月夜の魔女

磨き込まれた革靴に真っ黒な服装の峻とラフな格好の仁が,テーブルを挟んでコーヒーを飲みながら談笑していた。他愛もない雑談のようだが,峻の話を聞きながら仁は満足そうに何度も頷いていた。


 時折り見せる峻の不安気な表情とは裏腹に仁の表情には笑顔も見え,報告に満足しているようだった。



「で,真弓の覚醒は?」



「ほぼ完全に覚醒しています」



「統合は?」



「そちらはまだこれからですね。あの日以来,毎晩,仁様の呪の効果によって古い記憶を呼び起こし,過去の凄惨な悲しい出来事を思い出させています。彼女には随分と濃いサキュバスの遺伝子が感じられますが,品がありません。このままでは性獣に堕ちてしまうかも知れません」



「ああ……それなら俺も右眼このめで現場を見ていたから知っている。まぁ,過去のサキュバスは殆ど教育を受けていないんだよ。教育を受けさせる前に狩られてしまったからね。峻,お前には色々手間を掛けさせてすまないね」



「とんでもございません。私のような者がかかわれて光栄です。それにしても,真弓は満足な覚醒をしていなのに既に喪屍ゾンビを産み出しています。本人は自覚のないまま従者を従えているようですが,これは驚くほどの能力です」



 仁はコーヒーを口にすると嬉しそうな表情をした。峻はその表情に戸惑い,仁の言葉を待ったが仁は敢えて焦らすようにテーブルの上のコーヒーカップを軽く持ち上げてみせ,峻の反応を楽しんだ。



「峻,いまどきの人間は喪屍ゾンビとは呼ばないそうだ」



「え……?」



「いまどきはアンデッドとかリビングデッドって言うらしいぞ。ふふ,時代とともに呼び名も変わるらしい。なんとも面白い。そもそも人間たちの言語も随分と変化しているがな」



 嬉しそうにコーヒーを口にしながら,店の片隅で小さくなって震えている悠依を見た。



「あの子の覚醒もしてやらないとな。しっかり教育を受けさせてやって教養をつけてやらないと。教養のない主人の従者は,ただの乱暴な獣にしかならないからね」



 峻は黙ったまま頷いたが,悠依の怯える姿を見ながら大きなため息を吐いた。



「峻,六百年前あとのき,俺はなにもできなかった。この子たちのためにも,今度はしっかりと教養をつけさせてやらないといけないって,ちょっとだけ思ってる。知識があれば危険を回避することもできるかも知れないし。まぁ,教えるのは俺じゃなくてもいいし」



 百五十年ほど前に仁に生きる選択肢を与えられた峻にとっては知らないことばかりで,話を理解するのに必死だった。仁はカップを手に持ちコーヒーの表面を揺らしてから峻をまっすぐ見た。



「まぁ,不快な話だが,お前にももう一度話しておこうか。世の中では……いや古くからある宗教団体では,口にするのを禁じられた昔話だ。俺自身の話でもあり,こらから始まるすべての元凶でもある」



 コーヒーを一口飲むと,大きなため息をついた。目を瞑り過去を思い出しながら遠くを見て,ゆっくりと言葉を選びながら話し始めた。



「もう六百年も前の話だよ。あの頃,政治はすべて宗教を意味していた。いくつかある宗派のなかで,特定の教団が我々を使って表では魔術を悪として人民の不安を煽り信者を増やした。裏では我々に危害を加えないという契約のもとで人では味わうことのできない快楽を提供した。だが教団を信じた我々が愚かだった。我々は完全に利用され,裏切られ,家族や仲間を犯され殺されたんだ」



 仁は一息つくと,再び目を閉じた。信じていた人間は当たり前のように自分たちを裏切り,残忍な行為は当然のようにエスカレートしていった。人のために使った医術であれ,教団はすべてを悪とみなし,男たちは虫を潰すように殺され,女たちは散々犯され恥辱を与えられてから無惨に殺された。


 当時,多くの罪のない人間を巻き添いにして行われた大惨殺も,人の目につく記録ではローマ教皇が主導したと伝えられたが,それもまた事実ではなく,当時の教団を取り仕切る権力者たちによって都合よく捏造されたものだった。



