黒法衣の教団

 常世に存在する獣の姿をしたママの前に顔を出し,真弓と悠依を任せると言った次の日から,仁と峻は完全に姿を消した。


 二人が存在したことすらわからないほど,その形跡は完全に消え,二人を知る者たちの記憶からも徐々に消えていった。


 その間,真弓と悠依はママの下でサキュバスとして生き,二人とも夜の住民として多くの人間の命を奪っていった。


 真弓はもともと中堅の製薬会社の事務職として人間界で問題なく生活していたため,ママの判断でそのまま生活を変えることなく暮らしていた。


 会社の末端にいた真弓もサキュバスとなってからは,その能力を駆使して会長秘書となりママの指示の下,会長を筆頭に取締役全員が真弓の従者となっていた。


 悠依は二つの人格が少しずつ溶け合うように混ざり合い,従者を嫌い常に単独行動しサキュバスとしても異質な存在となっていた。


 インキュバスもサキュバスも,もともと人間との直接的な接触を極端に嫌い,幻覚や幻聴を魅せることで人間たちが得たことのない快楽を脳に直接与えることで精神支配しコントロールするのが本来の姿であった。


 真弓は人間であるうちに肉体的な性快楽を知ったことにより,本能的にサキュバスでありながら人間との接触を求めていたが,ママによって肉体への快楽は苦痛に変えられ,それ以来,人との接触を嫌うようになっていた。


 そんな真弓を見て悠依は自分の過去と重ね合わせることもあったが,自身の過去において男を受け入れて快楽を得たことなど一度もなく真弓の考えを理解できなかった。



「ねぇ,悠依。最近ちょっと殺し方が雑なんじゃない? 殺して従者にするわけじゃないから問題ないかも知れないけど,ちょっと雑すぎて処理をするこっちが面倒なんだけど」



 不機嫌そうに悠依の目の前で腕組みをして,大きな胸を強調した。白いシャツがさらに真弓の胸の大きさを強調し,簡単に折れてしまいそうな細いウエストを見て,男たちが夢中になるのが容易に想像できた。



「別に雑じゃないよ。ちゃんとママに教わった通りにしてるだけだし。それに殺された男たちは最高の快楽のなか,気持ちよさそうに死んでるじゃん。なにか問題でも?」



「確かにママの言う通りかも知れないけど,最近数が多いのよ。そのせいでこっちが忙しくなる。それにテレビやネットでも失踪者の数が多すぎるって話題になってるし」



「いいじゃん,別に。処理だって,真弓さんのもってる残飯処理係がするんだし。あの四人組に喰わせるだけじゃん。それに,別にネットで騒がれたって問題ないし,真弓さんのとこの四人組だって血だらけの全裸をばら撒かれたのに全然バズらないし」



 真弓は悠依と鼻先が触れそうになるくらい顔を近づけ,ゆっくりと口を開きそのまま悠依の唇を覆った。


 濡れた柔らかい舌を悠依の舌に絡め,くちゅくちゅと音を立てた。抵抗せずに真弓を受け入れる悠依の表情は冷たく,自身に残る人間の部分が苛立っていた。


「ほら,あんたが殺したい放題だから,その処理をする私の身体にも異変が起こっているの。うちの四人組が遺体を喰えば喰うほど,主人である私の身体が臭くなる。いまのでわかった? この腐敗臭がずっと取れないのよ」



 身体を起こし,大きな胸を揺らし,腕組みをした。スカートを捲り上げ,ゆっくりと片脚を椅子の上に乗せると,悠依の目の前で汁が垂れる淫部を指で拡げた。柔らかいピンクのヒダから糸を引くように汁が垂れると,指先で汁を掬い,濡れた指をいやらしく舐めた。


 ママに用意された二人が住むマンションの一室は窓がなく防音工事が施され,外からなにが行われているのかわからない造りになっていた。そして別室では,真弓の従者たちがお互いの身体を貪るように求め合い,幻覚のなかで真弓を激しく犯し,その思念に真弓の身体が反応した。



