で過激すぎる優しさに耐えきれず、ウィリアムは気を失った。

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