「当時は誰であれ,魔術を使う者は皆悪魔と呼ばれ,悪者として扱われた。唯一教団が許したのが白魔術師という名の,彼らの性欲を満たすことを目的とした精神を破壊され道具にされたサキュバスくらいだった」



 峻は黙ったまま仁の言葉を聞き逃すまいと,仁の口元に集中した。そんな峻の真面目さに仁は微笑んで応えた。



「色んなことを言う人間がいたが,あれは魔女裁判,魔女狩りと呼ばれた人種差別的な大虐殺だった。魔女狩りが非人道的,非科学的と認められても,人間は常に人種や宗教を理由に小さな争いや大きな戦争を繰り返した」



 仁の表情から一切の感情が消え,普段魅せることのない人ではない魔術師の雰囲気オーラで店内を埋め尽くした。



「不思議なことにある程度術を極めた者は長寿が多くてね。まぁ,俺はオリジンに生かされ,こうやって人間社会に紛れて生き延びてきた。そして俺自身がオリジンから与えられた条件の下,死を間際にして生きたいと望んだ人間や魔術師に選択肢を与えてきた」



 仁の言葉に反応するように峻が嬉しそうに仁を見た。峻自分が流行病で生死の境目を彷徨っていたとき,仁が現れ,腐り落ちた腕や脚に触れてくれた。そのとき人間として死ぬか,人間を捨てて生きるかの選択を与えてくれたことを思い出していた。



「私はあのとき,まだ十五歳でした。自分がオリジナルなのかミックスなのかも知らず,幼い頃から奇病で身体が腐り始め,母家から離れた小屋で死を迎えるのをなにもできないまま待っていました。ある日,黒法衣の団体がやってきて,私を地下牢に閉じ込めました」



「懐かしいな」



「そこに仁様が現れ,腐敗し無くなった腕や脚まで復活していただき,いまこうして一緒にコーヒーなんてものを楽しんでいます」



「そうだな。コーヒーは美味いよな」



「はい。最高です」



「でもな,俺はお前を再生していない。あのとき俺は教団に忍び込み,俺の記録とあいつらの聖書を焼き払ってやろうとしてたんだ。そこでお前を見つけ,生を与えた。教団のガキの身体にオリジナルであるお前の心臓を移し替えてな」



「オリジナル……純血ってことですよね……当時の私にその自覚はまったくありませんが……」



「だろうな。お前の家系は閉鎖的なよそ者を嫌う村の出だ。お前の両親ですら,自分たちがオリジナルだったとは知らないかもな。俺のとこも似たようなもんだ。そしていま,お前がいつも靴の手入れを怠らないのは,その身体の持ち主に染み付いた癖だろう」



「かも知れません」



「身体は教団のガキだけど,心臓はお前のものだ。だから心臓はオリジナルってわけだ」



店の奥から初老の店主がポットを持って現れると,話し込む二人のカップにコーヒーを注ぎ足した。



「仁様,峻様,あまりお辛い過去をお話になられていると,彼女が耐えられなくなりますよ。仁様の雰囲気オーラに魅せられ,かなり苦しんでらっしゃいますので」



 仁と峻が店に現れてからもう何時間も悠依が身を小さくしてカウンターの隅で震えていた。その表情は恐怖に怯え,僅かな音ですら,きつく目を瞑り,耳を押さえて隠れようと隅へ隅へと身体を小さくした。



「悠依は産まれた瞬間から,施設で育ち,虐待を受け,その美しい目鼻立ちが理由で大人たちの性対象として酷い目に遭わされてきた。いまは強制的に過去の悲惨な記憶が蘇っているんだ。俺のせいでな。おかげで人間を憎み,許さないという気持ちが誰よりも強くなっている。いつ覚醒しても不思議ではない」



「真弓のときと同様に仁様の呪を送り込んで,過去の忌まわしき記憶を遺伝子から呼び起こすんですね」



「ああ,そうだな。真弓にやったときと同じだ。望まぬ絶頂とそれに伴う苦痛と屈辱,憎しみと怒りしかない相手から受ける恥辱。我々が嫌というほど人間に味合わされた地獄の苦しみから生まれる復讐心。ミックスの遺伝子に残された過去の残酷な記憶と,インキュバスの血が眠れるサキュバスを蘇らせる」