「キモイんだよ。腐ってんのはあんたの身体じゃないの? それに歯周病かと思ったわ」



「あら? この唇のどこが歯周病ですって?」



 再び唇を重ねるとお互いの唇から唾液が糸をひくように垂れてつながったまま,ほんの数センチ顔を離してお互いに視線を合わせた。



「ガキが一丁前に女の顔してんじゃん」



「発情したババァがなに若い身体に嫉妬してんの? ウザイんだけど」



「そんな貧乳に嫉妬? 若返らせてもらえるとしても,そんな貧乳になるなら,いまのほうがいいわ」



「うるせぇんだよ。歯周病ババァが。箪笥の奥みたいな臭いしてるくせに」



 真弓が離れると,悠依は袖で唇を拭った。その目には不愉快さを滲ませ,同じ主人でなければ殺したいと思った。



「あんたと私が同じ主人ってだけで殺されないことをラッキーだと思いな。同じ主人じゃなきゃ,とっくに殺してる。隣の部屋で犯りあってる,あんたのペットのクソジジィたちも一緒にな」



「ふん,仁様のことを主人だなんて思ってもいないくせに。クソガキ」



「私はあのインキュバスを主人と認めている。そういう条件なんでね。これはママも知っているから。そして同じ主人をもつ者同士は,決して殺し合ってはいけないとママから学んだ。主人が同じだと,どちらかが殺されれば殺したほうも消滅するって」



「そんなのママが言ってるだけで,本当は殺してもなにもならないかもよ? それに私たちの主人は本当に仁様なのかしらね? ママに譲渡したって可能性もあるかもよ」



 悠依の表情が一瞬引きつったことを真弓は見逃さなかった。それはまさに真弓が狙った通り,悠依のなかで戸惑いと恐怖にも似た感情が湧き上がり,ママに騙されている可能性を疑っている証だった。



「そうね。これ以上,発情ババァを放置していたら,お互いの肛門あなに突っ込んで喜んでる気持ちの悪いクソジジィたちが増える一方だし,殺してみるのもありね」



「ふふふ……ほんと,可愛い。あなたの心が手に取るようにわかるわ。消えかけてる人間の部分が不安を感じてるのね。仁様に対する恐怖,それはサキュバスだからこそ感じるもの。人間にはわからない主人に対する恐怖」



「うるさい……うるさい……うるさい」



 悠依は立ち上がると,真弓を突き飛ばすようにして部屋を出た。怒りが湧き出すと同時に人間を殺したい衝動が抑えられず,股間が酷く濡れているのがわかった。



「くそ……。今夜も狩りに出る。穢らわしい男たちは皆殺しにする」



「もう,ほんと,クソガキなんだから」



 優衣の行動はいつも短絡的で,外に飛び出して行くたびに真弓が後を追わなくてはならなかった。悠依も真弓がいるとわかっているからこそ,自由に男を殺し,遺体をそのまま放置して次のターゲットを探した。


 悠依が殺す男には共通点があり,殺す男は決まって制服を着ていた。そのため学生の犠牲者が多く,各地の中学と高校で集団登下校をするようになっていた。


 月が雲の間から見え隠れする薄暗い夜は,悠依にとっても真弓にとっても普段の能力の半分もなかったが,それでも男たちに幻覚を魅せ,命を奪うのは容易たやすかった


 ビルの合間を縫うように移動していると,路地を歩く三人組の男たちが目に止まった。ホテルマンのようなしっかりした制服を着ており,どこかの高級レストランかホテルから出てきたかのようだった。


