終末は娘と共に。

テケリ・リ

終末は娘と共に。


『人間が戻ってきた』



 そんな不吉な噂がまことしやかに囁かれ、仲間達の多くは怯え、またあの惨めな生活に戻るのかと嘆いていた。


 ……俺の名はシゲル。日本の某動物園で飼育されていた、しがないニシローランドゴリラのオスだ。


 世界を謎のウィルスが襲ってより数日。俺も感染したということは、飼育員達の言葉を理解できた時に知った。そして爆発感染パンデミックは避けられずに、世界から人類のおよそ九割もの数が失われた。


 俺の専属飼育員の人間のメスの言葉を思い出す。



『シゲルさん、あなたは生きて。故郷に帰してあげれなくてごめんね……』



 そう言って彼女は、檻の鍵を開け放って姿を消し、二度と戻らなかった。


 俺に名を与えてくれた彼女の言葉通り、俺は檻から出て行動を開始した。

 俺と同じく感染した同胞の霊長類を檻から出し、他の獣達も感染していない奴らは野に放った。


 俺自身の〝欲〟を自覚したのは、この時だ。

 同胞であるゴールデンライオンタマリンのマツコの説明によれば、ウィルスに感染した俺達霊長類は、個体差こそあれど皆知能や身体能力が上がり、そしてそれまでに無かった〝欲〟を得るのだという。


 俺の〝欲〟は……【庇護欲】だった。


 己よりか弱い存在を放っておけなくなり、保護したくなるという〝欲〟。

 思えば同胞や獣達を助け、少なくない仲間を寄せ集めて群れを成しているのも、その【庇護欲】のせいなのだろう。


 それから、五年。



「……ウホウホお前はウホウホホウホ何故ここに居る?」



 そしてそんな俺の眼前には、何故かは知らないがが一人、倒れていた。

 日本人らしい黒い頭髪を伸ばした、恐らくはメスの子供。成長したニホンザルほどの大きさのその子供は……動物園に来ていた子供達の姿からすると随分薄汚く、痩せ細っていた。


 今や俺の縄張りとなっている動物園の見回りをしていた矢先に、この子を見付けてしまった。

 なるほど人間が戻ってきたという噂は、どうやら真実らしい。



ウホホウホ面倒な……」



 人間にとって俺達はどの程度脅威に思われているかも分からない現状で、正直厄介事なんて御免だった。


 だが、しかし。



ウホウホ細いなウホホウホホホちょっと力を入れウッホホウホホホゥたら折れてしまいそうだ



 俺の〝欲〟である【庇護欲】が疼き、溜息を吐きながらも俺はその子供を抱えて、園の奥へと引き返していった。





ウホッおいっ! ウホホ、ウホッホマツコ、居るか!?」


 動物園の飼育員や獣医達の詰所の廊下で、同胞の名を呼ぶ。マツコとはゴールデンライオンタマリンという小型の猿のメスで、俺と同じくウィルスに感染し、同じように〝欲〟を獲得した仲間だ。



