第一章 猫の呪い②
それから二日後、シンシアは
出発前に朝の祈りを終わらせて教会を出ると、門の前にルーカスが立っていた。見送りに来てくれたようだ。
「魔物の討伐に参加すると聞きました。どうかくれぐれも気をつけて」
「ありがとう。ルーカスが
シンシアは
ルーカスは神官ではあるがもともと武官を多く
しょんぼりとしていると、ルーカスが頭を
「私はヨハル様から他の仕事を言いつかっています。一緒に行けなくてすみません」
「ううん、謝らないで。最近、仕事量が増えてるみたいだけど
仕事をそつなくこなすルーカスは周りから一目置かれていて、ヨハルから重要な仕事を頼まれやすい。そのせいで仕事量は明らかに増えている。
「もともと
「これくらいって。ルーカスは史上最年少で
「いいえ。父からすれば私は兄弟の中で最も剣才のないお荷物です。教会に入れられて史上最年少で
小さく息を吐くルーカスは
「シンシアは
ルーカスはそこまで言うとはぐらかすように
「すみません。自分らしくないことを言ってしまいました」
彼の意外な一面を知ってシンシアは
(弱音なんて
心の中で彼の心が晴れるように
「そんな顔しないで。私なら大丈夫です。多分
弱音を吐いてしまったのは寝不足だと本人が言っているのでそうなのだろう。
いつもの
「お願いだから無理しすぎないでね。──行ってきます」
別れの
待ち合わせ場所は馬を引く
「あなたが
シンシャとはシンシアが
シンシアは隊長へ
「この
「シンシャ殿には救護所で治癒に当たっていただきたい。
「分かりました。できれば負傷者以外に戦える騎士も何人か配置して欲しいです。私は
戦場では何が起きるか分からない。念には念を入れておく必要がある。しかし、隊長はシンシアの心配をよそに
「心配いりませんぞ。救護所は危険地帯から
「そ、そうですか。でも一応保険というものがあっても……」
「はははっ。シンシャ殿は
隊長だけでなく団員たちも「必ず前線で食い止めるから大丈夫です!」と言ってくるのでよほど腕っぷしに自信があるのだろう。不安ではあるものの、彼らの筋骨
(そうよね。だって、帝国騎士団の
シンシアは
「そうですね。疑ってしまってすみません。私は
──後にとんでもない目に
(……一体これはどういうこと?)
シンシアは両手に持っていた
重傷者に治癒の魔法を
ネズミのような見た目をしていて、額には魔物特有の赤色の
小さな魔物一匹たりとも近づけないと胸を張って宣言したあの隊長を思い出しながら、シンシアは目の前の魔物を
二メートルはくだらないこの
(隊長の
相手からびりびりと感じる魔力から上級の魔物であることは間違いない。上級となると、瘴気を持つものも出てくる。
魔物が瘴気を持っている場合は魔物近くの空気が
不幸中の幸いか、この魔物は瘴気を持ってはいなかった。とはいっても
(一応主流魔法も習っているから
あれも不意打ちをくらうと痛い。だがそんなレベルの攻撃で上級の魔物を倒せるわけがない。それでもシンシアには負傷者を守る義務がある。
(──私は聖女だから)
少しでも時間を
「ここにいる人たちには指一本
結界を
「ククク、それはどうかな。こんな結界など
やはりといったところだろうか。見た目同様に思考はネズミのようだ。ただし上級ともなればその前歯の攻撃力は
(お願い、早く。早く応援に来て!!)
必死に心の中で祈る。
背負っている命の重みを感じ、もしも自分がここで力尽きてしまったらと思うと、胸が潰れそうになる。
悪い考えを消し去るように頭を
(ここにいる人たちは助けたい。いいえ、絶対に助けるの!)