 休憩中なのか,三人組は薄暗い路地を目的をもって歩いている様子だった。二人はやや小柄だったが,もっとも大きな男は身長が百八十を超えていた。



「ちょうどいい。あいつらを殺る」



 呟くことで真弓にターゲットを教えた。それは残飯処理をしてくれる真弓に対して,僅かに残る罪悪感がそうさせていたが,真弓にとっては仕事が楽になるのでありがたかった。


 三人組は背後を気にすることなく,黙って歩いていた。音もなくその後ろに悠依が姿を現し,男たちに幻覚を魅せようとした瞬間,振り向きざまに大柄な男の手から銀製のチェーンが激しい音を立てながら悠依に向かってまっすぐ飛んできた。


 サキュバスになって初めて人間から攻撃された悠依は,なにが起こったのかわからずそのチェーンを避けずに腹部で受け止めた。



「くっっ,なんだとぉぉぉ……?」



 骨が砕ける鈍い音と一緒に服と皮が破れて血が吹き出し腸が溢れ出た。あまりにも突然のことに真弓も動けず,どうしてよいのかわからず躊躇していると,小柄な男たちが悠依を狙って同じような銀製のチェーンを投げつけた。


 銀色に光るチェーンは,激しい音とともにまっすぐ悠依目掛けて伸びていった。大柄な男は勢いよくチェーンを巻き取り,次に備えた。



「やった! 当たった! 当たったぞ!」



 激しい音とともに悠依の両肩が砕け散り,両腕が一瞬で消えて噴水のように血が吹き出した。両腕を失い倒れそうになる悠依を目掛けて大柄の男が走ってくると,チェーンで巻かれた重厚な聖書を片手に悠依の頭部を力任せに殴りつけた。


 鈍い音がし,聖書に取り付けられた銀製の金具が頭の皮を剥ぎ取り,艶やかな黒髪が頭の半分から消えた。頭を削られ両腕のない悠依はぐらぐらと不安定に身体を揺らし,細長い脚でなんとかバランスを取った。



「な,なんだってぇぇぇぇ……?」



 悠依が逃げようとすると,投げつけられたチェーンが全身に巻き付き,洋服ごと一気に皮と肉が剥がされ,身体のあちこちから骨が露出した。



「ようやく出会えた! 我々はここ数ヵ月間に起こった失踪事件がお前たちの仕業だと知り,毎晩こうして巡回していたんだよ!」



 黒法衣の三人組は,目を血走らせて興奮し悠依目掛けて駆け寄り,それぞれの聖書で倒れた悠依の顔面を力任せに殴りつけた。


 殴られるたびに皮が剥げ,血と真っ白な歯が宙に舞い,肉が裂けて頭蓋骨が剥き出しになった。


「お前たち魔女がこの地に復活したことは報告を受けている。で,お前の主人は誰だ? 単独か? お前たちは組織になっているのか?」



 身体に巻き付いたチェーンを引かれ,無理矢理身体を起こされると,磨き込まれた革靴の先がひざまずく悠依の細い顎を力一杯蹴り上げ,下顎が勢いよく吹っ飛んだ。



「キモイな,ここまでしても死なないといは。にわかに信じられないが,さすが魔女だ。お前たちの討伐が我々教団の役目であり,代々伝わるこの聖書によりお前を滅殺する。我々はそのために組織されているのだから!」



 ようやく真弓が我にかえり,目の前でボロボロになっている悠依を助けるためにその能力を使った。実戦が初めての三人組は悠依が単独だと思い込み,完全に気を緩めていたため真弓の幻覚にしばらく気づくことができなかった。


 ようやく三人組が空気が変わったことを感じたときには,突然足元から吹き出す蒼白い業火に驚きパニックになった。それでも三人は訓練通り咄嗟に法衣を頭から被り,聖書を両手でしっかり持って体勢を低くした。蒼白い炎が渦を巻くように何本もの柱になり,身を低くする三人を襲った。



「なんだ? この炎は? ほかにも魔女がいるのか!?」



 しゃがみ込んた瞬間に乱れた法衣を直そうとすると,蒼い炎がまるで蛇が身体をくねらせるように三人に襲いかかり,微かに乱れた法衣の隙間から一気に服の内側へと流れ込んだ。