ウキャッキャッうるさいわね! ウキキィウキャッどうしたのよ!?」



 廊下の奥の事務室だった部屋から、マツコの声が返ってきた。


 彼女の得た〝欲〟は【知識欲】だ。


 知能が非常に高く、〝知りたい〟と思ったらテコでも譲らずに質問攻めにするようなお喋りな奴だが、俺達の群れの頭脳として大変貴重な、仲間の一匹だ。


 俺は声のした部屋へと、人間の子供を抱えたまま入っていく。



ウキキャッあんた……!? ウキャキャーキキ一体どうしたのウキッキィその子は!?」



 振り返った黄金色の毛玉が、驚きの声を上げる。俺の手のひらほどの大きさのこのフサフサとした毛玉が、俺達の頭脳であるマツコだ。



ウホホウウホッホ園の入口から少しウホホッホウホホ入った所で倒れていたウホウホウホホホ具合を診れるか?」


ウキッキィウキィ人間の子なんて厄介な……。ウキキキィまあいいわウキャキャウキャッキャそこの机に寝かしなさい



 今日も街の店や民家から収集した、人間達が情報を書き留めている〝本〟を読んでいたマツコが、呆れたような目付きで空いている机へ誘導する。

 俺は未だに目を覚まさない人間の子を横たわらせ、壁際に下がりマツコに診てもらう。



ウキィうーん……。ウキキ多分ウキャッキャウキキ疲労と空腹ね


ウホゥそうかウホッホウホホ何か必要なウホホホ物はあるか?」


ウキキキウキャとりあえずはウキキィウキウキ飲み物と食べ物ねウキッあっウキャキャウキキキ人間用のよ?」


「……ウホウホ分かった


ウキキッああウキキャキャそれと服もウキキウキャこれじゃあウキャウキキウキいくらなんでもウキャウキキキ薄着すぎるわ



 毛皮の代わりの人間の着物か。人間の食べ物もとなると、街に出る必要があるな。

 ニホンザルのトメコを連れていくとしよう。あいつの〝欲〟は【収集欲】だから、物探しにもきっと役に立つだろう。



ウホウホゥそれじゃあウホッウホウホ探してくるウホホ一応ウホホゥこの子のウホホホことはウッホウッホウホホ伏せておいてくれ


ウッキキィー分かったわ



 俺はマツコに子供を託し、縄張りの動物園から近くの街へと繰り出したのだった。





 園に戻れたのは、ちょうど日が暮れようとしている時分だった。

 ニホンザルのトメコがあれもこれもと物を漁ってきたせいで荷物が膨れ上がり、人間が使っていたリヤカーを引いて帰ったせいだ。


 ……まあそのおかげで、当面はあの子供に不便をさせないほどの物資を集められたのだから、文句は言えまい。

 トメコは事情を話したらとても協力的だったし、そもそもが厄介事に巻き込んだ以上はしっかりと礼を述べるべきだ。



ウホホホウホッすまんなトメコウホウホおかげでウホッホホウ助かった


ウキキキィいいのよォ♡ ウキッキキキィまたいつでもウキャッキャッ声掛けてねん♡」



 しかし解せない。トメコは確かメスに付ける名前だったはず。なのにのこいつはトメコと名乗り、猫撫で声で俺に擦り寄ってくる。


 正直なところ、用が無ければ離れていてもらいたい。


 俺は早々にトメコと別れ……ようとしたのだが、ついて行くと聞かないので、仕方なく一緒にマツコの待つ事務室へと移動したのだった。



ウホッホホゥ戻ったぞウホウホ変わりウホウホッはないか?」


ウキャッキャおかえりウキキウちょうどキャウいいキャウキウところにキキィウキッ来たわねウキキィキもうすぐウキャッ目覚めウキキそうよ



 俺達を出迎えたマツコの声により、パンデミック以降初となる、人間との邂逅が近いことを知る。

 俺は念のためマツコとトメコを後ろに下がらせ、ベッド代わりにしている机の横に立って、子供を見下ろした。



ウホホ起きろ



 そう言って細い肩を指先で揺する。子供はむず痒そうに顔をしかめると、しばし身動みじろぎしそして。



「う……ん……」


ウホッホゥ起きたなウホウホホ何故お前はウッホウホここに来た?」


ウキキィウキャッちょっとシゲルウキャキャ私達の言ウキキ葉で話ウキャッしてもウキキィ伝わらキキィウキッないわよ



 む……。そういえば人間と俺達は言語が異なるのを失念していた。文字ならば知能訓練で使われていた玩具があるが、それをトメコに持ってこさせるか……?


 マツコの指摘で俺は頭を悩ませることになったのだが、しかし意外な声がその思考を中断させた。



「シゲル……さん?」



 それは、久しく聞いていなかった人間の言葉だった。

 声に振り向いて視線を合わせた先に居たのは、俺が拾ってきた人間の子供。



ウホホまさか……ウホウホホウ俺達の言葉ウッホホウホホが分かるのか?」



 驚きのあまりつい口をいて出た言葉に、子供は一拍置いてから顔を笑みの形にして、コクリと頷いた。



「シゲルさん……だよね? だよね?」


「!!??」


ウキャッキャ嘘でしょ……!?」


ウキウキウッキャアッ信じられないわァん!?」



 あまりの衝撃的な言葉に、開いた口が塞がらない。しかし俺よりも興奮しているマツコとトメコのおかげか、幾分かは冷静さを取り戻した俺は、この子の言葉の真偽を確かめることにした。