 怯える悠依が仁を見つめながら,少しでも隠れようと身を屈めた。仁は悠依を見ながら,自分の指先を軽く噛み血を滲ませた。



「こっちにおいで,悠依。楽にしてあげるよ」



 優しい声だが拒否できない力に従い,震える脚を引き摺るように黙って仁の元へ行くと,すぐ横に立って黙って仁の言葉を待った。



「可哀想に。これまで酷い人生だったな。お前のなかに眠るもう一人の人格,ずっとずっと強い人格を甦らせてやるから,こっちにおいで。この指をしゃぶってごらん」



 悠依は黙って跪き,目の前に差し出された仁の指を両手で包み込むようにしてゆっくりと指先を口に挿れた。微かに血の味がする指先を口の中で丁寧に舐め,震える両手で仁の手をしっかりと握った。



「俺の血を受け入れたお前は,これから毎晩,絶頂と苦しみを繰り返す。そして遺伝子に眠るサキュバスの記憶が過去の人格を呼び起こす。その人格は悠依,誰のものでもなくお前自身だ。魔女狩りで命を奪われた忌わしい記憶が完全に甦り,人格が一つに統合されたとき,お前は完全に甦える。しばらく辛い夜が続くけど頑張るんだよ」



 なにも聞こえていないかのように泣きながら必死に指をしゃぶる悠依を見ながら,仁は悲しそうに微笑んでから峻に視線を送った。



「峻。真弓はもういい。いまからお前は悠依といろ。おそらく悠依の覚醒は早い。そしてこいつは想像を絶するほど残忍だ。覚醒するまで語りかけるんだ」



 峻は何も言わずに頷くと,静かにテーブルから離れた。いつの間にか店内には泣きながら仁にすがり付く悠依と,黙ったまま好きにさせる仁だけになっていた。



「悠依。お前には月夜の魔女してその能力を与えよう。真弓に与えた闇夜の魔女の能力とは種類が違うが,その能力はほぼ同等だよ。お前が成長し,俺を殺せるほどの能力を身に付けたらさらに上位の赫月の魔女にしてやろう」



 悠依は誰もいなくなった喫茶店の床に横たわり,身体を押し潰すような澱んだ空気のなかで,酷く蒸し暑い夜を過ごした。意識はあるが,自分に起こっていることが現実なのか夢なのか判断がつかず,身体を動かそうとしても自由が奪われたかのように身動きが取れなかった。


 どれくらいの時間が経っているのかわからず,何度も意識を失い,悪夢にうなされては目を覚ました。冷たい床に頬をつけ,真っ暗な店内に,一人でいることを確認してから再び目を閉じた。


 深こくを迎えると,あかい月明かりが店内を照らした。月明かりはやけに冷たく,視界を血で染めているようで酷く不快だった。


 じっとりとした脂汗が床を濡らし,痙攣する身体が椅子を蹴って倒した。息ができず苦しくなり身体を動かそうとしたが,声にならない叫び声が店内に響き渡り,もがき苦しんであちこちに頭を打ちつけた。


 時計の針が深夜二時を過ぎると,ようやく苦しみから解放され始めたが,浅い呼吸が続き,少しでも身体を動かすと呼吸ができず苦しくなった。視界には磨き込まれた革靴がぼんやりと見え,その靴がやけに高級そうだと思いながら再び目を閉じた。



「可哀想に。これからもしばらくの間,この地獄の苦しみのなかで魔女狩りにあった時の記憶が何度も魅る。そうして人間への復讐心が限界に達したとき,六百年前の自分と一つになる。一つに統合されたときに初めてサキュバスとして復活するんだよ」