強い意志とは裏腹に聖力は
もうここまでかもしれない、と心の中で弱音を
祈りに
雨脚はさらに激しさを増して辺りに
雨水をたっぷり吸収していた体毛のお
「わ、私の祈りが通じたの?」
ぽかんと口を開けていたのも
「やったああ! 魔物を倒したわ!!」
しかしそれが
するとネズミの魔物は真っ黒な球──魔力の
当たった部分から
「うっ……」
身体の節々が痛み、骨が
「な、にをしたの?」
「ククク、おまえに
呪いは魔物が得意とする魔法の一つだ。ネズミの魔物は報復できて
「──せいぜい苦しんで死ね」
不気味な言葉を吐き捨てると、消えかかっている
動けないシンシアはもろに風を受け、風圧に
地面に叩き付けられる前に結界をクッション代わりにすれば助かるが、シンシアにはもう聖力が残っていない。
(私、呪いの前にこのまま地面に叩き付けられて死んじゃうのかな……なんとかしないと。でも、もう
心の中でぽつりと
次に目が覚めると、開けた川のほとりに倒れていた。雨はすっかり
(生きて、る?)
(上級の魔物が救護所に出たってことはきっとネメトンの境界にいる討伐部隊は
シンシアは
「なっ、何これ?」
獣の足と、その間には尻尾が垂れている。
異様な光景を
「本当に呪いで姿が変わってしまっている!! ……どうしよう!?」
ふと、近くに水たまりがあることに気づいたシンシアは
(私、どんな生き物に変えられたんだろう。あの気持ちの悪い魔物の上をいく
三角の耳とくりくりとしたつり目がちな
「……って、どこからどう見ても
あの魔物はネズミみたいな姿をしていた。恐らく猫科動物が悍ましい存在なのだろう。不思議なことに自然の
「もっと気持ち悪い生き物に変えられたと思ってたけど。猫……猫かあ」
悍ましい生き物に変えられなくて良かったと安心する反面、猫になってしまったことに
ふわふわの金茶の毛並みにピンクの鼻。くりくりとした若草色の瞳。手足は白くて
「よく見たらそんじょそこらの猫と
それに額には模様と交じって少し分かりにくいが呪いを受けた時にできる花びらのような
シンシアは解呪の魔法が使えない。
怪我を治す
これが得意なのは神官のルーカスとヨハルの二人だ。どちらかに会うことができれば元の姿に戻ることができる。二人とも小言がオプションで付いてきそうだが自分の失態なので甘んじて受け入れるつもりだ。
「問題は呪いを解いてもらうまでの間ね。猫だけど
辺りをきょろきょろと見回していると誰かが倒れている。目を
「大変! 頭から血がっ! 一刻も早く助けないと!!」
倒れている人物に
どうやら呪いはティルナ語まで
シンシアが聖力を込めて精霊魔法を唱えると男の身体が徐々に淡い光に包み込まれた。頭の傷はみるみるうちに
その光景にシンシアは一安心した。
「無事に助けられて良かった。ティルナ語も使えるし聖力も健在みたい。これなら私が担当している結界が消えることもなさそうね」
アルボス
手下の魔物たちは魔王が復活することを
結界が無事であることに胸を
どこかで見たことがある顔だった。
さらさらとした
(この人は誰だろう? 身なりもいいし、
シンシアとて美しいものは好きだ。これほどの美形を忘れるはずがない。
では彼は一体誰なのだろうか。
「……っ!!」
「ちょ、ちょっと待って。こっ、この人って……皇帝陛下じゃないの!!」
見たことがあるなんてものではない。彼は三年前の
(あの時はトマトジュースの演出もあって血みどろ
後に聞いた話だが、彼は『
その由来は三年前の先帝が
シンシアは国で
戴冠式でその貴族とシンシアは
以前のことを思い出し、ぶるりと
今回は絶対に
(でも、あれ? 私って今……陛下の上に乗ってるわよね?)