「くっそ! なんなんだよ,これ! 焼ける! ヤバイぞ!! 肌が焼ける!」



 身体を捻り法衣の隙間を塞いで炎から身を守ったが,蛇のように襲いかかる炎が小柄な男の両眼を焼き潰した。


 両眼を焼かれ男の顔が蒼い炎に包まれると,激しい悲鳴をあげながら両手で顔を押さえて前に倒れ,額に聖書をつけてひたすら祈った。



「ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ!」



 その様子をみていたもう一人の男は跳ねるように男から距離を取ったが,蒼い炎のほうが速く,一瞬で身体に巻き付き顎の下から喉を焼き焦がした。


 流れるように地面を這いずり回る炎が三人目の大柄な男を狙い定めて飛びかかった瞬間,重厚な聖書が炎を叩き落とすと炎の玉が辺り一面に飛び散った。


 大柄な男は聖書を盾に炎から身を守ったが,渦巻く炎は細長い腕を伸ばすかのように聖書からはみ出る男の両耳を一瞬で焼き尽くした。


 実戦経験のない三人は,それぞれ眼と喉と耳を焼かれ冷静さを失い闇雲にチェーンを振り回したが,チェーンは壁や床を削るだけで真弓を捕らえることはなかった。


 蒼い炎は意思をもっているかのようにチェーンを避け,何度も三人に襲いかかった。両眼を焼かれた男の眼からは激しく炎が燃え続け,喉を焼かれた男は口から炎を吐き出した。


 真弓は気配を消したまま三人の背後を取ると,いまにも死にそうな姿で倒れる悠依を見て微笑んだ。



「クソガキ。インキュバスの血を受け継いでいるんだ,簡単に殺されるんじゃないよ。しばらくそこで大人しく寝てな」



 真弓の唸る獣のような声がした瞬間,両眼を焼かれた男が驚いて叩き付けるようにチェーンを振り下ろした。



「甘かった! 教団は魔女の能力を過小評価していた! このダメージは,この痛みは幻覚じゃない! 俺の眼は完全に焼かれてる! このままでは三人とも生きて帰れないぞ! なんとかして撤退する!」



 耳を焼かれて聴力を失った大柄な男もパニックになりながらチェーンを振り回して叫び声をあげ続けた。


「あんたら,私から逃げられると思ってんの? 厨二病丸出しの童貞コスプレ野郎どもが,私以外が悠依の身体を傷つけて許されるわけねぇだろ。皆殺しにしてやる」



 三人の周りを蒼い炎が包み込み,バチバチと音を立てた。眼が見える二人はその場でしゃがみ込み,法衣で口元を覆い煙を吸わないようにした。


 両眼を焼かれた男は周りがどうなっているのかわからず,その場に立ちすくみ音を頼りに自分の状況を把握しようとしたが,聞こえるのは祈りを唱える二人の声だけだった。



「なにが起こってる? なにも見えないし,聞こえない! どこにいる? どうなってるんだ!?」



 小さく身を伏せている二人は熱風と蒼白い煙に視界を遮られ,身動きが取れなくなっていた。真弓は立ちすくむ男の耳元に音もなく気配を消して唇を近づけて囁いた。



「最初に眼を焼き潰しといて正解だったな。最初にチェーンで攻撃してきたデカブツはお前の次だ。まずはお前を殺す」



 突然耳元で囁かれた男は慌てて聖書を両手で持ち,顔を覆うように構えた。声がした方向にとっさに身体の向きを変えたことで,しゃがみ込む仲間に脚を取られ,バランスを崩して床に背中をついて転がった。