 悠依は放心状態で焦点が合わないまま,口から泡を吹いて天井を見上げていた。遠くで聴こえる男の声がやけに不快で,耳を塞ぎたくなった。


 真っ赫な月明かりが店内を照らすと,業火が全身を包み込み,ゆっくりと肌が泡立ち血管が破裂して皮膚が破裂していく自分の姿が天井に映し出され,黒法衣の男たちが焼かれていく悠依を観ながら絶叫とともに歓声をあげていた。次の瞬間,場面が代わり朱色に溶けた鉄の棒が悠依の脇腹から肩の下まで貫通し,肉が焼け肌が焦げた。



『殺せ! 殺せ! 魔女を殺せ!』



 狂気に支配された人間たちの歓声が耳の奥で響き渡り,広場の中央で焼かれ,首を吊られ,串刺しになっていく自分の姿が何度も天井に映し出されては消えた。



『私は許さない……絶対に許さない……すべての人間に復讐する……皆殺しにする……』



 耳元でコツコツと床を鳴らす革靴の音が響いていた。音には冷たさがあり,随分と昔に聞いたことのあるように思えた。



「そうだ,お前を殺した人間どもを皆殺しにしろ。お前を犯し,何度も殴り,何度も何度も恥辱した教団のやつらを皆殺しにするんだ」



『許さない! 許さない! 許さない!』



「そうだ,それでいい。お前に恐怖と苦しみを与えた教団の連中を皆殺しにするんだ」



 幼い頃から大人たちに女は犯されて喜びを感じるんだと,洗脳のように言われ続けてきた悠依のなかで初めて自分を犯した男たちを皆殺しにしたいと思い,同時にこれまで散々犯され続けてきたことへの絶望と怒りが心の奥底で渦巻いた。


 悠依自身が心の奥底に眠らせ閉じ込めてきた幼い頃から犯され続けていた記憶が一気に蘇り,走馬灯のように目の前で犯されている自分の姿が映し出された。その光景を見て,大粒の涙が溢れ,頭が割れるように痛み,全身が硬直した。


 店の片隅で様子を伺いながら悠依の耳元で囁き続けていた峻が一瞬で死を覚悟するほどの狂気を感じた瞬間,床の上で横になり身動きの取れない悠依と目があった。



「「だ……誰……お前は,誰だ……?」」


 暗い部屋のなかでも明らかにわかる敵意に満ちた視線に峻が一瞬躊躇したが,感情の変化を悟られないように悠依に一歩近づき片膝をついた。そのままゆっくりと頭を下げてから,悠依を直視しないように注意して話し始めた。



「私は仁様の従者です。あなたの様子を見ているよう,主人から言われております」



 峻を見て長い手脚で床を這いずり回るように身体の向きを変えると,攻撃的な視線を外すことなく椅子の脚を使って上半身を無理矢理起こした。



「「仁……? 仁などという名前は知らん」」



「ほう……? 仁様を知らない?」



「「お……お前は誰だ!?」」



 悠依の表情がまるで別人のように変化していた。山羊のような瞳の変化からも覚醒していることがわかったが,同時にすでに人格が統合し始めていることに驚いた。悠依の言葉と態度から,過去の記憶が曖昧で,いま自身になにが起こっているのか把握できていなのがわかった。


 真弓は最初から仁を認識していたのに対し,悠依は自分の状況すらわかっていない様子に峻はどう対応すべきか,判断を間違えたらすべてが終わることを考えながら言葉を探した。



「「お前は誰だと聞いている」」



「私は偉大なる主人,古のインキュバスの従者だ。主人は松本仁と名乗り,人間たちへの復讐のためにサキュバスを甦らせているオリジナルな。あなたはそのうちの一人であり,ミックスであるその遺伝子から甦らせたサキュバスです」



 悠依の瞳の色がくるくると変わり,峻を見ながら何かを考えているのが伝わってきた。二人の間の空気は恐ろしく冷たく,外の蒸し暑さが嘘のようだった。



「「人間たちへの復讐? あの忌わしい魔女狩りという名の大虐殺を楽しんだ人間たちへの復讐だと?」」



「はい。そのために仁様があなたと真弓という二人のサキュバスを覚醒したところです」



 真っ白な長い脚が目の前で蛇のように動き,細長い指が床の上で爪を立てた。艶のある黒髪が床に垂れ,薄い唇が微かに震えた。



「「人間に復讐できるのか?」」



「はい。あなたの完全な覚醒後,人間である悠依との人格統合が済みましたら,仁様の元へ連れて行きます。復讐はそれからです」



 脚を絡ませるようにしながら,椅子に体重を預けて,辺りを見廻すようにしてゆっくりと立ち上がった。山羊のような瞳から一切の色がなくなり,大きく見開いた眼はどこまでも深い闇のように見えた。