「……ウホゥウホお前の名は? ウホホッホ母親の名前ウホホホゥは何という?」



 俺の言葉に対しその子供は、ようやく見付けたと言わんばかりの笑顔を浮かべ。



「あたしはタカバヤシシゲコ。お母さんはタカバヤシリョウコだよ」



 そう言って――あの日俺を檻から解放してくれた飼育員と同じ〝タカバヤシ〟と名乗ったその少女は、まるですがるようにして俺の指を握ってきたのだ。





 ◇





ウホホホッホウホウあと腕立て十回だウホホシゲコ


「はいっ、シゲルさんっ!」



 シゲコを保護してから一ヶ月ほどが経ち、この子は当初痩せ細っていたとは思えないほど、見違えるほどに肉付きが良くなっていた。

 トメコが収集してくれた食料類と、マツコが提案してくれた〝筋トレ〟のおかげだ。


 よく食べよく動き、そしてよく眠るのが成長に欠かせないのは、人間も俺達も変わらないということだ。

 マツコが読んだという筋トレの雑誌の写真の真似をして鍛えてやっていたのだが、一緒にやっていたせいだろうか、俺自身も以前に増してたくましくなってしまったが。



そろそろかウホウホホ……」



 筋トレを終え、トメコとじゃれ合っているシゲコを眺める俺の胸中に浮かぶ思い。


 シゲコは、ウィルスに感染している。


 どういう訳か、人間達を死に至らしめたウィルスに〝適合〟したのだと、マツコはそう言った。その結果、俺達のような獣の言葉を理解できるようになったらしい。

 しかしどういう理屈で適合したのか、今後どうなるのかは分からないということだ。


 シゲコ本人の話では、彼女の母親であるリョウコはもうらしい。娘を避難所で産み、五歳まで育てそして……他の人間達にシゲコが感染していることがバレたらしい。

 リョウコは娘を逃がすためにその場で留まり、シゲコは母の思い出話として語った動物園ここを目指して逃げ続けてきたという。


 五歳という人間にしては幼すぎる、それもメスの子供がここに辿り着けたというのは、それもひとえに感染していたおかげだろう。

 ウィルスの恩恵で知能も身体能力も、同年代の子供に比べて異様に発達していたおかげで、こうして俺の元へと逃げおおせたわけだ。


 しかし――――



ウホホシゲコウホウホそろそろウッホウホホ支度をしろ


「う、うん……!」



 俺は動物園ナワバリを出ることに決めた。シゲコを連れて、もっと人間の子供が生きやすい場所を縄張りにするために。

 実質ここのボスである俺がけるというのは良心が痛むが、ここの連中はなんだかんだで皆逞しい。俺が居なくなった程度でどうこうはならないだろう。


 リヤカーにカセットコンロや寝袋、着替えなど、シゲコのために掻き集めた生活用品を積んでいく。



「……ウホホシゲコ



 荷を積み終えたシゲコに、事務所を片付けている際に見付けた、一枚の写真を渡す。それは、まだ動物園ここに来たばかりだった俺と一緒に写った、シゲコの母親――リョウコが笑っている写真だった。

 道すがらにでも、彼女との思い出話を聞かせてやるのもいいだろう。そう思い、マツコに頼んで防水加工ラミネートしておいてもらったのだ。



「お母さん……」


ウホもう……ウホホ出るぞ


「うん、シゲルさん」



 心の強い子供だ。普通なら親とはぐれて気が気でないだろうに、そんな素振りは微塵も見せたりしない。

 保護した当初こそ〝欲〟に負けて庇護したが、今ではいつの間にか……俺自身の心でこの子を護りたいと、そう思うようになっていた。


 俺に名を与え、最後には自由も与えてくれた恩人の忘れ形見。

 この子供を、シゲコを強く育て導いてみせる。そう、渡す前に写真のリョウコに誓った。



ウホゥ行くぞ


「うんっ」



 リヤカーにシゲコを乗せ、動物園のゲートをくぐる。


 ここから、俺とシゲコの新たな一歩が始まるのだ。そう思った矢先――――



ウキャッキャキャーッちょっとシゲル!? ウキキウキャ置いて行くウキウキなんて酷ウッキャーいじゃない!?」


ウキキキィーシゲルくぅん♡ ウキャホーウ待ってぇーん♡」



 何故か、大声で鳴きながら小さな猿達――マツコとトメコが追い掛けてきた。


 図々しくも俺の引くリヤカーに乗り込んできた二匹は、自分達も一緒に行くと言い張って聞かないため、俺は仕方なくシゲコを肩に乗せて、移動を再開した。



「ふふ……っ、あはははっ」


「……ウホウホホウホ何がおかしい?」



 急に楽しそうに笑い出したシゲコに尋ねると。



「なんかあたし達、家族みたいだねっ」



 と。そんなことを言い出しまた笑うのだ。



ウキッウキキキィ私はお姉さんね


ウキャッええっ!? ウキャーウキッキィじゃあアタシはぁん!?」


「うーん、マツコちゃんは確かにお姉ちゃんだね。トメコちゃんは……親戚のお兄ちゃんかな?」


ウッキャーちょっとぉ!?」



 騒がしい後ろを極力無視して、足を進める。しかしそんな俺の耳に、聞き捨てならない声が飛び込んでくる。



ウキキィじゃあウキキウキィシゲルは?」



 マツコが意地の悪い声で、シゲコに尋ねた。


 俺は別に家族など……。動物園にはそもそも俺しかニシローランドゴリラは居なかったのだし、つがいを持つ予定も無かったから――――



「シゲルさんはね……あたしのお父さんっ! あたしの名前は、シゲルさんから貰ったんだってお母さんが言ってたからっ」



 ――――ッ!!


 マツコやトメコはともかくとして、どうやら俺に娘ができたらしい。


 ……ならばそれでもいいだろう。


 ニシローランドゴリラの俺。ゴールデンライオンタマリンのマツコ。ニホンザルのトメコ。そして人間のシゲコ。


 俺はこの種族のバラバラな奇妙な家族を……娘を連れて、少しだけ足を速めたのだった――――




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終末は娘と共に。 テケリ・リ @teke-ri-ri

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