「ヤバイ! 魔女だ! 魔女が近くにいる! いま俺の耳元で囁きやがった! 近くにいるぞ!」



「なめるな,童貞コスプレ野郎ども! お前らは恐怖のなかで死ね」



 路地に転がっていた鉄パイプのような金属棒を拾い上げると,倒れている眼を焼かれた男をめがけて力任せに振り抜いた。甲高い音とともに火花が飛び散り,銀製のチェーンで巻かれた聖書が数本の指とともに弾け飛んだ。



「マズイ! 俺の聖書が!」



 蒼い炎から必死に身を守ろうとしていた二人も仲間の聖書が吹き飛ぶ様子を見て慌てて聖書を構えた。弾け飛んだ聖書には指が何本かついたままで,アスファルトの上を滑るように壁にぶつかって止まった。



「頼む! 俺は眼を潰されてなにも見えない! 俺の聖書を取り戻してくれ!」



 喉を焼かれた男が走り出し,滑り込むようにして金具の壊れた聖書を拾い上げると,耳を焼かれた大柄な男に投げつけた。男は聖書を受け取ると,一緒にくっついている指を見て顔面蒼白になった。



「に,逃げるぞ! ダメだ! 俺たちじゃ勝てない!」



 大柄な男が苦しそうに大声で叫んだ。両耳からは血が溢れ,真っ黒に焦げた耳は跡形もなく消えていた。



「俺の聖書は!?」



 耳から血を流しながら,指のついた聖書を持ち主の胸元に押し付けると,眼を焼かれた男はそのとき初めて自分の指がなくなっていることを知り声にならない悲鳴をあげた。



「逃げよう! いますぐ逃げるんだ!」



 二人から離れた場所にいる喉を焼かれ声を失くした男の背後に立つ真弓は,表情を変えることなく脇腹目掛けて鉄パイプをまっすぐ突き刺した。法衣を破り柔らかい肉が裂け,鉄パイプが腹の筋肉を裂くように吸い込まれていった。



「あああああああ……」



「どうした!?」



 視覚を奪われた男が仲間の悲鳴にも似た苦しそうな声を聞いて,さらにパニックになった。



「なんだ!? なにが起こった!?」



 鉄パイプが腹を貫通した男はその場で崩れ落ち,滲み出る血を法衣で押さえて止血しようとした。喉を焼かれて声にならない声が漏れたが,状況を説明する手段がなく,喉から息が漏れる音を立てながら鉄パイプを握りしめて横たわった。



「ダメだ! 撤退だ! 俺は眼をやられてる! 頼む! 俺を連れて逃げてくれ!」



 大柄な男が状況を察し二人の前に立ち,聖書を目の前に掲げたが,真弓の位置がわからず蒼白い煙のなかで不規則にチェーンを振り回した。


 勢いよく甲高い音を立てながら回転するチェーンの先が両眼を焼かれ視覚を失った仲間の法衣を破ったが,同時に横たわる悠依の右脚を太ももから斬り落とした。



「うわっ! 攻撃された!? どこから!? 頼む! 頼むから俺を守ってくれ! 眼が! 眼が見えないんだ!」



 真弓に攻撃されて法衣を破かれたと勘違いした男が慌てて壊れた聖書を抱きしめ,攻撃を受けた方向を警戒した。



「くそ! 撤退だ! このままじゃ全滅だ!」



 真弓の姿も魔女の人数も確認することなく,切り裂かれて横たわる悠依を残して男たちが路地に向かって走り出した。大柄な男が腹に鉄パイプが刺さった仲間を担ぎ,両眼を焼かれた仲間の身体にチェーンを巻きつけ誘導した。