「「統合はいらぬ。こいつもまた人間への復讐を望んでいる。我々は二人で一人だ。このままでよい。たった今,悠依から仁というおっさんについても聞いた。悠依もこの状態を望んでいる」」

 


 漆黒の長い髪をかきわけると,すべてを飲み込こんでしまいそうな妖艶な瞳で峻を見ながら艶かしく笑った。



「おっさんって……」



「「さて,行こうか。お前の主人の元へ」」



「え……?」



「「するんだろ? 人間どもへの復讐を。あいつらを皆殺しに」」



 仁とはまた違う威圧感に押し潰されそうになれながら悠依の瞳を見て,この先自分がすべきことを理解した。



「そうですね……行きましょうか……」



 勢いよく立ち上がった悠依は,そのままの勢いで後ろに倒れ,激しく頭部を床に打ちつけた。



「「おい! 身体が言うことをきかない。なんとかしろ!」」



 能力ちからはあるが受動的な真弓に対し,能動的な悠依の威圧感は圧倒的で,溢れ出す攻撃的な空気こそがオリジナルである仁の血を吸ったサキュバスのもであると実感した。峻であっても,気を許せば一瞬で消滅させられると感じて緊張し,自然と悠依に背中を見せるのを嫌った。


 目の前で倒れている悠依を見て,仁から別々の能力を与えられたと聞いていたが,二人がこれほどまでに違うとは想像しておらず,これから真弓と悠依が大人しく仁に従うのか不安になった。



「まいったな……おっさんとか言っちゃうし……」



 二人の共通点といえば,性的虐待を受けていたことと,魔女の遺伝子をどの人間よりも濃く引き継いでいたこと,そして仁の書き込みの最後の一文を読めることだった。そこにオリジナルの仁の血を与えられ,六百年ぶりに記憶が現生に甦ったことだった。



「では,行きましょうか」



 悠依に肩を貸し,補助をするように喫茶店から出ると,蒸し暑い空に真っ赫な月が地球を飲み込むかのように大きく,そして眩しく輝いていた。



「「懐かしい……酷く残酷な,燃えるような災いの月だ。こんな赫い月の夜は災いしか起こらない。嫌な記憶ばかりが蘇る」」



 悠依は峻の肩に捕まって立ち止まり,しばらく月を見上げた。その瞳には何も映ってはいなかったが,一瞬悲しげな表情をした。



「「なんとも美しく,すべてを破壊したいほど忌々しい」」



 悠依は大きく息を吐いてから長い黒髪をかきあげ,白いうなじに月の光を当てた。透き通る肌の白さが増すと,フェロモンが溢れ出した。



「「その仁というインキュバスについては,なにも知らん。なにも覚えていないと言ったほうが正しいのかも知れんが,その男は本当に復讐をする気はあるんだな? 悠依も変態ってことしか知らんようだし」」



「はい……なんか,すみません……」



「「では,サキュバスを甦らせる能力があるのに,なぜ六百年いままでなにもしなかったんだ?」」



「それは……仁様から直接お聞きください。仁様といえど,そう簡単に動けない理由がありますので」



 悠依はなにかを考える素振りをしてから,勝手に納得したように何度も頷き峻を見た。その瞳には妖艶な魅了チャームが宿り,人間であれば惑わされ気付かぬまま命を失っていても不思議ではなかった。



「「ほら,さっさと案内しろ」」



 峻は目の前の横柄な態度の悠依を見ながら,ほんの少し前まで喫茶店で怯えていた姿を思い出して微笑んだ。真っ赫に燃えるような月明かりに照らされた悠依の姿を見ると,まるで夜を支配しているかのように思えた。



「ふっ……なるほど,月夜の魔女か……赫月ほどの能力はないが,その淡いところは確かに儚く美しい」



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