これは完全に不敬ものだ。バレたら処刑されてもおかしくない。
「ひぃっ! 一刻も早く降りなくちゃ!!」
シンシアは起こさないように
頭を動かせば、
イザークは眉間を
やがて、シンシアに視線を落とすと口を開いた。
「……おまえが俺を救ったのか?」
恐ろしい顔で
(はい、そうです。だから私が陛下の上に乗ったことはどうかお
淡い期待を胸に
するとイザークの目がカッと見開かれた。眉間に皺を寄せ、それはもう
「なんだ? うななん、にゃにゃーんだと!?」
不興を買ってしまったのか、想像以上に低い声で尋ねられたシンシアは心の中で悲鳴を上げる。イザークに動物の可愛さは通用しないらしい。
(
猫になってしまった以上、シンシアに
せめて処刑されるなら人間の姿が良かったと泣き言を心の中で漏らす。
(猫のまま死んだら
目つきだけで人を殺せるくらい
「嗚呼、俺はどうして猫に
眉間に皺を寄せる彼は、気に入らないことがあればすぐに相手を処刑するような印象があった。だが今は
「はあ、猫に触れられる日が来るなんて。──幸せだ!」
戴冠式での第一印象とあまりにかけ
(猫アレルギーが出ないのは私がもともと人間だからなんだろうけど……良かったですね)
「ということはつまりだ、本当に猫の肉球がぷにっとしているのか
(ええ、ええ。良かったですね。私もそれくらいで頭と胴体が繋がるのであれば肉球を差し出します。存分にぷにってください)
「そしてもふもふもできる」
(ええ、ええ。いくらでも触ってくださって結構ですよ)
「さらに悲願の猫吸いができるというわけだ!」
(ええ、ええ。いくらでも猫吸いをしてくだ……はいぃっ?)
ここでの顔面凶器は二つの意味を持つ。
(美形の怖い顔に
シンシアは否定を込めて必死に首を横に振るがイザークは気にしていない。
「今まで猫に近づくことすらできなかったんだ。連れ帰って存分にもふもふするぞ!」
高らかに宣言するイザークはシンシアを空高く掲げたまま、ご
「陛下」
すると数人の騎士と文官の
「キーリ」
イザークはシンシアをしっかりと胸の辺りで
(あ、この人は陛下の側近で
彼はこれまで貴族たちの
「突然救護所近くに用があると言って
キーリの言うとおり、どうして雷帝と恐れられる人が川辺で
「心配をかけてすまなかった。それについては後で説明する。ネメトン付近はどんな
「少し前に
キーリが
「そうか。それなら良かった。俺は火急の用件で宮殿へ帰るが、今回の
「かしこまりました。すぐに手配します」
キーリが
こちらに
「ところで
「何故かこの猫は大丈夫だ。だから俺の猫にする」
「さては早く帰りたいのはその猫が理由ですね? はあ、必死になって
わざとらしく
「早く帰った方がキーリも
「それもそうですね。仕事は
話を聞いていたシンシアは討伐部隊や結界の状況が分かって肩の荷が下りた気がした。
しかし宮殿へ連れて帰られるのは困る。ネメトンの結界が何故
(一応この国には
シンシアは解放してもらうためにも、あなたとはここでお別れです、という意味を込めてイザークの
それに反応したイザークがシンシアを見る。
「どうした? 不安なのか? 大丈夫だ、俺と
『結構です!!』
うっかり声を上げてしまったシンシアは頭の中が真っ白になった。
(猫がいきなり人間の言葉を話すなんてあり得ないから、魔物と疑われるかもしれない。もしかして私、やらかした!?)
身を竦ませて恐る恐るイザークの顔を見ると、彼は満面の笑みを
「おお、そうか! おまえも俺と一緒に行くのが嬉しいんだな」
どうやらティルナ語は話せるが人間の言葉は話せないようだ。
ほっとしたのも
『いや、
「鳴くな鳴くな。帰ったらすぐにおまえの部屋を用意させよう」
「陛下、その猫嫌がってません?」
(その通りです。キーリ様のお力で雷帝から私を解放してください!)
シンシアが
「ははは。気のせいだキーリ。思い違いも休み休み言うんだな。さあ転移させてくれ」
『気のせいでも思い違いでも何でもない。事実です。お願いだから解放してええ!』
そんな悲痛な
人権というものがなくなってしまったシンシアは
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