「ダメだ! 俺たちとは圧倒的に違う! 力の差がありすぎる! やつらは人を殺し慣れてるんだ! 敵が何人いるのかもわからん!」



 三人はそれぞれのチェーンを絡め合わせるようにして走り続けた。後ろを振り返る余裕もなく,破れた法衣を気にすることなく,逃げることのみを考え必死に走った。



「聞いていない! 魔女にこんな能力があるなんて聞いていない! こんなに強いやつがいるなんて聞いてない! ぶさけるな! ふざけるなよ!」



 チェーンを鳴らしながら走る三人は魔女に追われる恐怖から背後を確認することなくひたすら走り続けた。真弓から離れて行くにしたがい,蒼い炎は小さくなっていった。


 そのころ真弓は人間だったら即死であろう状態の悠依を見下ろし,うねうねと再生しようとする傷口を眺めていた。



「まったく脚まで斬り落とされちゃって。それにしても,なんかエロイね,その傷口。舌挿れたら気持ちよさそうじゃん……。舐めてあげよっか? まぁ,頭を半分割られたけど,死ななかったのはラッキーだよね。さすが我が主人の血って感じ。キモイけど」



 路地の陰から四人の男たちが湧き出すように現れると,不器用そうに悠依の身体と千切れた手脚,そして下顎を拾い上げた。



「これ全部ママのとこに持っていくから。くっつくかどうかはわからないけど,なんとかなるっしょ。だって私たちの主人はあの変態なんですもの」



 鉄パイプが刺さったままの仲間を肩に乗せた大柄な男と,全身にチェーンを巻かれた眼の見えない男はボロボロになった法衣を身にまとい,汚れた革靴を引きずるように壁に手をついてなんとか先を進んだ。


 視力を奪われた男は,親指以外の指を何本か失い自身の聖書も壊された。喉を焼かれ声を奪われた男は腹に鉄パイプを刺したままで,いまにも死にそうになっていて,大柄な男の耳は鼓膜まで灰になっていた。


 多量の出血で意識を失っている男は仲間の肩に担がれたまま,腹に突き刺さる鉄パイプを伝わって血を垂らし,その痕跡が自分たちの居場所を追跡しやすくした。



「くそ……完全に眼球を焼かれた……もう,俺はなにも見ることができない……指もなくなってる……くそ……くそ……聞いてない,こんなの……」



 ようやく教団の車が待つ駐車場にたどり着くと,銀製のチェーンが巻かれた聖書を持った黒法衣の男たちが三人を取り囲んだ。



「助かったのか……? 俺たち……?」



 別の車から感染防護服を着た男たちが飛び出すと,慌てて三人を車に収容した。誰もが予想外の状況に慌てふためき,周囲をろくに確認せずに車を急発進させ,教団の名前がついた大きな病院へと直行した。


 車が病院に到着すると,そのまま救急救命室に三人が運び込まれた。教団に所属する医師と看護師が想像していなった状態で運び込まれた三人を見て驚いていた。


 三人の症状は炎で焼かれたものではなく,明らかに特殊な化学薬品で焼かれた状態で,救急医たちは教科書でしか見たことのない熱傷患者特有の症状を診て困惑した。



「これが現代の魔女……か? これはまるで悪意のある医師か薬剤師の仕業じゃないか……」



 救急救命室の片隅でその様子を見ていた教団の幹部が,三人の症状を見ながら蒼い炎について医師たちに質問をした。



「先生,蒼い炎はどうやったら造り出せますか?」



「蒼い炎? 炎の色は簡単に出せるよ。花火を例にしたらわかりやすいかな? 例えばカリウムやアンモニウムを燃やせば紫から蒼になるし,ガリウムなんて綺麗な蒼だね。少し藍色を出したければインジウムだよ」



 救急医が得意気に答えると,幹部は納得して部屋を後にした。昔から科学者は魔女として扱われることが多く,そのために命を失った者も多かった。



「化学熱傷に鉄パイプによる物理的攻撃か……薬物で幻覚を見せてる可能性もあるな……。これが現代の魔女の正体だとしたら,ただの猟奇的殺人ってことになるのだが,もう一人の両腕と頭部を破壊しても生きていたという者の説明ができない……やはり,オリジナルが関与しているのか……」



 男は難しい表情で病院を後にすると,教団の車に乗り込み夜の街へと消えていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る